学位論文要旨



No 211884
著者(漢字) 土屋,幸三
著者(英字)
著者(カナ) ツチヤ,コウゾウ
標題(和) 麹菌Aspergillus oryzaeにおける異種タンパク生産に関する研究
標題(洋)
報告番号 211884
報告番号 乙11884
学位授与日 1994.09.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第11884号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 助教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 依田,幸司
内容要旨

 麹菌は古くから日本の伝統的な醸造産業に種麹として用いられてきた。種麹として用いられる菌株は、それぞれの醸造に適したものが経験的に選択されてきた。その中で、Aspergillus oryzaeは清酒をはじめ、味噌、醤油などの麹に広く用いられてきた。A.oryzaeは、-アミラーゼ、グルコアミラーゼ、-グルコシダーゼなどのでんぷん原料の糖化を行う糖質加水分解酵素や、原料中のタンパク質をペプチドやアミノ酸へ分解するプロテアーゼやペプチダーゼなど、醸造において重要な酵素を菌体外に分泌する。A.oryzaeはその遺伝的背景がほとんど明らかにされていなかったが、形質転換系が開発されて以来、遺伝子のクローニングが進められ、遺伝子構造の解析やアミノ酸配列の推定が行われるようになった。また、-アミラーゼやグルコアミラーゼなどの糖質分解酵素のでんぷんやマルトオリゴ糖による生産の誘導が、遺伝子の転写レベルで起きていることが明らかにされ、誘導に必須なプロモーター領域の検索などが行われるようになった。

 遺伝子操作技術の発展によって、遺伝子導入が可能になるにつれて、A.oryzaeは次のような理由で異種タンパク生産の宿主として注目されてきた。すなわち 1)分泌能が高いと考えられる。2)宿主として安全であることが認められている。3)培養や生産物の精製などプロセスに関する研究の蓄積があり、大量培養の系が確立している。4)大腸菌や酵母に比べ進化的に高等動物に近く、動物由来のタンパクでも翻訳後修飾が適切に行われ、活性ある形で分泌させることが期待できる。Aspergillus属での異種タンパク生産は、近縁種のタンパクを生産させた場合と比較して高等真核生物由来のタンパクでは高い分泌量は得られていなかった。本研究は、A.oryzaeにおける異種タンパク生産系の確立、中でも高等真核生物由来のタンパクの高生産が可能な系を構築することを目的として行ったものである。

 導入した異種遺伝子を高発現させるためにA.oryzae -アミラーゼ(タカアミラーゼA)遺伝子(amyB)、A.oryzaeグルコアミラーゼ遺伝子(glaA)のプロモーターを用いた。これらのプロモーターの発現誘導機構について基礎的な知見を蓄積することは、高発現系を構築していく上で重要であると考えられるので、amyB遺伝子のプロモーターの高発現、誘導に必須な領域の同定を行った。大腸菌Escherichia coli-グルクロニダーゼ遺伝子をレポーター遺伝子として用い、麹菌内での-グルクロニダーゼ活性を指標にして欠失プロモーターが解析され、発現、誘導に必須な領域の同定が試みられていた。しかし、従来の形質転換系ではプラスミドが染色体上のランダムな位置に比較的多コピーで導入されるため、詳細な情報は得られていなかった。そこで、met遺伝子をintegration targetとして用いた相同的組換えによる形質転換系を使用し、従来の形質転換系を用いた場合より詳細な解析を行った。その結果、-377から-290bp(翻訳開始点を+1とする)が発現誘導に必須であることが示された。また、-290から-233bpの領域も誘導に関与する配列を含んでいることが示唆された。これらの領域からは、amyB遺伝子と同様にでんぷんやマルトオリゴ糖でその発現が誘導されるグルコアミラーゼや-グルコシダーゼのプロモーター配列と相同性の高い配列が見いだされた。

 異種タンパク生産のモデル系として、他の微生物で組換え体による生産が研究されているリゾチームの発現、分泌を行った。ニワトリリゾチーム由来のシグナル配列をもつヒトリゾチーム遺伝子を、amyBプロモーター及びターミネーターをもつベクターに挿入し、A.oryzae M-2-3に導入した。形質転換体からはリゾチーム活性が検出され、活性はマルトースによって誘導されグルコースによって抑制されていた。またウエスタン解析の結果、ニワトリリゾチーム由来のシグナル配列が切断され、リゾチームが分泌されていることが示された。リゾチーム活性はペプトンを含む培地では培養後期に低下した。これは宿主のプロテアーゼにより分泌されたリゾチームが分解されたためと考えられた。このような活性の低下は培地の窒素源を塩化アンモニウムに換えることで防ぐことができた。またプラスミドは多コピー導入されたため、amyBプロモーター支配下で発現させたリゾチーム遺伝子の転写量は、amyB遺伝子の転写量より明かに多く、その安定性も両者で差がないことが示唆された。リゾチームの分泌量は約1.2mg/lで、高い発現量から考えると分泌量は少なく、翻訳や分泌における効率が-アミラーゼのような宿主のタンパクとは異なっていると推測された。

 A.oryzaeによる異種タンパク生産系の有用性、実用性をさらに検証するため、仔牛キモシンの発現、分泌を行った。キモシンcDNAをPCR法により取得し、これをA.oryzae glaAプロモーター下流に接続したプラスミドによりA.oryzaeM-2-3を形質転換した。ウエスタン解析の結果、形質転換体から分泌されたプロキモシンは、培地中でautocatalyticなプロセッシングを受け、成熟型キモシンに活性化されたことが示された。キモシンの分泌量は約0.16mg/lであった。glaAプロモーター支配下で発現させたプレプロキモシンに対する転写物は、誘導後菌体内に安定に蓄積していた。しかし、転写量及び転写物のサイズは形質転換体によって異なっており、プラスミドの挿入位置近傍の染色体上の配列が、転写終結等に何らかの影響を与えていることが推察された。

 異種タンパクの生産量を向上させる方法として、宿主が高生産するタンパクとの融合タンパクとして分泌する方法が有効であることが、報告されている。そこで、A.oryzaeによるキモシンの生産量をグルコアミラーゼとの融合タンパクとして分泌させることで改善することを試みた。グルコアミラーゼの触媒領域(511番目のスレオニンまで)をコードする配列の下流に、17番目のアラニン以降のプロキモシンをコードするcDNAを接続した融合遺伝子を作成し、A.oryzaeM-2-3に導入した。その結果、プレプロキモシンをglaAプロモーターで直接発現させた株と比較して、キモシンの生産量が約5倍に向上した株が得られた。グルコアミラーゼのほぼ全長(全612アミノ酸中603番目のリジンまで)を用いた融合遺伝子からは、活性が上昇した株は得られなかった。ウエスタン解析により、キモシンは融合タンパクから培地中でautocatalyticにプロセッシングされたことが示された。また、麹菌による酵素生産の現場でよく用いられる小麦フスマによる固体培養を行った。その際、硫酸アンモニウムを添加することで宿主プロテアーゼの生産を抑制した。融合遺伝子により活性が上昇した株では、最終的に約150mg/kg-フスマと、A.oryzaeによるキモシンの高生産が可能になった。

 A.oryzaeでは、リゾチームやキモシンなどの高等真核生物由来のタンパクを活性ある形で生産することが可能であった。しかも、分泌シグナルを麹菌由来のものに換える必要はなく、異種タンパクが本来もつシグナル配列により分泌が可能であった。また、生産物の分解に関与する宿主のプロテアーゼは、液体培養でも固体培養でもアンモニウム塩の添加により抑制された。融合タンパクを用いる方法は、麹菌の高い分泌能を直接利用する方法であり、分泌量の改善に有効であった。A.oryzaeはグルコアミラーゼの他にも-アミラーゼなどの酵素を高分泌するので、これらを融合遺伝子の構築に用いることも考えられ、今後さまざまな異種タンパク生産に応用されるだろう。また、麹菌の特性を生かした固体培養により高い生産性が得られたことは、実際の生産を考える上で意味深い。導入した異種遺伝子は安定に高発現しており、今後宿主の改良や培養条件の検討により、さらに生産量が改善される可能性は十分にあるといってよい。

 遺伝子操作技術によってA.oryzaeの分子遺伝学は大きく発展しようとしている。基礎的な解析によって得られた知見は異種タンパク生産などの応用面にも新たな展開をもたらすと考えられる。今後もA.oryzaeはさまざまなタンパクの分泌生産に利用され、A.oryzaeの産業上の重要性はますます大きくなると考えられる。

審査要旨

 近年,糸状菌においても組換えDNA技術が確立し,実際に糸状菌を宿主として異種タンパクの分泌生産が行われるようになった。麹菌による糸状菌リパーゼの生産は初期の成功例としてよく知られている。本論文は日本古来より酒造に用いられている麹菌Aspergillus oryzaeを宿主とし,異種タンパク,特に動物由来のタンパクの高生産が可能な系を構築することを目的として行われた研究をまとめたもので,以下の4章より成る。

 第1章は相同組換え系を用いた麹菌-アミラーゼ遺伝子のプロモーター領域の解析に関するものである。麹菌の最も代表的な菌体外酵素-アミラーゼ(タカアミラーゼA)遺伝子(amyB)のプロモーターの高発現,誘導に必須な領域の同定を行った。従来の形質転換系ではプラスミドが染色体上のランダムな位置に比較的多コピーで組み込まれるため,組み込まれた遺伝子の発現に位置効果が現れるおそれがあった。そこでmet遺伝子を挿入標的とし,相同的組換えによる形質転換系を組み,詳細な解析を行った。大腸菌-グルクロニダーゼ遺伝子をレポーター遺伝子として用いての解析の結果,翻訳開始点を+1とすると-377から-290bpが発現誘導に必須であることが示された。また-290から-233bpの領域も誘導に関与する配列を含んでいることが示された。これらの領域からは,amyB遺伝子と同様にデンプンやマルトオリゴ糖でその発現が誘導されるグルコアミラーゼや-グルコシダーゼのプロモーター配列と相同性の高い配列が見いだされた。

 第2章はA.oryzaeによるヒトリゾチームの発現,分泌に関するものである。ニワトリリゾチーム由来のシグナル配列をもつヒトリゾテーム遺伝子をamyBプロモーター及びターミネーターを持つベクターに挿入し,A.oryzaeM-2-3株に導入した。形質転換体からは培地中にリゾチーム活性が検出され,その活性はマルトースにより誘導され,グルコースによって抑制された。またウエスタンプロッティング解析の結果,培地中にヒトリゾチームが分泌されていることが確認された。サザンプロッティング解析の結果,多コピーのプラスミドが染色体に組み込まれていることが判明した。ノーザンプロッティングの結果,転写量はamyB遺伝子よりも多いにもかかわらず,リゾチームの分泌量は1.2mg/lと低く,翻訳や分泌における効率が-アミラーゼのような宿主タンパクとは異なっていると推測される。

 第3章はA.oryzaeによる仔牛キモシンの発現,分泌に関するものである。キモシンcDNAをPCR法により取得し,これをA.oryzaeのグルコアミラーゼ遺伝子(glaA)のプロモーターの下流に接続したプラスミドによりA.oryzaeM-2-3を形質転換した。形質転換体の培養上清に凝乳活性が認められ,ウエスタンプロッティング解析の結果,上清中のキモシンはプロ体が自己触媒的にプロセッシングを受けた成熟体であることが明らかとなった。分泌量は0.16mg/lであり,やはり動物由来タンパクの直接発現には問題のあることが分かった。

 第4章はグルコアミラーゼ遺伝子との融合遺伝子を用いたキモシンの高分泌に関するものである。異種タンパクの生産量を向上させる方法として,宿主が高生産するタンパクとの融合タンパクとして分泌させることが有効であることが報告されている。そこでA.oryzaeによるキモシンの生産をグルコアミラーゼとの融合タンパクとして分泌させることで改善することを試みた。グルコアミラーゼの触媒領域(511番目のスレオ.ニンまで)をコードする配列の下流に17番目のアラニン以降のプロキモシンをコードするcDNAを接続した融合遺伝子を作製し,A.oryzaeM-2-3に導入した。その結果,プロキモシン遺伝子をglaAプロモーターで直接発現させた株と比較してキモシンの生産量が5倍に向上した形質転換体が得られた。またA.oryzaeによる酵素生産の現場でよく用いられる小麦フスマによる固体培養を行った。その際,硫酸アンモニウムを添加することで宿主プロテアーゼの生産を抑制した。融合遺伝子による活性が上昇した転換体では,最終的に150mg/kgフスマとなり,A.oryzaeによるキモシンの高生産が可能となった。

 以上本論文は糸状菌Aspergillus oryzaeによる異種タンパク生産に関し,タカアミラーゼA遺伝子プロモーター領域の解析を行うとともに,ヒトリゾチーム,仔牛キモシンを材料として,その生産条件を検討,改良し,仔牛キモシンでは固体培養系で高生産に成功したもので,基礎及び応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)論文として価値あるものと認めた。

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