学位論文要旨



No 211909
著者(漢字) 竹本,裕美
著者(英字)
著者(カナ) タケモト,ユミ
標題(和) 無麻酔・無拘束ラットの循環系に対するアミノ酸の中枢作用
標題(洋)
報告番号 211909
報告番号 乙11909
学位授与日 1994.09.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第11909号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 齋藤,洋
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 助教授 小野,秀樹
 東京大学 助教授 松木,則夫
内容要旨 1.

 種々行動下の循環系の調節は、突然血圧が低下するということもなく、必要な組織に血流が再配分されて円滑に行なわれている。このような循環調節に関与する中枢は延髄にあり、上位の中枢、近隣の諸核、脊髄等とnetworkをつくって、情報を統合していると考えられているものの、その全容については未だ明らかではない。電気生理学的な研究によるアプローチから、現在のところ、中枢神経を介する血圧調節には血管・心臓への自律神経系の調節が重要であると考えられている。しかし、総末梢抵抗と心拍出量によって規定される血圧は、神経活動の結果生じた血管および心臓レベルでの変化を反映しており、循環制御機構の研究には、末梢血流抵抗や心拍出量の観察が不可欠である。このうち末梢血流抵抗については、最近、電磁流量計による方法で、より生理的状態に近い無麻酔無拘束状態のラットの局所動脈血流量の測定が可能になった。

 そこで、本研究では、局所血流に対する循環の中枢性制御機構を明らかにするために、循環調節中枢を刺激して血圧が変化したときの局所血流抵抗の変化の解析を行なった。中枢刺激は、特異的に作用する可能性があり、かつ無麻酔・無拘束下でも行なえる化学刺激とした。化学物質として、血液脳関門の内外で濃度に差のある種々アミノ酸に、血圧に関する中枢性制御物質の可能性を求めた。そして、まず、延髄への拡散が期待される大槽内に種々アミノ酸を注入したとき、数種のアミノ酸で血圧が変化することを明らかにした。さらに、これらの血圧に変化を与えるアミノ酸のうち、4種類のアミノ酸刺激による昇圧あるいは降圧時の心拍数及び局所血流(腎動脈、上腸間膜動脈、大動脈末端)を測定し、これらの心拍数と局所血流抵抗の変化が一様でないこと、また、昇圧作用を示した2種類のアミノ酸は異なる神経経路を刺激して局所血流抵抗を変化させることを明らかにした。

2.無麻酔・無拘束ラットの血圧に中枢性に影響を与えるアミノ酸

 麻酔下、大槽内と大動脈末端部にカニューレを挿入・固定した雄性Wistarラットに、手術から回復後、無麻酔・無拘束の状態で大槽内カニューレに最高1M、難溶性の時は飽和濃度の、22種類のアミノ酸溶液10lを注入して、血圧の変化を観察した。その結果、L-プロリン、L-アルギニン、L-システイン、L-アスパラギン酸、L-アスパラギンで10-30分間の持続的な昇圧作用が得られ、グリシン、GABA、タウリン、L-セリン、L--アラニン、サルコシンで30-60分間の持続的な降圧作用を得た。

3.無麻酔・無拘束ラットにおける局所血流の測定

 大槽内にカニューレを挿入後一週間以上経ったラットに再び麻酔を施し、励磁用コイルを内蔵した電磁流量計用プローブを血管周囲に固定し、他端を後頸部に導出・縫着した。同時に、血圧及び心拍数測定用カニューレを大動脈末端部または総頸動脈に留置した。ラットが餌・水を摂取するほどに回復した手術後2-3日に、飼育用の透明なプラスチック容器にいれたままの状態で局所血流・血圧・心拍数を同時に記録した。局所末梢血流抵抗は大動脈血圧を局所血流で除して求めて血管への作用の指標とし、心拍数は心臓への作用の指標とした。局所血流測定用のプローブは、一匹のラットに一個埋め込んだ。

 局所血流の変化を観察するアミノ酸として、降圧作用を示したアミノ酸のうち、神経伝達物質として認められているGABAと、認められつつあるグリシン、昇圧作用を示したアミノ酸のうち、最近NOの基質としても注目を集めているL-アルギニンと予備実験で徐脈作用を示したL-プロリンを、人工脳脊髄液に溶解して用いた。

4.降圧アミノ酸による血行動態の変化

 GABA10モルをラットの大槽内に注入したとき、血圧、心拍数、上腸間膜動脈血流(SMF:superior mesenteric flow)、腎動脈血流(RF:renal flow)は低下したが、大動脈末端の血流(HQ:hind-quarter flow,主に後肢に流れる)には変化が無かった。グリシンによる血圧、心拍数、局所血流抵抗の変化はGABAによる変化と同様でHQR(hindquarter resistance)のみ減少したが、グリシンはGABAよりも持続的な降圧・徐脈作用を示した。これらの結果より、GABAとグリシンによる降圧作用はともに心拍数と大動脈末端の血流抵抗の減少によることが示された。血流抵抗の減少は、GABA注入後10分の血行動態の変化がクロルイソンダミンによる節遮断後の変化と、RR(renal resistance)への作用を除いて同様であったことより、後肢域への交感神経の活動低下によるものと思われる。

5.昇圧アミノ酸による血行動態の変化

 L-アルギニン5モルを大槽内に注入して血圧が上昇したとき、HQFは増え、SMFとRFは減少した。心拍数については、必ずしも一定の傾向を示さず、平均値ではコントロールとの間に有意な差が認められなかった。局所血流抵抗は、SMR(superior mesenteric resistance)とRRでは上昇したがHQRでは変化が無かった。したがって、L-アルギニンの昇圧作用は、おもにSMRとRRの内臓血流抵抗の上昇によるものと思われる。

 L-プロリン10モルによる昇圧時には、心拍数の低下とSMR及びRRの上昇が観察された。この徐脈作用は圧受容体反射の入力神経を切断したとき消失した。つまり、L-プロリンはSMRとRRの上昇によって血圧を上げ、さらに圧受容体反射を介して徐脈作用を起こしたと考えられる。

6.昇圧アミノ酸による血圧の中枢性制御機構

 中枢を刺激したときの血流制御機構として現在のところ考えられる末梢への出力経路は、脊髄側角を介する交感神経経路と視床下部を介するヴァゾプレッシン分泌経路である。これらの2経路のアミノ酸による昇圧機序への関与を神経節遮断薬とヴァゾプレッシンV1アンタゴニストで更に調べた。L-アルギニンによる昇圧及び上腸間膜血管収縮作用は、クロルイソンダミンの静注による節遮断で有意に減弱したが、プロリンでは昇圧作用は逆に増強した。しかし、L-プロリンによるこれらの作用は、ヴァゾプレッシンV1アンタゴニストの静注で完全に消失した。

 これらの結果を合わせると、L-アルギニンとL-プロリンの大槽内注入による昇圧作用は、次のメカニズムによるものと思われる。すなわち、L-アルギニンは中枢に作用して、専ら交感神経系を介して内臓域の血管を収縮させて血圧を上げた。この際、心拍数は必ずしも低下しなかったので、圧受容体反射はL-アルギニンによって抑制を受けていると思われる。一方、L-プロリンは、中枢に作用して、主に視床下部-下垂体経路を刺激して血中にヴァゾプレッシンを放出し、抵抗血管を収縮させて血圧を上げた。さらに、血圧上昇による圧受容体反射の活性化により、心拍数は二次的に低下した。ただし、節遮断薬による副腎への交感神経抑制作用は完全で無いことから、アドレナリンの作用の関与も否定できない。

7.総括

 (1)無麻酔・無拘束ラットの血圧に中枢性に影響を与えるアミノ酸として、L-アルギニン、L-プロリン、L-システイン、L-アスパラギン酸、L-アスパラギンで昇圧作用、GABA、グリシン、タウリン、L-セリン、L--アラニン、サルコシンで降圧作用が得られることを明らかにした。

 (2)無麻酔・無拘束ラットの局所血流の測定により、GABAとグリシンによる降圧時には大動脈末端の血流抵抗が減少し、L-アルギニンとL-プロリンによる昇圧時には上腸間膜及び腎動脈血流抵抗が上昇することを明らかにした。また、L-プロリンによる徐脈作用は調圧神経を切除すると消失することから、血圧上昇による圧受容体反射によることを明らかにした。

 (3)L-アルギニンの昇圧・血管収縮作用は節遮断によって減弱したが、L-プロリンの昇圧作用は逆に増強し、ヴァゾプレッシンアンタゴニストの静注により両作用は速やかに消失した。即ち、L-アルギニンは交感神経を介する内臓域の血管収縮により血圧上昇を起こし、L-プロリンの昇圧作用にはヴァゾプレッシンの寄与があることを明らかにした。

 (4)本研究により、既に神経伝達物質として認められているアミノ酸以外に新たに数種のアミノ酸に中枢刺激物質としての役割があることを明らかにし、さらに、4種類のアミノ酸による血圧変化時の局所血流の変化は一様でないこと、昇圧アミノ酸は、それぞれ中枢内で異なる神経経路を刺激して局所血流を変化させることを明らかにした。

審査要旨

 循環調節機構の研究は、従来、麻酔動物において中枢を刺激して血圧を観察することによって主に進められてきた。本研究では、より生理的状態に近い無麻酔動物の循環の中枢性制御機構を明らかにするために、新たに、数種のアミノ酸による中枢刺激で血圧が変化する事をみいだし、これらの昇圧機序の解析を血圧を規定する重要な因子である局所血流抵抗の変化によるはじめての方法で詳細に行なったものである。

1.無麻酔・無拘束ラットの血圧を中枢性に影響を与えるアミノ酸

 無麻酔・無拘束ラットの血圧を中枢性に刺激する方法として、大槽内に薬物を注入する方法を確立し、血圧に影響を与えるアミノ酸として、L-アルギニン、L-プロリン、L-システイン、L-アスパラギン酸、L-アスパラギンで昇圧作用、GABA、グリシン、タウリン、L-セリン、L--アラニン、サルコシンで降圧作用が得られることを明らかにした。L-アルギニン、L-プロリン、L-システイン、L-セリン、サルコシンによる血圧への中枢作用の報告は初めてのものである。

2.アミノ酸の中枢内投与による血行動態の変化

 無麻酔・無拘束ラットの局所血流の測定により、GABAとグリシンによる降圧時には大動脈末端の血流抵抗が減少し、L-アルギニンとL-プロリンによる昇圧時には上腸間膜及び腎動脈血流抵抗が上昇することを明らかにした。また、L-プロリンによる徐脈作用は調圧神経を切除すると消失することから、血圧上昇による圧受容体反射によることを明らかにした。これらの血圧変化時の血行動態の観察から、中枢刺激による末梢血流抵抗の変化が各血管床で一様に生じているわけではなく、血圧の変化が特定の血管床の変化による総末梢抵抗への寄与によって生じていることを明らかにしている。

3.昇圧アミノ酸による血圧の中枢性制御機構

 L-アルギニンの昇圧・血管収縮作用は節遮断によって減弱したが、L-プロリンの昇圧作用は逆に増強し、ヴァゾプレッシンアンタゴニストの静注により両作用は速やかに消失した。即ち、L-アルギニンは交感神経を介する内臓域の血管収縮により血圧上昇を起こし、L-プロリンの昇圧作用にはヴァゾプレッシンの寄与があることを明らかにした。作用部位と考えられる延髄を介するヴァゾプレッシン分泌経路の機能的証明は本研究で初めてなされた。

 以上のように、本研究は、既に神経伝達物質として認められているアミノ酸以外に新たに数種のアミノ酸に中枢刺激物質としての役割があることを示した。また、4種類のアミノ酸による血圧変化時の局所血流の変化は一様でなく、昇圧アミノ酸は、それぞれ中枢内で異なる神経経路を刺激して局所血流を変化させるという新知見を示した。

 このように、本研究は覚醒下動物での、より生理的条件下での血圧のみならず、新たに、局所血流レベルにおける、中枢の循環調節機構を機能的に解析することに成功している。したがって、本研究分野における先駆的役割は大きく、循環調節機構解明に貢献するところ極めて大きく博士(薬学)の学位を受けるに十分であると認定した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50898