BWRプラントにおける近年の水質制御は、構造材料の健全性を維持するためだけでなく、一次冷却系の線量当量率の上昇を抑制して従事者の被曝低減を目指して行なわれている。したがって、水質データに生じた微小な変動から一次冷却系の機器や材料に生じつつある異常の兆候を検出し、プラント停止に至る異常の発生を未然に防止すること、あるいはプラントの停止にはならない水質の変化でもその波及事象として一次冷却系の線量当量率の上昇をもたらす前に対処することは、プラントの稼働率を向上させ信頼性と安全性を向上させることになる。これを実現させるために、水質データに基づくBWR一次冷却系機器、材料の異常診断システムの開発を行なった。 水質データに基づくBWR一次冷却系機器、材料の異常診断システムに要求される機能は大別して、水質データを採取する機能、水質データを蓄えると共にグラフや帳票処理を行なうデータ処理機能、及びデータに基づく診断機能である。この3つの機能に対応して全体システムは、データ収集サブシステム、データバンクサブシステム、異常診断サブシステムにより構成する。ハードウェアとしては、データ収集、処理のためにはミニコンと各計測機器に接続されたマイコンやパソコンから構成されるローカルエリアネットワークを、異常診断のためにはワークステーション、水質の大規模シミュレーションのためにはスーパーコンピュータを用いる計算機システムとなる。水質センサとしては現在設置されているインラインの室温導電率やpH計等の他に不純物の化学分析を自動的に行なう分析システムや高温導電率計やECPセンサ等の高温インラインセンサを用いる構成としている。高温導電率計は実験室レベルでの実用性試験を終え、高温での不純物挙動を研究する手段として役に立つだけでなく、ステンレス鋼の亀裂進展速度が不純物の種類によらずに高温導電率との相関性が高いことを明らかにし診断システムの高度化にも役立つ。ソフトウェアとしては、各計算機上にそれぞれの機能を実現するアプリケーションプログラムとデータ通信を行なう通信プログラムから構成される。 異常診断システムの概略診断フローは、データの収集から始まり、ノイズ除去を行なった後水質変動の有無をチェックする。変動がなければ次のデータ収集に戻る。変動がある場合にはセンサの健全性をチェックして異常がなければ、変動レベルの大きさに応じて微小な変動傾向の検出と異常診断プロセスに入る。変動傾向が見られる場合や閾値を超過する変動が検出された場合には異常原因の同定と波及事象の予測を行なって、その結果に基づいてガイダンスを行なう。 異常診断システムとしては、水質データに生じた微小な変動から早期に異常の兆候を見出すことが予防保全の観点から重要である。早期検出のためには、データ収集の自動化によりデータ採取頻度を増加させることが必要であるが、微小な変動の検出にはノイズの影響を排除する必要がある。ノイズ除去にはメディアンフィルタが有効であり、実験室で採取した導電率データに適用した結果、相対変化として0.001S/cmの微小変化を有為な変動として検出できることがわかった。また、フィルタの出力に知識工学的手法を用いた微小な変動傾向を検出する手法を新たに開発した。本手法では微小な変動の方向の繰り返しに関する蓄積効果を評価するため、回帰分析等の統計的手法に比べてデータ処理量が少なく、分析期間などの定義の難しさがない特徴がある。メディアンフィルタへのデータ入力数を9として、微小変動傾向検出の閾値(確信度)を0.7に設定して先の導電率データに適用した結果、微小な変動傾向を検出できることがわかった。 異常原因の同定にはインラインで連続的に計測できる導電率やpHを用いることが有効である。復水、給水、炉水の3つのサンプリングポイントにおける導電率とpHの相関関係の組合せパターンにより異常原因の弁別が可能である。米国プラントの実機データに適用した結果、復水脱塩器からの樹脂リークに関して診断手法の妥当性を検証した。オンラインで採取される水質データを用いる場合には統計的な相関関係をその都度算出するより導電率とpHの値の変化の向きを示すベクトルパターンの組合せを利用することが実用的である。一方、微小変化に対する変化ベクトルの方向は統計的手法で用いた3つの方向には限定されずその組合せは多くなる。さらにベクトルの向きが似通っていても冷却水中の不純物イオン濃度が増加する場合と減少する場合とがある。これらの識別は同じpH変化に対する導電率の変化の違いを詳細に求めることにより実現できる。理論的な検討では、導電率の相対変化に対する弁別限界を0.001S/cmとすると、当量イオン濃度で2×10-10mol/lの給水中のナトリウムイオンの低下と硫酸イオンの増加を識別できる。当量イオン濃度で2×10-10mol/lは、ナトリウムイオンでは4.6ppt、硫酸イオンでは9.6pptに相当する低い濃度である。 導電率とpHの相関によって異常原因を弁別することができるが、パターンによっては硫酸イオンが流入した場合と有機不純物が流入して炭酸イオンが生成した場合を区別することができない。これらの詳細な原因の弁別は、化学分析による不純物の種類と濃度を用いて行なう。化学分析データは導電率やpHのように瞬時に得ることができないが、導電率やpHの指示値の妥当性の検証や異常原因を確定するために重要な意味を持つ。 異常原因を同定した後は、異常の程度を定量的に把握することが重要である。異常の程度を定量的に取り扱うための一つの方法として導電率データを用いた擬似イオンバランス評価手法を新たに開発した。導電率はプラントの中で最も多くの位置で測定されており、冷却水の流れを考慮することによりセンサの健全性の評価にも用いることができる。復水器のホットウェル導電率の値から海水リーク時にはインリーク流量を推定することもできる。炉水、給水、炉水浄化系出口の導電率バランスから得られる炉内の導電率増加量、すなわち炉内でのイオン成分の発生率は通常時には、炉内構造材の腐食によって生成されるクロム酸イオンの生成率に対応するものであることが実機データの詳細分析からわかった。また、国内プラントで経験されたPLRポンプの故障時に炉内に金属の破片が流入した場合には通常時の導電率増加量の値より有為に増大したことより、炉内での異常腐食等のモニタとして利用できることもわかった。さらに、導電率バランスを用いることで炉水浄化装置の除去効率が変化しない短時間での浄化系流量変化や給水導電率変化に対応する炉水導電率の過渡変化を精度良く予測することもできる。 有機不純物が炉内に流入した時の影響を定量的に評価するためには有機物の分解生成物と分解速度が必要である。これまでの実機事例をもとに陽イオン交換樹脂、陰イオン交換樹脂、アセトン、エチレングリコールの4つの有機物に対して高温、線照射下での分解実験を行なった。その結果、陽イオン交換樹脂の主要分解生成物は液相では硫酸イオンと炭酸イオン、気相では炭酸ガスであり、炉心における分解速度は4h-1と評価された。陰イオン交換樹脂では、液相でアンモニウムイオンと炭酸イオン、気相でアンモニアと炭酸ガスが主要分解生成物となり、分解速度は3h-1と評価された。アセトンの分解生成物は液相で酢酸と炭酸イオン、気相で炭酸ガスであり、エチレングリコールでは液相で蟻酸、メタノール、炭酸イオン、気相ではやはり炭酸ガスが主要分解生成物で、炉内の分解速度は共に2×103h-1と評価された。 異常の波及事象を評価することは適切なガイダンスを与えるために重要である。特に一次冷却系の線量当量率への波及効果は長時間に亘る蓄積効果となるため、その予測には数値シミュレーションが必要となる。機器、構造材料の異常に伴う不純物濃度変化から一次冷却系線量当量率まで一つのプログラムで評価を可能とする水質シミュレータを作成した。水質シミュレータは不純物のマスバランスを一次冷却系全体を約30に分割して約40種類について評価するものである。このため、マスバランスを記述する連立微分方程式の数は1000を超えるため運転サイクルに亘る長時間の解析には膨大な時間を要するので、ベクトル化と近似計算手法を導入した。1100MWeクラスの改良標準化プラントの仕様に基づき通常運転時の腐食生成物挙動を解析した結果、炉水中の60Co濃度はこれまでの実機データとほぼ対応し、モデル及びパラメータの設定が妥当であることがわかった。また、復水脱塩器からのカチオン樹脂10ppbのリークを5000EFPHで仮定した場合、炉水pHは7.01から5.75へと低下しそのまま放置した場合10000EFPHでの線量当量率が約50%上昇することが予測された。 以上、水質データに基づく一次冷却系機器、材料の異常診断システムの基本構成を確立し、その構成に基づき診断に必要なデータの収集から異常原因の同定と波及事象の予測までの一連の機能を作成しプロトタイプシステムを完成した。これにより、実機でのオンライン診断への足掛かりになると共に、異常時の対応に関する知識の伝承に役立つものと考える。 |