学位論文要旨



No 211867
著者(漢字) 福本,修
著者(英字)
著者(カナ) フクモト,オサム
標題(和) 精神病様症状を持つ「スキゾイド・パーソナリティ」の治療過程と治療者の機能
標題(洋)
報告番号 211867
報告番号 乙11867
学位授与日 1994.07.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第11867号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松下,正明
 東京大学 教授 末松,弘行
 東京大学 講師 磯田,雄二郎
 東京大学 講師 五味渕,隆志
 東京大学 教授 栗田,廣
内容要旨

 精神分析或いは精神分析的精神療法は、はじめ神経症症状を訴える患者を中心的な適応対象としていたが、その範囲を重篤な性格障害や行動障害を示す患者にまで広げ、精神病理の理解と治療技法の深化に努めるようになった。その結果パーソナリティ障害が概念化され、神経症からいわゆる境界例までが一貫した形で、その理解と治療法についてほぼ一定した見解が共有されている。発達的により原始的な防衛機制を用いるパーソナリティ障害の場合には、神経症の治療課題に加えて、行動化を防ぎつつパーソナリティ構造の発達を促し部分対象関係の統合を行わなければならない。だが大筋では治療の見通しを持つことが可能であり、治療時期に応じた留意点と技法についてもほぼ共通の了解がある。

 それに対して、精神病的症状を示す症例に関しては、原始的水準のパーソナリティ障害に対する治療の困難の他に、(1)精神病的要素を全体の理解にどのように組み込むか、(2)独特な表出をどう理解するか、(3)患者の破壊性や現実歪曲、象徴を用いたコミュニケーションを活用する能力の乏しさにどう対処するか--が問題である。

 著者は本論文で、スキゾイド・パーソナリティ構造を持ち精神病様症状を示す患者の、精神分析的精神療法による治療経過を検討し、精神分析的な理解の可能性及び治療の適応とそれに要する技法を論じた。

 患者は分析的精神療法に先立ち、支持的精神療法を約二年間受けていた。そこでは患者の基底にあるパーソナリティ形成上の問題は解決されず、治療関係に転移され行き詰まりとして現れた。

 初め分析的精神療法に対して患者は、スキゾイド・パーソナリティに特徴的なin and out programmeを示した。やがて行動化(遅刻・欠席)が目立ち始め、治療者の不在(面接の休み)に際して外的な支持構造に訴えたり、被害的関係づけを示したりした。これは、患者が象徴的次元で面接の連続性を受けとめる(「休日がある」と理解する)ことができず、治療者の不在が自我の欠損となり、怒りによって分裂断片化の過程を激化させたためと考えられた。

 治療者は患者の象徴形成の水準を把握して、here & nowに於ける転移理解に基づき解釈した。特に、(1)治療構造の動揺の影響と、(2)患者の非言語的な行動及び沈黙の情動的な意味とその変化に留意した。これらの留意点は、支持的精神療法と大きく異なる。

 精神病的部分の活動を越えて患者のhere & nowの情緒に触れることによって、患者は内的世界とのつながりを回復した。患者は自分のさまざまな欲求や情動を次第に内的に処理する方向に移り、断片化から或る程度安定した部分対象関係に進むことができた。患者は連想内容においても夢を見ることにおいても象徴を使用するようになり、心的な自由空間を形成した。その結果精神病様症状は鎮静化した。

 以上の経過に即して、著者は患者の精神構造と力動の理解のために、外的・内的現実に対処するパーソナリティの機能を、「精神病的部分」と「非精神病的部分」のモデルによって整理した。

 非精神病的部分は、神経症の構造と機能を備え、言語水準の象徴的コミュニケーションを行うことができる。それに対して精神病的部分は、抑圧によって形成される無意識の世界を構造上欠いており、そのため葛藤を生む心的内容を心的世界の内にとどめることができず、投影同一化によって分裂排除して処理する。この構造的欠損は、外的対象の取り入れによって修復されるが、その対象は原始的な超自我の位置を占め、極端に理想化されるか迫害対象に転じるかになりがちである。

 現実は否認によって処理されるが、それでも増加する欲求不満及び非精神病的部分による防衛の破綻によって、精神病的部分は活性化する。精神病的部分は断片化によって「奇怪な対象」を形成し、患者は精神病症状に支配される。この状態には、現実を遮蔽しパーソナリティの各部分を分断したままにしておく防衛的意義がある。

 精神病的部分と非精神病的部分の区別は、それぞれが経験しまたコミュニケーションで使用する、象徴形成の抽象度に対応している。非精神病的部分は、対象から満足を与えられないことを自分の内的状態として概念的に把握できる。精神病的部分はそれを、悪い対象が実在し、迫害していると経験する。患者にとって対象の不在を象徴的にできること、すなわち象徴形成ができることが課題である。

 そこで重要となるのが転移を向けられる治療者の機能である。精神病的部分によって用いられる投影同一化は主に排泄的だが、その機制には一方で、自分の中に包容することが耐えられない情動的経験を、非言語的な形ながら伝達する意味がある。治療者が圧倒してくる投影を引き受け、意味が浮かび上がるまで持ちこたえ、象徴形成の萌芽を汲み取り患者に伝えることができれば、患者の精神病理ははっきりと改善して非精神病的部分の機能が増大し、洞察へと進展する。治療者のこの役割が、精神分析的治療の基礎となる包容機能(containing function)である。

 このように、神経症の治療から出発した精神分析的精神療法は、冒頭の三つの問題に答える形で(1)パーソナリティの精神病的部分・非精神病的部分という力動的モデル、(2)コミュニケーションの水準と質を規定する象徴形成、そして(3)この水準の患者に対する治療者の重要な機能である包容(containing)についての理解、の三点を導入することによって、精神病様症状を呈する重度のパーソナリティ障害患者にも治療効果を発揮できるようになる。

審査要旨

 近年精神分析的精神療法の適応は、神経症症状を訴える患者から重篤な性格障害や行動障害を示す患者にまで広がり、パーソナリティ障害が概念化された。結果として、神経症からいわゆる境界例まで一貫した形で、その理解と治療法についてほぼ見解が共有されている。それに対して精神病的症状を示す症例には、以下の問題がある。(1)精神病的要素を全体の理解にどのように組み込むか、(2)独特な表出をどう理解するか、(3)患者の破壊性や現実歪曲、象徴を用いたコミュニケーションを活用する能力の乏しさにどう対処するか。

 著者は本論文で、スキゾイド・パーソナリティ構造を持ち精神病様症状を示す患者の治療経過を検討し、上記の三点の精神分析的な理解の可能性及び治療の適応とそれに要する技法を論じた。

 患者は分析的精神療法に先立ち、支持的精神療法を約二年間受けていた。そこでは患者の基底にあるパーソナリティ形成上の問題は解決されず、治療関係に転移され行き詰まりとして現れた。初め分析的精神療法に対して患者は、スキゾイド・パーソナリティに特徴的なin and out programmeを示した。やがて行動化(遅刻・欠席)が目立ち始め、治療者の不在(面接の休み)に際して外的な支持構造に訴えたり、被害的関係づけを示したりした。これは、患者が象徴的次元で面接の連続性を受けとめる(「休日がある」と理解する)ことができず、治療者の不在が自我の欠損となり、怒りによって分裂断片化の過程を激化させたためと考えられた。治療者は患者の象徴形成の水準を把握して、here & nowに於ける転移理解に基づき解釈した。特に、(1)治療構造の動揺の影響と、(2)患者の非言語的な行動及び沈黙の情動的な意味とその変化に留意した。精神病的部分の活動を越えて患者のhere & nowの情緒に触れることによって、患者は内的世界とのつながりを回復した。患者は自分のさまざまな欲求や情動を次第に内的に処理する方向に移り、断片化から或る程度安定した部分対象関係に進むことができた。患者は連想内容においても夢を見ることにおいても象徴を使用するようになり、心的な自由空間を形成した。その結果精神病様症状は鎮静化した。

 以上の経過に即して、著者は患者の精神構造と力動の理解のために、外的・内的現実に対処するパーソナリティの機能を、「精神病的部分」と「非精神病的部分」のモデルによって整理した。

 非精神病的部分は、神経症の構造と機能を備え、言語水準の象徴的コミュニケーションを行うことができる。それに対して精神病的部分は、抑圧によって形成される無意識の世界を構造上欠いており、そのため葛藤を生む心的内容を心的世界の内にとどめることができず、投影同一化によって分裂排除して処理する。この構造的欠損は、外的対象の取り入れによって修復されるが、その対象は原始的な超自我の位置を占め、極端に理想化されるか迫害対象に転じるかになりがちである。

 現実は否認によって処理されるが、それでも増加する欲求不満及び非精神病的部分による防衛の破綻によって、精神病的部分は活性化する。精神病的部分は断片化によって「奇怪な対象」を形成し、患者は精神病症状に支配される。この状態には、現実を遮蔽しパーソナリティの各部分を分断したままにしておく防衛的意義がある。

 精神病的部分と非精神病的部分の区別は、それぞれが経験しまたコミュニケーションで使用する、象徴形成の抽象度に対応している。非精神病的部分は、対象から満足を与えられないことを自分の内的状態として概念的に把握できる。精神病的部分はそれを、悪い対象が実在し、迫害していると経験する。患者にとって対象の不在を象徴的にできること、すなわち象徴形成ができることが課題である。

 そこで重要となるのが転移を向けられる治療者の機能である。精神病的部分によって用いられる投影同一化は主に排泄的だが、その機制には一方で、自分の中に包容することが耐えられない情動的経験を、非言語的な形ながら伝達する意味がある。治療者が圧倒してくる投影を引き受け、意味が浮かび上がるまで持ちこたえ、象徴形成の萌芽を汲み取り患者に伝えることができれば、患者の精神病理ははっきりと改善して非精神病的部分の機能が増大し、洞察へと進展する。治療者のこの役割が、精神分析的治療の基礎となる包容機能(containing function)である。

 このように、(1)パーソナリティの精神病的部分・非精神病的部分という力動的モデル、(2)コミュニケーションの水準と質を規定する象徴形成、そして(3)この水準の患者に対する治療者の重要な機能である包容についての理解、の三点を導入することによって、精神分析的精神療法は、冒頭の三つの問題に答える形で精神病様症状を呈する重度のパーソナリティ障害患者にも治療効果を発揮できるようになる。本研究は、精神病様症状をこれまで明確にされていなかったパーソナリティの機能の中に位置づけ、その精神病理から治療まで論じた点で、今後のパーソナリティ障害の臨床的研究に基礎を与えるものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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