学位論文要旨



No 211890
著者(漢字) 西澤,洋子
著者(英字)
著者(カナ) ニシザワ,ヨウコ
標題(和) イネの遺伝子の構造と発現に関する研究
標題(洋)
報告番号 211890
報告番号 乙11890
学位授与日 1994.09.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第11890号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 武田,元吉
 東京大学 教授 鵜飼,保雄
 東京大学 教授 内宮,博文
内容要旨

 植物では、核、葉緑体、ミトコンドリアの3つのオルガネラがそれぞれゲノムDNAを有している。それらにコードされた遺伝子は、各オルガネラ独自の転写・翻訳系を利用するものの互いに協調的に発現している。このオルガネラ間の遺伝子相互作用を解明するには各遺伝子の構造を明らかにする必要があり、また、オルガネラDNAの構造を解析することは、オルガネラの起源と遺伝子の進化を明らかにする手掛かりになると考えられる。これまでにも様々な植物において葉緑体遺伝子や核遺伝子の構造が解析されてきたが、植物のゲノム構造を総合的に理解するためには、同じ植物における3つのオルガネラゲノムの構造を把握することが求められている。そこで本研究では、重要作物であり、葉緑体ゲノムに関しては物理地図が報告されており、また、核ゲノムのサイズが小さく、遺伝解析が進んでいるイネ(Oryza sativa L.cv日本晴)を対象に、その葉緑体遺伝子と核遺伝子の構造を解析した。

1.葉緑体遺伝子rbcLおよびatpB,Eの構造解析

 葉緑体には環状二本鎖DNAが存在し、葉緑体独自の遺伝情報発現に必要なrRNAやtRNAや光合成に関与するタンパク質の遺伝子などをコードしている。近年、ゼニゴケおよびタバコにおいて葉緑体ゲノムDNAの全塩基配列が決定されたが、イネについてもその制限酵素地図が作成され、ゲノム全体の約130kbをカバーするDNAがクローン化され、リブロース1.5-二リン酸カルボキシラーゼの大サブユニットの遺伝子(LS遺伝子;rbcL)、およびプロトン輸送性ATPase複合体のうちのおよびサブユニットの遺伝子(遺伝子;atpB,E)の座位が同定された。本研究ではイネの葉緑体ゲノムの構造解析の第一歩として、これらの遺伝子のDNA塩基配列を決定するとともにプロモーター領域を同定し、他の植物の遺伝子との比較を行った。

 LS遺伝子と遺伝子は、互いに異なるDNA鎖上に784bp離れてコードされており、その間の塩基配列をトウモロコシと比較したところ、アミノ酸がコードされていない領域であるにもかかわらず非常に高い相同性がみられた。LS遺伝子の翻訳領域は1431bpから成り、477個のアミノ酸残基をコードしていた。塩基配列から予想されるLSタンパク質のアミノ酸配列は、同じくイネ科のC3植物であるコムギのものと97.5%の相同性があり、これはC4植物であるトウモロコシとの値(92.5%)より大きかった。相同性はSS結合領域や活性部位を含む領域において特に高く、C末端付近では低かった。また、下等植物であるゼニゴケのLS遺伝子との相同性は、DNAレベルでは82.5%であったが、アミノ酸レベルではトウモロコシやタバコと同等の92.9%であった。S1マッピング法によりLS遺伝子の転写開始位置の同定を試みたところ、LSmRNAの5’末端は、翻訳開始コドンから317bおよび57b上流に相当することが明らかになった。また、LSmRNAの3’末端は、翻訳終始コドンから70bおよび150b下流に同定された。1987年Moonらは、インド型イネの葉緑体ゲノムにはLS遺伝子が2種類存在することを報告しているが、本研究に供試した日本型イネの葉緑体ゲノムでは1種類のLS遺伝子のみが検出された。従って、Moonらの報告は彼らが供試したイネに特有の現象であると思われた。

 遺伝子は、それぞれ、498個、137個のアミノ酸残基をコードしており、遺伝子の翻訳終止コドンTGAと遺伝子の翻訳開始コドンATGは重複していた。遺伝子がLS遺伝子と同様に他の植物の遺伝子と高い相同性を示したのに対し、遺伝子はイネ科植物内では保存されていたが(約96%)、タバコ、ゼニゴケのものとは、それぞれ72.5%、53.1%の相同性であった。また、遺伝子転写物の5’末端は遺伝子の翻訳開始コドンの約310b上流に相当しており、そのすぐ上流にはLS遺伝子と同様、原核生物のプロモーターと類似した配列が存在していた。

2.核ゲノムにおけるキチナーゼ遺伝子族の構造解析

 植物のキチナーゼは多重遺伝子族としてコードされており、それぞれのキチナーゼは生体の中で異なる役割を担っていると予想されている。これまでにも、多重遺伝子族を形成している植物の遺伝子は、アクチン、ヒストン、リブロース1,5-二リン酸カルボキシラーゼの小サブユニットなど数多く知られているが、それぞれの遺伝子の構造と発現様式に併せてゲノム上の存在様式が解析されている例がほとんどないのが現状である。そこで本研究では、イネの核ゲノムにおける多重遺伝子族の構造と存在様式の解明を目的として、キチナーゼ遺伝子族を対象に、複数のキチナーゼ遺伝子を単離し、構造と発現様式および染色体座位の解析を行った。

 既知のオオムギ、タバコ、インゲンマメのキチナーゼ遺伝子の相同性の高い部分をプライマーとしたPCR法によってイネ・キチナーゼ遺伝子の一部(約500bp)を増幅し、これをプローブにして最終的に、キチナーゼ遺伝子Cht-1とCht-2に相当するcDNAクローンRCC1とRCC2、および核DNAクローンRCG1とRCG2、さらにCht-3遺伝子に相当する核DNAクローンRCG3を単離した。3遺伝子とも、レクチンや傷害誘導性タンパク質と相同性の高いcysteine-rich domainを持っているクラスIキチナーゼをコードしており、DNA塩基配列から予想される成熟型タンパク質の等電点は酸性であった。各キチナーゼ遺伝子の翻訳領域の塩基配列の相同性は、77%(Cht-1/Cht-2)、78%(Cht-2/Cht-3)および90%(Cht-1/Cht-3)であり、Cht-2遺伝子にのみ130bpのイントロンが存在していた。また、Cht-2遺伝子には液胞輸送シグナルと類似した配列が見られ、Cht-1およびCht-3遺伝子とは局在性の異なる酵素をコードしていると予想された。

 キチナーゼ遺伝子の転写産物のサイズは約1.2kbであり、Cht-1遺伝子とCht-3遺伝子は各種ストレスによって同様に活性化されたが、Cht-2遺伝子の発現様式はこれらとは異なっていた。インド型イネのキチナーゼ遺伝子RCH10を含めた4種類のイネ・キチナーゼ遺伝子の5’側非転写領域を比較してみたところ、Cht-1、Cht-3およびRCH10遺伝子の転写開始点の近傍付近に見られる保存された配列はCht-2遺伝子には存在しなかった。RCH10遺伝子はCht-1およびCht-3遺伝子と同様な発現様式を示すことから、この転写開始点のすぐ上流の約130bpの領域がこれらの遺伝子の発現制御に重要であることが予想された。その他、約1.5kbの5’側非転写領域に見られる特徴的な保存配列のうち、GGCC boxと名付けた配列(GGCCGGCYGCCCYAG)も、Cht-1遺伝子、Cht-3遺伝子およびRCH10遺伝子に存在したがCht-2遺伝子では認められなかった。これらの保存配列がキチナーゼ遺伝子の発現上どのように機能しているかについては今後の課題である。

 染色体上の座位に関しては、Cht-1遺伝子とCht-3遺伝子が第6染色体上に0.8cM離れて、また、Cht-2遺伝子が第5染色体上に存在することが明らかになった。以上のように、本研究において明らかにされたイネのクラスIキチナーゼ遺伝子族の場合、それぞれの遺伝子の発現様式と遺伝子の一次構造の類似性および染色体上の位置関係との間には関連性が認められた。なお本研究では、キチナーゼ遺伝子のmRNAの発現がnMオーダーで6量体以上のN-アセチルキトオリゴ糖によって速やかに活性化されることが明らかになり、この系は前述したプロモーター機能の解析や、細胞内情報伝達経路を研究する上で格好のモデル系になると考えられた。

3.葉緑体遺伝子と核遺伝子のGC含量および同義語コドン選択性

 葉緑体ゲノムにコードされている数種類の植物のLS、の各遺伝子について翻訳領域のGC含量を比較したところ、いずれの値も41〜44%であり、単子葉植物と双子葉植物の間には差が見られなかった。また、イネ、タバコ、ゼニゴケいずれの植物においても葉緑体遺伝子では、同義語コドンのうち、第3番目の塩基がA(アデニン)またはU(ウラシル)であるコドンを使用する頻度が高くなっていた。

 一方、核にコードされているキチナーゼ遺伝子のうちイネのキチナーゼ遺伝子に関しては、その翻訳領域におけるGC含量は69.3%(Cht-1)、73.5%(Cht-2)、69.5%(Cht-3)であり、コドンの第3番目の塩基のGC含量はそれぞれ95.4%、98.5%、95.3%であった。一方、双子葉植物のキチナーゼ遺伝子としてタバコではその翻訳領域におけるGC含量は50.0%であり、コドンの第3番目の塩基のGC含量は42.3%であった。このように、翻訳領域のGC含量とコドンの第3番目の塩基のGC含量が単子葉植物で高く、逆に双子葉植物で低いという傾向は他の単子葉植物(トウモロコシ、オオムギ)と双子葉植物(トマト、ジャガイモ、インゲンマメ)のキチナーゼ遺伝子においても見られた。

 以上のようにDNAのGC含量および同義語コドン選択性の点で、本研究において明らかにされた葉緑体遺伝子と核遺伝子を他の植物のものと比較すると、核遺伝子において見られる単子葉植物と双子葉植物の差異が葉緑体遺伝子においては認められないことが明らかになった。

審査要旨

 高等植物では,核,葉緑体,ミトコンドリアのオルガネラがそれぞれ遺伝情報を有している。それらにコードされた遺伝子は,各オルガネラ独自の転写・翻訳系を利用するものの互いに協調的に発現している。このオルガネラ間の遺伝子相互作用の解明には,各遺伝子の構造を明らかにする必要があり,本研究では,わが国の重要作物であるイネ(Oryza sativa L.cv日本晴)を対象に,その葉緑体遺伝子と核遺伝子の構造と発現を解析した。

1.葉緑体遺伝子rbcLおよびatpB,Eの構造解析

 葉緑体には環状二本鎖DNAが存在し,葉緑体独自の遺伝情報発現に必要な遺伝子や光合成に関与するタンパク質の遺伝子などをコードしている。そこで光合成で重要な働きをする,ルビスコ大サブユニットの遺伝子(LS遺伝子;rbcL),およびプロトン輸送性ATPase複合体のおよびサブユニットの遺伝子(,遺伝子;atpB,E)の塩基配列を決定するとともに,発現を調べプロモーター領域を同定し,他の植物の遺伝子と比較した。

 LS遺伝子の翻訳領域のアミノ酸配列は,イネ科のC3植物であるコムギのものと97.5%の相同性があり,C4植物のトウモロコシより5%高かった。S1マッピング法で転写開始位置の同定したところ,翻訳開始コドンから317bおよび57b上流に位置していた。また,3’末端は,翻訳終始コドンから70bおよび150b下流に同定された。

 遺伝子は,それぞれ498個と137個のアミノ酸をコードしており,遺伝子の終止コドンTGAと遺伝子の開始コドンATGは重複していた。遺伝子がLS遺伝子と同様に他の植物の遺伝子と高い相同性を示したのに対し,遺伝子はイネ科植物内では保存されていたが,他とは低い相同性を示した。また,遺伝子転写物の5’末端は翻訳開始コドンの約310b上流にあり,そのすぐ上流には原核生物型プロモーター配列が存在していた。

2.核ゲノムにおけるキチナーゼ遺伝子族の構造解析

 イネの核ゲノムにおける多重遺伝子族の構造と存在様式の解明を目的として,キチナーゼ遺伝子族を対象に,複数の遺伝子を単離し,構造と発現様式および染色体座位の解析を行った。PCR法によってイネ遺伝子の一部を増幅し,これをプローブにキチナーゼ遺伝子Cht-1とCht-2のcDNAクローンとgenomicクローン,さらにCht-3遺伝子に相当するgenomicクローンを単離した。3遺伝子とも,クラスIキチナーゼであった。各遺伝子の翻訳領域の塩基配列の相同性は,77%から90%であり,Cht-2遺伝子にのみ130bpのイントロンが存在した。また,Cht-2遺伝子には液胞輸送シグナルと類似配列が見られ,Cht-1およびCht-3遺伝子とは局在性の異なる酵素をコードしていると予想された。

 Cht-1遺伝子とCht-3遺伝子は各種ストレスにより活性化されたが,Cht-2遺伝子の発現は異なっていた。5’側非転写領域を比較したところ,Cht-1,Cht-3遺伝子の転写開始点付近の保存された配列はCht-2遺伝子には存在しなかった。Cht-1およびCht-3遺伝子は同様な発現様式を示すことから,この転写開始点のすぐ上流の約130bpの領域が発現制御に重要であることが予想された。染色体上の座位に関しては,Cht-1遺伝子とCht-3遺伝子が第6染色体上に0.8cM離れて,また,Cht-2遺伝子は第5染色体上に存在した。以上のように,イネのクラスIキチナーゼ遺伝子族の場合,それぞれの遺伝子の発現様式と遺伝子の一次構造の類似性および染色体上の位置関係との間には関連性が認められた。

3.葉緑体遺伝子と核遺伝子のGC含量および同義コドン選択性

 葉緑体ゲノムにコードされている数種類の植物のLS,,の各遺伝子の翻訳領域のGC含量は,いずれの値も41〜44%であり,単子葉植物と双子葉植物の間には差が見られなかった。一方,核コードのキチナーゼ遺伝子のうちイネでは,その翻訳領域におけるGC含量は69〜74%であったが,双子葉植物のタバコでは50%であった。このようにDNAのGC含量および同義コドン選択性の点で,本研究において明らかにされた葉緑体遺伝子と核遺伝子を他の植物のものと比較すると,核遺伝子において見られる単子葉植物と双子葉植物の差異が葉緑体遺伝子においては認められなかった。

 以上要約するに本研究ではイネを材料に,葉緑体遺伝子であるrbcL atpB atpEの塩基配列と発現を調べると共に,核遺伝子で多重遺伝子族を形成するキチナーゼ遺伝子群の塩基配列と発現制御および染色体上の遺伝子の位置を明らかにし,イネの葉緑体と核遺伝子の構造と発現に関して学術上重要な知見と考察を提供した。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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