学位論文要旨



No 211899
著者(漢字) 西村,洋治
著者(英字)
著者(カナ) ニシムラ,ヨウジ
標題(和) 術後早期合併症からみた膵移植手術術式の実験的検討
標題(洋)
報告番号 211899
報告番号 乙11899
学位授与日 1994.09.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第11899号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土田,嘉昭
 東京大学 助教授 三條,健昌
 東京大学 助教授 上西,紀夫
 東京大学 講師 河原崎,秀雄
 東京大学 講師 万代,恭嗣
内容要旨

 緒言 膵移植はI型糖尿病の根治的治療法として欧米では定着した。しかし標準的手術手技はまだなく、各術式に関連するさまざまな合併症が報告され、その移植成績も満足できるものではない。また移植膵の拒絶反応のスクリーニング法も確実で定型的なものはない。今回著者はイヌを用い、欧米で最も多く臨床的に行われている全膵十二指腸移植を採用し、膵液膀胱誘導法と胃腸管誘導法とを比較した。また、術後早期合併症として血栓症・電解質異常・低血糖を取り上げ、その発生機序、予防法につき検討した。また、移植膵と移植十二指腸の拒絶反応における臓器相関につき検討し、移植十二指腸生検で移植膵の拒絶反応のモニタリングができるかどうか検討した。

 方法 イヌ全膵十二指腸移植で、膵液誘導法と術後管理法で6群に分けた。

 第1群:膵液膀胱誘導法で移植十二指腸は約13cmとした。(n=15)

 第2群:膵液膀胱誘導法で平均12.6cmの移植十二指腸を用い、術後緻密な輸液管理を行った。即ち術後1週間、1日尿量と同量のSolulactR(lactated Ringer液)を、Soldem 3AR(Na+=35,K+=20,Cl-=35mEq/L,glucose=4.3%)による50mL/kg/dayの維持輸液に追加して、次の24時間に持続投与した。(n=8)

 第3群:膵液膀胱誘導法で移植十二指腸は平均5.1cmと可及的に短くした。(n=8)

 第4群:膵液空腸誘導法で術後定期的に開腹膵生検で拒絶反応の有無を見た。(n=9)

 第5群:膵管catheterで膵液体外誘導法とした。(n=6)

 第6群:膵液胃誘導法で術後定期的に胃内視鏡下移植十二指腸生検を実施した。(n=13)

 第2群以降heparin sodium 5000単位/日を術後1週間持続投与した。術後定期的に血液尿生化学検査を行い、死亡した場合直ちに解剖し、主たる死因を以下のごとく定義した。

 (1)血栓性膵壊死:肉眼的に明確な膵壊死があり、組織学的に血栓を確認できたもの。

 (2)腹腔内出血:hematocritが10%以上の血液が100mL以上腹腔内に貯留しているもの。

 (3)電解質異常:剖検で致命的所見がなく、死亡前24時間以内の血清Na+値が120mEq/L未満、K+値が6.0mEq/L以上、Cl-値が80mEq/L未満の時。

 (4)低血糖:良好な麻酔覚醒後、全身状態が急激に悪化、死亡したイヌで、剖検で致命的所見がなく、手術翌日空腹時血糖値(FBS)が50mg/dL未満のもの。

 結果 6日以上生存犬でその平均生存日数を見てみると、第1・2・3・4・6群はそれぞれ8.2±1.1,16.0±2.6,11.0±3.1,157.8±43.9,172.8±145.3日(平均値±標準誤差、以下同じ)であった。膵液空腸誘導法の第4群は、膀胱誘導法の第1・2・3群より有意に(p<0.05)長期生存し、同じ膀胱誘導法でも緻密な輸液管理を行った第2群は第1群に比べ有意に(p<0.05)生存が延長した。血栓性膵壊死・腹腔内出血・電解質異常と低血糖は全群中それぞれ5頭(8%),14頭(24%),12頭(20%),8頭(14%)に発症した。それぞれ死因別に術後平均9.0±2.9,0.5±0.1,10.4±1.9,1.0±0.0日に死亡した。

 [1]血栓性膵壊死:初期の16頭のheparin非使用例では血栓性膵壊死が4頭(25%)と非常に多く、以後の43頭ではheparinを使用し、血栓性膵壊死を1頭(2%)と有意に(p<0.01)減少させ得た。腹腔内出血はそれぞれ5頭(31%)と9頭(21%)で頻度に有意差はなかった。

 [2]電解質異常:電解質異常死したイヌの死亡直前血清電解質はNa+=111.7±3.2,K+=7.1±0.6,Cl-=73.1±5.1mEq/Lといずれも致命的な低Na+Cl-、高K+を示していた。電解質異常は膵液胃腸管誘導法の第4・5・6群では28頭中0頭に対し、膀胱誘導法の第1・2・3群では31頭中12頭(39%)で起こり、有意に(p<0.005)多かった。胃腸管誘導法に比べ膀胱誘導法では、有意に尿量と尿中Na+C1-排出が増加し、同じ膀胱誘導法でも十二指腸を短くすると、有意に尿量と尿中Na+が減少した(第2・3群の比較)(表1)。第2群で術後緻密に輸液管理を行ったところ電解質異常が補正されたが、輸液管理を中止すると全例急速に全身状態が悪化し、1例を除き電解質異常で輸液中止後5.2±1.3日で死亡した。

表1 イヌ膵移植後1日平均尿量と電解質排出量(平均値±標準誤差)

 [3]低血糖:8頭の致命的低血糖のイヌの死亡直前FBSは37.0±6.0mg/dLで、血清immunoreactive insulin値(s-IRI)は108.2±65.4mU/Lであった。術翌日の血清amylase値(s-AMY)とs-IRIの間に正の相関があり(r=0.521,p<0.05)、s-AMYとFBSの間に負の相関があった(r=-0.591,p<0.005)ので、術翌日のFBSが80mg/dL以上のイヌを正常血糖群として低血糖群と比較すると、術翌日のs-AMYはそれぞれ2346±289,10291±1982IU/Lで、後者で有意に(p<0.01)上昇していた。術翌日のs-AMYが8000IU/L以上を移植膵炎として2000IU/L未満の非膵炎詳と比較すると、術翌日のs-IRIはそれぞれ149.0±95.0,30.3±11.3む/Lで、前者で有意に(p<0.01)上昇していた。また、全阻血時間を90分未満と以上で2群に分け、術翌日のFBSを比較したところ、それぞれ79.7±5,0,61.0±4.7mg/dLで、後者で有意に(p<0.025)低下していた。

 [4]移植膵十二指腸の拒絶診断:十分に剖検所見がとれたイヌ24頭について、剖検標本上膵の急性拒絶反応7例中5例に十二指腸の急性拒絶反応が同時合併し、逆に十二指腸の急性拒絶反応5例は全例に膵の急性拒絶反応を伴っていた。慢性拒絶反応は6例すべて同時合併していた。診断不一致例は、膵が急性拒絶反応で十二指膓が正常であった2例だけであった。以上から移植十二指腸から見た移植膵の拒絶診断の一致率は24例中22例(92%)であった。第4群では4頭につき5回の開腹膵生検を実施し、正常3回・急性拒絶反応1回・慢性拒絶反応1回の確定診断を得たが、生検部膵液瘻・出血で4頭中1頭が死亡した。第6群では3頭につき14回、胃内視鏡下移植十二指腸生検を実施した。移植十二指腸の急性拒絶反応の診断を得るためには粘膜下層の所見が必要と判断されたが、14回中9回(64%)で粘膜下層が採取できた。移植十二指腸生検による拒絶診断と、膵液中AMYの低下による拒絶診断の一致率は11回中8回(73%)であった。なお3頭中1頭が麻酔のトラブルで死亡した。第5群で膵液採取ができたのは6頭中1頭だけで、この術式は中止した。

 考察 [1]血栓性膵壊死:全膵十二指腸移植を採用したのは、部分膵移植に比べ血管床が増加し血栓症が少ないと言われているためである。今回術後8%に血栓性膵壊死が起こったが、国際登録集計とほぼ同じ頻度であった。術後1週間のheparin 5000単位/日の持続静脈内投与は体重約10kgのイヌにはかなり多い量であるが、術後は著萌な血液濃縮で凝固能が亢進していることを考慮した。これにより腹腔内出血死を増加させることなく血栓性膵壊死は25%から2%に減少した。Heparin療法は安全で有効な方法と思われた。

 [2]電解質異常:膵液膀胱誘導法は胃腸管誘導法に比べ、尿AMYを拒絶診断に利用できるが非生理的である。電解質異常死が膀胱誘導法で39%もあるのは大量の膵十二指腸液の尿中喪失が原因と考えられた。十二指腸の長さが平均12.6cmの第2群と平均5.1cmの第3群で、それぞれ1日平均尿量は1530mLと1140mLで、差の390mLが7.5cmの十二指腸からの1日の分泌液に相当すると考えられる。第3群と第4群の1日平均尿量の差は380mLて、これが5.1cmの十二指腸と膵からの分泌液の合計に当たると考えられる。従って計算上10cm当たりの十二指腸液は520mL/day、膵液は115mL/dayで、水分喪失の主たる原因は膵液ではなく、十二指腸液であると言える。しかし、十二指腸の短縮や術後緻密な輸液管理は電解質異常の防止に抜本的効果なく、イヌでは膵液膀胱誘導法それ自体が致命的であった。臨床ではsodium bicarbonate等の内服で、多くの場合問題は起きないと報告されている。

 [3]低血糖:臨床では膵移植後の低血糖の報告はほとんどないが、イヌやラットでは低血糖によると思われる早期死亡が報告され、膵の阻血障害やsteroidの非投与等がその原因と推論されている。今回の実験でも阻血の長い群でFBSは有意に低下し、阻血障害が低血糖の一因であることが示唆された。阻血障害にともない膵組織からinsulinやamylaseが血中に逸脱し、低血糖や高amylase血症が引き起こされたと考えるのが妥当である。

 [4]移植膵十二指腸の拒絶診断:拒絶診断における膵と十二指腸の臓器相関はラットやイヌで検討され、今回の実験と同様にいずれもよく相関すると報告されている。従って膵液胃誘導法術後、胃内視鏡下移植十二指腸生検と膵液採取・膵液細胞診・膵液AMY測定で、かなり精度の高い拒絶反応診断が可能と思われた。

 結語

 1.Heparinの膵移植後1週間持続静脈内投与で、血栓性膵壊死を有効に防止できた。

 2.膵液膀胱誘導法は、体液喪失による電解質異常のためイヌでは致命的膵移植術式であった。移植十二指腸の短縮や術後緻密な輸液管理は電解質異常の予防に抜本的効果はなかった。膵液より十二指腸液喪失の方が電解質異常に強く影響していた。

 3.膵移植後低血糖は、阻血障害によるinsulinの急激な血中逸脱によると示唆された。

 4.膵液胃誘導法後移植十二指腸生検で移植膵の拒絶診断ができる可能性が示唆された。

審査要旨

 本研究は膵移植におけるさまざまな膵液誘導術式の優劣を明らかにするために、59回のイヌ同種全膵十二指腸移植において、生存率と術後早期合併症の解析を試みたものであり下記の結果を得ている。

 1.膵液空腸誘導法は、膀胱誘導法より有意に長期生存し、同じ膀胱誘導法でも緻密な輸液管理を行うと有意に生存が延長した。膵液胃誘導法は、有意ではなかったが、膀胱誘導法より長期生存する傾向にあった。全59回のうち、術後早期合併症として、血栓性膵壊死・腹腔内出血・電解質異常・低血糖の4者が同定され、それぞれ全死因の8%,24%,20%,14%を占めていた。

 2.血栓性膵壊死は、heparin非使用の16頭では4頭(25%)で、heparin 5000単位/日を膵移植後1週間持続静脈内投与した43頭では1頭(2%)と有意に少なかった。一方、腹腔内出血死はそれぞれ5頭(31%)と9頭(21%)で頻度に有意差はなかった。Heparinの投与で、腹腔内出血死を増加させることなく、血栓性膵壊死を有効に防止できることが示された。

 3.電解質異常死したイヌの死亡直前平均血清電解質はNa+=111.7,K+=7.1,Cl-=73.1mEq/Lといずれも致命的な低Na+Cl-、高K+を示していた。電解質異常は膵液胃腸管誘導法では28頭中0頭に対し、膀胱誘導法では31頭中12頭(39%)で起こり、有意に多かった。胃腸管誘導法に比べ膀胱誘導法では、有意に尿量と尿中Na+Cl-排出が増加し、大量の膵十二指腸液の尿中喪失がその原因と考えられた。同じ膀胱誘導法でも十二指腸を短くすると有意に尿量と尿中Na+が減少した。術後緻密に輸液管理を行ったところ電解質異常が補正されたが、輸液管理を中止すると全例急速に全身状態が悪化し死亡した。

 膵液膀胱誘導法で十二指腸の長さを変えた2群の1日平均尿量の差から、計算上10cm当たりの十二指腸液は520mL/day、膵液は115mL/dayで、水分喪失の主たる原因は膵液ではなく、十二指腸液であることが示された。これは今までに報告の見られなかった新しい知見である。しかし十二指腸の短縮は電解質異常の防止に抜本的効果なく、イヌでは膵液膀胱誘導法それ自体が致命的であることが示された。

 4.8頭の致命的低血糖のイヌの死亡直前平均空腹時血糖値(FBS)は37.0mg/dLと低値で、平均血清immunoreactive insulin値(s-IRI)は108.2mU/Lと高値であった。全阻血時間を90分未満と以上で2群に分け、膵移植翌日のs-IRIを比較したところ、それぞれ平均18.5,37.2mU/Lで、後者で有意に上昇し、また、FBSを比較したところ、それぞれ平均79.7,61.0mg/dLで、後者で有意に低下していた。膵移植後低血糖は、阻血障害によるinsulinの急激な血中逸脱によることが示された。

 5.十分に剖検所見がとれたイヌ24頭について、移植十二指腸から見た移植膵の拒絶診断の一致率は24例中22例(92%)であった。膵液胃誘導法後3頭につき14回、胃内視鏡下移植十二指腸生検を実施した。移植十二指腸の急性拒絶反応の診断を得るためには粘膜下層の所見が必要と判断されたが、14回中9回(64%)で粘膜下層が採取できた。移植十二指腸生検による拒絶診断と、膵液中AMYの低下による拒絶診断の一致率は11回中8回(73%)であった。従って膵液胃誘導法術後、胃内視鏡下移植十二指腸生検と膵液採取・膵液AMY測定で、かなり精度の高い移植膵の拒絶診断ができる可能性が示唆された。

 以上、本論文はイヌ同種全膵十二指腸移植において、膵液膀胱誘導法は、胃腸管誘導法より大量の膵十二指腸液の尿中喪失により電解質異常による死亡が多く、不利であることを明らかにした。また、水分喪失の主たる原因は膵液ではなく、十二指腸液であることを示したが、十二指腸の短縮や術後緻密な輸液管理は電解質異常の防止に抜本的効果のないことを明らかにした。膵液空腸誘導法は電解質異常を起こさないものの、拒絶診断のできないことが欠点であるが、一方、膵液胃誘導法は電解質異常を起こさず、なおかつ胃内視鏡下移植十二指腸生検と膵液AMY測定で、拒絶診断が可能であることが明らかにされた。これらの知見は臨床膵移植の成績向上に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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