学位論文要旨



No 211938
著者(漢字) 金田,英彦
著者(英字)
著者(カナ) カネタ,ヒデヒコ
標題(和) 機器分析の石油鉱業への応用
標題(洋)
報告番号 211938
報告番号 乙11938
学位授与日 1994.09.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第11938号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 合志,陽一
 東京大学 教授 澤田,嗣郎
 東京大学 教授 氏平,祐輔
 東京大学 教授 田中,彰一
 東京大学 教授 小島,圭二
内容要旨

 石油鉱業は地下の原油・天然ガスを探査・採掘する産業で,様々な学問・技術の集合体である。その取扱い対象となる物質は,原油・天然ガスの他に,貯留層岩石,副産物の付随水,さらには油井用鋼管やプラントなどで使用する鉄など多岐に亘っている。石油鉱業における諸問題を解決する際にその第一歩として,これらの物質から様々な化学的情報を得る事は重要であるが,分析・試験技術を対象物質から必要かつ十分な情報を抽出する技術と位置付ければ,それは石油鉱業において重要な地位を占めている。著者はその複雑多岐に亘る試料の分析業務を通し,機器分析的手法の活用を図り,その有効性を立証したものであるが,以下に本論文の各章の内容の概要を述べる。

 第1章は総論であり,石油鉱業における機器分析を含めた分析化学の位置付け及びその特異性について論じ,本研究の目的について述べる。

 石油鉱業においては地質学・油層工学的発想が多く,物質を扱う化学に基いた発想に乏しい。またその対象が,原油・ガス・付随水・貯留岩石など天然物や,実験室内では再現困難な地下の不可視の物質・現象が多い。この石油鉱業の特異性のためか,分析業務は一般に数値提供としか見做されず,その作業上での情報が実際に利用する際に抜落ちたり,数値の誤用をする危険性が多々あった。

 本研究では,対象物質から必要かつ十分な情報を得るための手段として機器分析的手法を有効に利用し,化学的発想に基づいて石油鉱業における諸問題を解決することを目的とした。2〜4章に,石油鉱業に特有の問題に対して機器分析的手法を応用した例について述べる。

 第2章では貯留層岩石試料の迅速分析とその応用に関する研究について述べる。石油鉱業では岩石試料の分析は,一般に元素分析に蛍光X線分析法,鉱物分析にX線回折分析法が地質学からの転用で用いられている。これら従来の手法は時間・手間がかかるにも拘らず,原理や試料の存在状態によって分析精度を向上させるには限界がある。岩石中の成分の偏析を考えれば,貯留層岩石の多数試料の分析結果を統計的に処理することにより代表値を得ることが妥当性があると著者は考え,そのための迅速簡便な分析手法を開発することとした。

 2.2節では,岩石試料の元素分析にエネルギー分散型検出器を備えた蛍光X線分析装置を用い,ファンダメンタル・パラメータ(FP)法により定量した分析法(EDX-FP法)について述べる。試料調製も含め,迅速簡便な元素分析が可能となり,さらに,用意した多数の濃度既知試料の中から,スペクトル・マッチング法により,FP法の標準試料を選ぶことで精度も向上した。

 2.3節では,石油鉱業の生産分野において重要な鉱物である炭酸塩・粘土鉱物の迅速簡便な半定量分析に赤外拡散反射法を応用した分析法(DRS法)について述べる。簡便迅速を目的とするため,岩石粉末試料を希釈せず,そのまま拡散反射スペクトルを測定した(測定範囲:1600〜3800cm-1)。K/M変換後のスペクトルにおいて,石英ピーク強度を基準として,炭酸塩鉱物と粘土鉱物のピーク強度比をとり定量に用いた。石英含有量が同レベルであるならば,炭酸塩鉱物・粘土鉱物の一括定量が可能となり,実試料でのX線回折法との比較も良好であった。また,スペクトルを詳細に検討することで粘土鉱物種の分別が可能となった。

 2.4節では,EDX-FP法とDRS法とを実際の坑井試料に対して適用した例について述べる。従来のXRD法や放射能検層であるGLTから得られる情報との対比も良く,深度方向への元素・鉱物組成の増減の傾向を検討する際には,特に有効であることが判った。また,統計的処理により地層の代表的な化学的組成を得ることも可能であると判った。

 以上のように,地下の貯留層の代表的組成の把握というマクロ的観点から,岩石試料の元素分析にEDX-FP法,炭酸塩・粘土鉱物の分析にDRS法を検討し,実際の坑井試料への適用を試みた。その結果,実用上従来法とほぼ同等の情報が,より迅速簡便に得られるようになった。今後さらに,両者の併用及び大量データの統計処理により,貯留層の化学的組成に関する新たな知見が得られるものと期待される。

 第3章では,石油鉱業の生産分野において重要な問題である腐食防食に関連し,機器分析的手法を活用した例について述べる。具体的には,サワー(硫黄分リッチ)環境下での水素浸透現象及び高濃度塩溶液の異常な腐食挙動の場合について以下の各節で述べる。

 3.2,3.3節は,主としてクロマトグラフィーによって,サワー環境下での水素浸透現象を解明した例である。水素割れの原因とされているこの現象は,通常電気化学的測定により間接的に推定されているが,本研究では水素浸透によって増減する化合物の定量にガスクロマトグラフィーと液体クロマトグラフィーとを多用し,この現象の解明及び第1アミンがこれを抑制する効果のあることを立証した。実験において分析結果より判明した現象は次の通りである。金属表面にメルカプタン(R-S-H)が活性水素で吸着し,その水素が金属中に浸透する際に表面でジスルフィド(R-S-S-R)が生成する。浸透水素は反対側に用意された溶液中の不飽和化合物の水素添加に用いられる。さらに,第1アミンで金属表面を処理すると活性水素による吸着現象が抑制されることが判り,第1アミンの防食効果が理解された。

 3.4節は,坑井仕上流体に使用されるブラインと呼ばれる高濃度塩溶液が示す異常な腐食挙動について,その原因の解明に各種の腐食実験とNMR分析法とを利用した研究例である。すなわち,NMR分析法により,高濃度塩溶液では水分子がイオンの水和により拘束され,自由な水分子が少ないため,微量不純物(酸化剤)に対する化学的緩衝範囲が狭いことがわかった。現場使用の際にはこのような不純物の混入は避ける必要がある。

 このように,石油鉱業における腐食挙動を解明する上で,有機溶媒・高濃度塩溶液といった電気化学的手法を適用し難い系において、機器分析的手法は有効に活用できることを立証した。

 第4章は,環境問題に対して,機器分析的手法を応用した例である。石油鉱業における鉱害の法的規制等は他産業の公害のそれをそのまま転用する例が多いが,石油鉱業に特異な系ではそれが最適とは言い難いものも多々ある。

 4.2節では,水溶性ガス田かん水試料の有機汚濁の指標としてのCOD値とTOC値との比較について,分析的な立場から述べる。すなわち,かん水と汚濁海水及び有機物の水溶液の測定結果から,長年地下の還元性環境にあったかん水中の有機物は酸化剤による酸化率が高く,COD値が高めに測定される傾向にあることを導いた。かん水の場合には,酸化時に要求される酸素量を測定するCOD値よりも,直接汚濁物質を炭素化合物として測定するTOC値の方がより適切であると結論した。

 4.3,4.4節は,石油鉱業において問題化しつつある放射能問題について,油・ガス田での放射線・放射能測定を実施した例である。石油鉱業では,地層中の放射性核種の存在は古くより知られていたが,近年海外でこれに由来する原油・ガス採収施設内での放射性物質(NORMと呼ぶ)の蓄積が作業保安面上、問題視されつつあった。これに関し,国内油ガス田において,各種のサーベイメータ・被曝線量率計・in situ 測定器などで環境放射線・放射能測定を実施した結果,測定範囲内では自然レベルであり,それに寄与しているものは,土壌中の放射性物質(U系列,Th系列,40K)であることが判った。また,石油坑井の掘削現場・生産現場で取り扱うに物質(岩石・スラッジ類・坑井水)中の放射性物質濃度の定量分析を線スペクトロスコピーにて実施したところ,法定レベルを越える濃度では存在せず,作業保安面上の問題点は存在しないことが判明した。このようにNORM問題に関して,現状では法的規制は不要と結論した。

 このように水溶性ガス田かん水の有機汚濁,NORMといった石油鉱業に特異な環境問題には,他産業の公害関連法規をそのまま転用できないことを機器分析的手法により示した。

 第5章は総括であり,2〜4章で述べた機器分析的手法の応用例の意義を述べた後,国内の石油鉱業における機器分析の役割について論じる。各章の研究成果の意義は(1)〜(3)である。

 (1)地下の貯留層岩石の化学組成に関する情報を迅速簡便にマクロ的に把握する手段としての分析法を開発し,生産分野の諸問題に有効に利用した。この方法を発展させることで探鉱・地質分野,掘削分野など石油鉱業全般に亘って利用できるものと考えられる。

 (2)鉄表面でのミクロの現象を対象とする腐食挙動に関連し,クロマトグラフィー及びNMR法などの機器分析的手法により,主として腐食環境たる溶液側からの観点で腐食挙動を捉らることができた。

 (3)水溶性ガス田かん水の有機汚濁,NORM問題という石油鉱業に特異な公害・保安面でのニーズに対し、機器分析による測定と分析的な考察を行なった。その結果、法的な規制といった現実的な問題に対して、対応することができた。

 本研究論文は,従来十分に活用されているとは言い難かった機器分析的手段を石油鉱業の各分野に幅広く応用し,石油鉱業全般の技術向上に貢献したことを主張するものである。

 石油鉱業では,地下の状況や現象を把握する上で地下の情報は貴重なものである。国内石油鉱業の宿命(化学的発想の欠如・フィールドの少なさ・慢性的な人員不足)を考えれば、良質の情報を効率良く得るには機器分析の導入は必然である。その中で機器分析の長所である迅速性簡易性,また新規情報が得られる点で有効に活用できよう。

審査要旨

 本論文は5章よりなる。第1章は総論で研究の背景と概要を述べている。石油鉱業は地下の原油・天然ガスを探査・採掘する産業であり、それには様々な学問・技術が必要とされる。一般に物質生産工程上の問題を解決する際には、その対象物質から化学的情報を得ることが重要であるが、分析技術をそのための技術と位置付ければ、それは石油鉱業においても重要な位置を占めていると言える。しかし、国内石油鉱業における現状では、分析業務は一般に数値提供としか見做されず、その分析情報が実際に利用する際に抜け落ちたり、結果を誤用する危険性が多々あった。提出者は石油鉱業における複雑多岐に亘る試料の分析業務を通し、従来十分な応用がなされていなかった機器分析的手法の活用を図り、問題解決における有効性を立証した。以下に各論の概要を述べる。

 第2章では貯留層岩石試料の迅速分析とその応用に関する研究について述べている。従来岩石試料の分析には、地質学からの転用でX線回折分析法等が用いられているが、これは時間・手間がかかり、また分析精度を向上させるには原理的に限界がある。成分の偏析を考えれば、岩石の多数試料の分析結果を統計的に処理することにより代表値を得ることが実用上は妥当性があると考え、次の迅速簡便な分析法を開発検討した。

 具体的には、岩石試料の元素分析にエネルギー分散型蛍光X線分析装置とファンダメンタル・パラメーク法を組み合わせたEDX-FP法を、また炭酸塩・粘土鉱物の定量分析に粉末を希釈なしで赤外域の拡散反射スペクトルを測定するDRS法を検討した。その結果試料調製も含め、多数試料の迅速簡便な分析が可能となり、実用上従来法とほぼ同等の情報が得られるようになった。また、種々の実坑井試料に対して適用した結果、従来法や放射能検層から得られろ情報との対比も良く、深度方向への元素・鉱物組成の増減の傾向を検討する際には、特に有効であることが判った。

 第3章では、石油鉱業の生産分野において重要な問題である腐食防食に関連し、電気化学的手法を適用し難い次の2例において、機器分析的手法を有効に活用した成果を述べている。

 サワー(硫黄分リッチ)環境下での水素浸透現象に関して、主としてガスクロマトグラフィー・液体クロマトグラフィーを活用することにより、現象の解明を図った。その結果は次のようなものである。金属表面にメルカプタンが活性水素で吸着し、その水素が金属中に浸透する際に表面でジスルフィドが生成する。浸透水素は反対側に用意された溶液中の不飽和化合物の水素添加により測定した。第1アミンで金属表面を処理すると活性水素による吸着現象が抑制されることが定量的に判明し、第1アミン処理による防食効果のメカニズムが明らかとなった。

 石油坑井の仕上流体に使用されるブラインと呼ばれる高濃度塩溶液は異常な腐食挙動を示す場合がある。その原因の解明に各種の腐食実験とNMR分析法とを利用している。NMRにより、ブライン中ではイオンの水和により水分子が拘束され、自由な水分子が少ないため、微量不純物(酸化剤)に対する化学的緩衝範囲が狭いことがわかった。ブラインの現場使用の際には不純物の効果が異常に増大するため、その混入は避ける必要があることを明らかにした。

 第4章では、石油鉱業の環境問題に関して、他産業の公害の法的規制等がそのまま転用されることが多いが、石油鉱業に特異な系ではそれが最適とは言い難い2例について機器分析の観点から問題点を解明している。

 第1に水溶性ガス田かん水試料の有機汚濁の指標としてのCOD値とTOC値の適合性の比較を、分析的な立場から行った。すなわち、長年地下の還元性環境にあったかん水は、元々公害の規制対象である工場排水中の有機化合物に比較し、COD制定時の酸化剤による酸化率が高く、その値が高めに測定されろ傾向にあることを明らかにした。これに基づいてかん水の場合には、COD値よりも、直接汚濁物質を炭素化合物として測定するTOC値の方がより適切であると結論している。

 次に、海外石油鉱業において問題となったNORM問題に関し、国内での油・ガス田での放射線・放射能測定を実施した例を述べている。地層中の放射性核種の存在は古くより知られていたが、海外ではこれに由来する採取施設内での放射性物質(NORM)の蓄積が報じられ作業保安面での法的規制等が検討された。これに関し、各種の放射線計測器で環境放射線を測定した結果、これは土壌中の放射性物質(U系列、Th系列、40K)が寄与しており、測定範囲内では自然レベルであった。また、石油坑井の掘削・生産現場で取り扱う物質(岩石・スラッジ類・坑井水)中の放射性物質濃度の定量分析を線スペクトロスコピーにて実施した結果、日本では法的レベルを越える濃度では存在せず、作業保安面上の問題点は存在しないことが判明し、現状では法的規制は不要と結論している。

 第5章は総括であり、研究のまとめとして石油鉱業における分析業務の役割を論じ、とりわけ機器分析の有用性を強調し、今後の展望を述べている。以上、本論文は石油鉱業における機器分析の利用について新しい知見を多く得ており学術上の寄与が大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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