学位論文要旨



No 211945
著者(漢字) 酒井,敦
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,アツシ
標題(和) DNA-タンパク質複合体の機能モデルとしてのタバコ単離色素体核の解析
標題(洋)
報告番号 211945
報告番号 乙11945
学位授与日 1994.09.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第11945号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒岩,常祥
 東京大学 助教授 箸本,春樹
 東京大学 教授 渡辺,昭
 東京大学 教授 長田,敏行
 東京大学 助教授 池内,昌彦
内容要旨 序論

 細胞核DNAは、ヒストンをはじめとするタンパク質との相互作用によりクロマチン構造を形成しており、クロマチンの構造変化は細胞分化にともなう遺伝子活性の変動と密接な関連があると考えられている。クロマチンの構造変化と遺伝子機能との相関、あるいはその機構を明らかにするには、構造と機能を保持した状態でクロマチンを単離する必要がある。しかし、細胞核のゲノムサイズは非常に大きいため、クロマチンの単離は常にその切断をともない、またゲノム全体を扱うことができないという困難があった。

 細胞核DNAと同様に、色素体のDNAもタンパク質との相互作用により高次に組織化された「色素体核」の状態で存在し、その機能を発現している(黒岩ら1981)。色素体のゲノムサイズは120-180kbpと比較的小さく、いくつかの植物種ではその全塩基配列が決定されており、ゲノム全体を研究対象とすることが可能である。また、色素体分化にともなって色素体核の構造(形状、DNA含量、構成タンパク質など)には顕著な変化がみられ(宮村ら1986、根本ら1990)、転写・複製機能も大きく変動することが示唆されている。こうしたことから、色素体核は、DNA-タンパク質複合体の構造と機能の関連を解析するのに好適なモデル系になり得ると考えられる。

 私はこうした観点から、構造と機能を保持した状態で色素体核を単離することを目的として研究を行い、修士論文では高次構造を保った状態で色素体核を単離し、それが転写機能を保持していることを明らかにした。本研究では単離色素体核のDNA合成機能について解析を行い、単離色素体核がその高次構造、転写機能とともに複製機能も保持していることを明らかにした。さらに、色素体分化にともなう色素体ゲノム機能のin vivoにおける変化をサザン/ノーザン解析等により推定し、単離色素体核のin vitro転写・DNA合成機能の変化と比較した。これにより、各色素体における色素体ゲノムの特徴的な機能発現パターンを明らかにするとともに単離色素体核の機能がin vivoにおける色素体ゲノムの機能を反映したものであることを示し、単離色素体核を用いて色素体ゲノムの機能と色素体核構造の関連を解析するための基礎を築いた。

結果と考察I.単離色素体核の機能解析

 単離色素体核の基本的な機能解析は、根本ら(1988)の方法に従ってタバコ(Nicotiana tabacum L.)培養細胞BY-2から単離した原色素体核を用いて行った。単離原色素体核は、DAPI蛍光顕微鏡観察によりコンパクトな蛍光スポットとして、また電子顕微鏡観察によりヌクレオソーム様のビーズ構造が三次元的に折り畳まれた構造として観察され、in vivoにおける高次構造を保持していることがわかる(図1、図3)。

 このような高次構造を保持した単離色素体核は、単離色素体とほぼ同等の[3H]UTP取り込み活性を示した(表1)。各種阻害剤や外来の鋳型DNAに対する反応等から、この取り込み活性は単離色素体核に内在する色素体RNAポリメラーゼによる転写産物伸長反応であると考えられる。単離色素体核由来のin vitro転写産物をプローブとするサザンハイプリダイゼーションの結果、in vitro転写産物は色素体DNAに相補的であり、その構成はin vivoにおいて蓄積している色素体転写産物の構成と類似していることが明らかになった。

 DNA合成機能についても同様の解析を行い、単離色素体核がかなり高い[3H]dCTP取り込み活性を示すことがわかった(表1)。反応の至適条件、阻害剤に対する応答、ゲル内アッセイ法によるポリメラーゼの分子量同定、反応産物の解析(図2)などから、この取り込み活性は色素体のDNAポリメラーゼによる色素体DNAの合成反応であることが明らかになった。また、単離色素体核は内在性のDNase活性をほとんど持たず、in vitroでの転写・DNA合成活性の測定に適していることがわかった。

 従来、色素体からはTranscriptionally Active Chromosome(TAC)と呼ばれるDNA-タンパク質複合体が単離されていた。単離色素体核の持つ高次構造、転写およびDNA合成能の保持という特徴をより明確にするために、TACと単離色素体核の形態・機能を比較した。TACは、単離色素体を1% Triton X-100で可溶化し、セファロースカラムを用いたゲルろ過を行うことにより単離される。DAPI蛍光顕微鏡観察すると、単離色素体核がコンパクトな蛍光スポットとして観察されるのに対して、TACは核構造が分散している(図3)。TACの単位DNA当たりの転写活性は単離色素体核の約20%、DNA合成活性は2%と極めて低かった(表1)。このように、単離色素体核は従来法で単離される色素体DNA-タンパク質複合体、TACに比べ高次構造が保持されており、転写・DNA合成活性も高く、in vivoにおける色素体ゲノムの機能を保持している可能性が高い。

 そこで、単離色素体核がin vivoにおける色素体ゲノムの機能を保持しているかどうかを調べるために、単離色素体核のin vitro転写・DNA合成系が色素体分化にともなう色素体ゲノムの機能変化を再現できるかどうか調べた。色素体分化の基本として原色素体、葉緑体およびアミロプラストの三型を解析対象に選び、in vivoでの色素体ゲノムの転写・複製機能の変化をサザン/ノーザン解析等により推定し、単離色素体核のin vitro転写・DNA合成活性の変化と比較した。以下に、それぞれの解析結果を順次述べる。

II.タバコ培養細胞BY-2の増殖過程における色素体ゲノムの機能変化

 タバコ培養細胞BY-2は、通常の培養条件では原色素体を持つ。定常期にあるBY-2細胞を新鮮培地に植え継ぐと、細胞は数時間のラグの後対数増殖期に入り、4-5日目には再び定常期に入る。この過程における色素体核の形態変化をDAPI蛍光顕微鏡観察すると、植え継ぎ後24時間で色素体核のDNA含量が約7倍に増加することが認められる。これは、植え継ぎ直後に色素体DNAの合成が活性化されることを示唆している。そこで、定量サザンハイプリダイゼーションにより色素体DNAの増加曲線を描き、それを基に単位色素体DNA当たりの色素体DNAの増加速度の変化を求めた。色素体DNAの増加速度は植え継ぎ後24時間以内に約6倍に増大した後急速に低下し、定常期にはいると逆に色素体DNAの分解が起こることが明らかになった。色素体転写産物に関しては、顕著な変化は見られなかった。一方、培養過程を追って経時的に単離した色素体核の転写・DNA合成活性の変化を調べると、DNA合成は植え継ぎ後24時間以内に約5倍の活性化を示したが、転写活性は培養過程を通じてほぼ一定で(図4)、in vitro転写産物の構成にも顕著な変化はなかった。これらの結果は、BY-2の培養過程では色素体ゲノムの一過的な複製活性の増大と定常的な転写が起こっていること、単離色素体核を用いたin vitroアッセイ系はこうした変化を反映することを示している。

III.葉緑体分化にともなう色素体ゲノムの機能変化

 タバコ成熟葉の葉肉細胞の葉緑体と、タバコ培養細胞BY-2の原色素体における色素体ゲノムの機能を比較解析した。葉肉細胞の細胞当たりの色素体DNAコピー数は培養細胞の約5倍であったが、成熟葉の葉肉細胞では色素体ゲノムの複製はすでに不活発であると考えられる。9種類の代表的な色素体遺伝子(表2)についてノーザン解析を行い、一定量の色素体DNAあたりの転写産物量を比較すると、RuBisCOや光合成電子伝達系タンパク質、rRNA遺伝子の転写産物は葉肉細胞の方が4-100倍多く、ATP合成酵素複合体タンパク質遺伝子群はほぼ同量、RNAポリメラーゼやリポソームタンパク質の遺伝子の転写産物量は培養細胞の方が多いことが分かった(図6参照)。単離葉緑体核のDNA合成活性は植え継ぎ1日目の原色素体核の35%と低く、あまりDNA合成を行わない時期の原色素体核の活性とほぼ等しい(図5)。単離葉緑体核のin vitro転写活性は、単離原色素体核の約20倍と極めて高い(図5)が、葉緑体分化にともなう転写の活性化の程度は遺伝子ごとに異なっている(図6参照)。個々の遺伝子について、葉緑体と原色素体におけるin vitro転写活性の比と転写産物量の比を調べたところ、両者の間には相関が見られた(図6)。以上の結果は、単離色素体核のin vitro転写活性の変化がin vivoにおける色素体ゲノムの転写機能の変化を反映していることを示すと同時に、色素体転写産物量の調節に転写活性の制御が重要であることを示唆している。

図表図1.単離原色素体核の全載ネガティプ染色法による電子顕微鏡像。a:全景、b:一部の拡大。ビーズ状の構造がみられる。バーは0.1m。 / 図2.単離色素体核のin vitro DNA合成産物とポリメラーゼの解析。 A:反応産物の解析。単離色素体核に[-32P]dCTP存在下でDNA合成反応を行わせた。反応後DNAを制限酵素HindIUで切断、アガロースゲル電気泳動後、(a)EB染色、(b)オートラジオグラフィーを行った。何れも色素体DNAに特徴的なバンドバターンを示す。 B:ポリメラーゼの解析。単離原色素体核タンパク質を変性サケ精子DNAを含むSDSポリアクリルアミドで電気泳動後renatureし、[-32P]dCTP存在下、ゲル内でDNA合成反応を行わせた。(a)CBB染色、(b)単離色素体核中のDNAポリメラーゼの活性バンド(116 kDa)、(c)Klenowフラグメントの活性バンド(76 kDa)。 / 図3.単離色素体核とTACの形態比較。(a)プロトプラスト内部における色素体核、(b)単離色素体核、(c)TACのDAPI蛍光顕微鏡像。色素体核はコンパクトな蛍光スポットとして観察されるのに対し、TACでは構造が拡散している。CN;細胞核、バーは1m。 / 図4.タバコ培養細胞BY-2の培養過程における単離色素体核の機能変化。 新鮮培地に植え継ぎ後経時的に色素体核を単離し、in vitroにおけるDNA合成および転写活性を調べた。横軸は植え継ぎ後の時間、縦軸は単位DNA当たりの転写・DNA合成活性を、植え継ぎ時の活性を1とする相対値で示す。DNA合成は植え継ぎ直後に活性化される。転写活性は培養過程を通じてほぼ一定である。異なるシンボルはそれぞれ独立の実験を示す。 / 図5.単離葉緑体核と単離原色素体核のDNA合成および転写活性の比較。タバコ植物体成熟葉から単離した葉縁体核と植え継ぎ後1日目の培養細胞BY-2から単離した原色素体核のDNA合成および転写活性を比較した。横軸は反応時間、縦軸は単位DNAあたり、高分子画分に取り込まれた[3H]dCTPあるいは[3H]UTPの放射能を示す。■は原色素体核、●は葉緑体核。 / 表1.単離色素体、単離色素体核、TACのin vitro転写・DNA合成活性の比較 一定量の色素体DNAあたり26℃、1時間の反応で高分子画分に取り込まれる[3H]UTPまたは[3H]dCTPの放射能を測定した。数値は単離色素体核の転写・DNA合成活性をそれぞれ100としたときの相対値。
IV.アミロプラスト分化過程における色素体ゲノムの機能変化

 タバコ培養細胞BY-2において原色素体からアミロプラストへの分化を誘導する実験系を開発し(図7)、分化にともなう色素体ゲノムの機能変化と単離色素体核の機能変化の関係を経時的に解析した。定常期のBY-2細胞を、オーキシン(2、4-D)を含まずサイトカイニン(BA)を添加した改変培地に植え継ぐと、細胞はほとんど分裂・増殖せず、色素体は大量のデンプンを蓄積して48時間以内にアミロプラスト化する。この過程では細胞当たりの色素体数、色素体DNAコピー数もほぼ一定であり(図8)、色素体のDNA合成・分裂増殖は活性化されない。色素体DNA当たりの色素体転写産物蓄積量の変化を調べると、psbA(光化学系II反応中心32kDaタンパク質遺伝子)とpsaA/B(光化学系I反応中心P700アポタンパク質A1/A2遺伝子)転写産物は培養過程を通じて増加を続け、他の多くの転写産物は培養のごく初期に蓄積量が増大した後、増加を停止することがわかった。これは、アミロプラスト分化過程においてpsbA,psaA/B両遺伝子の転写活性が相対的に高く保たれることを示唆している。アミロプラスト分化誘導過程では、単離色素体核のDNA合成活性は顕著な活性上昇を示さなかった。一方、単離色素体核のin vitro転写活性は24時間で植え継ぎ時の30%にまで急速に低下する(図9)。in vitro転写産物をプローブとするハイブリダイゼーションにより個々の色素体遺伝子の転写活性の変化を調べると、psbAとpsaA/Bの転写活性は24時間目でもそれぞれ植え継ぎ時の33%および14%に保たれているのに対し、他の遺伝子の転写活性は4%以下に低下していた(図10)。これらの結果は、アミロプラスト分化過程では色素体ゲノムの複製は活性化されず、転写活性も低下するが、psbAなど一部の遺伝子は転写活性が比較的高く保持されることを示している。このようなアミロプラスト分化過程における色素体ゲノムの機能変化は、本研究により初めて明らかになった。今後は、こうした色素体ゲノムの機能変化の制御機構を色素体核の構造との関連を念頭におきつつ詳細に解析して行きたい。

図表図6.葉緑体と原色素体における色素体遺伝子のin vitro転写活性比と転写産物蓄積量比の関係。 図中に示した9種類の色素体遺伝子について、横軸に単離色素体核のin vitro転写活性の比(CPN/PPN)を、縦軸に転写産物蓄積量の比(CP/PP)をプロットした。rpl16遺伝子を除いて、葉緑体分化にともなう転写の活性化と転写産物蓄積量の増加の間に相関がある。遺伝子名は表2参照。 / 図7.タバコ培養細胞BY-2におけるアミロプラスト分化の誘導。A;誘導系の模式図。定常期にある細胞(左)を通常培地に植え継ぐと色素体は未分化な原色素体の状態を保つ(上)。2,4-Dを含まずBAを含む改変培地に植え継ぐとアミロプラストの形成が誘導される(下)。B;通常培地(+2,4-D)および改変培地(+BA)における細胞数(●)と細胞当たりのデンプン含量(○)の時間変化。改変培地では細胞は増殖せず、デンプンを蓄積する。 / 図8.アミロプラスト分化過程における色素体DNAレベルの変化。アミロプラスト分化誘導培地に植え継ぎ後、経時的に全細胞DNAを抽出し制限酵素HindIIIで切断、電気泳動後、(a)細胞核rRNA遺伝子および(b)色素体psaA/B遺伝子をプローブとするサザンハイプリダイゼーションを行ない、細胞核および色素体のDNA量の変化を調べた。(c)は細胞当たりの色素体DNAレベルの経時変化。横軸は植え継ぎ後の時間、縦軸は色素体DNAレベルを植え継ぎ時を100%とする相対値で示す。垂直のバーは標準偏差。 / 図9.アミロプラスト分化過程における単離色素体核の転写活性の変化。横軸は植え継ぎ後の時間、縦軸は単離色素体核の単位DNA当たりの転写活性を、植え継ぎ時を100%とする相対値で示す。垂直のバーは標準偏差。 / 図10.アミロプラスト分化過程における色素体遺伝子の転写活性の変化。アミロプラスト分化誘導培地に植え継ぎ後、0,6,12,24,48時間目の細胞から色素体核を単離し、DNA量を揃えた後、[-32P]UTP存在下でin vitro転写反応を行わせ、32P-転写産物を色素体遺伝子プローブのセットに対してハイブリダイズした。A;オートラジオグラム。各列の下の数字は植え継ぎ後の時間。左の遺伝子名はプロットしてあるプローブを示す。B;各遺伝子の転写活性の経時変化。横軸は植え継ぎ後の時間、縦軸はオートラジオグラムのシグナル強度を、各遺伝子について植え継ぎ時の値を100%とする相対値で示している。 / 表2.本研究で解析に用いた色素体遺伝子
まとめ

 本研究により以下のことを明らかにした。

 1.単離色素体核は、ヌクレオソーム様の構造が三次元的に折り畳まれた高次構造を保っており、転写およびDNA合成活性も保持している。これとは対照的に、色素体から従来の方法で単離されるDNA-タンパク質複合体(Transcriptionally Active Chromosome,TAC)は、in vivoで見られる高次構造が保たれておらず、転写活性、DNA合成活性とも単離色素体核に比べて低い。

 2.タバコ培養細胞BY-2の培養過程では、色素体の遺伝子発現は培養過程を通じて定常的に行われるが、色素体ゲノムの複製は細胞増殖のごく初期に一過的に活性化される。単離色素体核をもちいたin vitroアッセイ系は、こうした機能変化を反映する。

 3.成熟葉の葉緑体と培養細胞の原色素体を比較すると、葉緑体では遺伝子発現は活発だが複製機能は低いと考えられる。単離色素体核の転写・DNA合成活性の変化はこうした機能変化とよく一致している。また、個々の遺伝子のin vitro転写活性の変化とin vivoにおける転写産物蓄積量の変化の間にも相関が見られる。

 4.タバコ培養細胞BY-2におけるアミロプラスト分化誘導過程では、色素体ゲノムの複製は活性化されず、psbA、psaA/Bといった光化学系反応中心タンパク質遺伝子のmRNA量が相対的に高くなる。単離色素体核のin vitroにおける転写・DNA合成活性の変化は、こうした機能変化と矛盾しない。

 以上の解析を通じて、原色素体、葉緑体、アミロプラストにおける特徴的な色素体ゲノムの機能発現の様相を明らかにし、単離色素体核が高次構造、転写・複製機能の何れについてもin vivoにおける色素体ゲノムの状態を保持していることを示した。今後はDNA結合タンパク質の同定、ヌクレアーゼに対する感受性部位の探索、電子顕微鏡による微細構造の観察など単離色素体核の構造面の解析や色素体核の機能的再構成実験を行うことにより、色素体核の構造と機能の関連を解明していくことができると考えられる。

審査要旨

 本論文は4章からなり、第1章では色素体核(色素体のDNA-タンパク質複合体)の単離とそのキャラクタライゼーションについて、第2章では単離色素体核を用いたin vitro DNA合成系の開発と原色素体増殖過程における色素体ゲノムの複製制御について、第3章では単離色素体核を用いたin vitro転写系の開発と葉緑体分化過程における色素体遺伝子の転写制御について、第4章ではタバコ培養細胞におけるアミロプラスト分化誘導系の開発とアミロプラスト形成過程における色素体ゲノムの転写・複製機能の変化について述べられている。

 生命の遺伝情報を担うDNAは、生体内ではタンパク質との相互作用により高次に組織化された状態で存在する。これらDNA-タンパク質複合体の構造変化は、ゲノムの複製や遺伝情報の発現に多大な影響を与えるものと考えられているが、確証は得られていない。色素体DNAもタンパク質と結合し、コンバクトに組織化された「色素体核」としてその機能を発現している。色素体核の構造と色素体ゲノムの転写・複製機能は、色素体分化過程で著しく変動することが示唆されている。また、色素体のゲノムサイズは120-180kbpと小さい。従って、色素体分化にともなう色素体核の構造と機能の変化は、DNA-タンパク質複合体の構造と転写・複製機能の関係を解析するうえで理想的なモデル系になり得る。論文提出者は、こうした観点から、色素体核の構造-機能連関の解析を目標として研究を行った。

 色素体核の構造と機能の関連を解析するためには、構造と転写・複製機能を保持した色素体核の単離が必須であった。論文提出者は、第1章で、タバコ培養細胞BY-2の原色素体から、(1)高次構造の保持に重点をおく新しい方法と、(2)転写活性のみを指標とする従来の方法の2通りの単離法に従って、それぞれ「単離色素体核」および「Transeriptionally Active Chromosome(TAC)」と呼ばれるDNA-タンパク質複合体を単離し、その形態を比較した。その結果、単離色素体核は、DAPI蛍光顕微鏡観察によりコンパクトな蛍光スポットとして、また電子顕微鏡観察によりヌクレオソーム様のビーズ構造が三次元的に折り畳まれた構造として観察され、その高次構造が保持されているのに対し、TACは核構造が分散しており、高次構造が保たれていないことを明らかにした。さらに、単離色素体核の単位DNA当たりのUTP取り込み活性はTACの約5倍、dCTP取り込み活性は約50倍と極めて高く、単離色素体核はその高次構造だけでなく、in vivoにおける転写・複製機能もより良く保持している可能性が高いことを示した。

 第2章では、単離色素体核のdCTP取り込み活性を詳細に解析し、色素体ゲノムのDNA合成能を測定するin vitroアッセイ系を開発した。単離色素体核は、膜画分の大部分と可溶性成分を失っているにも関わらず、単離色素体に匹敵する高いdCTP取り込み活性を示す。しかも、単離色素体の状態では内在性のDNase活性が検出されるのに対し単離色素体核にはそうした活性は検出されない。DNaseの混入がなく、高いdCTP取り込み活性を保持している単離色素体核は、DNA合成活性の測定に適していることが明らかになった。さらに、各種阻害剤処理や反応条件に対する応答、反応産物やDNAポリメラーゼの見かけの分子量の測定等により、単離色素体核のdCTP取り込みが、色素体に特異的な-like DNAポリメラーゼによる色素体DNAの合成反応であることを明らかにし、色素体ゲノムのDNA合成速度を測定するin vitroアッセイ系を確立した。論文提出者はさらに、この新しいアッセイ系を用いてタバコ培養細胞BY-2の増殖過程における色素体ゲノムの複製制御を解析している。定常期に入ったBY-2細胞を新しい培地に植え継ぐと、細胞は増殖を再開する。植え継ぎ後約12時間目から72時間目までが対数増殖期、96時間目以降が定常期に相当する。DAPI蛍光顕微鏡観察および定量的サザンハイプリダイゼーションの結果、植え継ぎ後24時間以内、細胞増殖のごく初期に色素体DNA量が著しく増加することが示された。単離色素体核のDNA合成活性は植え継ぎ後24時間以内に約5倍の活性化を示し、細胞増殖のごく初期に色素体ゲノムの複製が一過的に活性化されることが明らかになった。

 第3章では、単離色素体核のUTP取り込み活性が色素体特異的なRNAポリメラーゼによる転写反応であることを明らかにし、色素体ゲノムの転写活性を測定するin vitro転写系を確立した。さらに、タバコ成熟葉の葉肉細胞の葉緑体と、タバコ培養細胞BY-2の原色素体における色素体ゲノムの機能を比較解析した。葉肉細胞から単離した葉緑体核のDNA合成活性はBY-2から単離した原色素体核の1/3程度と低かったが、逆に、転写活性は約15倍の値を示した。葉緑体核と原色素体核では個々の色素体遺伝子の相対的な転写速度も変化していた。論文提出者は、こうした色素体遺伝子の転写活性の変化と転写産物蓄積量の変化の間に一定の相関がみられることを示し、葉緑体分化過程では個々の色素体遺伝子の転写制御が転写産物蓄積量の決定、ひいては色素体遺伝子の発現制御において重要な役割を果たしていることを示唆した。

 第4章では、タバコ培養細胞BY-2において原色素体からアミロプラストへの分化を誘導する実験系を開発し、分化にともなう色素体ゲノムの機能変化を経時的に解析している。定常期のBY-2細胞を、オーキシン(2,4-D)を含まずサイトカイニン(BA)を添加した改変培地に植え継ぐと、細胞はほとんど分裂・増殖せず、色素体は大量のデンプンを蓄積して48時間以内にアミロプラスト化する。この過程では細胞当たりの色素体数、色素体DNAコピー数もほぼ一定であり、単離色素体核のDNA合成活性も顕著な上昇を示さない。単離色素体核の転写活性は植え継ぎ後急速に低下する。多くの色素体遺伝子の転写は植え継ぎ後24時間でほとんど停止してしまい、その転写産物は増加を停止する。例外的に、psbA(光化学系II反応中心32kDaタンパク質遺伝子)とpsaA/B(光化学系I反応中心P700アポタンパク質A1/A2遺伝子)の転写活性は培養過程を通じて比較的高く保たれており、その転写産物は増加し続ける。転写・複製機能の低下と共に、多くの色素体遺伝子の転写活性が低下するにも関わらず転写産物蓄積量はそれほど減少しないことから、アミロプラストでは転写産物の分解速度が極めて遅くなっていることが示唆された。

 こうした一連の解析を通して、論文提出者は常に複数の手法を併用することにより、新たに開発した単離色素体核のin vitroアッセイ系がin vivoにおける色素体ゲノムの機能変化を再現し得ることを確認しつつ、原色素体、葉緑体、アミロプラストにおける色素体ゲノムの転写・複製機能の変化を明らかにし、さらに、サウスウェスタンプロッティング法により、色素体分化にともなって色素体核を構成するDNA結合タンパク質が変動することも示した。こうした一連の研究により、単離色素体核が高次構造、転写・複製機能を保持したDNA-タンパク質複合体であることを明らかにし、色素体ゲノムの機能制御機構を色素体核の構造変化という観点から解析するための基礎を築いた本論文提出者の業績は優れている。なお、本論文の第1、2、3、4章は河野重行、黒岩常祥両氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。従って、博士(理学)を授与できると認める。

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