本研究は精神分裂病患者の情報処理に関して、警報音の長さを予め知らされている場合と知らされていない場合の2つの条件下でサッケード反応潜時を測定したものである。先行研究では精神分裂病患者の無条件用手反応潜時は正常者より遅いことが指摘されている。また、精神分裂病患者では、正常者とは反対に、警報音の持続時間に関する情報を予め与えられた場合の方が与えられていない場合よりも成績が悪化するとされている。この現象を、"FOREPERIOD EFFECT"と呼ぶ。本研究で明らかになる与えられた情報がサッケード系に及ぼす影響と、先行研究で明らかにされている用手系に及ぼす影響とを比較することによって、"FOREPERIOD EFFECT"現象の原因として、視覚系に欠陥があるか、用手系に欠陥があるか、両系に共通している欠陥があるかを検討することも可能である。 本研究では眼電図により測定されたサッケード反応潜時を研究の手段として用いたが、それは用手反応潜時を用いた先行研究の結果を複雑にしていた諸変数の影響を最小限に抑えるためである。本研究で用いた視覚系--眼球運動系サッケード反応潜時は、先行研究で用いられた視覚系--筋骨格系用手反応潜時と比較して、より単純な知覚運動の反応と考えられる。しかも、精神分裂病患者では無条件用手反応潜時の成績は悪いが、無条件サッケードの反応潜時は正常者と変わらない。従って、警報音により予め情報が与えられたサッケード反応潜時が遅くなった場合、それはサッケード系自体の欠陥ではないと考えられる。 多くの研究の結果により、精神分裂病患者における前頭葉の異常が示されているので、当研究においても前頭葉の異常のため正常者の成績と違う結果が得られるであろうという仮説を設けた。前頭葉は企画能力、抽象的思考能力、順序課題遂行能力などの機能を持つので、本研究で予め与えられた情報の影響によりその機能の欠陥が明らかになると考えられる。 また、抗精神病薬の影響については、先行研究の結果によって、無条件用手反応潜時にも、情報を予め与えられた条件下での用手反応潜時にも、無条件サッケード反応潜時にも、影響がないことが指摘されている。本研究では、抗精神病薬が、サッケード反応潜時に影響があるかないかを検討することも可能である。本研究で用いた方法では、被験者は目の前0.5mにある光刺激装置に向かって頭を固定されたまま、光刺激が右か左に瞬間的に動くのに合わせて、出来るだけ早く追視する。また、光剌激が動く前に光刺激装置の下にあるスピーカーから警報音が出て、警報音が終わった直後に光刺激が動くように設定した。 警報音の長さと周波数(音の高さ)が組み合わせられた場合は、被験者はある周波数の警報音を聞くだけで、警報音の長さ(光刺激がいつ動くか)を予測出来る条件になる(本試行に入る前に数回練習する)。一方、警報音の長さと周波数が組み関係していない場合では、被験者は警報音の長さ(光刺激がいつ動くか)を予測出来ない条件になる。警報音と光刺激と眼電図によるサッケード運動を、データレコーダーに記録し、測定する際POLYGRAPHに表示して、コンピュターを用いてサッケード反応潜時を測定した。予測出来る条件、予測出来ない条件の両方とも30回の試行(左右同数ずつ)を行い、患者群、正常群ともに半数は左向き15回、右向き15回の順序で刺激を与え、残り半数は逆になるようにした。 また、疲労と慣れの影響を見るために、予測出来るかどうかの条件の順序についても、患者群と正常群の半数ずつ、逆になるようにした。従って、患者群、正常群とも全部で4種類の試行条件を設定したことになる、試行間には約15秒間の休憩をおき,条件間には1-2分間の休憩をおいた。 本研究の結果は、先行研究の結果を支持するものであり、精神分裂病患者では、警報音の長さを予測出来る場合の方が予測出来ない場合よりも成績が悪化し、正常者ではその逆であると言うことが明らかになった。また、その影響は年齢の増加とともに有意に増大し、抗精神病薬の投与量の増加とともに正常化される可能性があることも示された。また、予測できる方を先にするか後にするかという条件毎の結果では、総合結果と同様傾向を示していた。光刺激の方向、抗コリン薬、病気の程度、入院期間等は、結果には関係しなかった。 本研究の結果の解釈としては、正常者に較べて精神分裂病患者の情報処理には欠陥があり、また、年齢が増えるとと共にこの欠陥が大きくなると考えられた。我々の仮説では、情報処理と時間知覚に対する神経伝達物質の影響、前頭葉の異常、誘発電位で測定される情報処理の諸段階が、精神分裂病患者における情報処理障害に関わっている可能性がある。年齢の増加とこの欠陥の関連では、精神分裂病の病理の進展、又は年齢の増加と精神分裂病の既成病理との相互影響という原因が推定される。 用いられた全試行条件の結果が予測できる方を先にするか後にするかという条件に関わらず、情報処理の欠陥を反映したので、疲労又は慣れの影響は少ないと結論できる。ただし、警報音の持続時間と周波数が組み合せられた条件を先に行う場合、それを後に行う場合と比較して、どちらの条件の成績も悪かった。従って、先行する組み合せられた条件が精神分裂病患者の情報処理に関しての心理的な準備の妨害となったという仮説を立てることが出来ると考えられる。 薬物の影響については、先行研究で高ドパミン状態が時間知覚に影響することが明らかにされているので、本研究では、精神分裂病のドパミン仮説に従って、薬物の投与量が増えると精神分裂病患者の時間知覚あるいは情報処理が正常化される可能性があることが示唆された。 本研究のまとめ:a.)精神分裂病患者には、心理的な準備に向けて精神機能を整えるための情報処理における欠陥が認められる。b.)この欠陥は高年齢群の精神分裂病患者においてその診断を確定するために有用である可能性がある。c.)情報処理に対する抗精神病薬の効果を考えると今後も引き続き研究を進める必要がある。 |