学位論文要旨



No 211928
著者(漢字) 川瀬,成一郎
著者(英字)
著者(カナ) カワセ,セイイチロウ
標題(和) 静止衛星の相対軌道決定の研究
標題(洋)
報告番号 211928
報告番号 乙11928
学位授与日 1994.09.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第11928号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 水町,守志
 東京大学 教授 羽鳥,光俊
 東京大学 教授 石谷,久
 東京大学 教授 中谷,一郎
 東京大学 助教授 堀,洋一
内容要旨

 全世界的な宇宙通信の発展にともない,静止軌道上にある通信衛星の数が増加しつづけている.しかしながら静止軌道は,地球の赤道の真上を特定の高度で一巡する軌道であることから,ただひとつしか存在しない軌道である.そのためにこの軌道の「混雑化」,すなわち軌道の限られた領域のなかに多数の衛星を互いに近接して配置せざるを得ない,という状況が生じるようになった.このような状況のもとで,衛星相互の位置を適正に管理し,もって危険な過接近や衝突を防止するためには,つねに衛星の相対的な運動状態を正確に把握しなければならない.本論文はそのための技術,すなわち「相対軌道決定」の技術を新たに確立することを目的としたものである.

 始めに本論文は,従来の技術とその問題点について検証をくわえる.これまで,あい近接した衛星が軌道上に配置されたときは,各衛星について個別に軌道を決定し,その関係を見ることによって相互位置の管理を行ってきた.しかしこの方法では,管理できる衛星の数が限られ,また運用上の制約がともなうために,十分な効率をもって軌道を利用することが難しいという問題点があった.そこで,従来のそのような問題点を正しく見きわめるために,静止衛星について標準的に行われてきた軌道決定の精度を分析するのである.まず,衛星の追跡(測距・測角)の観測精度と,軌道決定精度との関係を解析的に明らかにする.次に,追跡観測の誤差特性をこれまでの実験研究にもとづいて調べ,その解析式に代入することにより,衛星位置の決定精度を評価する.この評価は,特定の追跡システムに限定しない一般的な評価であり,これによって衛星の位置に誤差をもたらす主な原因が特定される.そしてそれによれば,従来の軌道決定技術に依存するかぎり,多数の近接衛星の管理は困難であることが明らかになる.

 従来の技術にともなうこのような困難を打開するために,本論文は,衛星間の相対的な位置・速度を直接正確に求めること,すなわち相対軌道決定という概念に着目するのである.そしてそれを実施するための,ふたつの方法を具体的に示す.

 相対軌道決定を実施する第一の方法は,地上からの差動追跡である.衛星の角度(方位角・仰角)を追尾するアンテナを用い,複数の衛星に対して追尾を順次切り換えつつ測角をおこなう.これにより衛星間の角度の差を求めると,各衛星に共通の測定誤差が除去されるため,正確な差動追跡が可能になるのである.この追跡方法すなわち差動測角は,衛星電波を受信するだけでよいことから,広範囲の衛星に適用できるという特長をもつ.まず始めに,差動測角にもとづいて衛星の3次元相対運動が推定できることを証明する.つぎに,差動測角の精度と相対位置の精度を結びつける解析式を導く.さらに,衛星追尾の実験データを用いて差動測角の誤差統計を作成し,その解析式に代入する.その結果,相対位置の推定を100ないし200メートルの精度で実施できることが明らかになる.

 相対運動の推定は実時間的な監視として実施したいので,差動測角から相対位置・速度を推定するカルマンフィルターを導出する.このフィルターには二通りの構成が可能である.そのひとつは,軌道運動の表現のために線型近似による相対運動モデルを用いた線型カルマンフィルターであり,適用上の制約条件があるが,アルゴリズムが簡易なために処理が高速である.他方は,相対運動モデルを用いることなく衛星ごとに運動モデルを立てた非線型拡張カルマンフィルターであって,計算量が多くなるが,その適用にはほとんど制約条件が無い.よって動作条件に応じ,適当なフィルターを選択することができる.

 以上の各論により,差動測角にもとづく相対軌道決定は,既存の地上局技術の応用として広く実施可能であることが示される.

 相対軌道決定を実施する第二の方法では,追跡用の機器を衛星に搭載し,衛星間において直接に測距を行う.この方法では,衛星間の電波の送受が必要であることから,電波の見通しがつねに確保されるように衛星の空間配置の形状を限定しなければならない.しかしその一方では,相対軌道決定が可能であるためにはある程度の衛星相互の運動を必要とすることが示される.これらの要求条件を考慮した解析により,衛星間測距にもとづく相対軌道決定の標準的な型式を見出すとともに,運用上の要求条件を明らかにする.次に,測距の精度と相対軌道決定精度との関係を解析する.それによれば,測距の誤差が相対位置の推定におよぼす影響が,地上からの測距の場合に比べて少なく抑えられる,つまり高精度を得やすいことが明らかになる.

 ここでもまた,相対運動を実時間に推定するために,衛星間測距に対応したカルマンフィルターを導出する.アルゴリズムを簡易とするために線型化相対運動モデルを用い,しかも十分な処理精度をもつように摂動の影響を考慮したフィルターの構成を導く.

 以上の各論により,衛星間測距を適用するならば,精密な相対軌道決定を衛星上において実行できることが示される.

 このようにして,相対軌道決定を地上において,また衛星上において実施するための方法が与えられた.これら二通りの方法にもとづいてさらに本論文は,近接した衛星間における衝突の回避,ならびに相互位置の管理のおこない方を具体的に示す.

 衛星間の衝突回避が主な目的であって,衛星を特定の位置関係に保つことを意図しない場合には,地上からの差動測角にもとづいて相対運動を実時間監視する.そして衛星どうしがある一定の警戒範囲をこえて接近しようとしたとき,それを回避する操作を行う.このような回避操作を実際に必要とする頻度と,それにともなう衛星の燃料の消費量を評価し,それらは共に少ないこと,つまりこの方法が現実性をもって成り立つことを明らかにする.

 衝突の回避に加えて,衛星をある一定の空間配置形状に保つという場合には,衛星間測距による相対軌道決定をおこない,それにもとづいて軌道の修正操作をくわえる.その操作の手順を,カルマンフィルターの出力に直結できてしかも簡潔なアルゴリズムとして表すことにより,軌道の修正操作を衛星上で自律的に実行させられるという見通しを与える.

 このようにして,近接した多数の衛星に対する安全な軌道管理を行うことは技術的に可能であることが示された.

 以上の結果にもとづく本論文の結論として,今後に予想される静止軌道の「混雑化」の問題は相対軌道決定の技術による緩和が可能であり,それによって,限られた軌道である静止軌道の効率的な利用が進展するであろうことを述べる.

審査要旨

 本論文は「静止衛星の相対軌道決定の研究」と題し、地球を周回する静止衛星の軌道間の相対関係を観測により決定する方法を論じている。論文は6章よりなる。

 第1章は、「序論」であって本研究の背景を論じている。即ち、近年、宇宙通信や宇宙放送の利用が増大し、多数の衛星が静止軌道上に配置される状況にある。これら静止衛星が、相互に妨害を生じることなく、安全にしかも適正に機能を発揮するためには静止軌道上の相対位置を保持することが肝要である。従って、相対軌道決定が必須の技術であるとしている。

 第2章は「静止衛星の軌道決定精度」であり、静止軌道の決定精度の評価を行っている。まず追跡観測の各種方式を対象として、測定結果に含まれる誤差と静止軌道の決定精度の関係を、モデル化の上で解析的に明らかにしている。次いで豊富な衛星追跡の測定結果に基づき、軌道決定の精度の評価を実際に行っている。その結果、衛星の位置の誤差を惹起する主たる原因は、追跡観測のバイアス誤差であると結論している。更に、極めて近接した静止衛星の使用を実現するためには、複数の衛星を対象とする相対軌道決定の方法を新たに開発するべきであると主張している。

 第3章は「地上差動追跡による相対軌道決定」であり、地上局からの差動追跡により静止衛星の相対軌道を決定する具体的な方法について論じている。まず差動追跡には測角が適しているとした上で、差動測角の実施方法を示している。次いで差動測角の結果を用いて、衛星の3次元相対運動が推定しうる事を証明している。併せて相対位置の決定に関して、その精度の誤差感度の解析を行っている。更に差動測角の観測誤差を推測する実験を実施して観測誤差の統計資料を得た上で、上述の誤差解析に基づき到達可能な相対位置精度の算定を行っている。即ち、位置決定方法について、その適用範囲や到達精度を明らかにしている。現実の相対軌道位置決定に当たっては、実時間処理の要請によりカルマンフィルタを採用している。この位置決定の為の推定フィルタには、適用範囲が制限されるが高速処理向きの線形カルマンフィルタと、計算量は増えるが適用制限がない非線形拡張カルマンフィルタとを用意している。

 第4章は「衛星間追跡による相対軌道決定」であり、追跡機能を有する主衛星が副衛星を追跡して相対軌道の決定を行う問題を論じている。衛星間追跡は、衛星の空間配置の形状と密接な関係を有する。所謂クラスターシステム衛星の様に、衛星の軌道進行方向に整列配置されている場合には、衛星間測距に基づく相対軌道決定が適当としている。また衛星間の通信アンテナの指向性可変範囲が制限を受ける場合には衛星間距離及び方位測角の追跡により軌道決定を行うとしている。いずれにしても衛星間追跡は地上追跡に比べて、観測の精度が高く、バイアス誤差の相対位置に与える影響も軽微であることを明らかにしている。位置推定用カルマンフィルタとしてはランデブ方程式に基づくアルゴリズムを提案している。これは衛星の質量が変化しても、位置の推定精度を一定に保つ特徴がある。

 第5章は「高密度管制への展望」であり、第3章及び第4章で論じた相対軌道決定の意義について論じている。即ち、必然的に高密度に配置されるであろう静止衛星の管理に当たって、本論文で述べた相対軌道決定は極めて有効な技術を提供するものであると主張している。

 第6章は「結論」であり、本論文の要旨が取纏めてある。

 以上これを要するに、本論文は通信や放送等の利用が急増しつつある静止衛星の管理に必要不可欠な軌道位置決定の技術に新たな知見を加えたものであって、通信工学に貢献する所少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50901