審査要旨 | | 動物や酵母を用いた研究では,細胞内情報伝達や,遺伝子発現および細胞の分化増殖などの制御機構にプロテインキナーゼが重要な役割を演じていることが明らかにされている。しかしながら植物細胞では,プロテインキナーゼの生理的な機能について未解決な問題が多く残されている。また,植物の正常な成長には,植物細胞に特有の要因である植物ホルモンや光が必須の環境因子として機能している。 そこで,本研究では光刺激とプロテインキナーゼとの関わりに視点をあて,光によって誘導される細胞増殖機構および遺伝子発現調節機構に関連するプロテインキナーゼとその基質タンパク質について生化学的に解析した。得られた知見の概要は,以下のように要約できる。 1.光によって誘導されるゼニゴケ培養細胞の増殖機構に関連するプロテインキナーゼ 1)光に依存して増殖する性質を持つゼニゴケ培養細胞から,各種カラムクロマトグラフィーで3種類の異なるプロテインキナーゼ,HK-I(23kDa),HK-II(47kDa)およびHK-III(28kDa)が精製された。これらのうち特にHK-IIは,(i)histone H1をよくリン酸化すること,ii)スレオニン残基以外にセリン残基をリン酸化すること,(iii)30℃で60分間の前処理で酵素活性が失活する不安定なキナーゼであること,さらに(iv)低濃度のheparinによってその活性が著しく促進されるなどの特徴を持っていた。これらの特徴は,動物細胞由来の既知のキナーゼのものとは異なっており,HK-IIは植物細胞に特有なプロテインキナーゼであることが考えられた。 2)HK-IIの酵素化学的特徴を利用して,HK-IIの細胞内特異基質をin vitroの反応系で検索したところ,分子量60kDaのポリペプチド(p60)が検出された。 3)暗条件から明条件に変えると細胞増殖が進むが,明条件に変えてから24時間後には,p60のリン酸化が認められた。このような事実から,光によって誘導されるゼニゴケ培養細胞の増殖の過程で,HK-IIによるp60のリン酸化が関与していることが示唆された。 2.葉緑体遺伝子の発現調節機構に関連するカゼインキナーゼII(CK-II)およびその特異基質タンパク質 1)ゼニゴケ培養細胞およびホウレンソウ葉内細胞の葉緑体から,heparin-agaroseおよびHPLCによるゲル濾過により,カゼインキナーゼII(CK-II)の2分子種を分離精製した。 2)植物細胞には,動物細胞CK-IIと同じサブユニット構造を持つ22型CK-II(140kDa)と,植物細胞に特有の型CK-II(38kDa)が存在し,葉緑体の総CK-II活性の90%以上は型CK-IIであった。 3)CK-IIのホウレンソウ葉緑体内基質タンパク質として,分子量34kDaのポリペプチド(p34と命名)が検出され,p34を各種クロマトグラフィーによって単一ポリペプチドになるまで精製した。 4)精製p34は,N末端部分一次構造およびRNA結合活性の解析から,葉緑体遺伝子の転写後制御の過程でmRNA3’末端プロセッシングに重要な役割を果たす28kDaのRNA結合性タンパク質(28RNP)と同じファミリーに属するRNPであると同定された。 5)p34はCK-II以外のキナーゼによってリン酸化されないCK-IIの特異基質であった。 6)p34はRNAまたはDNAと結合すると,その立体構造の変化が誘導されることが明らかになった。このようなことから,p34はDNAもしくはRNAと結合すると,CK-IIによって著しくリン酸化され易い立体構造になると考えられた。 7)抗p34抗体を用いた免疫沈降法およびCK-IIによるリン酸化に対するDNAの促進効果の解析から,双子葉植物であるタバコ,単子葉植物であるトウモロコシ,さらに蘚苔類であるゼニゴケの葉緑体にも,ホウレンソウp34と共通の機能を持つと考えられるRNPが存在することが明らかになった。 これらの結果から,植物種に共通して葉緑体mRNAの転写後制御の過程で,RNP-mRNA複合体の生理機能がCK-IIによって調節されていることが示唆された。 本研究により,光によって細胞増殖が誘導されるゼニゴケ培養細胞中には,heparinで活性化される植物細胞に特有なHK-IIが関与する機構が存在することが明らかになった。また,葉緑体の遺伝子の転写後制御機構では,CK-IIによるRNA結合性タンパク質のリン酸化が重要な役割を果たしていることが明らかになった。これらの成果は学術上,応用上寄与することが大きい。よって審査員一同は申請者に博士(農学)の学位を与える価値があることを認めた。 |