HGF(Hepatocyte Growth Factor)は肝実質細胞、血管内皮細胞などの増殖を促進する一方、上皮細胞同志の接着をとき分散させる能力(Scatter Factor)などを有する糖タンパク質である。これらの作用はHGFに対する受容体を介して行われると想定されるがこれまで受容体およびその後の情報伝達についての情報は皆無であった。本論文の目的はHGF受容体の同定とそのシグナル伝達における役割を明らかにしようとしたものである。 1)HGF/SF受容体の同定 HGF/SFの標的細胞であるマウスのザルコーマ細胞株MethAを用いて125I-HGF/SFのアフィニティー・クロスリンキングを行い160kDaのバンドを見出した。2次元SDS-PAGEによって160kDaは140kDaと45kDaのサブユニットから成ることも判明した。このサブユニット構造からc-met癌原遺伝子産物(c-Met)である可能性が考えられ、実際、マウスc-MetのC末ペプチドに対するポリクローナル抗体を調製し、検討したところ、160kDaのタンパク質が特異的に反応し、c-Metである事が示された。なお160kDa以外に130kDaバンドもアフィニティー・クロスリンキングで見出されたのがこのバンドはc-Metに対する抗体とは反応せず、おそらくc-MetのC末端領域の欠失したタンパク質と推定された。 2)キメラ受容体を用いたHGF/SF受容体の機能解析 すでに様々の細胞増殖因子について、細胞増殖促進にいたるシグナル伝達にチロシンキナーゼが関与することが明らかになっている。しかし細胞分散に至るシグナル伝達機構について情報はこれまで無かった。そこでcMet分子中のシグナル伝達、細胞分散に必要な構造を知るためキメラ受容体を発現させたシステムを構築した。すなわちcMetの細胞外領域をEGFの受容体のそれと置き換えたキメラ受容体(EMR)をHGF/SFの標的細胞に発現させ、EGFで刺激した時の細胞の分散度を観察することにより、cMetの細胞内領域の機能を検討する事が可能となった。マウスc-Metの1233番目のチロシンが主要自己リン酸化部位と予想される。このチロシン残基をフェニルアラニンに置換した変異体(Y1233F)およびチロシンキナーゼのATP結合部位と想定される1108番目のリジンをアラニンに置換した変異体(K1108A)をそれぞれ発現させた細胞についてEGF刺激時の自己リン酸化、チロシンリン酸化、細胞分散の誘導を視察したが、いずれも有意に認められなかった。cMetの1233番目のチロシン残基がリン酸化され、これによりチロシン・キナーゼが活生化、細胞分散に至るプロセスの存在が明らかとなった。 3)HGF/SF受容体前駆体のプロセシング c-Metは1本鎖前駆体が切断されることによりヘテロダイマーである成熟型に変換される。ヒト大腸癌細胞株LoVoにおいてはこのプロセシングがないことも知られていた。本研究の過程でこのプロセシングにCa2+依存性細胞内セリンプロテアーゼである「フリン」が関与している事も明らかにした。 以上、本研究はHGF/SFの受容体の同定とシグナル伝達機構について解析したもので、細胞生物学、生化学の進歩に貢献するところがあり博士(薬学)の学位に価すると判定された。 |