1研究の背景 地球大気中の積雲対流は、個々の積雲から季節内変動に至るまで、種々の時間空間スケールを含んだ階層的構造を持っていることが知られている。この階層構造の存在は、大気の水循環などと積雲対流の関係を議論する際に有意な影響を与える可能性が大きい。従って、理論的興味はもちろん、気候変化の予測などの応用的見地からも追求する価値のある問題である。 しかし、積雲対流の階層構造の総合的な理解、特にその起源の解明は満足には進んでいない。この状況の背景には、各種の研究手法の前にそれぞれ困難や難点があるからである。即ち、階層構造の全体を完全に観測することは事実上不可能であり、従って、その実態についての記述は断片的・定性的にならざるをえない。また、単純な理論的モデルは、そもそも現象をなるべく単純にモデル化する事が目標であるから、多少とも複雑である階層構造の全体像を対象とはしにくい。そして、数値モデルを用いた研究も、もし即物的に行なうならば、計算機資源の制約などのために階層構造の存在を暗黙のうちに前提とするか強制する設定で行なわざるをえない。 この現状から前進するためには、観測であれ数値実験であれ、ともかくも積雲対流の階層構造の全体の標本、即ち、個々の積雲を陽に表現できる時間空間分解能で総観規模擾乱以上までも覆う時間空間領域を均一にカバーしたデータを手にする必要があると思われる。もちろん、標本を得ること自体が直接対象の理解につながるかは自明でない。それでも階層全体についての認識を広める助けにはなるであろう事は期待できる。 現在我々に入手可能な研究資源の量を考慮すると、積雲対流の全階層を覆うものとしては、数値実験しかも二次元のものだけが可能である。数値実験は観測と比較すると、現実と合致するか保証できないという難点があるが、条件を実験者が制御できるという利点があるため、認識の基礎を得る目的では有利である。二次元モデルの振舞いは三次元モデルより多少は単純であると期待されることも、同様の目的には有利である。 2研究の方針 本研究では、個々の積雲から総観規模に至るまでの積雲対流の階層的組織化を直接計算するために、極めて大領域(鉛直23km、水平4096〜16384km)の二次元積雲対流数値モデルを構成し、その振舞いを調べた。モデルには放射冷却を模した内部冷却とバルク法で算出する熱・水蒸気フラックスを与え、10日程度の時間積分する。注意すべきこととして、この研究では、従来のいわゆる積雲集合モデル実験で因果関係を転倒させる危険を含みつつも導入されてきた「大規模上昇流」は用いない。これは、積雲対流の出来るかぎり自然な振舞いを再現することを目指すためである。 実験の設定は、少数のパラメタの軸を網羅的に覆うのではなく、多種のパラメタ軸を探検することに重点をおいた。その理由の第一は、現実大気の積雲対流が相当に色々な条件で生じていることである。その第二は、本研究がこの種の数値計算では先駆的であるので、特定の解やパラメタ依存性の詳細な吟味以前に、多少とも現実的な範囲のパラメタ空間の全体が、どの様な構造をもっているのかを見渡す必要があるからである。これは同時に、特定の実験で得られた結果の一般性を見積もる事にもつながる。パラメタの設定にあたっては、結果とともに以下列記する様に、観測された具体的状況を意識するのではなく、主に熱帯海洋上を想定しつつも、単純な設定に限定した。 3水平一様な境界条件での積雲対流の自発的組織化 最初に、最も理想化された場合として水平一様な境界条件での積雲対流の構造を調べた。初期条件は、ほとんど水平一様な温度湿度の静止大気である。 結果は、大筋において、Nakajima and Matsuno(1988)の結果を再現した。すなわち、雲活動は、個々の積雲および、これが時間空間的につながったシステムという、二つの特徴的時間空間スケールを持っていた。 計算領域の全体の中で、雲活動は統計的にほぼ均一に分布していた。即ち、1000kmスケールの自発的組織化は見られなかった。初期にごく下層の湿度擾乱を与えて集中した雲活動を生じさせても、左右に伝播する寿命の短い擾乱が生じるだけで、最終的に現れる雲対流の時空間構造は一様初期条件の場合と違わなかった。しかし、基本場の地表面風速をゼロにした場合には、数百キロスケールで数日以上の寿命を持つ停滞性あるいは伝播性の組織化が出現した。 場の回転が存在する場合の実験も行なったが、期待されるCISK擾乱は、意外に生じにくいという結果になった。 4大規模な水平非一様により強制された構造 対流圏中層の湿度の大規模不均一を初期に与えると、その後数日以上に渡って対流活動は初期の湿潤域に集中した。一方、大規模な温度偏差あるいは下層の湿度の擾乱の影響は、長時間持続しなかった。次に海水温に非一様がある場合を調べた。その結果、非一様の振幅が0.5Kと小さくても、平均的に見た対流活動は海水温が高いところで明白に強かった。また、放射冷却の非一様も対流活動の大規模不均一を強く強制する。即ち、冷却が弱い所に雲活動が集中した。 ただし、場の回転がある場合には応答の仕方は大きく異なる。即ち、海水温および初期の湿度への応答はずっと弱まり、放射冷却への応答は逆転した。また、基本場の地表面風速の有無も結果を相当変えることがわかった。 5種々の熱力学的パラメタでの構造の探索 まず、雨の蒸発を抑止する実験を行なったところ、Nakajima and Matsuno(1988)と同様、雲のスケールの二重化は消失した。反対に、雨の蒸発を強調する実験を行なった所、雲の系列化が顕著になるとともに、領域全体のスケールに匹敵する伝播性の波動が現れた。 次に、放射冷却の鉛直分布への依存性を調べた。冷却の分布が対流圏の上部に偏っている場合、雲の系列化が顕著になるとともに、モデルの全域に及ぶ伝播性の波動が現れた。反対に、放射冷却を下層に偏らせた場合には、この様な波動は生じなかった。 さらに、大陸的な条件を意識して、地表面の湿り度を小さくすると、やはり雲活動に波長4000kmに及ぶ伝播性波動が現れた。 以上の実験のうち、大規模波動が現れる場合に共通するのは、雲による加熱が上層で大きく、下層で小さい(あるいは負である)ということである。このことは過去のwave-CISKに関連した理論的研究と整合的である。 6一般風のもとでの雲対流の大規模構造 一般風が存在する場合を、場の回転がある場合・ない場合の両方でしらべた。結果は、全てのスケールにおける一般風の重要性を示す。第一に、鉛直シアーを持つ一般風がある場合には、雲の系列の時間空間スケールが大きくなり、観測されるスコールラインに相当する振舞いがみられた。第二に、擾乱によって生じる地表面風速の絶対値の変化が左右非対称になることにより、モデルの全域にわたるスケールを持ち風上に伝播する擾乱が発達する。回転が無い場合の結果は、WISHE理論の予言と整合的である。回転がある場合の振舞いは、単純な解釈はできなかったが、やはり風によって地表面フラックスが非一様になることの重要性を示した。 さらに、一般風を止め、かわりに地表面を動かすことにより、風の効果のうち、風速が地表面フラックスに与える影響のみを導入することにより、このフィードバックの効果を純粋な形で抽出することを試みた。これは回転が無い場合については成功したが、回転がある場合は鉛直シアーの効果もまた本質的な重要性があることを示唆した。 7まとめ 以上一連の数値計算の中で一貫して現れたものは、個々の積雲およびメソシステム・クラウドクラスターである。従って、積雲対流の階層構造のうち、これらのものは積雲対流自身の属性であると判定できる。ただしメソシステムとクラウドクラスターは本質的には一つの階層の現象のうち、規模に差があるものと認識すべきである。一方、大規模波動の存在や振舞いは実験設定に強く依存しており、従って、積雲対流が単にスケールアップして出てくる属性なのではなく大規模場との相互関係によって定まる属性であると認定される。大規模場との相互作用のうちでもっとも顕著に実現したものは風速・蒸発フィードバックであり、これに関しては今後、さらに種々の立場からの研究が必要であると思われる。 風速蒸発フィードバックに関するtentativeな結論に典型的に現れている様に、この研究は、何らかの答を提出した、というよりは、今後の研究への問題集を作ったという性格が強い。しかし、複数の要素が複雑にからみあう現実の状況に挑戦する以前に、この様な段階は不可欠である。この研究のように積雲から大規模波動に至るまでの全てを対象とした研究はまだ歴史が浅いから、なおのこと、知識の蓄積の必要性を強調したい。 ともかくも、この様な二次元計算で積雲対流の階層構造に似た振舞いが得られたことは、今後の研究に向けて二つの大きな方向を与える。第一に、複雑な積雲対流の振舞いも雲微物理過程と流体力学という既存の枠組から出発して直接計算できた事から、気候変化に対する積雲対流の応答などもまた、いわば計算可能であることが期待できる。第二に、この様な数値計算の結果は、模擬的ではあるが「完全なデータ」であり、積雲対流の階層構造という複雑な系の解析の演習場として扱うこともできる。これらは今後の研究課題である。 |