学位論文要旨



No 211865
著者(漢字) 松本,晃裕
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,アキヒロ
標題(和) 慢性心不全患者の運動耐容能評価における嫌気性代謝閾値(Anaerobic threshold)の意義に関する検討
標題(洋)
報告番号 211865
報告番号 乙11865
学位授与日 1994.07.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第11865号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古瀬,彰
 東京大学 教授 矢崎,義雄
 東京大学 教授 熊田,衛
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 助教授 川久保,清
内容要旨

 慢性心不全患者の運動耐容能測定において従来は運動負荷時間、最大運動強度、最大酸素摂取量などの指標が使用されていたが、最近嫌気性代謝閾値(Anaerobic threshold)も新しい指標として用いられるに至った。ATは、「有気的エネルギー産生に無気的エネルギー産生機構が加わった時点の運動時の酸素摂取量(VO2)のレベル」として定義され、筋肉中や動脈血中における乳酸濃度、あるいは乳酸/ピルビン酸比が急激に増加を開始する変曲点に一致するので、従来血中乳酸値を直接測定し求められていた。しかし、最近breath-by-breath法の呼気ガス分析機器が登場し非観血的にAT測定が可能となった。慢性心不全患者においては健常者よりATが低く、更にNew York Heart Association(NYHA)心機能分類上で重症である程ATは低くなる。慢性心不全患者においてもATは再現性が高く、またinterobserver variabilityが小さい。しかし、慢性心不全患者において血行動態異常のうちATが何を反映しているかは十分検討されていない。さらに強心薬や手術等の治療効果判定においてATが有する意義についても十分に検討がなされていない。そこで今回慢性心不全患者の運動耐容能評価におけるATの意義に関して、以下の3つの検討を行った。1)慢性心不全の基礎疾患として左心機能が一次的に障害される拡張型心筋症と、左心機能障害のない僧帽弁狭窄症の患者を対象とし、ATを決定する血行動態の因子を検討した。2)慢性心不全患者を対象とした強心薬(pimobendan)急性投与におけるAT評価の意義を血行動態と関連づけて検討した。3)PTMCを施行する僧帽弁狭窄症患者を対象とし、ATを経時的に測定することにより運動耐容能の改善が判定できるか否かを検討する為、PTMC前後と長期間にわたって血行動態と呼気ガス分析の変化を検討した。

対象及び方法A)対象及び検査プロトコール

 1)拡張型心筋症及び僧帽弁狭窄症患者においてATを決定する血行動態因子の検討:運動耐容能が両疾患で同程度となるように拡張型心筋症8例と僧帽弁狭窄症11例(NYHA心機能分類にてII度及びIII度)を対象に選んだ。左室駆出分画は拡張型心筋症群では0.24±0.06(平均±標準偏差、以下同じ)と高度に低下していた。僧帽弁口面積は僧帽弁狭窄症群で0.9±0.2cm2であった。

 2)慢性心不全患者に対する強心薬急性投与におけるAT評価の意義:NYHA心機能分類でII及びIII度の慢性心不全患者9名を対象とした。Single-blind crossover testとして、pimobendan(2.5又は5mg)あるいはplaceboを経口投与し、その3時間後に運動負荷を施行した。

 3)僧帽弁狭窄症患者に対するPTMCの短期的及び長期的効果におけるAT評価の意義:PTMCを施行し成功した患者16例を対象とした。PTMCにより僧帽弁口面積は施行前の1.0±0.3cm2から施行後1.8±0.2cm2(p<0.01)へと増大した。PTMCの前後各1週間以内、1、3、6ヶ月後に呼気ガス分析下に運動負荷を施行した。

B)運動負荷試験

 坐位自転車エルゴメーター(Corival WLP400、Lode社、オランダ)にて、4分間20Wのwarming-up、さらに6秒毎に1Wずつ負荷量を漸増するramp法により症候限界性運動負荷を実施した。Breath-by-breath法(RM-300、ミナト社)の呼気ガス分析機にて酸素摂取量(VO2)、二酸化炭素排泄量(VCO2)、換気量(VE)、呼吸数などの指標を測定した。熱希釈法用サーミスタの付いたバルーン付きカテーテルを上肢より挿入し肺動脈に留置し、また上腕動脈にカニュラを挿入した。心拍数、動脈圧、肺動脈圧を連続的にモニターし、また肺毛細管圧、右房圧、心拍出量(熱希釈法)を1分毎に測定した。AT決定には、(1)V slope法、(2)VE/VCO2が不変でVE/VO2が急上昇を開始する点、(3)ガス交換比(VCO2/VO2)が負荷量に比して急上昇を開始する点の3法を用いた。

結果

 1)拡張型心筋症及び僧帽弁狭窄症患者においてATを決定する血行動態因子の検討:AT(拡張型心筋症群、12.3±1.2vs.僧帽弁狭窄症群、12.8±1.1ml/min/kg,NS)は両群間で有意差はなかった.また、最大酸素摂取量と最大運動負荷量も両群間で有意差はなかったので、両群の運動耐容能は同程度であると考えられた。安静時と最大運動時の呼気ガス分析諸指標(VO2、VCO2、ガス交換比、換気量、呼吸数)も全て両群間で差はなかった。肺動脈圧は最大運動時に僧帽弁狭窄症群で高い傾向があった。肺毛細管圧は安静時には両群間で有意差はなかったが、最大運動時には僧帽弁狭窄症群の方で高値をとった(拡張型心筋症、27±6vs.僧帽弁狭窄症、39±13mmHg、p<0.05)。一方、心拍出係数は安静時、最大運動時(拡張型心筋症、4.8±1.1vs.僧帽弁狭窄症、5.4±1.1 l/min/m2、NS)共に両群間で差がなかった。ATと安静時の血行動態指標との関連については、安静時心拍出係数とATの間には両疾患全体ではr=0.46、p<0.05の弱い相関が見られたが、各疾患毎に見ると相関はなかった。一方、安静時肺毛細管圧とATとの間には両群全体では相関はなかった。運動時の血行動態指標とATとの間の関連について検討したところ、ATとその時点の心拍出係数との間に両群全体でみても(r=0.74、p<0.005)、各疾患毎にみても相関があった。一方、ATとその時点の肺毛細管圧、肺動脈圧とは両群全体でも、各疾患毎でも相関を示さなかった。

 2)慢性心不全患者に対する強心薬急性投与におけるAT評価の意義:Pimobendan投与により安静時において心拍出係数の増加、右心系圧の低下が見られた。最大運動時においても心拍出係数は増加し(4.5±1.0vs.5.3±1.1 l/min/m2、p<0.05)、肺毛細管圧は低下した(32±11vs.24±10mmHg、p<0.05)。Pimobendan投与により、最大酸素摂取量と最大運動強度は増加傾向を示し、ATは増加した(12.8±1.6vs.13.8±1.7ml/min/kg、p<0.01)。

 3)僧帽弁狭窄症患者に対するPTMCの短期的及び長期的効果におけるAT評価の意義:PTMCの1週間後において直前に比べ心拍出係数は安静時、最大運動時(5.6±1.2vs.7.1±1.8 l/min/m2、p<0.01)共に増加した。肺毛細管圧は安静時、最大運動時(40±13vs.31±8mmHg.p<0.05)共に低下した。最大運動強度と最大酸素摂取量は増加したが、AT(12.4±1.5vs.12.6±1.6ml/min/kg、NS)は不変であった。呼吸機能に関しては、肺活量はPTMC直後に改善傾向を示し、1秒率と最大換気量は改善した。長期的に検討したところ、ATはPTMCの1ヶ月後に遅れて改善し、6ヶ月後まで更に徐々に改善した。

考察

 1)拡張型心筋症及び僧帽弁狭窄症患者においてATを決定する血行動態因子:運動耐容能の指標であるATが両群間で同程度低下している患者で比較検討したところ、安静時及び運動時共に両群間で心拍出量に差はなか

審査要旨

 本研究は慢性心不全患者の運動耐容能評価におけるATの意義を明らかにするため、breath-by-breath法の呼気ガス分析機器により非観血的にATを測定し、下記の結果を得ている。

 1。慢性心不全の基礎疾患として左心機能が一次的に障害される拡張型心筋症と、左心機能障害のない僧帽弁狭窄症の患者を対象とし、運動耐容能の指標であるATが両群間で同程度低下している患者で比較検討したところ、安静時及び運動時共に両群間で心拍出量に差はなかったが、運動時肺毛細管圧は僧帽弁狭窄症群で高かった。またATと運動時心拍出量とは強い相関を有したが、安静時及び運動時の肺毛細管圧とATとの間には相関は見られなかった。従って、慢性心不全患者における運動耐容能の指標であるATには、心不全の病因に関わらず心拍出量の関与が強いことが示された。

 2。慢性心不全患者を対象とした強心薬(pimobendan)急性投与におけるAT評価の意義を血行動態と関連づけて検討した。Pimobendan投与により安静時、運動時とも肺毛細管圧は低下、心拍出量は増加し、心ポンプ機能の向上が見られた。本剤投与によるATの増加は、心拍出量増加に伴う下肢運動筋への有効な血流量増加を反映することが示された。

 3。PTMCを施行する僧帽弁狭窄症患者を対象とし、ATを経時的に測定することにより運動耐容能の改善が判定できるか否かを検討する為、PTMC前後と長期間にわたって血行動態と呼気ガス分析の変化を検討した。PTMCにより直ちに運動時心拍出量が増加したがATは急性期には増加せず、約1ヶ月かかり遅れて改善したことより、心拍出量の改善が運動筋群自体の酸素摂取能改善を生じるのに時間を要することが示された。一方、PTMC直後より僧帽弁狭窄症患者の最大運動能は増加したが、これはPTMCによって呼吸機能が改善し、最大運動時における呼吸困難感は緩和した為、運動筋代謝を反映するATの増加を伴わずに最大運動能が向上した結果であることが示された。

 以上、本論文は慢性心不全患者においては病態に関わらず、ATを測定することによって運動時心拍出量の増加の程度を非観血的に推定しうること、更に治療による心拍出量増加の結果生じる運動筋代謝の改善をATは反映するが、ATの改善には時間を要する場合がある為経時的なATの測定が不可欠であることを明かにした。本研究は慢性心不全の新しい指標であるATの意義を明らかにし、臨床的に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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