学位論文要旨



No 211871
著者(漢字) 小山,博之
著者(英字)
著者(カナ) コヤマ,ヒロユキ
標題(和) 外膜損傷による動脈壁の反応に関する実験的研究 : 平滑筋ミオシン重鎖アイソフォームによる検討
標題(洋)
報告番号 211871
報告番号 乙11871
学位授与日 1994.07.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第11871号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古瀬,彰
 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 助教授 渡辺,毅
 東京大学 助教授 内田,康美
 東京大学 助教授 永井,良三
内容要旨

 従来、動脈硬化の初期病変である内膜肥厚は内皮細胞層の損傷により惹起されると考えられてきた。内皮細胞の損傷による同部位への炎症細胞浸潤や血小板凝集によって放出された各種サイトカインによる中膜平滑筋細胞の活性化がその原因とされている。(response to injury theory)一方、血管外科領域においても内膜肥厚は末梢血管血行再建術後のグラフト閉塞や再狭窄の原因として注目されてきた。血行動態の変化により発生した乱流や、手術操作そのものによる内膜の損傷がこの外科的内膜肥厚の原因として考えられ、これらの仮説に基ずいた多くの報告がなされてきた。しかし、従来の血行再建術はまず宿主動脈の剥離、露出が前提となっており、この操作は血管外膜の損傷に他ならない。すなわち手術に際して動脈壁においては内膜の損傷と同時に外膜の損傷も発生している。血管壁外側の損傷実験モデルとしてはカフ被覆モデルやvasa vasorum閉塞モデルが有名であるが、外科的な外膜損傷とは本質的には異なるものである。また血管外膜に於ける各種の手術操作は容易に内皮細胞の損傷を起こすため、外膜損傷操作が同時に内皮細胞損傷をも併発する可能性も大きい。厳密な意味における外膜のみの損傷がいかなる反応を血管壁に起こし得るかを検討した報告はない。本研究では形態的内皮細胞損傷を伴わない物理的外膜損傷モデルを家兎の総頚動脈で作成することにより、外膜損傷によって内膜肥厚をはじめとした血管壁全層に及ぶ多彩な反応が誘導される事を明らかにした。実験結果の解析手段としては、肥厚内膜及び中膜を構成する平滑筋細胞の同定及び細胞形質の指標として、平滑筋ミオシン重鎖(MHC)アイソフォーム(SM1,胎児型SM)の発現形式を用いた。また動脈およびその周囲の免疫学的反応をマクロファージの局在やInterleukin-1(IL-1)の分布を観察する事により検討した。正常な家兎の血管壁中膜の平滑筋細胞には、平滑筋特異的なSM1とSM2アイソフォームのみしか発現しないが、胎児期の家兎は胎児型SMとSM1を発現する。そして内膜肥厚組織は、胎児型SMとSM1を発現する胎児型の細胞形質を示す平滑筋細胞によって構成される事が明らかになっている。

 対象は標準飼料で飼育された2.0Kg-2.5Kgの日本白色家兎43羽である。右総頚動脈を外膜に接した層で鋭的に剥離露出し、内皮細胞を損傷しない様に工夫された専用の鋭匙を使用して血管外膜周囲に一定の損傷を加え「外膜損傷群」とした。左総頚動脈は周囲の結合組織を介して透見できる程度の剥離にとどめ「非損傷群」とした。この外膜損傷操作により内皮細胞の剥離損傷が発生していないことは、予備実験として走査電子顕微鏡による血管内壁の経時的観察により確認した。両総頚動脈は一定の部位より手術後4日目(n=9)、7日目(n=9)、14日目(n=8)、21日目(n=7)に回収し、非手術の「対照群」(n=10)も加えてその横断面を透過型電子顕微鏡(TEM)と免疫組織染色により観察した。免疫組織染色では胎児型SM、SM1、マクロファージ、IL-1に対するモノクローナル抗体を使用した。

 まず予備実験として外膜損傷後の内皮細胞の形態を損傷直後から損傷後5日目まで経時的に走査電子顕微鏡で観察した。結果としては、本研究での外膜損傷では内皮細胞の脱落及び損傷は発生していない事が確認された。そしてこの観察期間中、内皮細胞表面には有意な白血球及び血小板の付着も認められなかった。

 外膜損傷後7日目の外膜にはマクロファージの浸潤を認め、それに対応してIL-1陽性細胞も散在性に認められた。一方、MHCアイソフォームによる染色では外膜損傷後4日目より内皮細胞と内弾性板との間に少量の胎児型SM陽性細胞が出現し、外膜損傷後7日目にはSM1及び胎児型SMの両方を発現する厚さ数十ミクロンの内膜肥厚が認められる様になった。その後、14日目になると内膜肥厚は減弱する傾向となった。統計的な検討をするため全検体の光学顕微鏡写真をコンピューターに取り込み、肥厚内膜の面積を画像解析ソフトで計測し、それを内弾性板より内腔側の面積で除して標準化した値の百分率を"内膜肥厚指数(%)"として各群を比較した。(図1)術後7日目の「外膜損傷群」の"内膜肥厚指数(%)"は9.158±1.861(mean±SD)で「非損傷群」と比べ有意に高値であった。(p<0.01)また外膜損傷後7日目を中心として中膜でも全層にわたり割合均等に胎児型SMが弱陽性となり、中膜の肥厚も認められた。TEMでも外膜損傷後7日目に中膜全層にわたり平滑筋細胞中の粗面小胞体が増加して合成型の形態を帯び、周囲の細胞外マトリックスの増量が認められた。全検体の中膜の面積を内弾性板より内腔側の面積で除し標準化した値を"中膜肥厚指数"として各群を比較したところ、「外膜損傷群」の術後4日目と術後7日目の値はそれぞれ0.922±0.141(mean±SD)と0.973±0.189(mean±SD)であり「非損傷群」と比べ有意に高値であった。(4日目ではp<0.01、7日目ではp<0.05)(図2)外膜損傷後7日目と14日目を中心に本来中膜の平滑筋細胞中に存在しているSM1が外膜にも斑状に発現するようになり、SM1による免疫染色では中膜と外膜との境界が不鮮明となった。この外膜に出現したSM1陽性細胞が中膜から外膜に遊走した活性化平滑筋細胞であるのか、あるいは平滑筋様に変化した線維芽細胞なのかは不明である。外膜中のSM1陽性の部位の面積を計測しそれを内弾性板より内腔側の面積で除して標準化した値の百分率を"SM1陽性率(%)"として各群を比較したところ、「外膜損傷群」の術後7日目では4.315±2.058(mean±SD)であり「非損傷群」より有意な上昇が認められた。(p<0.01)(図3)外膜損傷による中外膜に発現する胎児型SMの量的な変化を明らかにするため、肥厚内膜を除去した一定量の頚動脈組織よりミオシンを抽出し抗胎児型SM抗体を用いてウエスタンブロット法を行なった。免疫染色では中外膜中の胎児型SMの発現は弱く明確な比較は困難であったが、ウエスタンブロット法による比較では外膜損傷後7日目から14日目にかけて胎児型SM発現の増強を認めた。そしてこれは28日目にはほとんど正常レベルに回復していた。

図表図1 「内膜肥厚指数(%)」の変化 / 図2 「中膜肥厚指数」の変化 / 図3「SM1陽性率(%)」の変化

 まとめると、本研究では形態的内皮細胞障害を伴わない外膜損傷により、動脈壁は術後7日目を中心にして壁全層に及ぶ多彩な反応を示し、その一つとして可逆的な内膜肥厚が出現する事を明らかにした。そしてこの肥厚内膜が胎児期の細胞形質をもった平滑筋細胞より構成される事も示した。家兎総頚動脈の中膜にはvasa vasorumの分布はないと考えられるため、これらの反応はvasa vasorumの閉塞による中膜の虚血性変化によるものとは考えにくい。また、内膜肥厚発生の時期が外膜損傷後割合早期な事より外膜損傷に併発した血管周囲の交感神経叢障害によるものとも推測しがたい。本研究においては、この外膜損傷により形態的内皮細胞損傷の発生は認められなかったわけであるが、機能的障害の発生については検討していない。このためRossらの提唱する内皮細胞障害を契機とする内膜肥厚発生機序が、本研究で認められた動脈壁の諸反応の原因となっている可能性は否定できない。しかし、内皮細胞障害が発生していれば白血球や血小板の動脈内腔への接着が起きるはずであるが、走査電子顕微鏡による内腔面の観察ではその様な所見は認められなかった。一方、外膜損傷後の外膜には創傷治癒機転によると思われる炎症細胞浸潤やサイトカインの分布が認められた。そしてこれと同時期に、中膜ではこれを構成する平滑筋細胞が全体に活性化し中膜肥厚を認め、内膜では内膜肥厚が発生した。この事よりこれらの反応は創傷治癒機転による免疫反応の影響で連鎖的に惹起された一連のものであるという可能性が示唆された。

審査要旨

 本研究は外科的障害としての動脈外膜損傷が、動脈壁にいかなる影響を及ぼし得るかを明らかにするため、家兎の総頚動脈を用いて外膜のみの損傷モデルを作成し、その経時的変化について形態的解析を試みたものである。電子顕微鏡による解析に加え、血管壁平滑筋細胞の同定及び細胞形質の指標として平滑筋ミオシン重鎖(MHC)アイソフォーム(SM1,胎児型SM)の発現形式を用い、またマクロファージの局在やInterleukin-1(IL-1)の分布の解析により血管周囲の免疫学的反応を検討しており、下記の結果を得ている。

 1.予備実験として外膜損傷後の内皮細胞の形態を損傷直後から損傷後5日目まで経時的に走査電子顕微鏡で観察した結果、本研究モデルの外膜損傷では形態的には内皮細胞の脱落及び損傷は発生せず、内皮細胞表面には有意な白血球及び血小板の付着も認められなかった。

 2.外膜損傷後の動脈外膜においては免疫組織化学的解析の結果、損傷後7日目にはマクロファージの浸潤と散在性のIL-1陽性細胞の存在が認められ、損傷後7日目と14日目を中心に本来中膜の平滑筋細胞中に存在しているSM1が外膜にも斑状に発現するようになる事が示された。

 3.外膜損傷後の動脈中膜においては免疫組織化学染色により、損傷後4日目と7日目に全層にわたり割合均等に胎児型SMが弱陽性となり、有意な中膜の肥厚も認められた。透過電子顕微鏡でも損傷後7日目に中膜全層にわたり平滑筋細胞中の粗面小胞体が増加して合成型の形態を帯び、周囲の細胞外マトリックスの増量が認められた。

 4.外膜損傷後の動脈内膜においては、免疫組織化学染色で損傷後4日目より内皮細胞と内弾性板との間に少量の胎児型SM陽性細胞が出現し、損傷後7日目にはSM1及び胎児型SMの両方を発現する厚さ数十ミクロンの有意な内膜肥厚が認められる様になった。その後、14日目になるとこの内膜肥厚は減弱する傾向となる事が示された。

 5.外膜損傷による中外膜に発現する胎児型SMの量的な変化をウエスタンブロット法で解析した結果、損傷後7日目から14日目にかけて胎児型SM発現は増強し、28日目にはほとんど正常レベルに回復する事が示された。

 以上、本論文は家兎総頚動脈の外膜損傷モデルにおいて、免疫組織化学及び電子顕微鏡による形態的解析により、外膜損傷が内膜肥厚を含む動脈全層にわたる各種の反応を惹起し得る事を明らかにした。本研究は、これまで未知の領域であった外科的外膜損傷による血管障害機転の解明に重要な貢献をなし得ると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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