学位論文要旨



No 211872
著者(漢字) 高橋,健
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,タケシ
標題(和) パルボウイルスB19の増殖に関する研究 : B19ウイルスの標的細胞の検討と細胞株を用いたB19ウイルスin vitro増殖系の確立
標題(洋)
報告番号 211872
報告番号 乙11872
学位授与日 1994.07.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第11872号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永井,美之
 東京大学 教授 川名,尚
 東京大学 助教授 佐藤,典治
 東京大学 助教授 岩本,愛吉
 東京大学 講師 北村,聖
内容要旨

 パルボウイルスB19は溶血性貧血患者では一過性の急性赤芽球癆を、免疫不全状態では慢性骨髄不全を引き起こすウイルスとして知られている。この病態はB19ウイルスがヒト骨髄細胞に感染し、特に赤血球系造血を強く抑制することによってもたらされる。B19ウイルスの造血抑制に関するこれまでの研究から、ウイルスの標的細胞は赤血球系細胞であると想定されている。しかしどの分化レベルの細胞が標的となるのかに関してはこれまで充分検討されていなかった。また、B19ウイルスの研究上制約となっていた点は、ウイルスのin vitro増殖がヒト骨髄細胞や胎児肝細胞などを用いた場合にのみ可能であり、実験に利用しやすい細胞株での増殖系が確立していなかったことであった。このようなB19ウイルス研究の現状を踏まえて、私は、〔1〕ヒト骨髄細胞を用いたB19ウイルスの標的細胞に関する詳細な検討と、〔2〕B19ウイルスの白血病細胞および細胞株における増殖の検討を行い、JK-1細胞株を用いた新たな感染実験系を確立した。

B19ウイルスの標的細胞に関する検討

 急性赤芽球癆を発症した溶血性貧血患者より得た血清(B19ウイルスを含む)を用い、ヒト骨髄単核細胞に対するin vitro感染実験を行った。細胞浮遊液(5×106あるいは1×107細胞/ml)中にB19ウイルス含有血清を添加し、4℃、2時間のインキュベーションによりウイルスを吸着させた後、細胞を2×106細胞/mlに希釈し、37℃、5%CO2の条件で2日から9日間培養した。細胞あるいは培養上清中のB19ウイルスゲノムのコピー数は,32P標識B19ウイルスDNAをプローブとしたDNAドットブロット分析により調べた。

 まず、骨髄単核細胞にB19ウイルスを吸着させ、各種サイトカイン存在下に5日間培養して、ウイルスの増殖を検討したところ、ウイルスの増殖はエリスロポエチンを添加した培養に限って認められた。増殖は用量依存性で、エリスロポエチン0.3U/mlにてゲノム複製は最大に達し、細胞あたり平均3,000から4,000コピーであった。GM-CSF、G-CSF、M-CSF、IL-1、IL-2、IL-3、あるいはIL-6を添加した培養ではB19ウイルスの増殖は認められず、またエリスロポエチンにこれらサイトカインのいずれかを加えた培養においても、その併用によるウイルスゲノムのコピー数への影響はみられなかった。これらのことからB19ウイルスの標的細胞はエリスロポエチンに感受性を有する赤血球系細胞であることが示唆され、さらに赤芽球バースト促進活性(BPA)を有するサイトカイン(IL-3,GM-CSF)の併用によるB19ウイルス増殖の増強効果が認められなかったことから、BFU-Eレベルの細胞の関与はそれほど大きくないことが推定された。

 次に、造血幹細胞コロニーアッセイ法(CFU-E,BFU-EおよびCFU-Mix)を用い、赤血球系造血細胞の各分化段階におけるウイルス感受性の検討を行った。まずB19ウイルス吸着直後(day0)の細胞を用いたアッセイでは、赤血球系前駆細胞のなかでCFU-E由来コロニー数に著明な減少がみられた。BFU-E由来コロニー数にも減少がみられたがCFU-Eに比して軽度であった。多能性幹細胞を反映すると考えられるCFU-Mix由来コロニーには減少がみられなかった。次に、このウイルス感染細胞をエリスロポエチン存在下にday9まで液体培養し、培養中の造血幹細胞の変動を経時的にアッセイすると、day0に減少していた赤血球系前駆細胞はBFU-E,CFU-Eの順に回復した。また、day0のBFU-Eに由来するコロニーの構成細胞中には細胞あたり1×105コピーの大量のB19ウイルスゲノムが確認されたが、培養後期の回復して来たBFU-E由来コロニーの構成細胞にはウイルスゲノムは検出されなかった。これらの観察から、多能性造血幹細胞はB19ウイルスの感染を免れ、その後の赤血球系前駆細胞の回復をもたらしたものと考えられた。以上の結果と、赤芽球のうちで30%から40%にin situ hybridizationによってウイルスの存在が確認されたというこれまでの知見をあわせて考えると、B19ウイルスの標的細胞はBFU-Eから赤芽球にいたる広範囲の赤血球系細胞であり、前駆細胞レベルでは分化段階が進むに従いウイルスの感受性が高まるものと結論された。また、骨髄液体培養系での、B19ウイルス感染に伴う赤血球系前駆細胞の減少とその後の回復過程は、ちょうど実際のヒトの感染でみられる急性赤芽球癆とその後の回復に類似した経過を示しており、in vivoの病態の推移を部分的に反映していると考えられる。

パルボウイルスB19の白血病細胞および細胞株における増殖の検討

 現在までにK562,HELなど幾つかのヒト赤血球系細胞株を用いてB19ウイルスの増殖が検討されてきたが、これら細胞ではウイルスの増殖は認められなかった。このことに関して、私は先に述べたB19ウイルスの標的細胞の検討から、これまでに検討された細胞株は赤血球系ではあるが、分化レベルが低すぎたためにウイルスの増殖を支持出来なかったと推定し、標的細胞の分化レベルに注目して新たなB19ウイルスin vitro増殖系の検索をおこなった。

 まず細胞株での検討の前段階として、患者白血病細胞へのB19ウイルス感染実験を行い、白血病細胞がB19ウイルスの複製を支持できるかどうか検討した。用いた細胞は慢性骨髄性白血病の赤芽球系急性転化症例の骨髄より得た白血病細胞で、エリスロポエチン受容体とグリコフォリンAを発現していた。この細胞にB19ウィルスを吸着させ、エリスロポエチンを添加して2日間培養を行ったところ、細胞あたり約800コピーのウィルスゲノムが検出され、白血病細胞においてもB19ウイルスの増殖が可能であることが確認された。

 次に、慢性骨髄性白血病の赤芽球系急性転化症例の髄外腫瘤より樹立されたJK-1細胞株を用いた検討を行った。JK-1細胞はエリスロポエチン受容体を持ち、およびグロビンmRNAを発現する細胞で、成熟赤芽球への分化傾向を有し、エリスロポエチン添加によってさらに赤血球系分化が促進された。JK-1細胞にB19ウイルスを吸着させた後、2日間培養を行ったところ、エリスロポエチン無添加の条件でも細胞あたり3,000コピーのB19ウイルスゲノムが検出された。さらにエリスロポエチン添加によってウイルスゲノムは10,000コピーまで増加した。JK-1細胞において新たなウイルスDNAの複製が起きていることは、サザンブロット分析においてB19ウイルスDNAの制限酵素断片が複製型に相当する特徴的パターンを示すことにより確認した。

 現在までに報告されているin vitroのB19ウイルス感染実験系ではウイルス増殖のためにエリスロポエチン添加が必要とされたが、JK-1細胞においては無添加でもウイルスの増殖がみられた。これはJK-1細胞がエリスロポエチン非存在下でも赤血球系分化を起こすことによるものと考えられる。

 なお、JK-1細胞の場合はヒト骨髄細胞の場合と異なり、B19ウイルスによる明らかな細胞増殖抑制は認められなかった。これは細胞あたりのウイルスゲノムのコピー数が細胞傷害をもたらすほど多くなかったためか、あるいはJK-1細胞全体の中で実際にウイルスに感染した細胞が少数であったためか、そのいずれかによると推定される。また、B19ウイルス感染JK-1細胞の長期培養において、ウイルスの持続感染は認められなかった。

 以上の如く私は、まずB19ウイルスの標的細胞に関して、赤血球系細胞の分化段階とウイルス感受性との関連性について検討を行った。またその知見を基に細胞株におけるB19ウイルスの増殖を検討し、JK-1細胞株を用いた新たなB19ウイルス増殖系を確立した。この培養系はB19ウイルス増殖の赤血球系細胞特異性などB19ウイルスによる造血障害を分子レベルで解析する上で極めて有用であると考えられる。

審査要旨

 パルボウイルスB19は赤血球系造血を強く抑制することによって、溶血性貧血患者において一過性の急性赤芽球癆引き起こすウイルスとして知られている。

 本研究はパルボウイルスB19の標的細胞に関して、細胞の分化レベルに注目して詳細な検討を行い、さらに、その検討に基づいて、細胞株を用いたB19ウイルス感染増殖系の確立を目指したものであり、下記の結果を得ている。

 1.B19ウイルスの標的細胞に関する検討においては、まず、ヒト骨髄単核細胞に対するin vitro感染実験によって、B19ウイルスの標的細胞はエリスロポエチンに感受性を有する赤血球系細胞であることが示された。さらに赤芽球バースト促進活性(BPA)の併用によるB19ウイルス増殖の増強効果が認められなかったことから、BFU-Eレベルの細胞の関与は大きくないことが推定された。次に、造血幹細胞コロニーアッセイ法を用いた、赤血球系造血細胞の各分化段階におけるB19ウイルス感受性の検討から、多能性造血幹細胞はB19ウイルスの感染を免れていることが示された。また、B19ウイルスの標的細胞はBFU-Eから赤芽球にいたる広範囲の赤血球系細胞であり、前駆細胞レベルでは分化段階が進むに従いB19ウイルスの感受性が高まることが示された。なお、骨髄液体培養を用いたB19ウイルス感染実験系において、初期の赤血球系前駆細胞の減少とその後の回復が観察されたが、この経過は、実際のヒトの感染でみられる急性赤芽球癆の病態の推移を反映した経過であると考えられた。

 2.上記のB19ウイルスの標的細胞の検討を踏まえて、パルボウイルスB19の白血病細胞および細胞株における増殖の検討を行った。これまでの、幾つかのヒト赤血球系細胞株を用いたB19ウイルスの増殖の検討において、ウイルスの増殖が認められなかった事実に関して、細胞の分化レベルが低すぎたためにウイルスの増殖を支持出来なかったと推定し、標的細胞の分化レベルに注目して新たなB19ウイルスin vitro増殖系の検索を行った。

 まず細胞株での検討の前段階として、エリスロポエチン受容体とグリコフォリンAを発現する患者白血病細胞を用いてB19ウイルス感染実験を行い、白血病細胞においても、赤血球系で比較的分化した段階に相当すると考えられる細胞においては、B19ウイルスの増殖が可能であることが示された。

 次に、慢性骨髄性白血病の赤芽球系急性転化症例の髄外腫瘤より樹立されたJK-1細胞株を用いて検討を行った。JK-1細胞はエリスロポエチン受容体の存在、およびグロビンmRNAの発現、形態上の成熟赤芽球への分化傾向、および、エリスロポエチン添加による赤血球系分化の促進等の性質から、分化能を維持した赤血球系細胞株と考えられたが、JK-1細胞におけるB19ウイルスの感染実験において、エリスロポエチン無添加の条件でB19ウイルスゲノムの増加が確認され、さらにエリスロポエチン添加によってウイルスゲノムの増幅がみられた。JK-1細胞における新たなB19ウイルスDNAの増殖はサザンブロット分析によって検出され、赤血球系細胞株において初めてB19ウイルスの増殖が確認された。また、JK-1細胞においてエリスロポエチン無添加でもウイルスの増殖がみられたことから、B19ウイルスの増殖に必要な標的細胞の条件は、エリスロポエチン刺激ではなく、赤血球系分化であると推定された。

 以上、本論文は、B19ウイルスの標的細胞に関して、これまで充分に検討されていなかった、赤血球系細胞の各分化段階におけるウイルス感受性の詳細を明らかにし、またその知見を基に、細胞株における新たなB19ウイルス増殖系を確立した。本研究はB19ウイルス増殖の赤血球系細胞特異性の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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