学位論文要旨



No 211866
著者(漢字) 西川,光郎
著者(英字)
著者(カナ) ニシカワ,ミツオ
標題(和) マウス胚由来線維芽細胞株(C3H10T1/2)の分化誘導に伴う造血支持能の変動
標題(洋)
報告番号 211866
報告番号 乙11866
学位授与日 1994.07.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第11866号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,隆俊
 東京大学 講師 丹下,剛
 東京大学 助教授 別所,文雄
 東京大学 助教授 佐藤,典治
 東京大学 講師 北村,聖
内容要旨

 造血微小環境(hemopoietic inductive microenvironment:HIM)とは、いわゆる"造血の場"を示す概念であり、主に骨髄において造血細胞をとりまき、造血を支持する環境のことをいう。このHIMの中心となるものが一群のストローマ細胞であり、これらは造血幹細胞を含む造血細胞群と接触して存在している。Dexterの開発した長期骨髄液体培養系では、脾コロニーを形成する未分化多能性造血幹細胞(CFU-S)を長期間維持することができる。このことはin vitroにおいてHIMを再構築することが可能であることを示しており、本法によってHIMを構成するストローマ細胞の重要性が実験的に明らかになった。

 ストローマ細胞の造血に果たす役割は、造血幹細胞の維持、血液細胞の増殖と分化の調節、造血細胞の定着(ホーミング)と放出の3点に大別できる。そしてこれらの機能には、サイトカイン、接着分子あるいは細胞外マトリクスが関与しているものと推測されるが、その詳細については依然として不明な点が多い。

 ストローマ細胞は、線維芽細胞、マクロファージ、血管内皮細胞、前脂肪細胞、脂肪細胞など種々の細胞より構成されており、また、線維芽細胞の前駆細胞(CFU-F)の存在も示されている。前述のDexter培養系では、このような個々のストローマ細胞の造血における役割を検討することはほとんど不可能であった。近年、骨髄より造血支持能を有するストローマ細胞株の樹立が多くの研究者によって試みられてきており、脂肪細胞への分化能を有する前脂肪細胞に強い造血支持能があることが示唆されている。しかしながら、ストローマ細胞分化に伴う造血支持能の変化に関して系統立てて解析の行なわれた報告はほとんどないのが現状である。このような状況下で、分化能を有することが既に知られているマウス胚由来の線維芽細胞株[C3H10T1/2(10T1/2)]に注目し、ストローマ細胞の分化と造血支持能の変動の解析にこの10T1/2細胞の分化誘導系を用いることが可能であると考えた。そこで本研究では、10T1/2細胞を5-アザシチジンで処理することにより脂肪細胞、骨格筋細胞系に分化決定された株を樹立し、造血に重要な役割を果たすと推測される線維芽細胞(親株)から脂肪細胞系への分化系列、さらには、造血に直接関わらないと推測される骨格筋系細胞の造血支持能の変化を、同一細胞起源の分化クローン間で相互比較することで、ストローマ細胞の分化とその造血における役割について考察した。

1.C3H10T1/2由来前脂肪細胞株と骨格筋芽細胞株の樹立

 マウス胚由来C3H10T1/2細胞は、短時間の5-アザシチジン処理によって、前脂肪細胞、骨格筋芽細胞、軟骨芽細胞に分化する。これら分化決定された細胞は、その形質を保持したまま株化細胞として維持することが可能であり、一定条件下でそれぞれ脂肪細胞、筋管細胞、軟骨細胞へと終末分化する。著者は10T1/2細胞を24時間5-アザシチジン処理し、単一コロニー分離培養を繰り返し、安定な前脂肪細胞株、骨格筋芽細胞株を樹立した。これらの細胞株の分化形質については、組織化学的、分子生物学的検討により確認した。

 クローンA54は、インシュリンとデキサメサゾンの添加によりoil-redO染色陽性の脂肪滴を有する脂肪細胞にほぼ100%分化した。さらに、この終末分化した細胞では、脂肪細胞特異的セリン型プロテアーゼであるadipsinの発現が確認され、クローンA54は前脂肪細胞と同定された(表1)。一方、クローンM1601は、2%ウマ血清で培養することで筋管細胞の形成がみられた。また、筋細胞分化決定因子MyoDの発現、さらに筋管形成時には骨格筋の分化マーカーである-アクチンの発現が確認され、クローンM1601は骨格筋芽細胞と同定された。

表1.C3H10T1/2細胞由来の分化誘導株の分化形質
2.10T1/2細胞由来の分化誘導株の造血支持能

 10T1/2細胞の親株(線維芽細胞)および前脂肪細胞、脂肪細胞、骨格筋芽細胞、筋管細胞の各分化段階における、それぞれの造血支持能を検討した。造血前駆細胞に発現されるc-kit、およびThy-1、lineage markerに対する抗体を組み合わせたthree-colour FACSソーティングによる造血幹細胞の純化を試み、抗c-kit抗体を用いたFACSソーティングの有効性を確認のうえ、これら造血幹細胞集団と10T1/2由来細胞を共培養し、顆粒球マクロファージ系前駆細胞(CFU-GM)を指標として造血支持能について検討した。

 正常マウス骨髄細胞由来Thy-1loc-kit+Lin-造血幹細胞分画は300個あたり96個のCFU-GMを含んでいた(図1)。この造血幹細胞集団と10T1/2由来細胞株を1週間共培養したところ、10T1/2親株細胞ではCFU-GMがやや減少するが、前脂肪細胞ではCFU-GMが約9倍に増加した。一方、終末分化した脂肪細胞あるいは骨格筋系に分化した細胞と共培養を行なった場合はCFU-GMは完全に消失した。これらの結果は、ストローマ細胞の造血支持能は前脂肪細胞レベルの分化段階で亢進し、さらに脂肪細胞に終末分化すると失われていくことを示している。また、造血に関与しない骨格筋系の細胞ではやはり造血支持能がないことが示された。

CFU-C/300 cells
3.10T1/2由来細胞株のサイトカインの発現能

 上記の10T1/2由来細胞株のサイトカインの産生能を解析し、造血支持能との関連について検討した(表2)。

表2.C3H10T1/2由来ストローマ細胞のサイトカイン発現能

 まず、既知因子の中で最も未分化な造血細胞に対して作用すると考えられるstem cell factor(SCF)の発現についてノーザン分析を行なった。10T1/2細胞の親株、前脂肪細胞、脂肪細胞は無刺激ではほぼ同レベルの低い発現しか認められなかったが、前脂肪細胞では放射線照射、LPSあるいはTPAの刺激により著しい発現増強が認められた。このようなSCFmRNA発現パターンは、造血幹細胞支持能のパターンと一致しており、前脂肪細胞で造血幹細胞支持能とSCF発現能が亢進していることは互いに関連性を有することと推定される。一方、造血幹細胞支持能を欠く骨格筋系の細胞でもSCFmRNAの強い発現が構成的に観察された。このことは、SCF単独では造血幹細胞の維持におそらく不十分であり、前脂肪細胞においてはSCFに加えて他の因子が共同して造血幹細胞の維持に作用している可能性を示唆している。

 同様に、IL-6、LIF、M-CSFの各mRNAはいずれの細胞においても構成的な発現はほとんど見られなかったが、刺激により親株で弱い発現が誘導され、前脂肪細胞ではさらに強い発現誘導が観察された。IL-6については、上清中の生物活性を定量したところ、ノーザン分析とほぼ一致した結果が得られた。終末分化した脂肪細胞では刺激下でもこれらのサイトカインの発現は認められず、IL-6、LIF、M-CSFの発現能も分化誘導に伴う造血支持能の変動と密接に関連している事象と推察される。

 G-CSF発現は、ノーザン分析レベルで検出されなかったので、RT-PCR法、G-CSF依存性細胞を用いてその発現を検討した。その結果、IL-1刺激をした前脂肪細胞と脂肪細胞においてG-CSF産生が確認された。

 脂肪細胞ならびに骨格筋系へ分化した細胞における造血支持能の喪失が造血抑制因子によるものか検討するため、造血抑制因子の発現レベルを調べた。造血抑制因子として最も重要と考えられているTGF-1については、活性型、不活性型の判別が可能なEIA系を用いてその産生を検討した。10T1/2親株および骨格筋系細胞では培養上清中にTGF-1は全く検出されなかったが、前脂肪細胞および脂肪細胞では、不活性型のTGF-1の蓄積が認められた。但し、いずれにおいても活性型のTGF-1は検出されなかった。さらに、stem cell inhibitor(MIP-1)もRT-PCR法で全ての細胞で発現が確認されず、造血支持能の喪失が、造血抑制因子の産生による可能性は低いことが示唆された。

4.まとめと考察

 ストローマ細胞の分化とそれに伴う造血支持能の変動について解析するため、本研究では分化能を有することが知られている10T1/2細胞の利用を試みた。まず、5-アザシチジン処理により、前脂肪細胞および骨格筋芽細胞の安定な分化誘導株を分離し、これら新規に樹立した細胞株の性質を、その分化形質を解析することにより確認した。10T1/2細胞の親株(線維芽細胞様)ならびに同細胞由来の前脂肪細胞、脂肪細胞、骨格筋芽細胞、筋管細胞という5つの各分化段階にある同一細胞起源の一連の細胞を同時に準備することにより、これらの造血における役割を系統だって比較検討することが可能となった。

 抗c-kit抗体等を用いて高度に純化した造血幹細胞の支持能を検討すると、親株の支持能は弱く、前脂肪細胞に分化するとその造血支持能は著しく増強した。脂肪細胞および骨格筋系へ分化決定した細胞では支持能は全く喪失していた。特に、脂肪細胞への分化に伴う造血支持能の変化はSCF等のサイトカインの発現誘導パターンとよく一致しており、両者が互いに関連性を有することを示唆している。以上に述べたように培養線維芽細胞様細胞から分化した前脂肪細胞に造血支持能の亢進が認められ、種々のストローマ細胞の中で造血支持における前脂肪細胞の重要性と特異性が改めて示唆された。

 未分化造血細胞に作用するSCFを強く発現し、特にインヒビター活性の認められない骨格筋細胞が造血支持能を持たないことは、前脂肪細胞ではSCF以外にも造血幹細胞に作用する何らかの機能分子が特異的に発現されていることを示唆している。ストローマ細胞の造血幹細胞維持に関わる機能として、接着分子、細胞外マトリックスの重要性も認識されてきており、サイトカイン産生能の他にこれらの因子の変動も考慮していく必要がある。本研究において樹立した各10T1/2由来ストローマ細胞株は、遺伝学的に単一であること、また、前脂肪細胞はほぼ100%の割合で脂肪細胞に分化することから、今後さらに造血支持能の詳細な分子機構を解析していく上で極めて有用と思われる。

審査要旨

 生体内では、造血細胞を取り巻くストローマ細胞が造血細胞の維持、増殖、分化の調節に重要な役割を果たしているものと認識されてきているが、本研究では10T1/2細胞を5-アザシチジン処理することで脂肪細胞、骨格筋細胞系に分化決定された株を樹立し、造血に重要な役割を果たすと考えられる線維芽細胞(親株)から脂肪細胞系への分化過程における造血支持能の変動について、造血に直接関わらないと推測される骨格筋系細胞をネガティブコントロールとして用い生物学的な側面から、また、分子生物学的なアプローチにより比較検討することを試み以下のような結果を得ている。

 1)10T1/2細胞を5-アザシチジン処理することで、安定な前脂肪細胞株、骨格筋芽細胞株を新規に樹立した。さらに、各分化クローンは一定条件下で脂肪細胞、筋管細胞にまで終末分化することを各分化段階に特徴的な分化マーカーについて検討することで確認している。

 2)親株である線維芽細胞と、10T1/2細胞由来前脂肪細胞、脂肪細胞、骨格筋芽細胞、筋管細胞の5つの分化段階にある細胞を同時に準備し、FACS分取により高度に純化したThy-1loc-kit+Lin-の造血幹細胞集団と共培養を行い、これらの造血幹細胞の支持能について検討した。その結果、親株の支持能は弱く前脂肪細胞に分化するとその造血幹細胞支持能は著しく増強した。一方、脂肪細胞および骨格筋系へ分化決定した細胞では支持能は全く喪失していた。

 3)10T1/2由来各分化クローンのサイトカイン産生能について、IL-1、LPS、TPA、放射線照射等の刺激存在下あるいは非存在下でノーザン分析、EIA法を用いて検討した。未分化な造血細胞に作用することが知られているstem cell factor(SCF)の発現は無刺激の状態では親株、前脂肪細胞、脂肪細胞で同程度の低い発現しか認められなかったが、前脂肪細胞では刺激存在下で著しい発現増強が認められた。同様にIL-6、LIF、M-CSFはいづれの細胞においても構成的な発現は低レベルでしか確認されなかったが、刺激により親株では弱い発現が誘導され、前脂肪細胞ではさらに強い発現が認められたが、終末分化した脂肪細胞ではその発現は誘導されなかった。このようなサイトカインの発現パターンは、造血幹細胞支持能の変動のパターンと一致しており、前脂肪細胞で造血幹細胞支持能と各種サイトカインの発現能が亢進していることは互いに関連性を有するものと推定された。

 一方、造血抑制因子であるTGF-およびMIP-1については10T1/2由来各分化クローンで認められなかった。このような造血支持能の差異が造血抑制因子に由来するものではないことが示唆された。造血幹細胞支持能が認められない骨格筋系の細胞でも未分化造血細胞に作用するSCFmRNAは発現が確認されるが、造血抑制因子の産生は認められないことから、前脂肪細胞ではSCF以外にも造血幹細胞に作用する機能分子が存在することが示唆された。

 以上、本論文は10T1/2由来各分化クローンを樹立することで、同一細胞起源の線維芽細胞、前脂肪細胞、脂肪細胞、骨格筋芽細胞、筋管細胞を同時に準備し、これらの細胞の造血に果たす役割を系統だって解析することを可能とした。これらの細胞間の相互比較により前脂肪細胞の造血における重要性と特異性がさらには新たな機能分子の存在が示唆され、これらの実験系は今後ストローマ細胞の造血における役割の解析を行う上で重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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