学位論文要旨



No 211863
著者(漢字) 酒井,広文
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,ヒロフミ
標題(和) 波長可変コヒーレントVUV/XUV : 軟X線光源とその応用
標題(洋) Tunable coherent VUV/XUV : soft X-ray radiation source and its application
報告番号 211863
報告番号 乙11863
学位授与日 1994.07.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第11863号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 牧島,一夫
 東京大学 教授 松岡,正浩
 東京大学 教授 小林,孝嘉
 東京大学 助教授 渡部,俊太郎
 東京大学 助教授 山本,智
内容要旨

 1960年のMaimanによるルビーレーザー(波長=694.3nm)の発明以来,レーザーの発振波長域は著しく拡大した。今日では,波長可変レーザーと非線形結晶中での周波数変換により近赤外から〜200nmの遠紫外に至る波長可変コヒーレント光が得られる。しかし,空気中の酸素分子のSchumann-Rungeバンドによる吸収が始まる〜200nm以下の真空紫外(Vacuum Ultraviolet:VUV)領域には実用的な波長可変レーザーは存在しない。固定波長に限っても,市販装置レベルのレーザーはArFレーザー(193nm)とF2レーザー(157nm)に限られている。一方,既存のレーザーを基本波とする原子・分子中での周波数変換法は,波長可変コヒーレントVUV/XUV〜軟X線発生のための堅実で有効なアプローチである。波長域の定義は文献により多少異なるが,本研究では,真空紫外領域の内,LiFの透過限界波長〜105nm以下を極端紫外(Extreme Ultraviolet:XUV)領域,更に,〜20nm以下を軟X線領域と呼ぶ。

 本研究の目的は,周波数変換法による(波長可変)コヒーレントVUV/XUV〜軟X線発生技術の確立と開発した波長可変コヒーレントXUV光源を原子の高励起状態の分光実験に適用し,その有効性を示すことである。更に,(高次)高調波発生の有益な応用の一つとしてサブピコ秒紫外パルスの測定も行っている。本論文は全6章からなっている。

 第1章は序論であり,研究の背景と本研究の概要をまとめている。

 第2章では,本研究の理論的基礎を摂動論が有効な場合(weak-field case)と非摂動論的な取り扱いが必要な場合(high-field case)についてまとめている。

 第3章では,Cd蒸気中での2光子共嗚4光波混合法による広帯域波長可変コヒーレントVUV光発生に関する研究をまとめている。1974年,HodgsonらはSr蒸気中での共鳴4光波混合により初めて波長可変コヒーレントVUV光の発生を示した。その後,多くの金属蒸気や希ガスが非線形媒質として研究されている。本実験では,Cdを非線形媒質とし,51D2,71S0,61D2の3つの2光子共鳴準位を用いた。基本波はNd:YAGレーザーの第2高調波励起色素レーザーを使用した。発生したVUV光はスペクトル構造を持たず,119.6-136.8nmの波長範囲をカバーした。VUV光発生効率を波長の関数として測定し(図1),Cdが当該波長域における効率的な媒質として利用出来ることを示した。

 更に,図1に示されたようなVUV光出力の波長依存性を説明する3次の非線形感受率3を4つの2光子共鳴準位61S0,5D2,71S0,61D2について110-138nmの波長範囲で計算した(図2)。3は各共鳴準位に特徴的な波長依存性を有し,広帯域連続波長可変VUV光発生の観点から51D2準位が最も利用価値が高いことが計算からも明らかになった。計算結果はVUV光出力の波長依存性の実験結果と比較され議論されている。

図表図1 Cdの3つの2光子共鳴準位を用いて発生したVUV光出力の波長依存性。色素名:(a)Fluorescein548,(b)Rhodamine590,(c)Rhodamine610,(d)Rhodamine640,(e)DCM,(f)LDS698。実験条件:基本波出力P1=10kW,P2=10kW(ピーク値),Cd圧pcn=10Torr。 / 図2 Cdの3次の非線形感受率の波長依存性の計算結果。2光子共鳴準位:(a)61S0と71S0,(b)51D2と71D2

 第4章では,Kr及びXe中での4光波混合を用いて開発した連続波長可変コヒーレントXUV光源とこの光源を使って行った高励起Rb原子の分光実験についてまとめている。XUV領域には実験上二つの困難があった。一つはKrやXeの様に取り扱いの容易な希ガス中での2光子共鳴に必要な遠紫外光の発生が困難であったこと。もう一つは透過率の良好な窓材が存在しないことである。前者は-BaB2O4と言う第2高調波発生用の優れた非線形結晶の出現により解決し,後者はパルス超音速ガスジェットの利用により克服された。パルス超音速ガスジェットはKungやBokorらによりVUV光やXUV光の発生に初めて利用された。こうして今や70〜200nmの波長範囲で連続波長可変コヒーレント光が得られるようになった。このコヒーレント光は基本波の持つ高輝度・狭帯域などの優れた性質を保つため,高分解能分光実験への応用に極めて適している。本研究では,まずXeClレーザー励起色素レーザーの-BaB2O4中での第2高調波で利用可能なKr及びXe中の多くの2光子共鳴準位を用いて第3高調波発生効率を調べた(図3)。図3は必要な波長域と利用可能な色素の組み合わせから効率的な2光子共鳴準位を選択する際に有益である。

 固体結晶の窓材を使用できないXUV領域で,金属蒸気の吸収スペクトルを光電的に測定するため,キャピラリー束窓を利用して試作した実験装置を図4に示す。本装置を用いて測定したRbの基底状態から内殻励起状態4p55s22P3/2への吸収スペクトルの一例を図5(a)に示す。この測定から内殻励起状態の励起エネルギー123497.5±0.5cm-1と吸収断面積(図5(b))を決定することが出来た。更に,図5の解析から自動イオン化に対する励起状態の寿命や振動子強度なども決めることが出来た。また,第3の色素レーザーによって励起された5p2P3/2から擬似準安定4重項状態4p55s5p4S3/2への吸収スペクトルも測定され(図6),4重項状態の励起エネルギー134250.2±0.5cm-1が決定された。励起エネルギーの測定精度は焦点距離10.7mの真空分光器での測定に匹敵するものである。

図表図3 XUV光の波長の関数として示されたKr及びXe中での2光子共鳴第3高調波の発生効率。●:基本波出力30kW,○:基本波出力10kW。 / 図4 波長可変コヒーレントXUV光源を用いた吸収分光実験装置。PGV,パルス超音速ガスバルブ;M,分光器;EM,電子増倍管;QP,石英板。図表図5 Rb中の自動イオン化遷移4p65s2S1/2-4p55s22P3/2に対する(a)吸収スペクトルの一例と(b)吸収断面積。破線は半値全幅40cm-1のローレンツ形を示す。 / 図6 Rb中の遷移4p65p2P3/2-4p55s5p4S3/2に対する吸収スペクトルの一例。

 第5章では,超短パルス高出力レーザーによる希ガス及び窒素分子中での高次高調波発生の実験的研究をまとめている。最近の超短パルス高出力レーザー技術の進歩により1013〜1018W/cm2の集光強度が達成可能となった。その光電場強度は原子内のクーロン電場と同程度あるいはそれ以上となる。このような高出力レーザーパルスを希ガス等の非線形媒質中に集光照射すると,著しく高い次数の高調波が発生する。こうした状況では摂動論の適用はもはや妥当ではなく,高次高調波の発生は高強度レーザーと媒質との非摂動論的非線形相互作用における典型的な現象の一つとして理解されつつある。1987年,イリノイ大学のグループはNe中でKrFレーザー(248nm)の17次高調波を観測した。1988年,サクレーのグループはNd:YAGレーザー(1064nm)を基本波として用い,Ar中で33次までの高調波を観測した。その後,実験的・理論的研究が広範に行われている。本研究では,まず超短パルス色素(616nm,最大強度:2×1014W/cm2)及びXeCl(308nm,最大強度:〜1016W/cm2)レーザーによる希ガス中での高次高調波発生の実験を行った。図7に色素レーザーを用いてHe中で観測された高調波スペクトルの一例を示す。検出系の感度の波長依存性について較正されたHe,Ne,Ar,Kr,Xe中での高調波分布を図8に示す。観測された最高次数はHe中での41次(15.0nm)で,軟X線領域に達している。図8で特徴的なのはHe,Ne中では11次で,Ar,Kr,Xe中では7次で極小を示した後,プラトー(特にHeとNe)が形成されている点と最高次数や高調波強度などが原子番号(イオン化ポテンシャル)と共に系統的に変化している点である。図9にはXeClレーザーを用いてHe,Ne中で観測された高調波分布を示す。図8とは対照的に広いプラトーは現われない。観測された最高次数はHe中での15次(20.5nm)であった。実験結果に基づいて,広いプラトー領域を含む特徴的な高調波の強度分布,プラトー形成におけるac Stark効果の役割,高調波発生の基本波波長依存性,媒質の多光子イオン化とそれに続く絶縁破壊の影響を議論している。

図7 サブピコ秒色素レーザーを用いてHe中で観測された高調波スペクトルの一例。スペクトルピークの数字は高調波次数を示し,無記入のピークは2次の回折光である。基本波強度:1.4×1014W/cm2図表図8 サブピコ秒色素レーザーを用いて観測されたHe,Ne中(a)及びAr,Kr,Xe中(b)での高調波分布。基本波強度はHe,Ne,Ar,Kr,Xeに対してそれぞれ1.4,1.9,1.9,1.5,2.0×1014W/cm2である。比較のため両図の縦軸目盛は共通になっている。 / 図9 サブピコ秒XeClレーザーを用いてHe及びNe中で観測された高調波分布。基本波強度はHe,Neに対してそれぞれ2.5,2.8×1015W/cm2である。

 この研究に関連して,紫外超短パルス測定の為にパルス超音速希ガスジェット中での第3,5高調波発生及び4光子イオン化を用いた強度相関法を開発した。この方法は紫外全域に適用可能である。サブピコ秒XeClエキシマレーザーシステムからのパルス幅〜360fsが測定されると共に信頼性の高さが示された。図10にAr中での第3高調波(a),第5高調波(b)を用いた自己相関波形の例を示す。

図10 Ar中での第3高調波(a)及び第5高調波(b)を用いたサブピコ秒XeClレーザーパルスの相関波形の例。sech2のパルス波形を仮定。全入力エネルギー:(a)80J,(b)65J。

 更に,サブピコ秒色素レーザーを用いた希ガス中での高次高調波発生に与える媒質の多光子イオン化の影響を詳細な実験により調べた。まず,高調波信号とイオン信号をレーザーの焦点位置の関数として測定した(図11)。Ar,Kr,及びXeを用いた場合,高次高調波発生は多光子イオン化とそれに続く絶縁破壊による中性媒質の枯渇によって主に制限されてしまうことが分かった。高調波信号の基本波強度依存性がレーザー光の焦点位置によって大きく異なることも明らかになった(図12)。サブピコ秒XeClレーザーを用いて同様の実験を行い,色素レーザーで得られた結果に対する解釈の妥当性が裏付けられた。

図11 サブピコ秒色素レーザーの焦点位置の関数として観測されたXe中での高調波(5次)とイオン信号。レーザーパルスは左から右に進む。基本波強度は高調波(●)に対して7.0×1013W/cm2,イオン(○)に対して1.1×1014W/cm2である。図12 図11中の2つの焦点位置におけるXe中での第5高調波の基本波強度依存性。

 最後に,窒素分子(N2)中での高次高調波発生特性をサブピコ秒色素レーザーを用いて調べた。高調波は最高21次(29.3nm)まで観測された。高調波の強度分布は7次で極小を示しプラトーを形成する。N2とAr中での高次高調波発生特性は観測される最高次数,高調波の強度分布,多光子イオン化の影響などが類似していることが分かった。これらの類似は両者の励起準位やイオン化ポテンシャルのエネルギー上の対応に起因すると考えられる。

 第6章は本研究のまとめである。

審査要旨

 1960年のレーザーの発明から今日まで、レーザー発振の波長域は著しく拡大し、今日では近赤外から波長〜200nmの遠紫外にいたる波長可変なコヒーレント光が得られている。しかし〜200nm以下の真空紫外(Vacuum Ultraviolet:VUV)領域には、実用的な波長可変レーザーはこれまで存在しなかった。論文提出者は本研究において、既存のレーザーを基本波とし、原子・分子中で非線型効果による周波数変換を行なうことにより、VUV領域からXUV領域、さらには軟X線領域にいたるまで、波長可変なコヒーレント光を発生するための技術を開発した。提出者はまた開発した波長可変コヒーレントXUV光源を用い、Rb原子の内殻励起状態の分光実験を行なうなど、これらの技術の有用性を示す各種の実験も行なっている。

 本論文は全6章からなる。第1章は序論であり、第2章では本研究に関わる非線型光学などの理論的な基礎がレビューされている。

 第3章では提出者はCd蒸気を非線型媒質として用い、その中で2光子共鳴4光波混合法と呼ばれる非線型過程を利用することにより、可視光域および紫外域の2種類の色素レーザーから、波長可変なコヒーレントVUV光を発生することに成功している。提出者はCdのもつ3つの2光子共鳴準位51D2、71S0、61D2を用いて実験を行ない、119.6-136.8nmの波長範囲にわたって、VUV光の発生効率を波長の関数として測定した。提出者は関係する共鳴準位について3次の非線型感受率3を計算し、実測されたVUV光の発生効率の波長による変化が理論的に説明できることを示した。発生したVUV光はスペクトル構造を持たず、原子・分子の分光実験に有用である。またこの目的の非線型媒質としてのCdの特性も詳しく調べられている。

 第4章では、提出者は同じく2光子共鳴4光波混合を用い、波長が連続可変なコヒーレントXUV光源を開発した。実験ではまず、KrガスあるいはXeガスをパルス超音速ガスジェットとして供給し、そこにXeClレーザーで励起された色素レーザーの第2高調波を入射させ、第3高調波の発生効率を調べている。この実験ではKrおよびXeのもつ11個の2光子共鳴準位が利用されており、それらの準位は近接したエネルギーをもつにもかかわらず、第3高調波の発生効率は大きく異なることが明らかにされた。つぎに提出者は、別の色素レーザーを併用した4光波混合過程により、=81.9-85.0nmのコヒーレントXUV光を発生させることに成功している。こうして開発されたXUV光源は、窒素分子の吸収スペクトルの測定を通じて、/〜2×105という優れた分解能をもつことが確認された。

 第4章では提出者はまた、開発されたコヒーレントXUV光を利用し、Rb原子の内殻励起の分光実験を行なっている。コヒーレントXUV光はキャピラリープレートにより閉じ込められたRb金属蒸気のセルを通過したのち、光電的に測光される。XUV光の波長スキャンを行なうことにより、Rbの基底状態から内殻励起状態4p55s2 2P3/2への吸収スペクトルが測定され、その励起エネルギーは123497.5±0.5cm-1、吸収断面積は吸収のピークで(2.1±0.6)×10-16cm2と決定されたほか、自動イオン化に対する励起状態の寿命、吸収の振動子強度、輻射寿命なども評価された。

 第5章では、XUV〜軟X線領域におけるコヒーレント光源の開発実験と、そこで遭遇した興味ある物理現象の研究結果が述べられている。提出者は超短パルスの色素レーザー光を希ガスに入射し、高い次数まで高調波が発生することを実験的に確認した。得られた最高次数(最短波長)は、He、Ne、Ar、Kr、Xe中でそれぞれ41次(15.0nm)、37次(16.6nm)、19次(32.4nm)、17次(36.2nm)、13次(47.4nm)であり、HeおよびNe中では軟X線領域に達している。高調波の強度分布は、HeとNeでは11次で、またAr、Kr、Xeでは7次でいったん極小になったあと、より高い次数に向けてプラトーを形成することがわかった。提出者は同様な実験を窒素ガス中でも行なったが、分子中で高次の高調波を発生させる実験はこれが初めてである。次に色素レーザーのかわりにXeClレーザーを用いた実験では、He中で15次、Ne中で13次、Ar、Kr、Xe中で9次までの高調波が発生したが、強度分布のプラトーは現れなかった。第5章では、これらの実験結果が理論的に解釈されている。

 第5章の研究に関連して提出者は、自己相関法により、紫外サブピコ秒レーザーのパルス幅を正確に測定する方法を開発した。これによりサブピコ秒XeClレーザーシステムからのパルス幅が、第3次と第5次の高調波でともに〜360fsと測定された。いっぽう、このような大強度のレーザーパルスを用いる実験では、媒質の多光子イオン化とそれに続く絶縁破壊が問題となりうる。そこで提出者は超短パルスレーザーの焦点位置を変えながら、Ar、Kr、Xe中で高調波信号とイオン信号を測定した。その結果、レーザー光がガスを電離し、そのためレーザービームがself-defocusingすることにより生ずると考えられる現象を見い出し、その解釈を行なった。

 最後に第6章では、本研究の主要な結果がまとめられている。

 以上のように本研究を通じ、提出者は波長可変レーザーを波長の短い側に向けて着実に開発してきた。そこで用いられた技術は堅実で幅広く、得られた結果は、レーザー技術の面からも、またさまざまな応用の可能性の面からも、多くの新しい知見を含んでいる。またこれらの研究を通じ、提出者が量子エレクトロニクスを中心とする物理学の関連分野に、充分な学識をもつものであることも確認された。これらの研究のある部分は宮崎健創氏らとの共同研究であるが、いずれの場合も提出者の寄与が極めて大であると判断され、また同意承諾書も完備しており問題ない。以上を総合して、本研究がこの研究分野にもたらす貢献は十分に博士(理学)の学位の授与に値するものであることが、審査員の全員の一致で確認された。

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