学位論文要旨



No 211889
著者(漢字) 渡部,聡
著者(英字)
著者(カナ) ワタベ,サトシ
標題(和) 氷核細菌Erwinia ananas IN-10の氷核活性阻害剤の開発および氷核活性蛋白質の遺伝子工学的解析
標題(洋)
報告番号 211889
報告番号 乙11889
学位授与日 1994.09.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第11889号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒井,綜一
 東京大学 教授 児玉,徹
 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 助教授 清水,誠
内容要旨

 わが国における農作物の冷害の原因の一つに霜害がある。霜害の発生には氷核細菌と呼ばれる微生物が関与しており、それ自身が氷核となって凍結を起こさせる。このようにして形成された氷晶が成長して植物の組織を破壊し、ついには死に至らしめるのである。本論文では、静岡県の茶畑から単離された氷核細菌Erwinia ananas IN-10を研究対象とし、その氷核活性を阻害する物質を開発すること、どのような分子機構で水を凍らせるかを明らかにするため、氷核蛋白質をコードする遺伝子を単離してその構造を解析すること、また、この遺伝子を大腸菌及び食用酵母で発現させて氷核蛋白質を生産し、食品加工の場でのその活用を図ること等を目的として行った研究成果を述べたものである。

 第1章では、氷核蛋白質をコードする遺伝子のクローニングと構造解析について述べている。まず、Erwinia ananas IN-10のDNAを制限酵素Sau3A Iで部分消化し、 EMBL3に組み込み約15,000個のプラークからなるライブラリーを作製した。既に報告のある氷核細菌Pseudomonas syringaeの氷核遺伝子inaZの繰り返しモチーフであるAGYGSTLTに相当するオリゴヌクレオチド(24mer)をプローブとしてスクリーニングした結果、約20個の陽性クローンを得た。このうちの最長クローンを大腸菌に組み込んだところ、氷核活性を示したことから、これらは氷核蛋白質をコードする遺伝子と判定し、inaAと命名した。inaA遺伝子は全長約4,000Kbpであり、1,322残基のアミノ酸をコードするopen reading frameを含んでいた(Fig.1)。inaA蛋白質は開始Metから161アミノ酸(N-domain)の後ろに、16アミノ酸を1単位とする70回の繰り返し構造(R-domain)を有し、その後ろに41アミノ酸(C-domain)が存在した。ここにはシグナルペプチド及びトランスメンブラン様の構造は含まれていなかった。

Fig.1.Deduced amino acid sequence of inaA protein.

 第2章では、inaA蛋白質の構造・活性相関について述べている。inaA遺伝子の欠失DNA断片を単方向欠失法により作製し、大腸菌で発現させた。発現産物の同定には、inaA蛋白質に対するポリクロナール抗体を作製した。抗体は、inaA遺伝子全長を大腸菌に導入し発現誘導させた後、菌体抽出液をSDS-PAGEに流し、発現バンドを抽出し、ウサギに免疫することによって得た。ウェスタン解析をして発現が確認されてから、氷核活性を測定し、氷核活性に関与する蛋白質の活性領域の特定を試みた。その結果、N末端からは、462アミノ酸残基を欠失させても弱いながら氷核活性を示したが、C末端からは、32アミノ酸残基を欠失させると活性は全く消失した。このことから、inaA蛋白質のC末端のわずかな部分の欠失で氷核活性が失われるのは、発現した蛋白質が機能する形態へと変化するのに、この部分が必須であることが示唆された。

 第3章では、大腸菌で発現したinaA蛋白質の局在性と精製について述べている。inaA遺伝子全長を導入した大腸菌からinaA蛋白質の精製を試みた。菌体を超音波処理し、1,300×gで遠心分離した結果、氷核活性は沈澱画分にのみ認められた。このことは、電子顕微鏡下でinclusion bodyの形成が観察される事実と一致した。次に、沈澱画分を可溶化するため、2% Triton X-100 2% Nonidet P-40を1M NaClの存在下で作用させたところ、不溶画分に電気泳動的に単一な氷核蛋白質が得られ、強い氷核活性を有していた。

 第4章では、凍結濃縮などの食品加工への応用を目指した、inaA遺伝子を酵母で発現させる系の確立について述べている。inaA遺伝子を単方向欠失処理により、5’非翻訳領域及びN末端側14アミノ酸残基を欠失させて得た約4.4Kbpのフラグメントを、酵母発現ベクターpYES2.0のGAL1プロモーター下流に挿入した。これをSacchromyces cerevisiae NH108株にアルカリ金属法により導入し、形質転換酵母を得た。ガラクトースを含む培地で発現誘導を行ったところ、誘導後3時間以降に氷核蛋白質が発現していることがわかった。そこで、氷核活性を測定したところ、-8.8℃で凍結し始める氷核スペクトルを示した。この活性は、inaA遺伝子を導入した大腸菌と比べると、5℃程度活性は弱く改良の余地はあるものの、明らかに氷核能を保持する酵母の作製を可能とした。

 第5章では、氷核細菌のもたらす霜害を防ぐ新しい提案として、氷核活性阻害剤の開発について述べる。Erwinia ananas IN-10の氷核活性を抑える化学物質を検索した結果、下記の両親媒性構造を有するアンモニウム塩が有効であった。そこで、ポットテストにより、茶樹を-3℃で一晩放置したところ、未処理の場合は葉面に霜が発生し、枯死するに至ったが、試験管レベルの系であらかじめ最も効果的だと判定された阻害剤であるn-octylbenzyldimethylammonium(Fig.2)の250ppm水溶液をスプレイしておくと、霜害を防ぐことができた。

Fig.2.Structure of n-octylbenzyldimethylammonium.

 以上本論文は、霜害の原因である氷核細菌の氷核蛋白質の遺伝子クローニング及び氷核能に関わる蛋白質領域の特定などの基礎的な研究に始まり、食品加工への応用をにらんだ氷核酵母の作出、および霜害防止に効果のある氷核活性阻害剤の開発などの応用的な研究へと幅広い領域を網羅したものである。

審査要旨

 わが国における農産物の冷害の一つに霜害がある。霜害の発生には氷核細菌と呼ばれる微生物が関与しており,それ自身が氷核となって凍結を開始させる。このようにして形成された氷晶が成長して植物の組織を破壊し,ついには死に至らしめるのが霜害である。本論文は,氷核細菌Erwinia ananas IN-10を研究対象とし,その氷核活性を阻害する物質の開発と,氷核蛋白質の遺伝子工学的解析についての研究結果を述べたものである。

 第1章では,氷核蛋白質をコードする遺伝子のクローニングと構造解析について述べている。E.ananasのDNAライブラリーから,既に報告のある氷核細菌Psaudomonas syringasの氷核蛋白質の繰り返しモチーフであるAGYGSTLTに相当するオリゴヌクレオチドプローブを用いてスクリーニングすることで氷核蛋白質をコードする遺伝子inaAを単離した。InaA蛋白質は1322個のアミノ酸からなり,中央部に16アミノ酸を1単位とする70回の繰り返し構造(R-domain)が存在していた。また,シグナルペプチド及びトランスメンプラン様の構造は含まれていなかった。

 第2章では,InaA蛋白質の構造・活性相関について述べている。inaA遺伝子の欠失DNA断片を大腸菌に発現させ,抗体を用いて発現産物を同定した後,氷核活性を測定した。その結果,N末端から462アミノ酸残基を欠失させても弱いながら氷核活性を示したが,C末端から32アミノ酸残基を欠失させると活性は全く消失した。このことから,InaA蛋白質のC末端のわずかな部分の欠失で氷核活性が失われるのは,発現した蛋白質が機能する形態へと変化するのに,この部分が必須であることが示唆された。

 第3章では,大腸菌で発現したInaA蛋白質の局在性と精製について述べている。InaA蛋白質を発現している大腸菌を超音波処理し,1300xgで遠心分離した結果,氷核活性は沈澱画分にのみ認められた。このことは,電子顕微鏡下でInaA蛋白質の封入体の形成が観察される事実と一致した。次に,沈澱画分を可溶化するために,2%Triton X-100,2% Nonidet P-40を作用させたところ,不溶性画分に電気詠動的に単一な氷核蛋白質が得られ,強い氷核活性を有していた。

 第4章では,InaA蛋白質を酵母で発現させる系の確立について述べている。inaA遺伝子の5’非翻訳領域及びN末端側14アミノ酸残基を欠失させて得た約4.4kbpのフラグメントを,酵母発現ベクターであるpYES2.0のCALIプロモーター下流に挿入した。これをアルカリ金属法によりSacchromycas carsvisias NH108株に導入し,形質転換酵母を得た。ガラクトースを含む培地で発現誘導を行ったところ,氷核蛋白質が発現していることが確認されたので,氷核活性を測定した。活性は,-8.8℃で凍結し始める氷核スペクトルを示し,E.ananasと比べると,5℃程度活性は弱いものの,明らかに氷核能を保持する酵母の作製を可能とした。

 第5章では,氷核細菌のもたらす箱害を防ぐ新しい提案として,氷核活性阻害剤の開発について述べている。E.ananas IN-10の氷核活性を抑える化学物質を検索した結果,両親媒構造を有するアンモニウム塩が有効であることがわかった。そこで,ポットテストにより,茶樹を-3℃で一晩放置したところ,未処理の場合は葉面に霜が発生し,枯死するに至ったが,試験管レベルの系であらかじめ最も効果的だと判定された阻害剤であるn-octylbenzyldinethylamomnium塩の2 50ppm水溶液を散布しておくと,霜害を防ぐことができた。

 以上本論文は,霜害の原因である氷核細菌の氷核蛋白質の遺伝子クローニング及び氷核活性に関わる蛋白質領域の特定などの基礎的な研究に始まり,食品加工への応用をにらんだ氷核酵母の作出,および霜害防止に効果のある水核活性阻害剤の開発などの応用的な研究へと幅広い領域を網羅したものであり,学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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