学位論文要旨



No 211880
著者(漢字) 青木,伶子
著者(英字)
著者(カナ) アオキ,レイコ
標題(和) 現代語助詞「は」の構文論的研究
標題(洋)
報告番号 211880
報告番号 乙11880
学位授与日 1994.09.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第11880号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山口,明穂
 東京大学 教授 白藤,禮幸
 東京大学 教授 湯川,恭敏
 東京大学 教授 上野,善道
 東京大学 助教授 尾上,圭介
内容要旨

 係助詞 ハ に関しては、従来主として格助詞 ガ との比較において多々論じられて来たし、ハ 助詞自体に関しても種々研究されてをり、かなりのレベルに達してゐる。しかし ハ 助詞の用法全般にわたって徹底して論じたものは末だないやうに思われる。全用法の考察なしに ハ 助詞の真の究明はなし難いと筆者は考へる。

 本書においては、その全用法を構文論的立場から考察するために、構文的職能ごとに章をたてた。また本書においては、特別の場合(説明の為に簡便を必要とする時)を除き、徹底した実例主義をとった(その為に収集した用例は一万数千である)。

 先ず章ごとの要旨を述べる。

 第一章においては、ハ が格助詞と混同されることの多かった歴史的事実から、ガ・ヲ・ニ・ト 等の格助詞による格述構造と、ハ による題述構造との違ひを論じ、更に両者がどのように関り合ってゐるかについて述べた。

 第二章においては、先づ題目提示用法に関して、何故「犬ガハ可愛い」のやうな表現があり得ず、格助詞 ガ が必ず追ひ出されるのかを、題述構造と格述構造とが全く相容れぬものであるが故であるとした。また、格助詞に下接する用法は通説通り対比用法であることを構文的に説明した。

 第三章においては、この用法はすべて対比用法であることを述べた。

 第四章においては、この中には条件用法と反復用法との二用法が認められるが、ハ の如何なる働きによって二用法に分かれたのかを説いた。

 第五章。ここに認められる二用法は、すべて四章以前に説いた用法、即ち対比・題目提示・及び、やや修正を加へての、結合の前項提示用法として理解できる。僅かに異なるのは、二分結合に働いてゐない点である。

 第六章。第一章から第五章までは構文的職能ごとに見た用法であるが、それら全用法を通じて見られる構文的・文法的特徴について、本章と次の章において扱った。即ち、題目提示の ハ が連体修飾成分に用ゐられないことは、周知のことであるが、何故用ゐ得ぬのか、ハ の本質から解明した。

 第七章。既に指摘されてゐるやうに、ハ の用法は否定表現と極めて密接な関係にある。即ち、ハ 助詞が所謂格助詞に下接した場合・連用修飾成分に下接した場合・及び断定のデアルの間に入った場合、その述語は極めて高率ににおいて否定表現となる。「そんなことにハなる」の如く、文中に ハ をもちながら述語に否定を伴はないならば落着きが悪い。私はこの現象を、ハ が否定を求めてゐるのではなく、否定表現が ハ 助詞を求めてゐるのだと解釈する。而して、否定表現は何故 ハ を求めるのかに関しては二つの解答を提出した。意味的要請と構文的要請とである。

 意味的要請とは、我々言語行為者は、特に文の閉ぢ目において、無意識的にもプラスの情報を担はぬ否定表現を好まず、積極的な情報を求める、といふ人間の心理に起因するものである。「鯨は魚でない」よりも「鯨は魚ではない」の方が安定感をもって受け入れられるのはこの故である。ハ のない表現は単なる否定でしかないが、ハ には対比の働きがあるから、ハ を持つ表現は「魚ではないが何かである」ことを暗示し得る。暗示に過ぎないながらも、そのかすかな積極性の故に ハ が求められたのである。否定表現は何故 ハ を求めるのか、の問に対する解答としては本当はこれで充分である。

 構文的要請とは、否定表現文において、意味解釈が二通りあって何れであるか曖昧な場合、ハ の挿入によって文の構造を一方に確定することを求めるものである。「あの子は兄のやうに無口でない」といふ表現は、「兄のやうに無口 でない」のか「兄のように無口でない」のか、即ち兄が無口なのかおしゃべりなのか、判定がつかない。このやうな場合に、ハ を挿入して「兄のようにハ無口でない」とするならば、前者の意味として確定する。これは、ハ の結合とりたての働きによって「兄のやうに無口で」が先づ結合し、「ない」との間の隔たりが明瞭になるからである。この要請は、否定表現が何故 ハ を求めるのか、に対する解答として既に充分だとした「意味的要請」を側面から支へるものである。

 第八章では、山田孝雄博士以来の「ハ は陳述を支配する」との定説を否定し、ハ の構文的な特質から説明できることを説いた。

 次に、本書におけるポイントについて記す。

 ハ の文法的機能は二分結合であり、文法的意味は とりたて であること、また、ハが文の基本的結合点に位置する場合は題目提示用法であり、それ以外の位置にある場合は対比用法である、等は周知のことである。これら以外に筆者が新しく説き得たと思はれる事柄は次の諸点である。

 一 文の構造を素材表現部と主体的表現部とに分ち(これは周知のこと)、後者を更にI表現構造形成部、II陳述部、III伝達部に分った。II IIIは既に説かれてゐるところであるが、係助詞によるIを新しく設定した。ハ は格述構造を排除して題述構造を形成するものであり、しかも題目と解説といふ二項から成る分節文を形成するものだからである。(第一章第五節)。

 二 現代語において、ガハ・ヲハの表現がない点につき一般には、ハがガやヲの代行をしてゐるからだと説く。即ち無形のガによる格述構造がハによる題述構造と共存してゐると見てゐる。しかし私見によれば、両者は互ひに全く相容れぬ構造を形造るものであるから、ハ によって題目を提示せんとならば、格助詞が追ひ出されるのが当然である(第二章第一節)。

 三 ハが主語に下接した場合は題目提示用法であり、斜格に下接した場合は対比であるといふのが大方の認めるところであるが、斜格成分であっても、その格助詞が追ひ出されてゐる場合は題目提示用法であると見る(同)。

 四 ハ の用法は題目提示と対比とに分たれるが、その中間的用法として状況題目提示用法を認める。また筆者は一文に題目は一つであるとの説を採るが、、題目と状況題目とは共存し得ると考へる(第二章第二節)。

 五 並立成分に下接した用法が、片や条件用法となり、片や反復用法となる理由を、ハの用法から説いた(第四章第一、二節)。

 六 題目提示のハが、連体修飾成分内に取まらな事実に関し、従来、山田博士の説である「ハは一定の陳述を要求する」との観点からのみ説かれてゐたが、これを退け、ハの構文的機能の特質から説明した(第六章)。

 七 ハによる表現が否定と密接に関ってゐることについて、その理由を意味的要請と構文的要請との二観点から説いた(第七章)。

 八 係助詞であるハ助詞の、係助詞たる所以は陳述を支配する点にあるとするのが山田博士以来の定説であったが、これもハの構文的機能から説き得る(第八章)。

 九 ハのとりたてが結合のとりたてであることは既に説かれてゐるが、本書では、結合の前項としてのとりたてである(これに近い指摘は既にある)ことを説いた(まとめ)。

審査要旨

 本論文は、「『は』助詞とその周辺」「格成分と関る用法」「連用修飾成分に下接する用法」「接続成分あらため並立成分に下接する用法」「成分内用法」「連体修飾との関り」「否定表現との関り」「『は』助詞の係助詞性」の八章より成り、文の中の各成分に現れる「は」を調査し、その機能を検討している。調査は現代文学作品六十一によっている。現代語の研究には内省を通しての研究の行われることがあるが、本論文の執筆者が実例を重んじたのは内省による偏りが生じないようにという配慮の結果である。また、研究対象を「は」一語に絞っているが、「は」が「が」と共に日本語の助詞の中で最重要な位置を占めるからである。

 本論文は、第一章では従来格助詞と混同されることのあった「は」に関して、格助詞の持つ格述構造に対し、「は」は題述構造を持つとして違いを明らかにする。第二・三章ではこの成分における「は」の機能が対比用法であることを説く。第四・五章では条件用法、反復用法の二種に「は」が関与するが、それは「は」の持つ対比・題目提示によることを示す。なお、この章では、古典語において「て」の有した仮定順接条件の用法が、現代語では「ては」の形に限られることを指摘する。第六章では連体修飾成分内に「は」が収まりにくいことを指摘し、その理由が「は」の題目提示用法にあることを論ずる。第七章では「は」の否定表現との関わりを説くが、本章の内容は本論文の中でも際だっている。ここでは、格助詞に下接した場合、連用修飾成分に下接した場合、「である」の間に用いられた場合、それを受ける述語は否定表現になる確率が極めて高い事実を明らかにし、それを「は」が否定表現を呼ぶのではなく、否定表現の方が「は」を要請するものであると解釈している。そして、その場合、意味的要請と構文的要請の二つがあるが、意味的要請については、表現者の心理に常にプラスの情報を求めるものがあるからであることを述べ、構文的要請では、とかく曖昧になりがちな文の構造が、「は」の使われることで一方に確定することを述べる。この論述は日本語のいわゆる部分否定の解釈に際しても有効である等、高い評価の得られるものである。

 本論文の執筆者青木氏は助詞研究者としての長い実績を有しており、本研究もそれに裏付けられたすぐれた研究成果である。本研究に強いて求めるものがあるとすれば、歴史的観点が参照程度に抑えられていることがある。しかし、青木氏の古典語助詞への造詣の深さは氏の師である時枝誠記博士『日本文法・文語篇』の助詞論が氏の研究に基づいていることからも察せられる。本書に歴史的観点が加わったとしても記述内容に改訂を加えるべきものはない。その意味で、本書の趣旨に合わせて歴史的観点が抑えられたというべきであろう。また、現代語の検討に際し実例を重んじ内省を極力避けたことへの懸念もある。しかし、これも氏の実証的な態度のしからしめたことであり、本書の価値を下げるものではない。以上、本書が助詞研究に示したすぐれた成果を考え、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当すると判断する。

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