学位論文要旨



No 211911
著者(漢字) 村田,栄
著者(英字)
著者(カナ) ムラタ,サカエ
標題(和) 1、5-ベンゾチアゼピン系カルシウム拮抗薬の脳循環に関する薬理学的研究
標題(洋)
報告番号 211911
報告番号 乙11911
学位授与日 1994.09.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第11911号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 齋藤,洋
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 助教授 小野,秀樹
 東京大学 助教授 松木,則夫
内容要旨 1.緒言

 ジルチアゼムは我国で開発された代表的なカルシウム(Ca)拮抗薬の一つである.WHOはCa拮抗薬を以下の様に3つに大別している.即ち(1)ベラパミル様;フェニルアルキルアミン(PAA)系化合物,(2)ニフェジピン様;1,4-ジヒドロピリジン(1,4-DHP)系化合物,(3)ジルチアゼム;ベンゾチアゼピン系化合物,であり,ジルチアゼムはその一つを構成している.ジルチアゼムの薬理学的な性質は,比較的心筋に強い作用を示すベラパミルと,血管平滑筋に選択的な作用を示すニフェジピンとの中間的な性質を有している.この様な性質によりジルチアゼムは虚血性心疾患に用いられ高い有効性が認められている.近年,ベラパミル群及びニフェジピン群では.薬理学的な性質が異なる新規化合物が報告され,新たな臨床適用が行われて来ている.一方,ベンゾチアゼピン系化合物ではジルチアゼム以降,新規Ca拮抗薬の誕生及び新たな分野への臨床応用も殆どなかった.そこで,本研究ではベンゾチアゼピン系化合物の脳血管障害への新たな臨床適用を目的に以下のことを検討した.(1)ジルチアゼムの脳血管拡張作用の検討,(2)脳血管に選択的な新規化合物の検索,(3)脳血管選択性の機序の解明,(4)当該化合物の脳循環に対する作用の検討,(5)脳血管障害のリスクファクターである高血圧に対する作用の検討である.

2.ベンゾチアゼピン系Ca拮抗薬ジルチアゼムの脳血流量増加及び脳血管攣縮緩解作用

 ジルチアゼムは虚血性心疾患に対して高い有効性が認められており,薬理学的研究も心臓領域に集中していた.一方,脳循環に関しては麻酔犬における椎骨動脈血流量増加作用以外,全く検討されていない.しかしながら,イヌの椎骨動脈は多くの吻合が存在するため,その血流量増加を直ちに脳実質の血流量増加と結論づける事は出来ない.そこで,本研究ではイヌの大脳皮質血流量(脳血流量),及びサルの内頸動脈(頭蓋内組織にのみ分布)血流量に対する作用を静脈内投与で検討した.ジルチアゼムは両血流量を増加させ,脳血流量増加作用を有する事を見いだした.また,くも膜下出血後の脳血管攣縮は重篤な疾患であるので,ジルチアゼムの脳血管攣縮モデルにおける作用も検討した.麻酔ネコの脳底動脈を露出させ,動脈の周囲に脳血管攣縮の原因物質と考えられる5-HT,PGF2及び孵置血を局所投与し誘起させた脳血管攣縮を,ジルチアゼムは局所及び静脈内投与により緩解させた.以上の結果は,ジルテアゼムが従来の対象疾患である心筋虚血に加えて脳梗塞或いは脳血管攣縮に対しても有効であることを示唆している.

3.脳血管に選択的なベンゾチアゼピン系化合物の探索

 脳血管に選択的弛緩作用を有するベンゾチアゼピン系化合物の選出のため,イヌ椎骨動脈とモルモット冠動脈の血流量増加作用の比較を行こなった.その結果,クレンチアゼム〔clentiazem,TA-3090,(2S,3S)-3-acetoxy-8-chloro-5-(2-(dimethylamino)ethyl)-2,3-dihydro-2-(4-methoxyphenyl)-1,5-benzothiazepin-4-(5H)-one maleate〕を選び出した.一連のスクリーニングの結果,椎骨動脈血流量増加作用の構造活性相関として以下のことが明らかになった.3位のacyloxy体はacetoxy体及びpropionyloxy体が最も活性が強く,それよりも短く或いは長くなると活性は低下し,methoxy体及びbenzoyloxy誘導体も活性が低下した.この傾向はジルチアゼムの場合とほぼ同様であった.一方,ジルチアゼムでは7位のCl置換により活性が低下すると従来報告されていたので,8または9位のCl置換は活性低下をきたすと予想していた.しかしながら,クレンチアゼムで見られた様に8位のCl置換により逆に作用及び持続が増強され,更に冠動脈に比べて椎骨動脈への選択性が増すという新しい知見を得た.

4.クレンチアゼムの選択的脳血管拡張作用,及びCa拮抗作用.

 麻酔犬におけるクレンチアゼム静脈内投与時の血流増加作用の効力は椎骨>冠>>上腸間膜・総頸・大腿動脈,であった.クレンチアゼムは降圧及び総頸動脈血流量増加作用がジルチアゼムと同等であるにも拘らず,サル内頸動脈血流量をジルチアゼムよりも強く増加させた.この結果は,クレンチアゼムがジルチアゼムに比べて脳血管をより選択的に拡張させる事を示している.そこで,脳血管選択的な血管拡張作用の機序を検討した.摘出血管での高K+-収縮,或いは高K++Ca++free下のCa++-収縮は主として細胞外から細胞内へ膜のCaチャネルを通してCa++が流入することで誘起され,これに対する抑制はCa拮抗作用と考えられる.イヌ及びサルの血管においてクレンチアゼムの抑制作用は脳底動脈で最も強く,一方,ジルチアゼムでは選択性は認められなかった.以上,ジルチアゼムと異なりクレンチアゼムのCa拮抗作用は脳血管に選択性を有することが明らかになり,上記の麻酔動物での選択的な脳血流増加作用には脳血管に選択的なCa拮抗作用の関与が示唆された.従来,Ca拮抗薬の血管部位選択性の機序として,部位間での細胞外Ca++への依存度の違い或いは静止膜電位の違いが考えられ,本研究で用いた40mM-或いは80mM-K+の様な強脱分極条件下では,これらの部位間の違いは消失してしまい,選択性も消失する考えられて来た.しかしながら,本研究では強脱分極下でも選択性が認められ,興味ある結果であった.

イヌ摘出動脈の高K+(80mM)+Ca2+フリー下のCa2+-収縮に対する抑制作用

 (脳底,冠,腸間膜,腎動脈の間の選択性を効力比で示した;効力比=冠動脈のpA2値の逆対数/各動脈のpA2値の逆対数)

5.脳血管拡張薬としてのクレンチアゼムの薬理学的な評価-脳血流量増加作用,頭蓋内圧上昇作用,及び脳血管攣縮緩解作用-

 麻酔犬を用いてクレンチアゼムなどCa拮抗薬及びパパベリンの脳血流量と椎骨動脈血流量に対する作用を静脈内投与で検討した.その結果,全ての薬物は両血流量を増加させ,同時に頭蓋内圧を上昇させた.クレンチアゼムの脳血流量増加時の頭蓋内圧上昇作用はジルチアゼムとパパベリンに比べて有意に弱く,ニカルジピンやニモジピンに比べても弱い傾向にあった.脳血流の灌流圧は,"動脈圧-頭蓋内圧"で規定され,過度な頭蓋内圧上昇或いは過度な降圧は脳灌流圧低下,ひいては脳血流量減少をもたらす.それ故,クレンチアゼムの頭蓋内圧上昇が弱い性質は,クレンチアゼムが脳血流量を減少させ難い事を示唆している.

椎骨動脈血流量増加作用,脳血流量増加作用,および頭蓋内圧上昇作用におけるクレンチアゼム,ジルチアゼム,パパベリン,ニカルジピン,及びニモジピシの間の比較

 血管拡張薬による頭蓋内圧上昇は脳血管拡張による頭蓋内血管容量の増大の結果と考えられているが,薬物間の効力の違いの機序については殆ど研究されていない.上記の椎骨動脈血流量及び脳血流量増加は血管拡張の結果であり頭蓋内圧への関与が考えられる.そこで両血流量と頭蓋内圧の関係を検討してみた.炭酸ガスの吸入によりイヌ脳血流量は著しく増加するが,頭蓋内圧及び椎骨動脈血流量には明かな変化は認められなかった.また,頭蓋内圧に及ぼす血圧の影響を除くため薬物を椎骨動脈内へ直接投与し,椎骨動脈血流量と頭蓋内圧との関係を検討した.血流量増加と圧上昇は全ての薬物で良く相関し,且つ,薬物間で差は認められなかった.以上の結果は,頭蓋内圧上昇に対して,脳血流量増加作用の影響は小さく,椎骨動脈血流量増加の影響は大きい事を示唆している.そしてクレンチアゼムの頭蓋内圧上昇作用が弱い理由として,他剤に比べて椎骨動脈血流量よりも脳血流量に選択的な増加作用を有するためと考えられた.なお,イヌ摘出脳底動脈及び麻酔ネコの脳底動脈にて,クレンチアゼムは各種血管収縮物質による血管攣縮を緩解させ,その効力はジルチアゼムよりも強かった.以上,クレンチアゼムは脳血流量増加作用及び脳血管攣縮緩解作用が認められ,一方,頭蓋内圧上昇作用は弱く,脳血管障害に対する治療薬として望ましい性質を有する事が明らかになった.

6.降圧剤としてのクレンチアゼムとジルチアゼムとの比較

 自然発症高血圧ラット(SHR)或いは腎性高血圧犬にて,クレンチアゼムの降圧作用はジルチアゼムより強力で且つ持続的であった.ジルチアゼム及びクレンチアゼムの降圧作用は1,4-DHP系化合物であるニフェジピン及びニカルジピンと異なり,正常血圧よりも高血圧動物で強かった.SHRにて,1,4-DHP化合物の心拍数増加作用は強かったが,クレンチアゼム及びジルチアゼムでは心拍数に大きな変化は認めなかった.ジルチアゼムと異なりクレンチアゼムのSHRでの利尿作用はNa+に選択的であり,K+過剰排泄による血漿中の電解質異常の危険が少ないものと推測された.以上,クレンチアゼムは高血圧状態で降圧が強く,降圧時の頻脈も弱く,降圧薬として望ましい性質を有していた.また,正常血圧での降圧が弱いという性質は過剰な降圧による脳血流量減少のリスクも低いと考えられる.以上,クレンチアゼムは脳血管障害のリスクファクターである高血圧状態を改善する事によっても脳血管障害の治療に有用であると考えられる.

7.総括

 Ca拮抗薬の歴史の中でジルチアゼムは大きな位置を占めている.しかし,ジルチアゼム以降,新たなベンゾチアゼピン系Ca拮抗薬は殆ど報告されていない.今回,脳血管障害に新たな臨床応用を目指して,ジルチアゼムによる脳血管拡張作用を初めて見いだし,次いで脳血管に選択的な新規化合物,クレンチアゼムを選出し,その選択性はCa拮抗作用による事を明らかにした.同じベンゾチアゼピン系Ca拮抗薬であるにも拘らずクレンチアゼムがジルチアゼムと異なる血管部位選択性を示した事は興味ある知見である.クレンチアゼムはジルチアゼム及びニカルジピンに比べても頭蓋内圧上昇作用は弱かった.高血圧は脳血管傷害の最大のリスクファクターであるが,クレンチアゼムは抗高血圧作用を介しても脳血管傷害の改善に寄与するものと考えられる.以上,本研究はCa拮抗薬の新たな臨床応用及び基礎的研究に道を拓くものと考えられる.

審査要旨

 代表的なカルシウム拮抗薬である ジルチアゼムは虚血性心疾患に対して優れた効果を発揮し,心臓循環系の薬理作用については十分に検討されている.他方,脳循環に対するジルチアゼムの作用は、カルシウム拮抗薬が脳血管に選択的に働くとされているにも拘らずこれまで殆ど検討されて来なかった.本研究では,第一にジルチアゼムの脳血流量及び脳血管攣縮に対する作用を検討し,次いでジルチアゼム誘導体から脳血管に選択性を示す化合物をさらに探索し,当該化合物の脳血管障害に対する有用性を脳循環薬理の観点から研究した.

 先ず,ジルチアゼムの脳血流量増加作用及び脳血管攣縮緩解作用を麻酔動物で初めて明らかにし,ベンゾチアゼピン系カルシウム拮抗薬の脳血管障害に対する有用性を明らかにした.次いで,ジルチアゼムの誘導体から脳血管に選択性を有する化合物クレンチアゼムを見いだし,その脳血管選択性はカルシウム拮抗作用によることを明らかにした.カルシウム拮抗薬の臓器或いは血管選択性の機序としてはこれまで臓器或いは血管間の脱分極の程度の差異に由来しており,強い脱分極により十分カルシウムチャネルが活性化された条件下(例;高K脱分極)ではカルシウム拮抗作用における臓器間或いは血管間での選択性が消失してしまうと考えられてきた.しかしながら、本研究では高K脱分極下でもクレンチアゼムのカルシウム拮抗作用に血管床間で選択性が認められことは新たなそして興味ある知見であった.

 さらに,クレンチアゼムの臨床応用を考慮して脳血流量増加作用及び脳血管攣縮緩解作用を明らかにしたが,この際クレンチアゼムは頭蓋内圧上昇作用がジルチアゼム或いはニカルジピンに比べて弱いことを見いだした.従来,ジルチアゼム等のカルシウム拮抗薬はパパベリン或いは亜硝酸剤に比べて頭蓋内圧への影響が弱いと報告されてきた.しかしながら、クレンチアゼムがカルシウム拮抗薬であるジルチアゼム及びニカルジピンに比べてさらに作用が弱いということは脳血管障害治療薬として望ましい性質であると同時に興味ある知見であった.

 血管拡張薬の頭蓋内圧上昇作用のメカニズムは、頭蓋という閉鎖系の中で血管が拡張することにより頭蓋内血液容量が増加するために内圧が上昇を来たした結果と考えられている.したがって,血管拡張薬投与による脳血流量増加(脳血管拡張)時には,血流量増加に比例して頭蓋内圧が上昇することが予想される.しかしながら、本研究では各薬物間で脳血流量増加作用と頭蓋内圧上昇作用の関係が一様でないことが明らかになった.本知見は今後,頭蓋内圧を規定する機序の解明、或いは頭蓋内圧に影響の少ない脳血管拡張薬の開発,などの研究のの端緒となると考えられる.

 最後に,種々の高血圧モデルにおいてクレンチアゼムの強力で持続的な抗高血圧作用を明らかにした.またクレンチアゼムの降圧作用はジヒドロビリジン系カルシウム拮抗薬に比べて、正常血圧よりも高血圧状態においてより顕著であるという高血圧治療薬として望ましい性質を有することをを見いだした.

 以上,本研究は,ベンゾチアゼピン系カルシウム拮抗薬の脳血管障害治療薬及び高血圧治療薬としての有用性を示した研究であり,さらにはカルシウムチャネルの血管部位選択性を明らかするなどカルシウム拮抗薬の基礎研究及び臨床応用への貢献を評価し,博士(薬学)の学位授与に値するものと認めた.

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