学位論文要旨



No 211879
著者(漢字) 長屋,憲
著者(英字)
著者(カナ) ナガヤ,ケン
標題(和) 妊娠中における耐糖能異常検出の為のスクリーニングシステム確立に関する研究
標題(洋)
報告番号 211879
報告番号 乙11879
学位授与日 1994.07.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第11879号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川名,尚
 東京大学 教授 日暮,眞
 東京大学 助教授 福岡,秀興
 東京大学 助教授 小池,貞徳
 東京大学 講師 岡,芳知
内容要旨

 母体耐糖能異常は子宮内胎児死亡、新生児低血糖症、巨大児等の原因の一つであり、周産期の重要なリスクである。耐糖能異常合併妊婦を安全に取り扱うためには、妊娠早期から、耐糖能異常を検出して管理することが重要である。しかし、問診と尿糖検査を中心とした従来の妊婦健診では充分な耐糖能異常の検出率を得ることは出来ず、何らかのスクリーニング試験が必要であるとの報告が多い。現在のところ、glucose challenge test(GCT)、あるいは75g経口糖負荷試験(GTT)によるスクリーニングが有用とされているが、それを妊婦全例に行なうことは時間および労力の点から考えて一般病院では困難である。一方、随時血糖値を測定しスクリーニングに用いる方法が報告されている。これは、測定した随時血糖値について、あるカット・オフ値を定めて異常例を抽出し、抽出された例に対しGTTを施行して耐糖能異常を検出する方法であるが、実際に妊婦健診で施行する場合の測定条件、すなわち摂食後採血までの時間や摂食量を限定すべきか否かという点、GTTを施行するためのカット・オフ値(以下、カット・オフ値)、さらに、スクリーニングの施行時期などについては未だ確立されていない。

 以前に著者は、随時血糖値はスクリーニングに用い得ること、食後の血糖値は摂取熱量にはあまり関係なく、食後、採血までの経過時間によって変化し、正常群ではおよそ2時間を経過するとほぼ一定の値であることを明らかとした。そこで本研究では、随時血糖値によるスクリーニングの実用化に必要なGTT施行のための最適カット・オフ値を設定することを目的として、種々のカット・オフ値を設定した場合のGTT施行率、及び耐糖能異常の検出精度を調べ、更に、随時血糖値の分布についても検討した。

 旭中央病院にて1988年9月1日より1990年2月28日の間に分娩に至った1733例を分析の対象とした。妊娠16週未満と26週から28週の2つの時期に随時血糖値を測定し、随時血糖値が95mg/dl以上の例にGTTを施行した。その結果に基づき、カット・オフ値を95mg/dlから5mg/dl刻みに135mg/dlまでに設定したときの1)GTT施行率、2)耐糖能異常の診断率、3)耐糖能異常の陽性的中率、4)耐糖能異常の検出感度を、妊娠16週未満と妊娠26週から28週の2つの時期について算出した。次に、正常血糖値分布からカット・オフ値設定の妥当性を検討するために、妊娠16週未満と26週から28週の2つの時期それぞれについて食後経過時間による血糖値分布を調査した。さらに、耐糖能異常の診断率を、妊娠16週未満にスクリーニングを行った場合と、妊娠16週未満と26週から28週の2つの時期にスクリーニングを行った場合と比較して、スクリーニングの実施時期について考察を加えた。耐糖能異常は以下の4群に分類して検討した。すなわち、糖尿病、妊娠糖尿病をA群、A群以外で、境界型のうち、IGTを満たす例をB群、A群、B群以外の境界型をC群、上記基準の何れにおいても正常とされ、分娩結果からも新生児低血糖症、巨大児分娩等の母体耐糖能異常を推察させる因子がない例、及び、因子を認めたが産褥3日以内に施行したGTTが正常型であった例をD群とした。

 カット・オフ値とGTT施行率との関係については、妊娠16週未満、妊娠26週から28週の2つの時期ともに、食後2時間未満の随時血糖値を用いてスクリーニングを行なった場合及び食後2時間以降の随時血糖値を用いた場合の何れにおいても、カット・オフ値を下げるにつれGTTの対象者はほぼ直線的に増加した。また、同じカット・オフ値では食後2時間以降に採血を行なった場合の方がGTT対象例が少なかった。

 耐糖能異常の診断率は各群とも尿糖陽性等で抽出すると低かったが、血糖値でスクリーニングを行うと増加した。カット・オフ値を110mg/dlから95mg/dlまで5mg/dl刻みに分けて検討するとカット・オフ値を下げるにつれ各群とも診断率は増加し、耐糖能異常妊婦全体(A+B+C群)の診断率は100mg/dlでは7.3%(126/1733)、95mg/dlでは8.6%(149/1733)であった。また、スクリーニングの施行時期につき、妊娠16週のみに施行した場合と、妊娠26週から28週の時期を併せて2時期に施行した場合とで耐糖能異常全体の診断率を比較すると、2時期に施行することで何れのカット・オフ値においても診断率は増加した。

 カット・オフ値と陽性的中率の関係は、妊娠16週未満、妊娠26〜28週ともに、食後2時間以降に採血して測定した随時血糖値によるスクリーニングでの陽性的中率が、食後2時間未満に採血して随時血糖値を測定しスクリーニングを行った場合の陽性的中率を、何れのカット・オフ値でも約20%程度上回った。食後2時間以降に採血し測定した血糖値によりスクリーニングを行った場合、妊娠16週未満では、カット・オフ値125mg/dl以下になると陽性的中率は急激に低下するが110mg/dlから95mg/dlでは緩やかに低下し、100mg/dlから95mg/dlではほぼ40%であった。また、妊娠26〜28週では陽性的中率はカット・オフ値125mg/dl以下105mg/dlまで急激な低下がみられたが、カット・オフ値105mg/dlから95mg/dlではあまり変化はなく、約40%程度であった。

 カット・オフ値と検出感度の関係は、妊娠16週未満では125mg/dlよりカット・オフ値を下げるにつれ耐糖能異常の検出感度は急激に増加したが、100mg/dlから95mg/dlへの検出感度の増加は軽度であった。特に、A群についてはカット・オフ値100mg/dlで全体の95%(18/19)を検出できた。妊娠26週から28週では、カット・オフ値130mg/dl以下95mg/dlまで、カット・オフ値を下げるにつれ耐糖能異常の検出感度は直線的に増加した。A群についてはカット・オフ値100mg/dlでは全体の83%(5/6)を検出したものの、95mg/dlで検出された1例が検出できなかった。

 正常群の随時血糖値分布は、食後2時間未満では高値が散在し分散も大きいが、2時間以降では安定した分散を示した。約90%分布の上限にあたる平均値+1.5SDの値は、妊娠16週未満の場合、食後2時間で約100mg/dlであり、26週から28週では食後2時間からそれ以降で約4〜5mg/dl低かった。また、食後2時間から5時間の範囲では妊娠16週未満の平均随時血糖値は約82mg/dl、妊娠26週から28週ではさらにそれより4mg/dlから5mg/dl低値であった。

 これらの結果から、1)随時血糖値の測定を施行することによって尿糖のみのスクリーニングでは検出されない耐糖能異常例が多数診断されること、2)スクリーニングは食後2時間以降に採血を行うべきであること、3)スクリーニングは妊娠16週未満と妊娠26週から28週の2回施行すると良いこと、4)GTTを施行するための随時血糖値のカット・オフ値は、妊娠16週未満ては100mg/dl、妊娠26週から28週では95mg/dlとすると良いこと、5)随時血糖値が95mg/dl未満で正常群とされた例には児の異常の有無から判断してfalse negativeは認められなかったこと、以上が示された。さらに、正常群の食後血糖値分布を検討した際に、6)食後2時間から5時間の範囲では妊娠16週未満の平均随時血糖値は約82mg/dlと低値で、妊娠26週から28週ではさらにそれより4mg/dlがら5mg/dl低値であることが併せて明らかとなった。随時血糖値による母体耐糖能異常のスクリーニングは簡易でかつ安価である。GTTやGCTを多数に施行することが困難な地域や施設においては、今後普及されるべきものと考えられる。

審査要旨

 本研究は、妊娠中における、随時血糖値による耐糖能異常スクリーニングの実用化に必要な、GTTを施行するための最適カット・オフ値の設定のため、妊娠16週未満、妊娠26週から28週の2つの時期について、カット・オフ値と陽性的中率の関係、カット・オフ値と検出感度の関係、および、正常群の食後血糖値分布を検討したものである。同時に、食事から採血までの時間とスクリーニング施行の時期についても検討を加えてあり、以下の結果を得ている。

 1)随時血糖値の測定を施行することによって尿糖のみのスクリーニングでは検出されない耐糖能異常例が多数診断される。

 2)スクリーニングは食後2時間以降に採血を行うべきである。

 3)スクリーニングは妊娠16週未満と妊娠26週から28週の2回施行すると良い。

 4)GTTを施行するための随時血糖値のカット・オフ値は、妊娠16週未満では100mg/dl、妊娠26週から28週では95mg/dlとすると良い。

 5)随時血糖値が95mg/dl未満で正常群とされた例には児の異常の有無から判断してfalse negativeは認められない。

 6)正常群の食後血糖値分布は、食後2時間から5時間の範囲では妊娠16週未満の平均随時血糖値は約82mg/dlと低値で、妊娠26週から28週ではさらにそれより4mg/dlから5mg/dl低値である。

 以上、本論文は、妊婦における随時血糖値を用いた耐糖能異常スクリーニングが有用であることを、実用上のカットオフ値を提示しつつ明らかとした。また、妊娠中期の食後血糖値が妊娠初期より低値であることをはじめて明らかとした。妊婦における随時血糖値を用いた耐糖能異常スクリーニングの実用化方法に関しては、これまで未知に等しかったが、本研究の結果から、糖負荷試験を多数に施行することが困難な地域や施設に普及していき、周産期医療の発展に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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