建築家にとって、建築の様式創造を果たすことは大いなる夢である。同時に、それは一つの文明、国家、民族の願望でもある。とりわけ、幕末・開国以降の近代日本が直面した世界史的状況下にあっては、殊更のことであった。日本近代建築史を貫く通奏低音は、まさしくここにあるといえる。しかし現実の事態は、はたして所期の夢と願望を実現しえたであろうかとの問いは、つねに反復され、その問いかけ自体がいまや一つの歴史をも形成している。都市の風景を直視し、建築家としての自己意識をさらに意識化するとき、両者の間には埋めつくしがたい溝が洞視されるのである。先人たる建築家たちの苦悩の歴史に照らして、あらためて現在の事として設問されなければならない。建築の様式創造へ向けて、建築論的思惟が要請されているのである。 〈序章本論の主題と方法〉 本研究は、上述の問題意識に立脚し、建築の様式創造への建築論的思惟に関する内在的構造を、建築家の内面性における存在論的力動として解明せんとするものである。 第一に、建築家の自己意識のさらなる意識化にもとづき、現実の都市の風景と建築家の実存の間に存在する事態を覚醒された意識へともたらすこと。第二に、建築批評、建築史学、建築意匠、建築論などの建築諸学に対し、建築哲学もしくは哲学的建築学ともいうべき統合的視座にたち、建築的事象をして全体的・全一的に把持すること。第三に、そうした立場として、「建築」を仮説的にエポケーした歴史意匠および制作論の立場において探究する。すなわち建築史を歴史とし、建築意匠を意匠とし、かつ歴史と意匠を根源的一体性において、制作論的に、かつ建築家の内面性において問うことである。 方法的には、古代ギリシアの哲人プラトンによる問答法(ディアレクティケー)に示唆され、近代日本の建築的アポリアのうちにどこまでもとどまるべく、幾重にも問いは反復される。その反復的な問いかけは、建築家特有の建築的営為に逆対応的に反省される。前章・前節の問いは次章・次節へと重層的・錯綜的に構造化され、建築の全体性を見失うことなく、建築家の透徹した魂において全一的に直覚せられるべく、力動的に遡行する。かつその過程において、方法それ自体が、主題との関連において相即的に反省されるのである。 〈第1章近代東アジアおよび日本の建築的アポリア〉 東アジアおよび日本における建築をめぐる近代のアポリアを通時的かつ共時的に抽出し、定位する。東アジアおよび日本に関する近代建築史研究の成果に依拠しつつ、歴史的叙述とはあえて一線を画し、直截に建築的アポリアの定位が試みられる。 第1節では、とりわけ、そのアポリアを見事に受苦しうる状況、立場にあった日本の場合を見定めるべく、近代東アジア世界にあって、日本との相互的関係にあった韓国について論及する。宗主国と植民地との関係がともすれば過大視されるのに比し、韓国内における建築史的事実に即して、日本統治下にもかかわらず、外国公館・キリスト教関係などの建築活動、外国人建築家の活躍に着目し、"日帝"のイメージの過大視への疑問を提示する。 第2節では、近代東アジア建築世界の上述の状況を踏まえ、近代日本における建築的アポリアの定位を試みる。世称有名な「様式論争」が開催された1910年頃から、モダニズムの建築が本格的に紹介され、実作される1930年頃までの約20年間を、様式創造への建築論的思惟が挑戦された思想圏として把える。そこでは、伝統と洋風と和風とモダニズムが、錯綜的に同時存在し、かつ建築家の自己意識の分裂的状況(アイデンティティ・クライシス)が生起していたことを指摘する。 〈第2章建築的に創られた真実〉 建築的アポリアの自覚は、様式創造の十全なる実現へおいてこそ克服されるものである。しかし、その克服への途はけっして平坦ではない。知識人としての建築家にとって、それは永遠なる課題として、無限に反復されることとなる。現在にいたる幾多の挑戦と挫折の歴史を洞視するとき、一つの試みとして、建築家特有の建築的営為に即した建築論的思惟を行うことが、アポリアの克服への途を開明するであろうと考えられるのである。 第1節では、様式創造への建築論的思惟を促すべく、実証的建築史学から建築史論へ、自律的形態論から造型論へと建築的思考の枠組みを解放し、かつ両者の接点において建築的事象が成立すること、あわせて本章全体の見取り図が提示される。 第2節では、さらに建築創造をめぐる歴史と造形に関する議論を整理し、"場"としての建築作品において、歴史性と造形性は根源的一体性のもとにある、建築的に創られた真実すなわちミュートスであることが描出される。建築的事象はここに、主題化され、成立根拠を得る。 第3節では、建築的に創られた真実としてのミュートスを措定しつつ、建築様式、建築史像、建築観の再構成と再構築が、建築的アポリアとの相関性において論述され、仮象および仮象性のもとに建築家の自己意識が活動されるべきであることが指摘される。 第4節では、第3節における問題意識を踏まえ、さらに建築家の連築的営為の場面へと内在化することによって、その論理構造が建築手法と建築言語の産出に深くかかわることが、建築的アポリアとの相関性において論述され、建築手法と方法意識の根底としての建築作法において心身合一的に統一されていることが開明される。ここにおいて、直面する事態は、制作論的移行への端緒か開かれ、かつ、過去への制作から過去からの制作へと転回し、建築的営為それ自体の"虚化"によって、自己超越性が可能となり、建築的アポリアとの邂逅が準備される。 第5節では、かくして対象としての状況の認識は、建築家の実存として意識化され、身体的に受苦されるとき、それは生き生きした現在としての建築空間の存在が建築家その人に啓示され、いっさいの一見して非建築的事象をも包摂したところの、生活次元のリアリティとして自覚されることが開明される。 建築への観照者にして創作者である建築家は、自己の実存において、いままさに構想せんとする建築的行為にあって、アポリアの宿りを自覚することが本章を通じて、受動的・受苦的に受容される過程として解明される。 〈第3章建築家の実存と思惟〉 かくして、受動的・受苦的に受容された近代日本における建築的アポリアは、同時にその重層的、錯綜的構造化の存在論的力動性において、建築の様式創造へとさらに転回するものでなければならない。建築家としての受動的能動へと転回されなければならない。 第1節では、建築家の実存と思惟の問題が両者の二重性において洞視されるとき、観照と実践と制作を一体性のもとに作動せしめる思考装置として、建築術の実践あるいは制作論的な動詞の発見が提示される。現象学的本質直観である"視る"ことにおいて、補助手段としての"撮る・描く・書く"を意識化するならば、実践的・制作論的な一対の動詞の抽出によって、その活動態において建築は洞視されるであろうからである。一対の動詞とは、本研究の方法である問答法に示唆された、建築的事象に対する静態的態度を排し、動態的態度を顕在化せんがための仕掛けである。 第2節では、いまや活動態において洞視された、近代日本の建築的アポリアの宿りとしての建築的事象は、建築史研究・建築設計との関係におけるあらたなる建築論的思惟の地平が開かれることの確認の上で、すぐれて今日的課題である、文化混淆、存在論的領野、旅する人間のもとにある建築術であることが論述される。 建築家の実存において、受動的・受苦的に受容された近代日本の建築的アポリアは、そのアポリアのうちに踏みとどまり、建築的行為に即して反省され、建築術の根底に潜む実践的・制作論的動詞を媒介的契機として、受動的能動すなわち真の活動態として転回することが解明される。 〈第4章建築美意識と驚異体験〉 幾重にも反復的に遡行的に問われてきた問いは、建築術の行為主体である建築家の実存において、十全に存在論的・力動的に内面化されたとき、はじめて様式創造への資格が与えられる。それは、端的に建築的アポリアを受苦した建築家の美意識の問題である。建築美意識の現象学的構造を、実践的・制作論的な建築術として把えるとき、建築美意識はその根底において建築家その人の、建築的事象を媒介的契機とする驚異体験にもとづいていること、その驚異体験は、東西・古今・天地・神人・自他にかかわる憧憬と忌避の間にあって、なおも帰属しえる大地をもちえぬ宙吊りの精神状態の直中における自己発見として生起すること、したがって、建築術とはその自己発見を想起するところの術であることが解明される。 〈終章建築家の透徹した魂〉 建築の様式創造への受動的能動性、その活動態の力動性は、建築家の実存における驚異体験にもとづく建築美意識において始動するということは、そのような建築美意識の宿る場が存在するのでなければならない。建築家の透徹した魂とは、まさしく近代日本の建築的アポリアのいっさいの受容器である。そこにおいて、もう一つの風景が洞視あるいは幻視されたとき、建築論的思惟はついに自己の責務をまっとうすることが解明される。 以上、本研究は、近代日本における建築的アポリアを受苦し、様式創造へと向かう建築論的思惟について、建築家の建築的行為に即して、体系的・方法的に明らかにした。 |