本論文は商用珪素鋼板の粒界に偏析したSbの検出や、自動車用深絞り鋼板中の固溶炭素の定量に低周波捩り内部摩擦測定法を応用し実用鋼板の品質向上をはかった一連の研究をまとめた論文である。エレクトロニクスの進歩が10-6Hzという低周波数の領域でも内部摩擦の測定を可能にしたので、従来専ら基礎的研究の手法という色彩の強かった内部摩擦法が製品の品質管理にも使える技術となったことを実例として示したのが本論文の特徴である。 論文は6章よりなる。 第1章は序論である。鉄鋼材料に生ずる内部摩擦ピークのタイプを分類し、低周波捩り法がピーク温度を下げ、測定中に鋼の内部の構造が変化する問題を避けるうえで好ましいことを指摘している。連続焼鈍法など近年の急冷を伴なう組織制御をうけた鋼ではこれは重要な意味をもつ。 第2章は捩り振子内部摩擦測定法の原理を述べた章である。珪素鋼板のように注目する領域の性格から試片が薄板となる場合、吊線補正が必要であるが、著者は捩り振子の運動方程式をもとにこれを理論的に詳細に検討し、その精度を実験的に検証している。 第3章は、これまでの粒界内部摩擦研究を調査し、これをまとめた章である。Keに始まった多結晶体の内部摩擦ピークの研究や高温バックグランドの研究を展望し、この分野が、近年再開したKeの研究やWoirgardの仕事にも関わらず、その微視的メカニズムに関して定説化が完了するところまで至っていないことを指摘している。 第4章は本論文の中心となる研究である。珪素鋼板において集合組織形成のために添加されるSbの粒界への偏析と、このときの二次再結晶の進行ぶりとを動的に追跡するために、この内部摩擦測定法を適用している。珪素鋼の粒界内部摩擦ピークは500℃付近に出現する溶媒ピークと600℃付近に生ずる溶質ピークとからなっており、これに高温バックグランドが重畳したスペクトルとして解析できることを珪素濃度の異なる各種珪素鋼板で実験的に明らかにしている。このうち、溶質ピークは本来、Siの粒界偏析によるものとされているが、Sb添加によりその温度依存性に顕著なヒステリシスが生じ昇温時と降温時でその値が異なる。これはSbが低温では粒界に偏析し、高温度では粒界から遊離するときSiの粒界偏析を変化させるためで、SiとSbの間に排斥的な相互作用があることを示しているとGuttmannとMcLeanの多元系偏析理論を用いて説明している。 一方、二次再結晶に関しては、高温バックグランドの低下によりこれを動的に解析し、Sbの役割は従来考えられていたように粒界偏析して一次再結晶粒の正常粒成長を抑制するというものではないことを結論した。そして、測定された二次再結晶の活性化エネルギー値131±0.6Kcal/molより、直接には分散第二相MnSeが正常粒成長抑制に利いていると推論している。このとき、SbはむしろこのMnSeの析出制御に利いているものとしている。 再結晶過程の機構解明という課題に対して、低周波捩り内部摩擦測定法が、従来の冶金学手法では感知できない内部構造変化を敏感に検出できる有力な技法であることを結論している。 第5章は同じく内部摩擦法を用いてフェライト・マルテンサイト2相鋼の内部組織変化を解析した研究である。自動車用高強度低合金鋼のSnockピークとSnock-Kosterピークとを測定することにより、鋼のフェライト相中の固溶炭素量やマルテンサイト分率を求めることができることを実験的に示した。2相鋼ではマルテンサイト分率が変化するとき、補正が必要で、Snockピークの高さがそのままフェライト中に固溶した炭素の濃度を示すわけではない。このマルテンサイト分率の測定法は従来の光学顕微鏡と比べて精度が高く、5%以下の微量でも検出できるので有利である。 第6章は総括である。 以上、本論文は低周波捩り内部摩擦測定法を用いて、珪素鋼中のSbの挙動やフェライト・マルテンサイト2相鋼中の炭素の挙動を解明し、これら実用鋼板の品質向上に貢献したもので、従来鉄鋼分野への応用が極めて限られていた内部摩擦法を製品の品質管理に使える技術にまで高めた優れた研究である。とくに粒界内部摩擦、高温バックグランドという、これまで専ら基礎的興味の対象であった諸現象を実用鋼の組織制御に使うことに成功した本研究の成果は材料学上高く評価される。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |