学位論文要旨



No 211898
著者(漢字) 川崎,富久
著者(英字)
著者(カナ) カワサキ,トミヒサ
標題(和) 各種血栓モデルにおける改変型組織プラスミノーゲンアクチベーターの血栓溶解作用に関する研究
標題(洋)
報告番号 211898
報告番号 乙11898
学位授与日 1994.09.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第11898号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 菅野,茂
 東京大学 助教授 西村,亮平
内容要旨

 近年、生活習慣の欧米化、人口の高齢化などに伴い、心筋梗塞をはじめとする血栓塞栓性疾患患者は年々増加し、その安全かつ確実な治療法の確立が急がれている。血栓症に対する内科的治療の主体は、抗凝固療法、抗血小板療法および血栓溶解療法である。しかし、一旦形成された血栓は溶解する以外に手段がなく、血栓溶解療法に関する研究は目ざましい発展を遂げてきた。

 従来、この目的にはストレプトキナーゼ(SK)やウロキナーゼ(UK)等が用いられてきたが、これらの薬剤にはフィブリン親和性がないため、全身線溶活性を亢進させることにより副作用としての出血傾向を惹起することが知られている。一方、フィブリン親和性の高い組織プラスミノーゲンアクチベーター(t-PA)が開発されて以来、血栓症治療に広汎に用いられつつあるが、t-PAも臨床投与量においては必ずしも血栓特異的な薬剤ではなく、SKやUKほどではないが全身線溶活性の亢進をもたらすこと、血栓溶解後の急性再閉塞の頻度が高いことなど、問題点が指摘されている。これらはt-PAの生体内半減期が極端に短く(T1/2<5min)、高用量での持続投与を余儀なくされるために生じた問題と考えられる。このため、遺伝子工学的にt-PA分子中のアミノ酸の改変を行い、天然型分子の酵素活性やフィブリン親和性を保持したまま血中半減期の延長した改変型t-PAを作成する試みが盛んに行われた。

 著者らは、天然型t-PA分子のクリングル-1領域の欠失(del.92-173)と一本鎖から二本鎖への開裂部位におけるアミノ酸点変異(275Arg→Glu)を組み合わせた新規改変型t-PAであるYM866を開発した。本研究は、まずYM866の生化学的特性を明きらかにし、次いで各種実験的血栓症における血栓溶解活性を、従来最も頻用されているt-PA製剤(Alteplase;ACTIVASER,Genentech社、以下APと略す)を対照薬として比較検討し、その臨床的有用性を明らかにする目的で実施した。

 YM866のプラスミノーゲンアクチベーター活性は、フィブリン塊溶解時間法および合成基質法を用いて検討した。その結果、比活性は、APおよび一本鎖t-PAとほぼ同等であった。酵素反応速度論において、YM866は一本鎖t-PAに近いKcat/Km値を示した。また、臨床的有用性の1つの指標となるフィブリンおよびリジンセファロース親和性についても、APおよび一本鎖t-PAと同等であった。また、フィブリン依存性はAPより大きく、これは可溶性フィブリン非存在下でのプラスミノーゲンアクチベーター活性化能が小さいことを反映しており、血栓存在部位において効率的に線溶活性を発現しうる可能性が示唆された。ところが、ヒトおよびイヌ血漿塊におけるYM866のin vitroでの血栓溶解活性は、APの約1/3に低下しており、上記YM866の良好な生化学的特性を必ずしも反映してはいないことが明きらかになった。

 ラットを用いたYM866の生体内代謝に関しては、血中濃度下面積(AUC)および平均滞留時間の比較から、YM866の血漿中抗原量は、APより6倍〜8倍持続的であった。t-PAは、肝臓で即時的にクリアランスを受けることが報告されており、YM866の場合、肝実質細胞あるいは肝非実質細胞への取り込みが抑えられていることが推察された。

 以上の結果より、YM866の比活性およびフィブリン親和性はAPと同程度に保持され、フィブリン依存性はAPより優れていた。また、血漿中でのin vitro血栓溶解活性はAPに劣るもののラットを用いた代謝学的検討から生体内に投与されたYM866のクリアランスの改善は顕著であり、in vivoにおける優れた血栓溶解作用が期待された。

 次にin vivoにおける各種血栓症モデルにおける本薬剤の効果を検討した。第一に、モルモットの腸間膜動脈における、光と蛍光色素の反応による血小板血栓に対して、YM866は良好な血管狭窄率の改善と血栓溶解成功例頻度の増加を示した。またその作用は、APの3倍と高い血栓溶解活性を示した。この時の線溶系の各パラメーターの変化からは、両薬剤ともに2-プラスミンインヒビターの用量依存的な低下が認められたものの、フィブリノーゲンの変動は認められず、両薬剤の血栓特異性が示唆された。また、投与1時間後の血中抗原量の測定からYM866の血中抗原量はAPの4倍〜7倍の高値を維持していた。

 一般に、血小板血栓はt-PAによる線溶に抵抗性を示し、その原因として、血小板顆粒内に存在し血小板活性化とともに放出される PAI-1やフィブリンのクロスリンクに関与するXIII因子の影響が重要視されている。YM866のPAI-1抵抗性はAPと変わらないこと、今回実験に使用した血栓モデルは急性のものであることから、これらが両薬剤の薬効差を反映したとは考えにくく、主にクリアランスの差に起因するものと考えられた。

 以上から、YM866は血小板血栓に対して単回静注で全身線溶活性の亢進を伴うことなく優れた血栓溶解活性を発現し、不安定狭心症をはじめとする血小板の関与が大きいと考えられる病態に対する治療薬として有用であると考えられた。

 第二の血栓症モデルとして、イヌの冠動脈内に銅コイルを留置することにより作成したフィブリン血栓を用いて、静脈内投与における血栓溶解活性を検討した。されに、血栓のagingと血栓溶解活性の関係を明らかにするため、形成後1、3、6時間後の血栓に対する効果を検討した。また、冠動脈内投与における血栓溶解活性について検討し静脈内投与における成績と比較した。その結果、YM866は、単回静脈内投与でAPの2倍〜4倍の活性を示し、かつAPの点滴静脈内投与に優る再開通率を示し、再開通時間の短縮も認められた。さらに、APは血栓のagingに伴い血栓溶解活性が顕著に低下したのに対し、YM866はagingの影響を受けにくく、形成後6時間の血栓においても良好な再開通率を示した。再閉塞は、両薬剤の投与量の増加に伴い発生頻度が低下した。この間の両薬剤の血液線溶系パラメーターに及ぼす影響は小さかった。血栓溶解に最も抵抗性を示した6時間血栓モデルにおける100%再開通用量において、YM866は30%、APは30〜50%の血中フィブリノーゲンの低下を示した。血中抗原量の推移から、YM866の顕著な血中持続性が確認され、両薬剤の血栓溶解活性の効力差は主にクリアランスの差に起因するものであると考えられたが、フィブリンのpolymerizationと血栓溶解活性の関係については今後検討の必要性が示唆された。

 一方、冠動脈内への直接投与では、6時間血栓モデルに対して、YM866は単回投与でAPの単回および4回投与の2倍〜4倍の高い再開通率を示した。YM866の冠動脈への単回投与における100%再開通用量は静脈内投与量の1/2であり、本用量においては血中フィブリノーゲシの分解はほとんど認められなかった。これらの結果より、フィブリン親和性の高い薬剤でも局所投与を行えばより少ない用量で高い再開通率を得ることができ、かつ全身性副作用の発現頻度を減少させうる可能性があることが示唆され、YM866の冠動脈内投与は有用な投与方法となりうると思われた。

 第三に、ウサギの頸静脈にトロンビンと自家血により赤色血栓を作成し、YM866の静脈血栓に対する血栓溶解作用を検討した。YM866は単回静脈内投与でAPの単回および点滴静脈内投与の4倍以上の高い血栓溶解活性を発現した。両薬剤の血中抗原量の測定から、YM866の血中抗原量はAPの6倍〜11倍の高値を維持していた。また、両薬剤ともに血中フィブリノーゲンの低下および出血時間の延長は認められなかった。

 一般に深部静脈血栓症の場合、急性心筋梗塞に比べ、その病態の致死性や重症度あるいは治療の緊急性から血栓溶解療法の適用が遅くなることが考えられる。今回、使用した血栓モデルは形成後30分を経た新鮮血栓であるが、第二のモデルで検討したように、より時間の経過した静脈血栓においてはYM866とAPの血栓溶解活性の差はより大きくなるものと予想される。

 以上から、ウサギ頸静脈血栓モデルに対してもYM866は単回静脈内投与で全身線溶活性の亢進および出血時間の延長を伴うことなくAPに優る血栓溶解活性を示した。

 以上を総合すると、YM866はt-PAの長所である酵素活性およびフィブリン親和性を伴うことなくin vivoでのクリアランスを顕著に改善した新規改変型t-PAであり、種々の血栓症モデルにおいて、全身線溶活性の亢進を伴わない用量での単回投与でAPより優れた血栓溶解活性を発現し、急性心筋梗塞をはじめとする血栓塞栓性疾患の治療薬として有用な血栓溶解剤となりうることが示唆された。

審査要旨

 近年,心筋梗塞等の血栓塞栓性疾患は年々増加する傾向にあり,安全かつ確実な治療法の確立が急がれている。血栓症に対する内科的治療としては,抗凝固療法,抗血小板療法とともに血栓溶解療法が実施される。従来,この目的にはストレプトキナーゼ(SK)やウロキナーゼ(UK)等が用いられてきたが,これらの薬剤にはフィブリン親和性がないため,その投与が全身線溶活性を亢進させ,出血傾向を惹起することが知られている。一方,フィブリン親和性の高い組織プラスミノーゲンアクチベーター(t-PA)が開発されて以来,血栓症治療に広汎に用いられつつあるが,t-PAも臨床投与量においては必ずしも血栓特異的な薬剤ではなく,SKやUKほどではないが全身線溶活性の亢進をもたらすこと,血栓溶解後の急性再閉塞の頻度が高いことなど,問題点が指摘されている。これらの理由の1つはt-PAがきわめて短時間は代謝されるため,大量投与を必要とすることにあると考えられている。著者らは,天然型t-PA分子からより持続的作用の期待される新規改変型t-PAであるYM866を開発した。本研究は,本剤の各種実験的血栓症モデルにおける血栓溶解活性を,従来最も頻用されているt-PA製剤(Alteplase:ACTIVASE,Genentech社,以下APと略す)を対照薬として比較検討し,その臨床的有用性を明らかにする目的で実施した。

 第2章では,YM866の生化学的性質およびラントを用いた代謝学的検討を行った。その結果,t-PAの長所である比活性およびフィブリン親和性は,APとほぼ同等であり,またフィブリン依存性はより優れていた。ところが,ヒトおよびイヌ血漿塊における血栓溶解活性は,APの約1/3に低下しており,YM866に対する血漿中のインヒビターの存在が示唆された。ラットを用いた生体内代謝に関しては,血中濃度下面積(AUG)の比較から,YM866の血漿中抗原量は,APより約7倍持続的であった。

 第3章以降においては,各種血栓症モデルを用いて,本薬剤の効果ならびに副作用等の出現について検討した。第一に,不安定狭心症をはじめとする血小板の関与が大きいと考えられる病態に対する有用性を検索するため,モルモットの腸間膜動脈に作成した光と蛍光色素の反応による血小板血栓に対する作用を検討した。YM866は単回静脈内投与で良好な血管狭窄率の改善と血栓溶解成功例の増加を示した。この際,血漿フィブリノーゲンの変動は認められなかった。

 第二の血栓症モデルとして,急性心筋梗塞に対する有用性を検討するため,イヌの冠動脈内に銅コイルを留置することによりフィブリン血栓を作成した。本モデルにおいて,静脈内投与による血栓溶解活性を明らかにすると同時に,冠動脈内投与を行い,静脈内投与の成績と比較した。その結果,YM866は,単回静脈内投与でAPの点滴静脈内投与に優る再開通率を示し,再開通時間の短縮も認められた。また,十分な再開通率が得られる用量では再閉塞率の低下を認めた。さらに,YM866は血栓のagingの影響を受けにくく,形成後6時間の血栓においても良好な再開通率を示した。この際,血漿中のフィブリノーゲンの変動は小さく,また血中抗原量の推移から,YM866の顕著な血中持続性が確認された。一方,冠動脈内への直接投与では,YM866は単回投与でAPの4回投与より高い再開通率と再開通時間の短縮が認められた。また,100%の再開通率が得られる用量は,静脈内単回投与の場合の1/2であり,血中フィブリノーゲンの分解は全く認められなかった。

 第三に,静脈血栓に対する有用性を検索するため,ウサギの頸静脈にトロンビンと自家血により作成した赤色血栓に対する血栓溶解作用を検討した。YM866は単回静脈内投与で全身線溶活性の亢進および出血時間の延長を伴うことなくAPの単回および点滴静脈内投与より優れた血栓溶解活性を発現した。

 これら3つの血栓モデルを用いた血栓溶解作用の検討から,YM866は単回投与でt-PAよりすぐれた血栓溶解効果をもつこと,それが主にYM866の生体内クリアランスの改善に起因することが明らかとなった。このことは,きわめて緊急な治療を行う必要のある血栓症に第一選択として静脈内単回投与を実施しうる可能性を示唆するものであり,その有用性はきわめて高いと思われた。また,急性心筋梗塞ばかりか,t-PAでは未だ確立されていない不安定狭心症や深部静脈血栓症への臨床応用の可能性も示された。

 以上要するに本論文は,新しく開発されたt-PA改変体の血栓溶解作用をさまざまなモデルを用いて解析し,その臨床有用性を確立したものであり,臨床応用上貢献するところは少なくない。よって,審査員一同は,本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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