学位論文要旨



No 211926
著者(漢字) 林,尚吾
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,ショウゴ
標題(和) 自律航法を目指した舶用レーダ映像処理の基礎研究
標題(洋)
報告番号 211926
報告番号 乙11926
学位授与日 1994.09.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第11926号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 原島,博
 東京大学 教授 水町,守志
 東京大学 教授 羽鳥,光俊
 東京大学 教授 藤野,正隆
 東京大学 教授 菊池,和朗
内容要旨

 本論文は,船舶の新しい自立航法の確立をもとに,自立に判断機能を加えた航法を自律航法と定義し,自律航法を目指した舶用レーダ映像処理について述べる。次世代には自律航法が要請されることを展開し,次世代で重要な役割を担う舶用レーダの在り方について述べる。また,相手方の判別と他の関連情報を連携させて,瞬時に相手方を呼び出して"意志"の通信を設定する方法にまで展開して述べる。この名称不明な相手方との"意志"の通信は自律航法の上で極めて重要な意味を持つ。

 船舶の安全航行には,レーダの適切な使用が必須のことである。現在のレーダの表示方式は,反射信号の強度に応じた輝度でPPI表示されているに過ぎない。従って,周囲の状況の把握には,熟練と継続的なレーダの監視を必要とする。このレーダの表示が鳥瞰図として実際の景観のように表示されるならば,自分の船と相手の船との関係を直感的に把握できる。しかも,さほど熟練を必要としない。本研究は船舶用レーダの映像処理によって,物標の種類や対象とする船舶の総トン数,船種,アスペクト角(自船の針路から見た対象船の姿勢角)を判別できる可能性があることを示す。

 対象物の種類や動向を知ることができるなら,相手船等の行動の予測が容易になるので,船舶の安全運行の確保のためにその意義は大きい。また,レーダ映像からの物標の判別は応用できる分野が広く,その効果も大きい。しかも通常使用される性能の船舶用レーダで,レーダ信号から航海に有効な情報を抽出表示できることは実用性および普及の可能性の面からも大きな意義があろう。

 大洋航海中における船舶での自立的測位システムとして,最初に挙げられる測位方法は天体の位置を観測して求める天文航法である。しかし,天文航法を自動化するためには,動揺する船上で人工的な水平面を作り天体の高度を求めなければならずこれまでは大変なことであった。近年の映像処理技術は価格的にも操作の容易さの点からも天体の高度の自動測定は可能な技術とした。しかし,天体の位置の映像処理で自動的に現在位置を測定できるシステムが完成したからといって,有事や緊急時の補間システムとしての機能はあっても全地球上で利用可能な全天候型の測位システムには残念ながら成り得ない。これから将来の状態へ移行する過程を想定し図1に示す。

図1 船舶用測位システムの移行過程の推察

 これらのどの過渡期においても沿岸部における航法支援システムは必要不可欠であり,また,レーダ・システムは沿岸部を含め大洋上でも障害物を検知するためと,レーダ映像マッチングで船位を求めるためにも重要なシステムとなる。

 衝突を避けるための操船上の情報としては,対象物の種類,距離,速度,針路(進路)が要求される。さらに目的地や操船上の意思を知ることができるなら,一層余裕をもって対象船を避航できる。

 2次レーダや通信等で相手方の協力動作が得られる状況なら,必要な情報の授受と相互の避航動作で安全な航海が図られよう。しかし,全ての船舶に2次レーダの装備を義務付けることは,例えば小型の遊漁船の場合には費用の負担能力の面から困難である。そのため,大型船側で自らの安全を確保するためには自立型式で対象物の情報を知る努力が必要である。

 通常の性能を持つ船舶用のレーダを使用して収集可能な情報の種類は,

 レーダ映像の位置情報から,

 ・対象物までの距離, ・対象物までの方位,

 ・対象物の進路(針路), ・対象物の速度,

 である。これらは従来のレーダ・システム(衝突予防装置を含む)で情報が出力できる。

 これらの情報に加えて

 レーダ映像処理からは,

 ・物標の種類の推定, ・船舶の総トン数,

 ・アスペクト角, ・船種の判別,

 が可能であり,レーダ映像処理から抽出する相手船の情報内容の判別の目標を表1にまとめて掲げる。

表1 レーダ映像処理による情報判別の目標

 本研究では,レーダ映像処理による情報抽出のために,基礎的なレーダ観測や橋梁によるレーダ映像への影響調査に関する観測を多数回実施して多くのデータを収集した。これらの観測から物標(船舶)の判別の基礎となる貴重な知見が得られた。

 PPIレーダ映像においてはターゲットを点として認識して,その位置(方位と距離)を観測していたものが,その点を拡大表示することにより,レーダ映像の特徴が現れて多くの情報を抽出できることが分かった。この観点から比較的大きな船舶のレーダ映像からは船種の判別も可能なことを述べた。船舶を判別・類型化する要素となったのは,複雑な構造部分では多重反射のために反射信号が伸びる傾向にあること,また,構造が複雑なところでは,数回にわたる反射があるために反射波の偏波面が回転していること等である。また,照射した偏波面に対する反射波の偏波面の成分比率は構造の複雑さと相関性があることを観測結果から求めた。観測例から,船体側面の平板からの反射は送信波と同じ水平偏波成分が卓越しており,船楼を含むマスト部分からの反射波には垂直偏波成分が多く含まれていることを示した。

 レーダ映像処理による情報判別の目標はほぼ達成されたので,判別・判定された船種,アスペクト角,総トン数を要素として,レーダ映像を鳥瞰図方式で表示することを試みた。この方式は直感的な周囲の状況判断に適している。映像の特徴を表現する船舶の形状は,上甲板上に予め船舶の種類によって定めた構造物を付け加えることで,これまでの輝度と位置だけの情報しか表現しなかった映像が,周囲の状況判断に有効な映像として表示することができるようになった。船舶の映像表現の際の信頼性にはまだ検討と改善を必要とする部分が残る。たとえば,映像表示の際の尺度比,つまり,単純に遠方にあるからと小さく表現した場合,船舶の種類やアスペクト角を正しくレーダ観測者に伝えられないおそれがある。しかし,遠方にある物標については,レーダ観測で得られている映像データが少ないことから船種の識別も容易ではないので,曖昧さの表現と映像の大きさを対応させることもひとつの方法である。今後はそれらの情報の信頼性の向上を図ることが鍵となるが,曖昧な情報であったときの表現方法も検討を要する。

 次に未来の船舶に関するレーダの役割を含む全体的な自律航法の体系について考察した。レーダは他からの助けを必要としない自立した自己完結で不可欠な航法装置である。予め海図などの準備があれば沿岸を自動的に航海することができる。レーダ映像と電子海図との映像マッチングにより自船の位置を求め,さらに周囲の船や障害物を自動的に検出することができれば無人化船が実現できる。測位のためのレーダ映像のマッチングでは,偏波面回転型や符号化レーダレフレクタのような電波式の航路標識の整備が進めば,その効用はさらに大きくなる。

 レーダ航法は自立的であり,他からの支援がなくても航海できる点で優れており,その観点からレーダ航法は自立航法である。さらに航路の選定や衝突回避などを自分で判断できる能力を持つようになれば自律航法となる。しかし,気象海象の変化の予測など広い範囲の観測データを得ることはできないので,気象データの提供の支援は必要である。そこで,将来の船舶航法としては「外部から情報支援を受けた自律航法」が展開されるものと考えている。レーダによる物標の判別,障害物の判定,レーダ偽像の低減やその判定,周辺の船舶との自動的な通信,電波式航路標識(航行援助施設)の整備が基礎となると考える。

 情報の信頼性の向上には,対象とする相手方との適切な通信の確保が肝要である。相手の識別が難しい海上において,通信したい相手方を呼び出して操船の意志確認や衝突・座礁を防ぐための警報の伝達が自動的にできるようになれば,海上における各種の災害(海難)の防止に大きく貢献する。しかし,海上での通信の実態は,航行している全ての船舶の動静を把握しているような管制センタは無いので呼出符号も分からないのが現状である。そこでこのような現状を改善できるように,地球上の経緯度を呼出符号とする通信連絡システムの開発を提案し付録で述べた。

 舶用レーダの映像処理によるレーダからの情報の抽出と有効な活用の確立は,未来の自律航法の実現の過渡期における人の操作・判断に的確な周囲の状況判断を支援する重要な事項である。レーダの活用の確立によって達成される探知,識別そして通信は航海の安全を確保する基本であり,さらに判断能力が備わることで自律航法が形成される。

審査要旨

 本論文は「自律航法を目指した舶用レーダ映像処理の基礎研究」と題し、船舶の新しいレーダ航法として自立機能に判断機能を加えた自律航法の確立を目指して、関連するレーダ映像処理に関する研究をまとめたものであって、8章と付録からなる。

 第1章は「緒論」であって、本研究の目的と研究の意義について述べている。すなわち、船舶航法の安全性の向上を図るためには、舶用レーダの持つ能力を活用し、これを船舶の自律航法へ結びつけることが重要であることを論じ、研究の背景を明らかにするとともに、本論文の構成について述べている。

 第2章は「船舶における周囲の状況認識と通信」と題し、船舶がその周囲の状況を認識するために用いられている方法の種類と概略を述べ、舶用レーダの映像処理ならびにその表示方式に要請される諸条件について考察している。また海上における通信の現状と適切な通信の必要性について述べている。

 第3章は「各種のレーダ映像の観測」と題し、舶用レーダによる多数の実験を行い、各種の物標、クラッタおよび氷野の反射特性などの調査をおこなった結果について述べている。一般に、反射波には異なった偏波面の成分が含まれているが、特に交差偏波成分の情報が識別の要素として有効なことを示している。また、レーダ偽像の発生状況と偽像の見分け方についてまとめている。

 第4章は「レーダ映像からの情報の抽出」と題し、レーダ映像からの各種妨害の除去法をまとめるとともに、レーダ映像の分類に必要な各種特徴の記述法について論じている。すなわち、まず映像の前処理としてレーダ干渉の除去法とターゲット対クラッタ比の改善法を示し、またレーダ映像への画像処理の適用とその効果についてまとめている。次に、レーダ映像における対象の大きさ、形状、強度、安定性などの各種の特徴の表現方法と対象物判定との関係について述べている。さらに、これを具体的に船舶の総トン数の推定、アスペクト角の推定へ適用した結果を示している。

 第5章は「レーダ映像からの推定実像の構成」と題し、第4章で論じた情報抽出をもとに対象の船種の分類と船形の推定する方法を論じ、あわせてその判定結果をコンピュータグラフィックス等の手法を用いて通常の無処理のレーダ映像に重畳表示する方法について述べている。すなわち、判定された周囲船舶の船種、アスペクト角、総トン数などを要素として、この情報を鳥瞰図的にレーダ映像に表示することを試みている。

 第6章は「船舶システムへの応用」と題し、本研究の検討内容の船舶システムの中での位置づけを論じている。特に、レーダ映像における物標の判別を中心とする情報処理を走錨監視レーダや座礁予防システムなどへ適用して、その有効性を海上実験により確認した結果を述べている。

 第7章は「次世代航法技術の展望」と題し、将来の船舶航法システムにおける自律航法の体系について考察している。すなわち、レーダ航法は他から支援がなくても航海できる点で本質的に自立航法であり、これに航路の選定や衝突回避などを自分で判断できる能力を持つようになれば自律航法となる。しかし気象情報などの広い範囲の観測データはレーダからは得られず、将来は外部からの情報データの支援を受けた自律航法が主流になるものと予測している。さらにその実現へ向けて、本論文で述べたレーダによる物標の判別、障害物の判定、レーダ偽像の低減などの処理に加えて、周辺の船舶との適切な通信の確保と電波式航路標識(航行援助施設)の整備が必須であることを述べている。

 第8章は「結言」であって、本研究の成果と意義について述べるとともに、今後の発展方向を示している。

 また付録として、レーダと連携した情報通信の諸問題や、架橋によるレーダ偽像の減少対策など、本研究に関連しておこなった検討結果をまとめている。

 以上これを要するに本論文は、将来における高性能の船舶航法システムの実現を目指して、特に自律航法を目的とした舶用レーダの映像処理に関して、物標の種類の推定、船種の判別、アスペクト角の推定などを中心に体系的な検討を加え、海上実験によってその有効性を確認したもので、電子工学、船舶海洋工学に貢献するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50900