学位論文要旨



No 211930
著者(漢字) 新井,正男
著者(英字)
著者(カナ) アライ,マサオ
標題(和) 局所密度汎関数法に対する自己相互作用補正
標題(洋)
報告番号 211930
報告番号 乙11930
学位授与日 1994.09.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第11930号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤原,毅夫
 東京大学 教授 花村,榮一
 東京大学 教授 内田,愼一
 東京大学 教授 浅野,攝郎
 東京大学 助教授 永長,直人
 東京大学 講師 時弘,哲治
内容要旨 1.

 固体の電子構造を付加的パラーメーターなしで計算できると、物質を合成する前にその物質の性質を予言することができ、物質設計の観点から有用である。このような目的のためには密度汎関数理論に基づく局所(スピン)密度汎関数法(LSD法)が最も広く用いられている。密度汎関数理論とは電荷密度の汎関数に対する変分原理により基底状態を求める理論である。LSD法では、密度汎関数理論で必要となる交換相関エネルギーに対して局所密度近似を用い、有効ポテンシャル中の1電子問題を解くことにより電子構造を計算する。電子相関が重要でない物質に対しては、LSD法により実験値に近い結果を得ることができ、また、実験では得られない情報を提供することができる。しかし一方では、LSD法における局所密度近似のために、様々な問題点が指摘されている。特に、半導体・絶縁体のエネルギーギャップを過小評価したり、反強磁性体の一部や鉄等の基底状態を再現できないことは、よく知られている。本論文の目的は、自己相互作用補正(Self-Interaction Correction,SIC)をLSD法に取り込んだLSD-SIC法によりこのような欠陥を補正し、LSD法の適用範囲を拡張することである。具体的な対象としては、固体水素と遷移金属酸化物を扱う。

2.LSD-SIC法

 LSD法では、次式のエネルギー汎関数を最小にすることにより電子構造を計算する。

 

 上式を1電子軌道に対して変分すると、次式のような有効ポテンシャル中の1電子方程式が得られる。

 

 ここで、左辺の(r)はLSD法における交換相関ポテンシャルである。LSD法の問題点の1つは、ハートリー・フォック法では静電エネルギーと交換エネルギーで厳密に打ち消し合っていた自己相互作用が、交換相関エネルギーを局所近似したために有限に残ってしまうことである。このLSD法の欠陥を改良する方法がSICであり、(1)式の代わりに次式のエネルギー汎関数を用いる。

 

 右辺第2項が各軌道に対する自己相互作用エネルギーを取り除く項である。この汎関数をに対して変分すると次式が得られる。

 

 この式で(r)は、軌道jに対する自己相互作用を補正するSICポテンシャルである。(r)が軌道に依存するため、の直交性を保証するために導入されたの非対角項を無視することができない。1電子励起エネルギーはを対角化することにより得られる。非占有軌道に対しては、占有軌道と直交する空間でLSD法のハミルトニアンを対角化することにより1電子励起エネルギーを求める。

 半導体・絶縁体に対してLSD-SIC法を適用すると、SICポテンシャルの影響により占有軌道が低エネルギー側にシフトし、エネルギーギャップが増加すると期待される。しかし、(3)式のエネルギーは{}間のユニタリ変換に対して不変でないため、結果が軌道の選び方に依存してしまう。たとえば、軌道をブロッホ関数のように広がった状態に選ぶと、軌道電荷密度が体積無限大の極限でゼロになり、SICはまったく寄与をせずLSD法と同じ結果になる。一方、ワニエ関数のように局在した軌道に対してはSICの寄与が有限に残る。単位胞内の各占有軌道に対して、それぞれ広がった軌道と局在した軌道を選択できるので、(4)式には多くの解が存在する。固体に適用する場合には、このような多くの解のなかから正しい解を選択する方法が必要になる。本研究では次のような2つの方法について議論する。

 (1)LSD法は変分原理による近似なので、LSD-SIC法においても全エネルギーを最小にする軌道を選ぶ。

 (2)LSD-SIC法は原子系に対して成功を納めている。絶縁体では波動関数が局在し原子的特性を持つと考えることもできるため、局在した軌道に対して適用する。

 上記2つの基準に基づいてそれぞれ計算し、絶縁体に適用する場合の軌道の選択方法について考察する。また、交換相関エネルギーの関数形に対して結果がどのように依存するがも調べる。

 電子構造を計算するための手法としては、線形化マフィンティン軌道法(LMTO法)を用いた。SICエネルギー・ポテンシャルは軌道電荷密度を各原子球内で球面調和関数に展開して計算する。

3.固体水素

 水素原子をBCCに配列した固体の電子構造をLSD-SIC法で計算した。この物質は現実には安定に存在しないが、モット絶縁体の最も簡単な例として興味が持たれている。格子定数が十分小さい高密度極限では電子の運動エネルギーが支配的になり、固体水素はNa等と同様に単純金属になると考えられる。格子定数を大きくするにつれて電子間相互作用が重要になり、孤立原子の極限では絶縁体になることから、有限の格子定数において金属絶縁体転移が起きると期待される。

 局在した軌道を用いた解では、強磁性相、反強磁性相ともにSICによりエネルギーギャップ、磁気モーメントが増加し、絶縁相の電子構造を改善する。また、軌道の局在性が高まるため、SICを導入すると占有軌道のバンド幅が3-14%減少する。この解を選択する限り物理量は交換相関エネルギーの関数形に敏感ではない。一方、全エネルギーを判定条件にすると、最低エネルギーの状態は交換相関エネルギーの関数形に依存してしまう。この方法では、格子定数を変えたときに必ず一次転移を伴うが、この転移は非物理的である可能性がある。したがって、全エネルギーを判定条件とする方法には問題があると思われる。

4.遷移金属酸化物

 LSD-SIC法をTO(T=V,Mn,Fe,Co,Ni)に対して適用した。これらの物質はNaCl型の格子構造を持ち、VO以外の物質は[111]面内のモーメントが平行にそろい隣接した各面でモーメントが反平行になる反強磁性絶縁体である。

 軌道の選び方として、次のような3種類の解を試みる。1番目の解(Type 1)はすべての軌道が広がった状態である。この解に対しては2.説明したように、SICの寄与がなくLSD法と同じ結果になる。2番目の解(Type 2)はすべての軌道が局在した状態であり、3番目(Type 3)の解は酸素のp軌道は広がった状態に選び、遷移金属のd軌道は局在した状態に選んだ解である。各解に対して得られた結果を以下にまとめる。

(i)Type 1(LSD)

 MnOはスピンに依存した交換相関ポテンシャルにより絶縁体になる。得られたエネルギーギャップは1eVであり実験値3.6eVに比較すると非常に小さい。それ以外の物質は金属となる。すべての物質でdバンドはpバンドの高エネルギー側に分離している。

(ii)Type 2

 MnO-NiOに対してエネルギーギャップは実験値に比べて2-3eV程度大きい値となる。d軌道はp軌道に比べてより局在しているためSICによるシフト幅が大きく、LSD法では分離していたdバンドとpバンドがほぼ同じエネルギー領域に存在して、強く混成する。MnOからNiOへと遷移金属の原子番号が増えるにつれて、dバンドがpバンドに比べて相対的に低エネルギー側に移る。

(iii)Type 3

 MnO,CoOに対してエネルギーギャップは実験値に近い値となり、NiOでは1eV程度過小評価する。dバンドだけがSICの影響で低エネルギー側にシフトし、p軌道はほとんど位置を変えない。その結果、MoO-NiOではdバンドがpバンドの下側に分離して存在し、電荷移動型の絶縁体になる。

 これらの解の全エネルギーを比較すると、最低エネルギーの解は交換相関エネルギーの関数形に依存してしまい、固体水素の場合と同様に全エネルギーはよい判定条件にならない。また、広がった軌道を用いる解には、原子系やクラスタの極限と連続的に接続しないという問題点がある。

 一方、すべての軌道が局在したType 2では実験値に比較して2〜3eV程度大きなエネルギーギャップを与える。占有軌道の電子構造を考えると、MnOに対してdバンドとpバンドがほぼ同じエネルギー領域に現われ、原子番号が増加するにつれ相対的にpバンドが低エネルギー側にシフトしてNiOでは電荷移動型の絶縁体になる。この結果は、光電子分光等の実験結果と矛盾しない。したがって、占有軌道の電子構造に関しては局在した軌道を用いたLSD-SIC法がよい近似になっていると考えられる。

5.まとめと今後の展望

 本研究の計算により、絶縁体に対してLSD-SIC法を適用する場合には、局在した軌道を用いた解を選択するべきであり、この解では占有軌道に対する1電子固有値が改善されることが示された。今後、エネルギーギャップを2-3eV程度過大評価する問題を改善する必要がある。特に、LSD-SIC法の範囲で非占有軌道をどのように取り扱うか、局所的な励起に対してSICがどのように影響するかを調べなくてはいけない。また、今回の計算結果をもとにGW法や変分モンテカルロ法などの、より進んだ取り扱いを試みるのも今後の課題である。

審査要旨

 パラメーターを含まない第一原理による電子構造計算は、密度汎関数理論が提出されて以来大きな成功をおさめてきた。最近では原子の種類を与えれば、多くの系でその基底状態の結晶系、格子定数、凝集エネルギー、弾性定数などを理論的に決定することができる。

 しかし半導体・絶縁体のハンド・ギャップを理論的に正しく決定することが出来ず、実験値の50〜70%程度の値しか与えることができないことは広く知られている。また反強磁性遷移金属酸化物、銅酸化物などいわゆる強相間電子系の基底状態を正しく与えることも出来ない。電子構造を正しく知り種々の物性パラメーターを決定することが多くの議論の出発点であることを考えると、これらの事は重大な問題である。

 著者は本論文において、反強磁性絶縁体の基底状態を正しく記述する1電子状態を得るために、局所密度近似に対する自己相互作用補正を、線形マフィンティン軌道法のもとで定式化した。さらにこの定式化を固体水素、遷移金属酸化物に適用し、また一般的に自己相互作用補正を行うための指導原理を提案した。本論文は1〜7章および全体のまとめの計8章からなる。

 第1章は磁性のバンド理論およびスレーターとモットの議論について述べさらにスピン密度汎関数法の問題点を指摘し、全体の序となっている。

 第2章はスピン密度汎関数法およびその局所密度近似の解説であり、さらに1電子固有エネルギーの意味を、クープマンスの定理(ヤナックの定理)および一般的な自己エネルギーなどの種々の点から明確にしている。

 第3章は線形マフィンティン軌道法と、その局在軌道の定式化について述べ、本論文で局在軌道を用いることの意味を論じている。

 第4章は密度汎関数理論の局所密度近似の問題点とその対応策としての自己相互作用補正を説明し、原子系における問題点を述べたあと、マフィンティン軌道法における定式化にあてられる。

 第5章は固体水素の磁性を、以上の定式化のもとで理論的にとり扱っている。その結果、自己相互作用補正を行ったエネルギーが、使用する交換相関エネルギーの局所密度汎関数の形に強く依存すること、またそのために金属-絶縁体転移を論ずるのは適当でないことが述べられている。特に自己相互作用補正が引力ポテンシャルを与える時でも全エネルギーは上昇する可能性があることを示した点は重大である。一方、反強磁性状態の側では磁気モーメント、バンドギャップなど著しく改善されることが示された。

 第6章、この章が本論文の中心をなす。遷移金属酸化物に自己相互作用補正を行った計算結果を示し詳しく議論している。自己相互作用補正を行わないもの(タイプ1)、すべての軌道に自己相互作用補正を行ったもの(タイプ2)、遷移金属元素の軌道にのみ自己相互作用補正を行ったもの(タイプ3)の3つについて計算を行った。それぞれについて、磁気モーメント、バンドギャップ、凝集エネルギーおよび状態密度とバンドを示している。Svaneらは凝集エネルギーが最低になるという条件からタイプ3のものを求め議論している。本論文では、自己相互作用補正を行ったコーン・シャム方程式は変分原理に立っているが、エネルギー値そのものは3つのタイプのどれが安定という精度を持たないことを詳細に論じ、絶縁体には常にタイプ2で計算を行うべきであると結論している。その結果、磁気モーメントおよび占有状態のスペクトルにおける特徴は実験を良く説明するが、バンドギャップについての改善は万全ではない。またVOについては、実験的には常磁性金属となり、今の自己相互作用補正のわく内では議論できない。

 第7章は、交換相関エネルギーの関数形や、自己相互作用ポテンシャルの非球対称成分の寄与について詳しく解析している。これにより自己相互作用補正を正しく行うためには局所密度汎関数の形が本質点であるとともに、この理論の枠内では金属・絶縁体転移と磁気転移の間に、特別の関係がないことが明らかに示されている。

 以上本論文は、密度汎関数理論における局所密度近似に対する自己相互作用補正の定式化を行い、現実の反強磁性絶縁体の電子状態を論じ、理論の枠組をより一般的に拡張するとともにその限界も明確にした。これは今後の固体物理学の基礎分野に貢献すること大である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認める。

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