審査要旨 | | 高等植物では,核,葉緑体,ミトコンドリアのオルガネラがそれぞれ遺伝情報を有している。それらにコードされた遺伝子は,各オルガネラ独自の転写・翻訳系を利用するものの互いに協調的に発現している。このオルガネラ間の遺伝子相互作用の解明には,各遺伝子の構造を明らかにする必要があり,本研究では,わが国の重要作物であるイネ(Oryza sativa L.cv日本晴)を対象に,その葉緑体遺伝子と核遺伝子の構造と発現を解析した。 1.葉緑体遺伝子rbcLおよびatpB,Eの構造解析 葉緑体には環状二本鎖DNAが存在し,葉緑体独自の遺伝情報発現に必要な遺伝子や光合成に関与するタンパク質の遺伝子などをコードしている。そこで光合成で重要な働きをする,ルビスコ大サブユニットの遺伝子(LS遺伝子;rbcL),およびプロトン輸送性ATPase複合体のおよびサブユニットの遺伝子(,遺伝子;atpB,E)の塩基配列を決定するとともに,発現を調べプロモーター領域を同定し,他の植物の遺伝子と比較した。 LS遺伝子の翻訳領域のアミノ酸配列は,イネ科のC3植物であるコムギのものと97.5%の相同性があり,C4植物のトウモロコシより5%高かった。S1マッピング法で転写開始位置の同定したところ,翻訳開始コドンから317bおよび57b上流に位置していた。また,3’末端は,翻訳終始コドンから70bおよび150b下流に同定された。 と遺伝子は,それぞれ498個と137個のアミノ酸をコードしており,遺伝子の終止コドンTGAと遺伝子の開始コドンATGは重複していた。遺伝子がLS遺伝子と同様に他の植物の遺伝子と高い相同性を示したのに対し,遺伝子はイネ科植物内では保存されていたが,他とは低い相同性を示した。また,遺伝子転写物の5’末端は翻訳開始コドンの約310b上流にあり,そのすぐ上流には原核生物型プロモーター配列が存在していた。 2.核ゲノムにおけるキチナーゼ遺伝子族の構造解析 イネの核ゲノムにおける多重遺伝子族の構造と存在様式の解明を目的として,キチナーゼ遺伝子族を対象に,複数の遺伝子を単離し,構造と発現様式および染色体座位の解析を行った。PCR法によってイネ遺伝子の一部を増幅し,これをプローブにキチナーゼ遺伝子Cht-1とCht-2のcDNAクローンとgenomicクローン,さらにCht-3遺伝子に相当するgenomicクローンを単離した。3遺伝子とも,クラスIキチナーゼであった。各遺伝子の翻訳領域の塩基配列の相同性は,77%から90%であり,Cht-2遺伝子にのみ130bpのイントロンが存在した。また,Cht-2遺伝子には液胞輸送シグナルと類似配列が見られ,Cht-1およびCht-3遺伝子とは局在性の異なる酵素をコードしていると予想された。 Cht-1遺伝子とCht-3遺伝子は各種ストレスにより活性化されたが,Cht-2遺伝子の発現は異なっていた。5’側非転写領域を比較したところ,Cht-1,Cht-3遺伝子の転写開始点付近の保存された配列はCht-2遺伝子には存在しなかった。Cht-1およびCht-3遺伝子は同様な発現様式を示すことから,この転写開始点のすぐ上流の約130bpの領域が発現制御に重要であることが予想された。染色体上の座位に関しては,Cht-1遺伝子とCht-3遺伝子が第6染色体上に0.8cM離れて,また,Cht-2遺伝子は第5染色体上に存在した。以上のように,イネのクラスIキチナーゼ遺伝子族の場合,それぞれの遺伝子の発現様式と遺伝子の一次構造の類似性および染色体上の位置関係との間には関連性が認められた。 3.葉緑体遺伝子と核遺伝子のGC含量および同義コドン選択性 葉緑体ゲノムにコードされている数種類の植物のLS,,の各遺伝子の翻訳領域のGC含量は,いずれの値も41〜44%であり,単子葉植物と双子葉植物の間には差が見られなかった。一方,核コードのキチナーゼ遺伝子のうちイネでは,その翻訳領域におけるGC含量は69〜74%であったが,双子葉植物のタバコでは50%であった。このようにDNAのGC含量および同義コドン選択性の点で,本研究において明らかにされた葉緑体遺伝子と核遺伝子を他の植物のものと比較すると,核遺伝子において見られる単子葉植物と双子葉植物の差異が葉緑体遺伝子においては認められなかった。 以上要約するに本研究ではイネを材料に,葉緑体遺伝子であるrbcL atpB atpEの塩基配列と発現を調べると共に,核遺伝子で多重遺伝子族を形成するキチナーゼ遺伝子群の塩基配列と発現制御および染色体上の遺伝子の位置を明らかにし,イネの葉緑体と核遺伝子の構造と発現に関して学術上重要な知見と考察を提供した。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |