学位論文要旨



No 211912
著者(漢字) 駒田,雅之
著者(英字)
著者(カナ) コマダ,マサユキ
標題(和) Hepatocyte growth factor/scatter factor受容体(c-Met)の構造と機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 211912
報告番号 乙11912
学位授与日 1994.09.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第11912号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 助教授 辻,勉
 東京大学 助教授 荒井,洋由
 東京大学 講師 久保,健雄
内容要旨

 Hepatocyte growth factor(HGF)は肝実質細胞の増殖因子として見出された蛋白質であり、プラスミノーゲンと約40%のホモロジーを持ち、65kDaの重鎖と35kDaの軽鎖がジスルフィド結合によりつながったヘパリン結合性糖蛋白質である。HGFは肝実質細胞のみならず、腎尿細管上皮細胞、血管内皮細胞など種々の細胞に対して増殖促進作用を有している。またHGFは、細胞どうしが接着することにより島状の形態をとる上皮細胞を互いに分散させ、その運動性を亢進させる因子として見出されたscatter factor(SF)と同一分子である。さらに腎尿細管上皮細胞株MDCKのコラーゲン・ゲル内における管腔形成作用、ウサギ、ラット角膜における血管新生作用、及びニワトリ胚における原始線条、神経板の誘導作用を有することも明らかにされている。

 このような多様なHGF/SFの作用のシグナルは標的細胞上の特異的受容体を介して細胞内に伝達されると考えられるが、これまでHGF/SF受容体の解析は全く行われていなかった。本研究では、HGF/SF受容体の同定と、そのシグナル伝達における役割を明らかにすることを目的として実験を行った。

本論A.HGF/SF受容体の同定

 HGF/SFの標的細胞であるマウス・ザルコーマ細胞株Meth Aへの125I-HGF/SFの結合は約10nMで飽和に達した。Scatchard解析の結果、Meth Aには2種類のHGF/SF結合サイトが存在し、高親和性結合サイトはKd17pM、サイト数6600/cell、低親和性結合サイトはKd6.7nM、サイト数2600000/cellと計算された。Meth Aへの125I-HGF/SFのアフィニティー・クロスリンキングを行ったところ、分子量約250kDaと230kDaの2本のバンドが検出された。両バンドとも100pMの非標識HGF/SFの共存によって消失することから、これらの複合体はHGF/SFの高親和性結合に関与するものと考えられた。次にHGF/SF結合蛋白の構造をより詳細に知るためにMeth Aの細胞表面を125Iで標識し、標識されたHGF/SF結合蛋白をHGF/SFと抗HGF/SFポリクローナル抗体を用いて免疫沈降した。免疫沈降物をSDS-PAGEで解析した結果、非還元下160kDaと130kDa、還元下140kDa、100kDa、及び45kDaのバンドが検出された。HGF/SFの分子量は90kDaであるから、125I-HGF/SFのクロスリンキングによって検出された250kDaと230kDaのバンドはそれぞれ160kDa、130kDa分子とHGF/SFの複合体であろうと考えられた。サブユニット構造を知るために非還元・還元の2次元SDS-PAGEを行ったところ、160kDa分子が140kDaと45kDa、130kDa分子が100kDaと45kDaのサブユニットから成ることが明らかになり、両分子とも45kDaサブユニットを有することから互いに類似の蛋白質である可能性が示唆された。そこでこれらの分子の精製を検討していた時に、c-met癌原遺伝子産物(c-Met)がHGF/SF受容体であるという報告がなされた。c-Metは受容体型チロシン・キナーゼであり、50kDaと145kDaの2つのサブユニットから成る構造をしている。MethAにおいて検出された160kDaのHGF/SF結合蛋白質はそのサブユニット構造からc-Metである可能性が高いと考えられた。そこでマウスc-MetのC末端ペプチドに対するポリクローナル抗体を調製した。この抗体は125I-HGF/SFクロスリンキング複合体のうち、160kDa分子との複合体である250kDaのバンドのみを免疫沈降し、MethAにおいて見出された160kDaのHGF/SF結合蛋白質はc-Metであることが示された。なお、130kDaHGF/SF結合蛋白質はc-MetのC末端が欠失したものであろうと考えられた。実際その後、c-MetのN末端側の領域に対する抗体を用いてc-MetのC末端領域の欠失体の存在が報告されている。

B.キメラ受容体を用いたHGF/SF受容体の機能の解析B-1.上皮細胞増殖因子(EGF)によって活性化されるHGF/SF受容体キメラの構築

 受容体型チロシン・キナーゼを介する細胞増殖促進作用のシグナル伝達機構は多くの細胞増殖因子について解析が進んでおり、HGF/SFの場合もこれらと同様の機構が予想される。これに対し細胞分散、運動性亢進作用のシグナル伝達機構はほとんど解明されていない。そこでまずこれらの作用のシグナル伝達に必要なc-Metの細胞内部位を同定するための実験系、つまり強制発現させたc-Metの細胞内領域のシグナル伝達能を検出するシステムの確立を試みた。c-Metは調べた限りのすべての上皮細胞で発現しており、内在性c-Metを活性化することなく、強制発現させたc-MetのHGF/SF刺激によるシグナル伝達能を調べることはできない。一方、c-Metを発現していない線維芽細胞はもともと分散した形態をしており、強制発現させたc-Metを介する細胞分散作用を観察するには適していない。そこでc-Metの細胞外領域をEGF受容体のそれに置き換えたキメラ受容体(EMR)をHGF/SFの標的細胞に発現させ、EMR発現細胞をEGFで刺激した時の細胞の応答を観察することにより、内在性c-Metを活性化することなく強制発現させたc-Metの細胞内領域の機能を調べることが可能だと考えた。EMR cDNAを発現ベクターにつなぎ、HGF/SFの標的細胞であるマウス・メラノーマ細胞株B16-F1にトランスフェクションした結果、EMRはEGF結合能をもった分子として細胞表面に発現された。そして発現細胞をEGFで刺激することによりEMRのチロシン・リン酸化が誘導された。さらにEGF刺激したEMR発現細胞は、細胞どうしが分散した形態をとり、運動性が亢進していた。以上の結果から、HGF/SFの細胞分散作用、運動性亢進作用のシグナルはc-Metの細胞内領域の活性化により伝達されることが証明され、さらにc-Metの細胞内領域のシグナル伝達能を検出する系が確立された。

B-2.HGF/SF受容体の主要自己リン酸化部位のシグナル伝達における意義

 ヒトc-Metの主要自己リン酸化部位はアミノ酸1235番目のチロシン残基であることが報告されている。マウスc-Metでは1233番目のチロシンがこれに対応する。そこでこのチロシン残基のリン酸化のシグナル伝達における意義を明らかにするためにEMRのこのチロシンをフェニルアラニンに置換した変異体(Y1233F)と、さらにチロシン・キナーゼのATP結合部位である1108番目のリジンをアラニンに置換した変異体(K1108A)を、それぞれB16-F1に発現させ、各変異体発現クローンについて解析した。発現細胞をEGFで刺激した時の変異体のチロシン・リン酸化はK1108Aでは全く起きず、Y1233FでもEMRの約4%に低下していた。そして、両変異体発現細胞においてEGF刺激による細胞分散、運動性亢進は観察されなかった。そこでこれら変異体のチロシン・キナーゼ活性について検討を行なった。まず発現細胞をEGFで刺激した時に細胞内でチロシン・リン酸化が誘導される蛋白質を抗ホスホチロシン抗体によるイムノブロッティングで解析した結果、親株であるB16-F1をHGF/SFで刺激した時に検出される分子量115kDaと110kDaの分子は、EMR発現細胞では検出されたが、両変異体発現細胞では検出されなかった。次に免疫沈降した変異体のin vitroでの自己リン酸化活性と外来性基質(ミエリン塩基性蛋白)に対するキナーゼ活性を調べた結果、K1108Aにはいずれの活性も検出されず、Y1233Fでも自己リン酸化活性はEMRの約16%、ミエリン塩基性蛋白に対するキナーゼ活性はEMRの約3%に低下していた。以上の結果から、c-Metのチロシン・キナーゼ活性化が細胞分散、運動性亢進作用のシグナル伝達に必須であり、そのチロシン・キナーゼ活性化には主要自己リン酸化部位のチロシン・リン酸化が重要な役割を果していることが示された。

C.HGF/SF受容体前駆体のプロセシングとシグナル伝達

 c-Metは1本鎖前駆体が切断されることによりヘテロダイマーである成熟型に変換される。その切断部位は同様のプロセシングを受けるインシュリン受容体のそれとの相同性から、Arg-Lys-Lys-Argなる4つの塩基性アミノ酸の配列の直後だと考えられている。Ca2+依存性細胞内セリン・プロテアーゼであるfurinの認識配列がArg-X-Arg/Lys-Argであることから、furinがc-Metのプロセシング酵素ではないかと考えられた。一方、ヒト大腸癌細胞株LoVoにおいて、c-Metのアミノ酸配列は変異していないにもかかわらず、そのプロセシングが生じていないことが報告されている。そこでLoVoの1本鎖c-Metを用いて、furinによるc-Metのプロセシングについて検討した。その結果、細胞表面を125Iで標識したLoVoから免疫沈降した1本鎖c-Metは、精製furinによってその用量依存的に切断された。さらに、furinを強制発現させたLoVoではc-Metのプロセシングが生じていた。これらの結果から、furinがc-Metのプロセシング酵素であることが示された。

 次に、HGF/SFのシグナル伝達におけるc-Metのプロセシングの意義を調べるために、furinを強制発現させたLoVoとさせないLoVoの、HGF/SF刺激に対する応答を比較した。その結果、c-Metはそのプロセシングの有無にかかわらず細胞をHGF/SF刺激することにより自己リン酸化され、またLoVoの増殖はその有無にかかわらずHGF/SF刺激により促進された。以上の結果から、c-MetのプロセシングはHGF/SFのシグナル伝達上、必須ではないことが示された。

結論

 A.マウス・ザルコーマ細胞株MethAの細胞表面上に、140kDaと45kDaの二つのサブユニットからなる高親和性HGF/SF結合蛋白質を見出した。この分子はc-met癌原遺伝子産物(c-Met)に対する抗体との反応性からc-Metであることが示された。

 B.EGF受容体とc-Metのキメラ受容体とその変異体を用いた実験から、HGF/SFの細胞分散、運動性亢進作用のシグナルはc-Metの細胞内領域のチロシン・キナーゼ活性化により伝達されること、そのチロシン・キナーゼ活性化にはc-Metの主要自己リン酸化部位のチロシン・リン酸化が重要な役割を果していることが示された。

 C.1本鎖HGF/SF受容体前駆体を成熟型ヘテロダイマーへと変換するプロセシング酵素はCa2+依存性細胞内セリン・プロテアーゼfurinであること、しかしHGF/SF受容体のプロセシングはHGF/SFのシグナル伝達上、必須ではないことが示された。

審査要旨

 HGF(Hepatocyte Growth Factor)は肝実質細胞、血管内皮細胞などの増殖を促進する一方、上皮細胞同志の接着をとき分散させる能力(Scatter Factor)などを有する糖タンパク質である。これらの作用はHGFに対する受容体を介して行われると想定されるがこれまで受容体およびその後の情報伝達についての情報は皆無であった。本論文の目的はHGF受容体の同定とそのシグナル伝達における役割を明らかにしようとしたものである。

1)HGF/SF受容体の同定

 HGF/SFの標的細胞であるマウスのザルコーマ細胞株MethAを用いて125I-HGF/SFのアフィニティー・クロスリンキングを行い160kDaのバンドを見出した。2次元SDS-PAGEによって160kDaは140kDaと45kDaのサブユニットから成ることも判明した。このサブユニット構造からc-met癌原遺伝子産物(c-Met)である可能性が考えられ、実際、マウスc-MetのC末ペプチドに対するポリクローナル抗体を調製し、検討したところ、160kDaのタンパク質が特異的に反応し、c-Metである事が示された。なお160kDa以外に130kDaバンドもアフィニティー・クロスリンキングで見出されたのがこのバンドはc-Metに対する抗体とは反応せず、おそらくc-MetのC末端領域の欠失したタンパク質と推定された。

2)キメラ受容体を用いたHGF/SF受容体の機能解析

 すでに様々の細胞増殖因子について、細胞増殖促進にいたるシグナル伝達にチロシンキナーゼが関与することが明らかになっている。しかし細胞分散に至るシグナル伝達機構について情報はこれまで無かった。そこでcMet分子中のシグナル伝達、細胞分散に必要な構造を知るためキメラ受容体を発現させたシステムを構築した。すなわちcMetの細胞外領域をEGFの受容体のそれと置き換えたキメラ受容体(EMR)をHGF/SFの標的細胞に発現させ、EGFで刺激した時の細胞の分散度を観察することにより、cMetの細胞内領域の機能を検討する事が可能となった。マウスc-Metの1233番目のチロシンが主要自己リン酸化部位と予想される。このチロシン残基をフェニルアラニンに置換した変異体(Y1233F)およびチロシンキナーゼのATP結合部位と想定される1108番目のリジンをアラニンに置換した変異体(K1108A)をそれぞれ発現させた細胞についてEGF刺激時の自己リン酸化、チロシンリン酸化、細胞分散の誘導を視察したが、いずれも有意に認められなかった。cMetの1233番目のチロシン残基がリン酸化され、これによりチロシン・キナーゼが活生化、細胞分散に至るプロセスの存在が明らかとなった。

3)HGF/SF受容体前駆体のプロセシング

 c-Metは1本鎖前駆体が切断されることによりヘテロダイマーである成熟型に変換される。ヒト大腸癌細胞株LoVoにおいてはこのプロセシングがないことも知られていた。本研究の過程でこのプロセシングにCa2+依存性細胞内セリンプロテアーゼである「フリン」が関与している事も明らかにした。

 以上、本研究はHGF/SFの受容体の同定とシグナル伝達機構について解析したもので、細胞生物学、生化学の進歩に貢献するところがあり博士(薬学)の学位に価すると判定された。

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