学位論文要旨



No 211892
著者(漢字) 本山,裕章
著者(英字)
著者(カナ) モトヤマ,ヒロアキ
標題(和) 偏性メタノール資化性菌、Methylobacillus glycogenesによるメタノールからのアミノ酸生産に関する研究
標題(洋)
報告番号 211892
報告番号 乙11892
学位授与日 1994.09.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第11892号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,徹
 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 高橋,秀夫
 東京大学 助教授 五十嵐,泰夫
内容要旨

 メタノール(MeOH)は価格が安く高純度であるため、発酵原料として魅力的である。MeOHを原料として用いれば、原料費を大幅に削減することができ、また精製・廃液プロセスを簡略化できる可能性がある。こうした理由からMeOHを原料としたアミノ酸生産の研究を行なった。鋭意検討の結果、グルタミン酸(Glu)、およびスレオニン(Thr)については、MeOHを原料とした直接発酵生産としては、これまでで最も高い生産性を得ることに成功した。また生産に用いたグラム陰性偏性MeOH資化性菌、Methylobacillus glycogenesのThr、リジン(Lys)生合成酵素を解析し、代謝制御上の興味深い特徴を見いだした。

第1章M.glycogenesからのグルタミン酸高生産変異株の分離、グルタミン酸高生産変異株からのスレオニン,リジン生産変異株の誘導

 MeOHの資化経路には数種類知られている。MeOHからのアミノ酸生産効率を考え、理論上アミノ酸生産効率の最も高い、リブロースモノリン酸(RuMP)経路でMeOHを資化する細菌を用いて育種を行なうのが望ましいと考えた。RuMP経路を持つ細菌の中でも、生育が良く、Gluを蓄積することが報告されているM.glycogenes ATCC21276株、ATCC21371株が最適と考え、親株として選択した。

 これら2株を変異処理し、アミノ酸要求変異株をスクリーニングしたところGlu生産性が、野性株の約10倍に上昇した変異株が得られた。これらGlu高生産変異株は抗生物質・アミノ酸アナログ等の薬剤に対して、野性株より高い感受性を示し、膜透過性の変化により、Gluを高生産するようになったと考えられた。ATCC21371株由来のRV-3株は38.8g/lのGlu(5lジャー培養。以下生産試験の値は全て5lジャー培養の値)を生産した。

 Glu高生産株を変異処理し、得られたThr,Lysアナログ耐性株をスクリーニングしたところ、Thr生産株が得られた。ATCC21276株由来のAL119株は11.0g/lのThrを生産し、ATCC21371株由来のATR80株は8.5g/lのThrを生産した。AL119株から取得したLysアナログ耐性株、DHL122株はLysも生産するようになった。DHL122株は3.1g/lのLysおよび5.6g/lのThrを生産した。

第2章スレオニン,リジン生産株におけるスレオニン,リジン生合成酵素の解析

 前項で得られたThr,Lys生産株は、Thr,Lys生合成酵素が脱制御している可能性が考えられた。Thr,Lys生産の原因を調べるため、M.glycogenesの野性株、Glu生産株およびThr,Lys生産株のThr,Lys生合成酵素の性質を調べた。

 野性株で観察されたThr,Lys生合成系におけるフィードバック阻害を右に示す。

M.glycogenesのThr、Lys生合成系に見い出されたフィードバック阻害

 Thr、Lys生合成系の調節酵素、アスパルトキナーゼ(AK)、ホモセリンデヒドロゲナーゼ(HD)、ジヒドロジピコリン酸シンターゼ(DDPS)は、Lys,Thr,またはLys+Thrによるフィードバック阻害を受けた。Lys,Thrに加え、いくつかのThr,Lys生合成酵素が芳香族系アミノ酸に感受性を示した事が他微生物と異なる本菌の特徴である。Thr,Lys生合成系と芳香族系アミノ酸生合成系の間になんらかの調節関係が存在する可能性が示唆された。

 次にThr,Lys生産変異株のThr,Lys生合成酵素に対するアミノ酸の影響を調べた。全てのThr生産株のAKはThrによる阻害から脱感作していた。HDは野性株と同程度Thrで阻害され、DDPSのLysに対する感受性も変化していなかったことから、AKのThrに対する脱感作がThrを生産する原因と考えられた。

 Thr,Lys生産株、DHL122株のDDPS活性はLysによる阻害から部分的に脱感作しており、Lysを生産するようになった原因と考えられた。

第3章M.glycogenesのスレオニン生合成遺伝子のクローニング

 M.glycogenesのThr,Lys生産株育種への組み換え手法の応用を考え、M.glycogenesからThr生合成遺伝子のクローニングを行なった。

 大腸菌HD欠損株の栄養要求性の相補により、ATCC21276株、ATCC21371株からHDをコードするhom遺伝子を含むDNA断片を取得した。ATCC21371株から得られたDNA断片は大腸菌スレオニンシンターゼ(TS)欠損株の要求性も相補し、hom遺伝子近傍に、TSをコードするthrC遺伝子が存在することが示唆された。

 hom遺伝子を含む大腸菌の無細胞抽出液中のHD活性は、M.glycogenesのHDと異なり、Thr,フェニルアラニン(Phe)で全く阻害されなかった。無細胞抽出液を4℃4日間保存したところ、HD活性のThrおよびPheに対する感受性は完全に回復した。保存前後の無細胞抽出液をポリアクリルアミド電気泳動(PAGE)で分離し、HDの活性染色を行なって、HDの分子量を調べたところ、保存中にHDの分子量が増加していることが分かった。一方、保存前後の無細胞抽出液をSDS-PAGEで分離後、HDに対する抗血清を用いてウェスタンブロッティングを行なってHDの分子量を調べたところ、分子量の変化は認められなかった。これらのことから、保存中にHDを構成するサブユニット数が増えた結果、アミノ酸に対する感受性が回復したことが示唆された。

 hom遺伝子を含むDNA断片の塩基配列を決定した。ATCC21276株より得たDNA断片中には、435残基のペプチドをコードするORF1(推定分子量48,225)、89残基のペプチドをコードするORF2が見いだされた。DNA断片のサブクローニング結果よりORF1はhom遺伝子、ORF2はthrC遺伝子のN末部分と考えられた。ATCC21371株由来のDNA断片には412残基のペプチドをコードするORF1(推定分子量44,815)、475残基のペプチドをコードするORF2(推定分子量52,111)、64残基のペプチドをコードするORF3が見いだされた。ORF1はhom遺伝子、ORF2はthrC遺伝子であると考えられた。ORF3はアミノ酸配列のホモロジーからチミジル酸シンターゼのN末部分と考えられた。またhom遺伝子とthrC遺伝子がオペロンを構成していることがノーザン解析により示唆された。

 M.glycogenesのHD,TSの推定アミノ酸配列は、他微生物由来のHD,TSのアミノ酸配列に高い相同性を示した。

 大腸菌ホモセリンキナーゼ(HK)欠損株の栄養要求性相補により、Thr生産変異株、ATR80株からHKをコードするthrB遺伝子を含むDNA断片を取得した。thrB遺伝子は305残基のペプチド(推定分子量33,029)をコードしていた。

第4章スレオニン、リジン生産株育種への組み換え手法の応用第1節スレオニン生合成遺伝子増幅によるスレオニン生産性の向上

 ATCC21371株のhom遺伝子、hom-thrC遺伝子、またはATR80株のthrB遺伝子を含む組み換えプラスミドを構築してThr生産株に導入し、Thr生産性に与える影響を調べた。Thr生合成遺伝子の導入により、導入遺伝子のコードする酵素活性は10-30倍上昇した。Thr生産性はhom遺伝子の導入で約30%、hom-thrC遺伝子の導入で約40%向上した。thrB遺伝子の導入により、増殖は著しく阻害され、顕著なThr生産性の向上は認められなかった。最も生産性の高かったhom-thrC遺伝子を含むA513株(ATR80株より誘導したイソロイシン要求株)は、16.3g/lのThrを蓄積した。

第2節相同組み換えによるホモセリンデヒドロゲナーゼ欠損株取得の試み

 Thr,Lys生合成系の分岐点に位置するHDを欠損させれば、Lys生産性を向上できる可能性がある。通常の変異手法でHD欠損株は得られなかったため、hom遺伝子を利用し、相同組み換え手法によりHD欠損株取得を試みた。

 ≪二点交叉法による試み≫トランスポゾンTn5、またはカナマイシン耐性遺伝子で挿入失活したhom遺伝子(挿入失活HD遺伝子)を構築した。挿入失活HD遺伝子をMeOH資化性菌で複製できないベクターに連結して、DHL122株(Thr,Lys生産変異株)、ATR80株(Thr生産変異株)に導入し、染色体上の正常なHDとの二点での相同組み換え(二点交叉法)によりHD欠損株の取得を試みた。

 染色体上のHDとの一点での相同組み換えにより、挿入失活HD遺伝子がベクターごと染色体に組み込まれた株は出現したが、二点交叉によりHD欠損株となった株は得られなかった。染色体に挿入失活HD遺伝子が、ベクターごと染色体に組み込まれた株から、HD欠損株のスクリーニングも試みたが目的の株を得ることはできなかった。

 ≪一点交叉法による試み≫次にN末およびC末を欠いたHD遺伝子を構築してDHL122株、ATR80株に導入し、染色体上の正常なHDの一点での相同組み換えによる方法(一点交叉法)を試みたが、組み換え株は全く得られなかった。

 二点交叉法、一点交叉法のいずれの方法でもHD欠損株が得られなかったのはHDを欠損することが、M.glycogenesに致死的であるためと考えられた。

審査要旨

 メタノール(MeOH)は価格が安く純度が高いため,発酵工業にとって有用な物質であり,原料として用いれば,原料費を大幅に削減し,精製・廃液プロセスを簡略化することができる。MeOHを原料とした有用物質生産の検討はこれまでにも行われているが,MeOH資化性菌の変異育種が難しいことから,実用的なレベルまで生産性を向上できた例は少ない。本論文はグラム陰性偏性MeOH資化性菌Methylobacillus glycogenesを用いて,MeOHを原料としたアミノ酸生産菌株の変異育種および組み換え手法の応用を試みるとともに,M.glycogenesのスレオニン(Thr),リジン(Lys)生合成酵素に関する解析結果をまとめたもので4章よりなる。

 第1章ではM.glycogenesからのアミノ酸生産変異株の分離について述べている。M.glycogenes ATCC21276株,ATCC21371株を変異処理し,アミノ酸要求変異株の中からグルタミン酸(Glu)生産性が野性株の約10倍に上昇した変異株を得た。これらGlu高生産変異株は数種の薬剤に対して野性株より高い感受性を示し,膜透過性の変化により,Gluを高生産するようになったと考えられた。これら変異株によるMeOHからのGlu生産性はこれまで報告された中で最も高い。つぎにGlu高生産株を変異処理して得られたThr,Lysアナログ耐性株の中からThr生産変異株を得,さらにThr生産株から得たLysアナログ耐性株の中からThr,Lys生産変異株を得ている。

 第2章ではM.glycogenesからのThr,Lys生合成系の調節機構について論じている。M.glycogenesの野性株のThr,Lys生合成系について解析し,フィードバック阻害による生合成酵素の調節機構について明らかにした。いくつかのThr,Lys生合成酵素がThr,Lysに加え,芳香族系アミノ酸に感受性を示すという他微生物には認められたことのない特徴を見いだした。Thr,Lys生合成系と芳香族系アミノ酸生合成系の間に何らかの調節関係が存在する可能性が示唆されたが,得られた全てのThr生産変異株のアスパルトキナーゼはThrによる阻害から脱感作しており,このことがThrを生産する原因と考えられた。Lys生産変異株のジヒドロジビコリン酸シンターゼ活性はLysによる阻害から部分的に脱感作しており,それがLysを生産するようになった原因と推論している。

 第3章ではM.glycogenesのThr生合成遺伝子のDNA塩基配列解析の結果,Thr生合成酵素の一つであるホモセリンデヒドロゲナーゼ(HD)の性質について論じている。大腸菌HD欠損株の栄養要求性の相補により,HDをコードするhom遺伝子を含むDNA断片を取得した。hom遺伝子下流にスレオニンシンターゼ(TS)をコードするthrC遺伝子も見いだし,hom遺伝子とthrC遺伝子はオペロンを成すことをノーザン解析の結果見いだした。HD,TSの推定アミノ酸配列は,他微生物由来のHD,TSのアミノ酸配列に高い相同性を示した。hom遺伝子を含む大腸菌の無細胞抽出液中のHD活性は調製直後アミノ酸に全く感受性を示さなかったが,4℃保存により感受性を回復することを見いだした。解析の結果、4℃で保存中にHDを構成するサブユニット数が増え,アミノ酸に対する感受性を回復したことが示唆された。ホモセリンキナーゼ(HK)をコードするthrB遺伝子についても,大腸菌HK欠損株の栄養要求性相補により取得しDNA塩基配列を解析している。

 第4章では取得したThr生合成遺伝子のThr,Lys生産菌株の育種への応用について論じている。第1節ではThr生合成遺伝子のThr生産性に与える効果を述べている。Thr生合成遺伝子を含む組換えプラスミドを構築してThr生産株に導入したところ,酵素活性は10〜30倍上昇し,Thr生産性はhom遺伝子の導入で約30%,hom-thrC遺伝子の導入で約40%向上した。一方,thrB遺伝子では増殖は著しく阻害され,Thr生産性の向上は認められなかった。

 第2節では相同組換え手法によるHD欠損株取得の試みについて論じている。HDを欠損させればLysの高生産株を造成できる可能性があり,薬剤耐性遺伝子で挿入失活したhom遺伝子と染色体上のhom遺伝子との二点交差法による手法,N末およびC末を欠いたhom遺伝子との一点交差による手法の2つの手法を試みたが,いずれの手法でもHD欠損株が得られなかった理由はHDを欠損することがM.glycogenesに致死的であるためと推論している。

 以上,本論文は新しい発酵原料としてのメタノールに着目してアミノ酸生産を試み,偏性メタノール資化菌Methylobacillus glycogenesを用いて変異育種,組換え手法を応用することによってGlu,Thrを大量生産することに成功し,生合成系遺伝子の解析と育種を行ったもので,学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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