学位論文要旨



No 211893
著者(漢字) 金勝,一樹
著者(英字)
著者(カナ) カネカツ,モトキ
標題(和) 植物のプロテインキナーゼとその基質タンパク質に関する生化学的研究
標題(洋)
報告番号 211893
報告番号 乙11893
学位授与日 1994.09.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第11893号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,元吉
 東京大学 教授 茅野,充男
 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 助教授 長戸,康郎
内容要旨

 プロテインキナーゼは、基質となるタンパク質にATP由来のリン酸基を転移させ、基質タンパク質の持っている機能的活性の変化を誘導する酵素で、生体内の種々の機構の制御に直接関与している。動物や酵母を用いた研究では、細胞外からの様々な刺激による細胞内情報伝達機構や、遺伝子の発現および細胞の分化増殖などの制御機構にプロテインキナーゼが重要な役割を演じていることが明らかにされている。植物細胞でもプロテインキナーゼに関する研究が進められているが、プロテインキナーゼの活性化機構や生理的な機能の点で未解決な多くの問題が残されている。また、プロテインキナーゼの役割を明らかにするためには、標的となる細胞内の基質を同定し、その機能を解析することが重要である。しかしながら植物細胞由来のプロテインキナーゼについて、基質タンパク質を明らかにした報告は極めて限られている。一方、植物細胞には植物ホルモンや光などの動物細胞には見られない要因が、正常に成長するために必須な環境因子として機能している。したがって、植物細胞におけるプロテインキナーゼの役割を明らかにするためには、植物細胞で独自に研究を進める必要がある。

 そこで、本研究では光刺激とプロテインキナーゼとの関わりに視点をあて、光によって誘導される細胞増殖機構および遺伝子発現調節機構に関連するプロテインキナーゼを生化学的に解析した。またこれらのプロテインキナーゼの基質タンパク質を検出し、同定することを試みた。得られた知見の概要は、以下のように要約できる。

光によって誘導されるゼニゴケ培養細胞の増殖機構に関連するプロテインキナーゼ

 ゼニゴケ培養細胞の持つ光に依存して増殖する性質に着目し、本増殖機構に関連するプロテインキナーゼを生化学的に解析した。

 1)ゼニゴケ培養細胞から1.0MKCLを含むBufferで抽出された画分より、DEAE-cellulose、Sephacryl S-200ゲル濾過およびMono Q(HPLC)によって、3種類の異なるプロテインキナーゼ、HK-1(23kDa)、HK-II(47kDa)およびHK-III(28kDa)が精製された。これら3種類のキナーゼのうち特にHK-IIは、(i)histone H1をよくリン酸化すること、(ii)スレオニン残基以外にセリン残基をリン酸化すること、(iii)30℃で60分間の前処理で酵素活性が失活する不安定なキナーゼであること、さらに(iv)低濃度(10-30g/ml)のheparinによってその活性が著しく促進されることなどの特徴を持っていた。これらのHK-IIの持つ酵素化学的特徴は、動物細胞で報告のある既知のキナーゼのものとは異なっており、HK-IIは植物細胞に特有なプロテインキナーゼであることが考えられた。

 2)HK-IIの持つ酵素化学的特徴を利用して、本キナーゼの細胞内特異基質をゼニゴケ培養細胞の粗抽出画分で検索したところ、(i)分子量60kDaのpolypeptide(p60)のリン酸化が、heparinによって著しく促進されたこと、(ii)温度処理をするとp60のリン酸化は検出されなかったこと、さらに(iii)p60はスレオニン残基とセリン残基がリン酸化されていたことが明らかになり、p60はHK-IIの細胞内特異基質であると考えられた。

 3)暗条件で培養し、増殖を停止していたゼニゴケ培養細胞に光を照射し、細胞増殖時に細胞内でリン酸化されるpolypeptideの解析をしたところ、光照射24時間後に分子量60kDaのpolypeptideのリン酸化が認められた。本60kDaのpolypeptideのリン酸化アミノ酸は、スレオニン残基とセリン残基であり、p60のものと一致した。これらの事実から、光によって誘導されるゼニゴケ培養細胞の増殖機構の過程で、HK-IIによるp60のリン酸化が関与していることが示唆された。

2.葉緑体遺伝子の発現調節機構に関連するカゼインキナーゼII(CK-II)およびその特異基質34kDa RNA結合性タンパク質(p34)

 光によって遺伝子発現が誘導される葉緑体を用い、遺伝子発現の制御に重要な役割を演じていると考えられているカゼインキナーゼII(CK-II)について生化学的に解析した。

 1)葉緑体を豊富に含むゼニゴケ培養細胞およびホウレンソウ葉緑体から1.0M KClを含むBufferで抽出された画分より、heparin-agaroseおよびHPLCによるゲル濾過で、動物細胞のCK-IIと同じサブユニット構造をもつ22型CK-II(140kDa)と、植物細胞に特有のmonomericな型CK-II(38kDa)が精製され、葉緑体中にもCK-IIが存在することが明らかになった。

 2)22型CK-IIの酵素化学的性質は、動物細胞由来のCK-IIのそれらと極めてよく一致した。型CK-IIに関しては、動物細胞ではほとんど報告がなく、動物細胞とは異なる存在様式や役割を持つ可能性が考えられた。型CK-IIの活性が、葉緑体1.0M KCl粗抽出画分の総CK-II活性の90%以上を占めていた。

 3)CK-IIのホウレンソウ葉緑体内基質タンパク質の検索をheparin-agarose非吸着画分を用いて行ったところ、CK-IIによる分子量34kDaのpolypeptide(p34と命名)のリン酸化が、0.3-10g/mlのdsDNA(calf tymus由来)存在下で著しく促進された。本画分中からp34を、DEAE-celluloseカラムクロマトグラフィー、Sephacryl S-300ゲル濾過、DNA-celluloseカラムクロマトグラフィーおよびMono Qカラムクロマトグラフィー(HPLC)によって単一polypeptideまで精製した。

 4)精製p34は、(i)そのN末端部分一次構造が、ホウレンソウ葉緑体由来の分子量28kDaのRNA結合因子[28kDa ribonucleoprotein(28RNP)]と95%の相同性があること、(ii)RNAに対して強い結合活性を持つことが明らかになったことから、葉緑体遺伝子の転写後制御の過程でmRNA3’末端プロセッシングに重要な役割を果たす28RNPファミリーに属するribonucleoprotein(RNP)であると同定された。

 5)p34はCK-II以外のキナーゼによってリン酸化されないCK-IIの特異基質であった。

 6)p34のCK-IIによるリン酸化はDNAおよびRNAによって著しく促進された。CDスペクトルの解析から、DNAもしくはRNAによってp34の立体構造の変化が誘導されることが明らかになり、p34はDNAもしくはRNAと結合するとCK-IIによって著しくリン酸化されやすい立体構造になると考えられた。

 7)精製p34を抗原として、p34を特異的に認識する抗体を作製した。

 8)各種植物の葉緑体画分を用い、DNA存在下でCK-IIによるリン酸化が促進されるpolypeptideの解析および抗p34抗体を用いた免疫沈降法による解析から、双子葉植物であるタバコでは28kDa、単子葉植物であるトウモロコシでは29kDa、さらに蘚苔類であるゼニゴケでは38kDaの葉緑体polypeptideが、CK-IIの葉緑体内基質となり、ホウレンソウp34と共通の機能を持つRNPであると考えられた。

 これらの結果から、植物種に共通して葉緑体mRNAの転写後制御の過程で、RNP-mRNA複合体の生理機能の調節にCK-IIが重要な役割を果たしていることが示唆された。

 以上要するに、本研究では植物細胞からプロテインキナーゼを分離精製しその性質を生化学的に解析し、さらに精製されたプロテインキナーゼの基質となる細胞内タンパク質を検索した。これらの解析から、光刺激によって細胞増殖が誘導されるゼニゴケ培養細胞中には、heparinによって活性化される植物細胞に特有なHK-IIが関与する機構が存在することが明らかになった。また、葉緑体の遺伝子発現機構では、CK-IIの葉緑体内基質として葉緑体mRNA3’末端プロセッシングに重要な役割を果たすribonucleoprotein(p34)を同定することができ、葉緑体の遺伝子発現の転写後制御機構の過程にCK-IIが関与することが明らかになった。

審査要旨

 動物や酵母を用いた研究では,細胞内情報伝達や,遺伝子発現および細胞の分化増殖などの制御機構にプロテインキナーゼが重要な役割を演じていることが明らかにされている。しかしながら植物細胞では,プロテインキナーゼの生理的な機能について未解決な問題が多く残されている。また,植物の正常な成長には,植物細胞に特有の要因である植物ホルモンや光が必須の環境因子として機能している。

 そこで,本研究では光刺激とプロテインキナーゼとの関わりに視点をあて,光によって誘導される細胞増殖機構および遺伝子発現調節機構に関連するプロテインキナーゼとその基質タンパク質について生化学的に解析した。得られた知見の概要は,以下のように要約できる。

1.光によって誘導されるゼニゴケ培養細胞の増殖機構に関連するプロテインキナーゼ

 1)光に依存して増殖する性質を持つゼニゴケ培養細胞から,各種カラムクロマトグラフィーで3種類の異なるプロテインキナーゼ,HK-I(23kDa),HK-II(47kDa)およびHK-III(28kDa)が精製された。これらのうち特にHK-IIは,(i)histone H1をよくリン酸化すること,ii)スレオニン残基以外にセリン残基をリン酸化すること,(iii)30℃で60分間の前処理で酵素活性が失活する不安定なキナーゼであること,さらに(iv)低濃度のheparinによってその活性が著しく促進されるなどの特徴を持っていた。これらの特徴は,動物細胞由来の既知のキナーゼのものとは異なっており,HK-IIは植物細胞に特有なプロテインキナーゼであることが考えられた。

 2)HK-IIの酵素化学的特徴を利用して,HK-IIの細胞内特異基質をin vitroの反応系で検索したところ,分子量60kDaのポリペプチド(p60)が検出された。

 3)暗条件から明条件に変えると細胞増殖が進むが,明条件に変えてから24時間後には,p60のリン酸化が認められた。このような事実から,光によって誘導されるゼニゴケ培養細胞の増殖の過程で,HK-IIによるp60のリン酸化が関与していることが示唆された。

2.葉緑体遺伝子の発現調節機構に関連するカゼインキナーゼII(CK-II)およびその特異基質タンパク質

 1)ゼニゴケ培養細胞およびホウレンソウ葉内細胞の葉緑体から,heparin-agaroseおよびHPLCによるゲル濾過により,カゼインキナーゼII(CK-II)の2分子種を分離精製した。

 2)植物細胞には,動物細胞CK-IIと同じサブユニット構造を持つ22型CK-II(140kDa)と,植物細胞に特有の型CK-II(38kDa)が存在し,葉緑体の総CK-II活性の90%以上は型CK-IIであった。

 3)CK-IIのホウレンソウ葉緑体内基質タンパク質として,分子量34kDaのポリペプチド(p34と命名)が検出され,p34を各種クロマトグラフィーによって単一ポリペプチドになるまで精製した。

 4)精製p34は,N末端部分一次構造およびRNA結合活性の解析から,葉緑体遺伝子の転写後制御の過程でmRNA3’末端プロセッシングに重要な役割を果たす28kDaのRNA結合性タンパク質(28RNP)と同じファミリーに属するRNPであると同定された。

 5)p34はCK-II以外のキナーゼによってリン酸化されないCK-IIの特異基質であった。

 6)p34はRNAまたはDNAと結合すると,その立体構造の変化が誘導されることが明らかになった。このようなことから,p34はDNAもしくはRNAと結合すると,CK-IIによって著しくリン酸化され易い立体構造になると考えられた。

 7)抗p34抗体を用いた免疫沈降法およびCK-IIによるリン酸化に対するDNAの促進効果の解析から,双子葉植物であるタバコ,単子葉植物であるトウモロコシ,さらに蘚苔類であるゼニゴケの葉緑体にも,ホウレンソウp34と共通の機能を持つと考えられるRNPが存在することが明らかになった。

 これらの結果から,植物種に共通して葉緑体mRNAの転写後制御の過程で,RNP-mRNA複合体の生理機能がCK-IIによって調節されていることが示唆された。

 本研究により,光によって細胞増殖が誘導されるゼニゴケ培養細胞中には,heparinで活性化される植物細胞に特有なHK-IIが関与する機構が存在することが明らかになった。また,葉緑体の遺伝子の転写後制御機構では,CK-IIによるRNA結合性タンパク質のリン酸化が重要な役割を果たしていることが明らかになった。これらの成果は学術上,応用上寄与することが大きい。よって審査員一同は申請者に博士(農学)の学位を与える価値があることを認めた。

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