学位論文要旨



No 211852
著者(漢字) 高岡,雅哉
著者(英字)
著者(カナ) タカオカ,マサヤ
標題(和) 薬物起因性甲状腺病変の病理学的研究
標題(洋)
報告番号 211852
報告番号 乙11852
学位授与日 1994.06.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第11852号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 後藤,直彰
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 助教授 板垣,慎一
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨

 甲状腺には,甲状腺ホルモンを合成分泌する甲状舌管由来の濾胞上皮細胞とカルシトニンを合成分泌する鰓後体ultimobranchial bodies内に侵入した神経稜由来のClear cell(C-細胞)が存在する.甲状腺ホルモン(thyroxine,T4;3,5,3’-triiodothyronine;T3)は,濾胞上皮細胞内で合成されたサイログロブリンと能動輸送で取り込まれたヨードイオンより合成され,ヨードイオンはthyroid peroxidase(TPO)の作用で酸化されて,サイログロブリンのチロシン残基に結合し、濾胞腔に貯蔵される.その後,再吸収されたヨード化サイログロブリンは加水分解され甲状腺ホルモンとなって分泌される.したがって,TPOはホルモン合成において中心的役割を担う酵素である.血中に放出された甲状腺ホルモンは蛋白に結合した型で末梢に運ばれ作用を発揮する.この一連のホルモン合成および分泌過程を制御しているのが下垂体から分泌されるthyroid-stimulating hormone(TSH)であり,TSH分泌を制御しているのが視床下部からのthyrotropin releasing hormoneと血中の甲状腺ホルモンによるフィードバック機構である.

 甲状腺ホルモンは広く生体の代謝に関係しているため,薬物あるいは化合物による障害的作用は,甲状腺自体への機能異常に留まらず,生体に大きな影響を与える毒性と考えられている.甲状腺ホルモンの合成あるいは分泌を障害する作用は,抗甲状腺作用と言われ,多くの化合物でその作用が報告されている.これらの抗甲状腺作用の発現には動物種差があり,ラットはマウスやイヌなどの他の動物種よりその作用が強く発現する.したがって,化合物の甲状腺毒性の研究では,その作用を敏感に発現するラットを使用する必要がある.

 本研究は,薬物あるいは化合物のラット甲状腺濾胞上皮細胞に対する作用を毒性病理学的に研究することを目的とした.第I章では研究を通して使用するFischer344(F344)ラットの背景病変ならびに加齢による甲状腺の構造と機能を研究した成績が記載される.第II章では甲状腺機能を変化させる薬物により甲状腺機能亢進病変と機能低下病変を作出して,その毒性病理学的特徴を論じるとともに,発現メカニズムからその病態を分類した内容が記述される.第III章では,第II章により分類された機能亢進病態を代謝の研究や酵素誘導などの研究で用いられている代表的な化合物で確認した成績を述べる.第IV章では,第II章により分類された機能低下病態の発現メカニズムについて化合物構造相関より考察した結果が記載されている.

第I章F344ラットの甲状腺の加齢性病変-自然発生病変および構造と機能-

 雌雄とも甲状腺重量が加齢に伴って増加した.病理組織学的には,ectopic thymusおよびultimobranchial cystが9週齢から109週齢の雌雄動物に観察されたが,その発生頻度は加齢に伴って減少した.Follicular cystは20週齢で観察され,109週齢ではその頻度が増加した.濾胞腔へのマクロファージ浸潤と上皮細胞への褐色色素沈着を主徴とする濾胞の変性病変であるhyperdistension は59週齢以降の動物に認められた.この病変は109週齢の雄で29%,雌で7%に観察された.増殖性変化は59週齢以降に観察され,109週齢の雄で5%の動物に濾胞上皮細胞の腫瘍を,雄で18%と雌で10%の動物にC-細胞腫瘍が観察された.F344ラットの自然発生性の増殖性病変は主にC-細胞に認められ,濾胞上皮細胞の腫瘍性病変の発生頻度は他の臓器の腫瘍の頻度と比較し低いと考えた.定量形態学的には82週齢の雄ラットで濾胞および濾胞腔面積の増加と濾胞上皮細胞の高さの低下が観察された.血清中のT3,T4およびTSH濃度が加齢に伴って減少し,82週齢で有意に低下した.F344ラットの甲状腺は,加齢に伴い病理学的,構造的あるいは機能的に変化し,雄では機能低下が82週齢で発現することが明らかにされた.

第II章薬物投与による甲状腺病変-甲状腺機能亢進および低下病変-

 TSHは甲状腺重量を増加させ,TPO活性を増加させる直接作用型の機能亢進を発現した.Phenobarbital(PB)は肝臓の薬物代謝酵素活性を増加し,血中T3およびT4濃度の低下とTSH濃度の増加を引き起こして,甲状腺重量を増加させる二次的作用型の機能亢進を発現した.T4は重量を低下させ,TPO活性を低下させる二次的作用型の機能低下を発現した.1-Methyl-2-mercapto-imidazole(MMI)は重量を増加させ,TPO活性を低下し,血中T3およびT4濃度の低下とTSH濃度の増加を引き起こして,甲状腺重量を増加させる直接阻害型の機能低下を発現した.これらのうち,PBとMMIは甲状腺重量の増加,血清中T3およびT4濃度の低下,TSH濃度の増加が共通して観察され,甲状腺重量を増加させる化合物の毒性研究では,その病態が直接阻害型の機能低下病変なのか,二次的作用型の機能亢進病変なのかを毒性学的に分別する必要があると考えられた.

第III章二次的作用型の甲状腺機能亢進病変-肝細胞肥大を誘発する化合物と甲状腺肥大-

 肝臓に対しそれぞれ異なった薬物代謝酵素誘導を起こすPB,3-methyl-cholanthrene,-naphthoflavone,isosafroleおよびclofibrateは,いずれも甲状腺ホルモンの代謝に関与するUDP-glucuronyltransferase活性を増加させた.病理学的には肝細胞肥大と甲状腺肥大が観察され,血清中甲状腺ホルモンの減少とTSH濃度の増加も同時に認められた.甲状腺の病変は,肝臓の薬物代謝酵素誘導に伴って発現した血清中の甲状腺ホルモンの減少によって起こるネガティブ・フィードバック作用に関連したTSH分泌亢進が原因と考えられた.したがって,ラットに肝細胞肥大を発現する新規化合物は二次的甲状腺機能亢進病変を形成する可能性が高いと考えられた.

第IV章直接阻害型の甲状腺機能低下病変-抗甲状腺作用と化合物構造相関-

 3-amino-1,2,4-triazole(ATZ)とその母核である1,2,4-triazole(TZ)の5位あるいは3位置換基が異なる化合物ATZ,3-mercapto-TZ(MTZ),3-nitro-TZ(NTZ),TZ,3,5-diamino-TZ(DTZ),ATZ-5-carboxylic acid(ATZC),5-mercapto-ATZ(AMTZ)および5-methylthio-ATZを実験に用いた.TZを母核とする化合物ではMTZおよびNTZが,ATZを母核とする化合物ではAMTZおよびATZCが,競合拮抗型と考えられるTPO活性阻害作用によりラットに直接阻害型の機能低下病変を発現した.In vivoでの病変の程度はMTZ=ATZ>ATZC>NTZ>AMTZの順で強いと考えられた.また,in vitroでの抗TPO活性阻害作用の強さは,MTZ>ATZ>AMTZ>ATZC>NTZ>DTZの順序であった.DTZの抗TPO活性作用は生体内で消失し,NTZの作用は増強した.ATZCの作用は持続時間の長い抗TPO活性に起因していると考えた.したがって,ラット甲状腺に対する抗TPO活性の発現には母化合物の構造が関与するのではなく,置換基が関連していることが強く示唆された.そして,TZ誘導体では3位の位置が抗甲状腺作用を発現するために,ATZ誘導体では5位の位置が抗甲状腺作用を低下するために重要な置換基挿入部であると考えられた.化合物の置換基と抗TPO作用の強さの関係は,TZ誘導体ではメルカプト基>アミノ基>ニトロ基の順で,ATZ誘導体ではメルカプト基>アミノ基>カルボキシル基の順序でその作用は強かった.母核が抗甲状腺作用を示さないTZ誘導体でも抗甲状腺作用を示すATZ誘導体でも,メルカプト基がアミノ基より強い抗甲状腺作用を示すことが明らかにされた.

 以上の結果より,薬物起因性甲状腺病変の病理学的研究では,動物の背景病変を集積して加齢に伴う生理学的変化を把握すると共に発現する病変と機能との関係を明らかにすることが必要である.また,甲状腺病変は甲状腺ホルモンのフィードバック機構によって下垂体から分泌されるTSHの修飾を受けて形成されるため,その発現メカニズムを明らかにすることが重要である.特に,二次的作用型の機能亢進病変は,甲状腺ホルモンの生体内における恒常性に関連した適応反応の一つと考えられることから,直接阻害型の機能低下病変と毒性病理学的に区別する必要がある.さらに,TPO活性阻害作用を有する化合物の構造活性相関が明らかにされたことは,新規化合物の甲状腺毒性の予測や毒性の発現メカニズムを推測するうえで有用な見解を与えると考えられる.

審査要旨

 甲状腺ホルモンは広く生体の代謝に関係しているため,薬物による障害作用は甲状腺自体への影響に留まらず,生体に大きな影響を与えると考えられる。抗甲状腺作用は動物種差があり,ラットには強く発現することから,薬物の甲状腺毒性の研究では,ラットを使用するのが適切である。本研究は薬物あるいは化合物のラット甲状腺濾胞上皮細胞に対する作用を毒性病理学的に研究することを目的としたもので,内容は以下のように要約される。

(1)F344ラットの加齢性病変

 雌雄とも加齢に伴って甲状腺重量が増加した。病理組織学的にはectopic thymusおよびultimobranchial cystが9〜109週齢のラットに観察されたが,発生頻度は加齢に従って減少した。Follicular cystは20週齢で認められ,109週齢ではその頻度が増加した。濾胞の変性病変hyperdistensionは59週齢以降のラットに見られた。自然発生性増殖病変は主にC細胞に認められ,濾胞上皮細胞の腫瘍性病変の発生頻度は他の臓器の腫瘍の頻度と比べ低かった。血清中のT3,T4(T3:3,5,3’-triiodothyronine,T4:thyroxine)およびTSH(thyroid-stimulating hormone)濃度は加齢に伴って減少し,82週齢で有意に低下し,この時期に機能低下が発現することが明らかであった。

(2)薬物投与による甲状腺病変

 TSHは甲状腺重量を増加させ,TPO(thyroid peroxidase)活性を増加させる直接作用型の機能亢進を発現した。Phenobarbital(PB)は肝臓の薬物代謝酵素活性を増加させ,血中T3,T4濃度の低下とTSH濃度の増加を引き起こして二次的作用型の機能亢進を発現した。T4は重量を減少させ,TPO活性を低下させる二次的作用型の機能低下を起こさせた。1-Methyl-2-mercapto-imidazoleはTPO活性を低下させ,血中T3およびT4濃度の低下とTSH濃度の増加を起こさせて甲状腺重量を増加させる直接阻害型の機能低下を発現した。甲状腺重量を増加させる化合物の毒性研究では,その病態が直接阻害型の機能低下病変なのか,二次作用型の機能亢進病変なのかを毒性学的に区別する必要があることが考えられた。

(3)二次的作用型甲状腺機能亢進病変

 肝臓での酵素誘導を起こすPB,3-methyl-cholanthrene,-naphthoflavone,isosafroleおよびclofibrateは,いずれも甲状腺ホルモンの代謝に関与するUDP-glucuronyl transferase活性を増加させた。病理学的には肝細胞肥大と甲状腺肥大が観察され,これは血清中の甲状腺ホルモンの減少によるTSH分泌亢進が原因と考えられた。したがって肝肥大を発現する化合物は二次的甲状腺機能亢進を起こす可能性が高いことが見込まれた。

(4)直接阻害型の甲状腺機能低下病変

 3-amino-1,2,4-triazole(ATZ)とその母核である1,2,4-triazole(TZ)の5位あるいは3位置換基が異なる化合物ATZ,3-mercapto-TZ(MTZ),3-nitro-TZ(NTZ),TZ,3,5-diamino-TZ(DTZ),ATZ-5-carboxylic acid(ATZC),5-mercapto-ATZ(AMTZ)および5-methylthio-ATZを実験に用いた。TZ化合物ではMTZとNTZが,ATZ化合物ではAMTZとATZCが競合拮抗型TPO活性阻害作用による直接阻害型の機能低下病変を発現した。その結果,TZ誘導体では3位の位置が抗甲状腺作用を発現するために,ATZ誘導体では5位の位置が抗甲状腺作用を低下させるために重要な置換基挿入部であると考えられた。化合物の置換基と抗TPO作用の強さの関係は,TZ誘導体ではメルカプト基>アミノ基>ニトロ基の順で,ATZ誘導体ではメルカプト基>アミノ基>カルボキシル基の順序であった。

 以上本研究により薬物起因性甲状腺病変は下垂体から分泌されるTSHの修飾を受けて形成されるためその発現メカニズムを詳細に検討すること,および直接阻害型の機能低下病変と甲状腺ホルモンの生体内恒常性に関連する二次的作用型の機能亢進病変は毒性病理学的に区別する必要があることが明確にされた。さらに,TPO阻害作用を有する化合物の構造活性相関が明らかにされたことは,新規化合物の甲状腺毒性の予測や毒性発現機構を推測するうえで有用な知見と考えられ,学術上,応用上の価値が極めて高い。よって審査員一同は本論文提出者に対して博士(獣医学)の学位を与えることに同意した。

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