髄膜腫は、頭蓋内腫瘍の約20%を占める発生頻度の高い脳腫瘍である。病理組織学的に9割以上の髄膜腫が良性であるため、理論的には手術的に全摘出を行えば根治可能である。しかし実際には、脳神経や主要脳血管を巻き込んだり、頭蓋底骨へ浸潤することも多いため、全摘が不可能であったり、術後重篤な脳神経障害を残したりすることが稀でない。また、腫瘍付着部の硬膜等を含めた全摘術を行った例でも、15年以上の長期追跡調査を行うと、その9%から20%に再発を認めると報告されている。 最近、海綿静脈洞に浸潤したものなど頭蓋底部髄膜腫に対しても根治的全摘出がよりしばしば試みられているが、術後神経学的合併症を生じることは不可避であり、患者にとっては、むしろ新たな神経脱落症状を残さない範囲で可及的に腫瘍を摘出し、その後低リスクの補助療法によって腫瘍の再発を防止、或は再増殖を抑制する方が好ましい。しかしながら、確実に有効な補助療法は未だに開発されていないのが現状である。 その最大の理由は、髄膜腫の細胞生物学、特に細胞増殖の制御機構が十分解明されていないことである。髄膜腫が女性に頻度が高いことなどの臨床的特徴から、初期の研究は専ら髄膜腫細胞の増殖と性ホルモンとの関連性に関心が集まり、プロゲステロン受容体やアンドロゲン受容体などの存在が明らかにされた。しかし、それらの性ホルモン及びその拮抗薬は、実際にはin vitro、in vivoのいずれにおいても、髄膜腫細胞の増殖に及ぼす効果は無いという報告が多く、少なくとも性ホルモンが髄膜膿細胞の増殖制御の中心的役割を担っているとは考えにくい。一方、近年になって、成長因子の研究が進み、髄膜腫細胞の増殖制御における成長因子の重要性が認識されつつある。上皮成長因子(EGF)受容体はほぼ全ての髄膜腫に存在し、現在のところEGFは外因性の成長因子の中では最も有効な分裂促進因子とされる。また、ブロモクリプチンなどのドーパミン作用薬がin vitroにおいて髄膜腫細胞の増殖を抑制することが最近示された。 最近、髄膜腫細胞における血小板由来成長因子(PDGF)-A、c-sis/PDGF-B及びPDGF受容体のmRNAや蛋白レベルでの発現に関する報告が相次いでなされ、髄膜腫細胞におけるPDGF関連因子によるautocrine増殖促進系の存在がほぼ確実とみられている。実際、髄膜腫細胞の培養上清(conditioned medium:CM)が髄膜腫細胞自身に対し増殖促進的に作用し、しかもその作用がPDGFに対する中和抗体で抑制されることが示された。理論的には、このautocrine増殖促進系を遮断すれば、髄膜腫細胞の増殖は抑制されるはずである。そこで、本研究では、抗PDGF作用を有する薬物としてトラピジル(Trapidil)を用いた。 トラピジルは、元来、冠動脈拡張薬として開発されたもので、3〜10 g/mlのトラピジルが、BALB/c 3T3細胞において、PDGFによる細胞増殖刺激を抑制したが、線維芽細胞増殖因子(FGF)やCa3(PO4)2による刺激は抑制しなかった、という研究結果が報告されて以来、その抗PDGF作用が注目されている。本研究は、低継代の髄膜腫培養細胞を用いて、トラピジルの髄膜腫細胞増殖に及ぼす効果を調査し、髄膜腫の薬物的補助療法としてのトラピジルの可能性を検討することを目的とした。 合計15名の髄膜腫患者より手術的に摘出した腫瘍組織を材料とした。初代培養後、1回から3回継代した細胞を用いて実験を行った。髄膜腫由来培養上清(CM)は、confluentな単層髄膜腫細胞を24時間育てた培養液を採取して作製した。細胞増殖能は、細胞増殖実験と[3H]チミジン取り込み実験で評価した。 髄膜腫4例を用いて10%FCS添加培地における増殖曲線を作製した。いずれの髄膜腫細胞も7日目から10日目の間で高い増殖率を示した。しかし、異なる髄膜腫間でかなりのばらつきが見られ、4日目から10日目の平均増殖率は、4.473×104個/日から8.905×104個/日までの幅を認めた。 CMによる髄膜腫細胞増殖刺激が、実際に抗PDGF抗体により抑制されることを確認するため、髄膜腫1例を用いて[3H]チミジン取り込み実験を行った。抗PDGF-AA抗体、抗PDGF-BB抗体のいずれも、CMによる増殖刺激に対し、有意な抑制効果を示し、CMのみに比べDNA合成をそれぞれ39.4%及び52.5%抑制した。 外因性の増殖刺激因子不在下における細胞増殖実験にて、トラピジル(1〜100 g/ml)は、7例の髄膜腫全例で、濃度依存性の細胞増殖抑制効果を示した(図1)。トラピジル100 g/mlでは、対照に比べ16%から54%の細胞数の減少を示した。[3H]チミジン取り込み実験で投与後24時間のDNA合成を測定したところ、トラピジルは、細胞増殖実験と同様に、7例中3例にて濃度依存性に基礎DNA合成を抑制した(図2)。これら3例では、トラピジル100 g/mlで、DNA合成が対照に比べ36%から53%の減少を示した。他の4例では有意な効果を認めなかった。トラピジルによる髄膜腫細胞の増殖抑制効果が非特異的、または細胞毒性によるものである可能性を除外するため、MCF-7細胞(ヒト乳癌細胞株)を用いて細胞増殖実験を行った。10〜100 g/mlのトラピジルは、MCF-7細胞の増殖に対し全く効果を示さなかった(図3)。 トラピジルが、CMによる髄膜腫細胞増殖刺激に及ぼす効果を調べるため、6例の髄膜腫を用いて細胞増殖実験を行った。5例にてCM(50%v/v)は髄膜腫細胞の増殖を著明に促進し、対照の166%から277%を示した。トラピジルを加えると、このCMによる増殖刺激は濃度依存性に抑制された(図4)。100 g/mlのトラピジルは、CMによる細胞増殖を25%から48%抑制した。[3H]チミジン取り込み実験では、2例中1例がCM(50%v/v)によりDNA合成の著明な促進(対照の218%)を示した。トラピジルは、この髄膜腫では基礎DNA合成に対しては効果を示さなかったが、CMによる刺激に対しては濃度依存性の抑制を示し、100 g/mlではCMによる分裂刺激効果を完全に消失させた(図5)。これらの結果は、トラピジルが髄膜腫細胞におけるautocrine増殖刺激系を遮断する作用を持つことを示唆した。 図表図1 ヒト髄膜腫細胞増殖に対するトラピジルの抑制効果 *p<0.02,**p<0.01 / 図2 ヒト髄膜腫細胞の基礎DNA合成に対するトラピジルの抑制効果 *p<0.05 / 図3 MCF-7細胞増殖に対するトラピジルの効果 / 図4 CMによるヒト髄膜腫細胞増殖刺激に対するトラピジルの抑制効果 *p<0.05,**p<0.01,***p<0.001 トラピジルがPDGF以外の成長因子に対しても拮抗作用を有するが否かを判定するため、6例の髄膜腫を用いて細胞増殖実験を行い、トラピジルの、EGFによる髄膜腫細胞増殖刺激に対する効果を検討した。5例においてEGF(10ng/ml)は著明な増殖促進効果を呈し、対照に比べ122%から241%の細胞数増加を示した。トラピジルを加えると、CMの場合と同じように、EGFによる増殖刺激が濃度依存性に抑制された(図6)。100 g/mlのトラピジルは、EGFによる細胞増殖を25%から56%減少させた。このことは、トラピジルが抗PDGF作用のみでなく、抗EGF作用をも有することを示唆した。 非腫瘍性細胞におけるトラピジルの効果を調査し、髄膜腫における結果と比較するため、ヒト下垂体腺腫から得られた非腫瘍性の線維芽細胞を用いて細胞増殖実験を行った。髄膜腫細胞の場合とは対照的に、トラピジル(100 g/ml)は、増殖因子不在下での線維芽細胞の増殖に対し、全く効果を示さなかった。しかしながら、トラピジルは、EGFによる線維芽細胞増殖刺激に対しては、髄膜腫の場合と同様に、著明な抑制効果を示した(図7)。このことは、トラピジルの抗EGF作用が、髄膜腫細胞のみに特異的にみられる作用でないことを示唆するものと考えられた。 髄膜腫1例を用いて、種々の濃度のトラピジルに1 Mのブロモクリプチンを加えて細胞増殖実験を行い、トラピジルとブロモクリプチンの併用効果を検討した。トラピジル(30 g/ml)単独とブロモクリプチン単独は、髄膜腫細胞増殖をそれぞれ28%と30%減少させた(図8)。これらを併用すると、細胞増殖の減少は41%となり、2つの薬物が相乗的抑制効果を呈することが示された。 図表図5 CMによるヒト髄膜腫細胞DNA合成刺激に対するトラピジルの抑制効果 **p<0.01 / 図6 EGFによるヒト髄膜腫細胞増殖刺激に対するトラピジルの抑制効果 *p<0.02,**p<0.01,***p<0.001 / 図7 EGFによるヒト線維芽細胞増殖刺激に対するトラピジルの抑制効果 ***p<0.001 / 図8 ヒト髄膜腫細胞増殖に対するトラピジルとブロモクリプチン(併用)の抑制効果 NS=not significant *p<0.05,**p<0.02,***p<0.01 以上をまとめると、トラピジルは、in vitroにおいて、髄膜腫細胞の増殖を効果的に抑制することが示された。この髄膜腫細胞の増殖抑制効果は、主に、PDGF関連因子によるautocrine増殖促進系を遮断することによるものと考えられるが、トラピジルには、更に抗EGF作用があることが今回明かとなり、外因性の成長因子による増殖刺激をも遮断する可能性が期待される。トラピジルの作用が広スペクトラムであることは、髄膜腫の薬物療法を行う上ではむしろ好都合と考えられた。更に、作用機序の異なる薬物を併用することにより、相乗的抑制効果が期待されることが示唆された。 トラピジルは、既に、狭心症や脳梗塞後遺症の治療薬として臨床に用いられており、長期投与における副作用は極めて少ないことが判っている。トラピジルの通常量(100mg)の経口投与により、ヒトの血漿濃度のピークは3〜4 g/mlとされる。これらを本研究のデータと照らし合わせ、更に髄膜腫の補助療法の目的が腫瘍の縮小よりむしろ腫瘍の発育制御であることを考慮すると、トラピジルは髄膜腫の薬物治療として十分臨床応用の可能性があると思われる。 今後更なる検討を必要とするが、本研究は少なくとも、髄膜腫治療に対する新しいアプローチの基礎を提供するものと考える。 |