学位論文要旨



No 211876
著者(漢字) 中根,一
著者(英字)
著者(カナ) ナカネ,マコト
標題(和) 大脳基底核病変に伴う同側黒質の変化
標題(洋)
報告番号 211876
報告番号 乙11876
学位授与日 1994.07.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第11876号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金澤,一郎
 東京大学 教授 佐々木,康人
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 高橋,智幸
内容要旨

 脳の局所破壊により、そこと神経線維連絡を持った遠隔部が変性することは良く知られている。線条体の破壊が同側黒質の神経細胞の変性・脱落を引き起こし、同側黒質が萎縮することは、線条体の吸引破壊やイボテン酸などの興奮毒性を持つ薬物の注入実験などにより報告されている。また、ラットの中大脳動脈閉塞による局所脳虚血モデルにおいて、緩徐に進行する遅発性の組織学的変化が非虚血部である同側黒質に認められるという報告もある。

 臨床例では、大脳基底核梗塞剖検例において同側黒質(特にpars compacta)の変性・萎縮を認めた少数例の報告があるのみである。これら剖検報告では、発症後最短でも6カ月経過しており、黒質病変の最終像のみしか確認できず、その生成の時期・経過に関しての情報は得られない。

 このように、臨床剖検例において、黒質が変性・萎縮していくことが確認されているが、一般に、脳梗塞・脳内出血などの疾患では、研究の主体は常に局所にのみおかれ、遠隔部の変化は無視されるが、Waller変性としてかたずけられてきた。

 最近,MRIの開発により脳幹病変の経時的変化が診断可能となった。黒質も、MRIでとらえることが可能である。そこで、このような線条体病変に伴う同側黒質の変化を、非侵襲的かつ経時的にとらえることができないかと考え、MRIによる本研究を施行した。

 使用MRI装置は、横河メディカル社製超電導0.5T RESONAで、T1強調画像(T1WI)はスピン・エコー法、繰り返し時間600msec、エコー時間30msec、または、スピン・エコー法、繰り返し時間350msec、エコー時間15msec、T2強調画像(T2WI)は、スピン・エコー法、繰り返し時間2000msec、エコー時間100msecで撮像した。対象とした症例全例に、可能な限り頻回にMRIを施行した。

 MRIは以下の点に着目して観察した。1)被殻、尾状核、淡蒼球がそれぞれ病変に巻き込まれているか。2)黒質の信号強度変化、およびその出現時期。

 対象とした脳梗塞症例は、中大脳動脈領域の梗塞で入院した25例であり、梗塞の範囲によって、次の3群に分類した。1)皮質・線条体梗塞群10例:皮質・線条体を含む広範梗塞、2)線条体梗塞群9例:皮質を含まない線条体梗塞、および対照として、3)皮質梗塞群6例:線条体を含まない皮質梗塞である。

 その結果、線条体に梗塞巣を認めた皮質・線条体梗塞群10例全例、および線条体梗塞群9例全例で、T2強調画像において同側黒質に高信号病変を認めた。この同側黒質の高信号病変の確認は、最短で発症後7日であった(表1、図1、2)。発症後6日以前にMRIを施行した症例は17例あるが、この時期には黒質病変を確認できなかった。この黒質病変はpars compacta優位であり、黒質に限局しており上下への連続性は認められなかった。対照とした皮質梗塞群6例の経時的MRIを観察したが、いずれの時期にも黒質病変を認めなかった(表1)。線条体梗塞を呈した症例は、全例被殼に病巣を有していたが、尾状核頭、淡蒼球は必ずしも梗塞に陥っていなかった。

図表(表1)皮質・線条体梗塞群、線条体梗塞群、皮質梗塞群のMRI所見 / (表2)被殻出血例のMRI所見(図1)梗塞症例1:T2強調画像a,b:発症2日,c:発症6日,d:発症14日 発症2日後、梗塞巣はT2強調画像で高信号を呈し、その範囲は皮質、被殻、尾状核頭部、淡蒼球に及んでいる。発症6日後では、黒質部の信号強度に明らかな左右差を認めないが、発症14日後には患側黒質に高信号病変を認める(矢印)。(図1b)梗塞症例1e,f:発症24日,e:T2強調画像,f:T1強調画像 発症14日後に認められた黒質病変は、発症24日後も変わらず認められるが(矢印)、T1強調画像では病変は確認できない。(図2)梗塞症例15:T2強調画像a:発症2日:梗塞巣は被殻、尾状核頭部に限局している(矢印) b:発症5日:黒質部の信号強度の左右差を認めない c,d:発症10日後:患側黒質が高信号域を呈する(矢印)

 次に、線条体のどの部位が黒質病変に重要な意味を持つか検討するために、高血圧性被殻出血を対象として、同様の観察を行った。対象は、MRIを経時的に施行し得た被殼出血11例である。

 脳内出血急性期には、周囲脳実質に脳浮腫を伴うため、出血により傷害された領域の評価は困難であった。そのため発症7日目以降のMRIで、線条体病変の範囲を評価した。被殻に限局する出血6例では、黒質病変を認めなかったが、淡蒼球にも病変が及んでいる出血例5例では、黒質がT2強調画像で高信号に描出された(表2、図3、図4)。

(図3)出血症例1:発症19日 a:T1強調画像,b:T2強調画像 血腫はメトヘモグロビンの時期で、T1強調画像・T2強調画像ともに高信号域を呈する。T2強調画像では患側の黒質が高信号域として抽出されている(矢印)。 / (図4)出血症例11:T2強調画像 a:発症13日,b:発症34日 被殻に限局する出血症例では、同側黒質の病変は認められない。

 線条体傷害に伴う黒質の変化は、上述のごとく、線条体病変発症後遅発性に、T2強調画像の高信号域として認められる。このような信号強度変化は、水分含量の増加を示していると考えられるが、gliosis、脱髄など、さまざまな病態が考えられる。

 また、この変性の機序に関しては、線条体における軸索の破壊によるretrograde degenerationによる可能性もあるが、anterograde degeneration(Waller変性)、神経伝達物質を介したtranssynaptic degeneration、neurotrophic factorの関与など、様々な機序が考えられる。従来、脳幹部の変化は、Waller変性としてかたずけられてきた。MRIによる皮質脊髄路のWaller変性の観察では、発症4週目までは検出できず、4-14週目にT2強調画像で低信号、その後は高信号として描出されたとの報告がある。今回観察された同側黒質の病変は、発症後7日目頃から高信号として確認されている。病変の非連続性、限局性(黒質に限局)、出現の時期より、この病変はWaller変性とは異なると思われる。また、血管支配の関係から、黒質に限局する梗塞は考えにくい。

 脳梗塞症例では、被殻、尾状核、淡蒼球、線条体黒質路、黒質線条体路のfiberが様々に傷害されており、どの経路が黒質の変化に重要であるかは不明である。脳内出血例で、被殻に限局する出血では黒質病変が認められず、淡蒼球に病変が及んでいる症例で認められたのは非常に興味深いが、詳細については今後の研究を待たねばならない。

 本研究では、MRIの信号強度変化として、虚血遠隔部である同側黒質の二次性変化を捉えることができ、今後の虚血研究に新たな視点を与えることになった。また、梗塞後神経線維連絡を介して遅発性に生じる遠隔部の変性を、臨床例で非侵襲的にMRIの信号強度変化として診断し得ることの発見は、虚血研究にとって非常に意義のあることと考えられる。

審査要旨

 本研究は脳の神経線維連絡を介して、病巣遠隔部に遅発性に発現する神経細胞傷害を明らかにするために、大脳基底核部の梗塞症例、及び脳内出血症例に対し、経時的にMRI(magnetic resonance image)を撮像し、下記の結果を得ている。

 1.梗塞症例の観察の結果、大脳基底核(線条体及び淡蒼球)に病変を有する症例にのみ、T2強調画像において同側黒質に限局する高信号病変を確認し、この病変が、発症7日以降に認められることを示した。

 2.脳内出血症例の観察の結果、黒質病変の出現には淡蒼球の破壊が関与している可能性を示唆した。

 以上、本論文は大脳基底核脳梗塞・脳内出血の臨床経過において、非侵襲的な画像診断法であるMRIの観察により、病巣遠隔部である同側黒質の遅発性変化を初めて確認した。本研究は、脳卒中の研究に新たな視点と方法を与え、亜急性期から慢性期にかけての病態の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50895