学位論文要旨



No 211966
著者(漢字) 松野,彰
著者(英字)
著者(カナ) マツノ,アキラ
標題(和) 非放射性プローブを用いたin situ hybridization法による下垂体腺腫のホルモン産生能と細胞起源に関する研究
標題(洋)
報告番号 211966
報告番号 乙11966
学位授与日 1994.10.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第11966号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 廣川,信隆
 東京大学 教授 町並,陸生
 東京大学 講師 山路,徹
 東京大学 講師 山下,直秀
内容要旨

 下垂体腺腫の内分泌機能は従来主として免疫組織化学により、産生される下垂体前葉ホルモンによって評価されてきた。近年、in situ hybridization法(ISH)を用いて下垂体前葉ホルモンのmRNAの発現について検出がなされており、免疫組織化学とISHを併用することにより、下垂体腺腫の内分泌機能を形態学的により一層明確にすることができると考えられる。非放射性プローブを用いたISHは、従来の報告にみられる放射性プローブを用いるISHに比し、若干感度の点で劣るところがあるが、組織学的解像力に優れ、ラベルされたプローブが長期間保存でき、短時間で結果がえられ、プローブの扱いが容易であり、また免疫組織化学との対比も容易である。しかしながら非放射性プローブを用いたISHにより糖蛋白ホルモンを含むすべての下垂体前葉ホルモンのmRNAの発現について検討した報告は過去にない。monoclonal originである下垂体腺腫がそれぞれにさまざまな内分泌活性を有するということは、それぞれの腺腫の細胞起源が異なることを意味すると考えられる。本研究では、種々の下垂体腺腫における下垂体前葉ホルモンのmRNAの発現について主として代表的な非放射性プローブであるビオチン化オリゴヌクレオチドプローブを用いたISHにより検討し、その内分泌能をより明確にし、その細胞起源に迫ることを主目的とした。さらにビオチン化プローブの効用と限界についても考察を行い、またラット正常下垂体については同一のビオチン化オリゴヌクレオチドプローブを用いて光顕レベルのISHのみならず、Northern blot hybridizationや電子顕微鏡下でのISHをも行い、その有用性について検討した。

 対象とした組織材料はラット正常下垂体組織、東京大学脳神経外科およびその関連病院である東京警察病院脳神経外科にて過去に手術を行った、成長ホルモン産生腺腫29例、プロラクチン産生腺腫9例、臨床的非機能性腺腫22例である。4%パラホルムアルデヒド固定後の凍結切片またはホルマリン固定パラフィン包埋切片を用いた。各下垂体前葉ホルモンのmRNAに対するプローブは、21-33merの合成オリゴヌクレオチドプローブであり、3’末端標識法によりビオチンで標識した。hybridizationは37℃で一晩行った。hybridization signalは、streptavidin-biotin-alkaline phosphataseで検出した。ラット正常下垂体ではstreptavidin-biotin-horseradish peroxidaseを用いて発色し、preembedding法により電子顕微鏡下にmRNAの細胞内局在について検討を行った。さらにラット正常下垂体については同一のビオチン化プローブにてNorthern blot hybridzationを行った。陰性対照試験としてsenseプローブを用いたISH、プローブを用いないISH、ribonuclease Aにより前処理したISHを行い、陽性対照試験としてNorthern blot hybridization、mRNAの保存性を検討するために-actinに対するプローブを用いたISHを行った。

 対照試験の結果を十分に考慮し、当該ホルモンのmRNAを検出していないと考えられる例、mRNAの保存性に問題があると思われる例は全て除外した。このため最終的に評価の対象となった症例数は減少した。本研究のISHの結果は次のとおりである。17例の成長ホルモン産生腺腫では成長ホルモン(GH)は全例で、プロラクチン(PRL)は13例、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)は8例、卵胞刺激ホルモンサブユニット(FSH)は5例、黄体形成ホルモンサブユニット(LH)は3例、糖蛋白ホルモンサブユニット(SU)は4例、甲状腺刺激ホルモンサブユニット(TSH)は3例でそれぞれのmRNAが検出された。免疫組織化学で陰性であってもISHによりmRNAの発現が認められた例があり、特にACTH、FSH、LHでその傾向が顕著であった。4例のプロラクチン産生腺腫では、全例でISH、免疫組織化学共にPRLのみが陽性であった。臨床的非機能性腺腫14例は、免疫組織化学の結果より10例のゴナドトロピン産生腺腫と4例のナルセル腺腫の2群に分けられる。10例のゴナドトロピン産生腺腫の免疫組織化学ではFSHSU、LHがそれぞれ10例、9例、1例で陽性であった。ISHでは、FSHSU、LHのmRNAがそれぞれ5例、1例、4例で陽性であり、GH、PRL、ACTHのmRNAが4例、5例、3例で陽性であった。GH、PRL、ACTHでは、免疫組織化学で陰性であってもISHによりそのmRNAの発現を認めた例がみられた。4例のナルセル腺腫のISHでは1例でACTHのmRNAが陽性であったのみで、他の下垂体前葉ホルモンの遺伝子発現はみられなかった。

 ラット正常下垂体については、GHmRNAに対する同一のビオチン化オリゴヌクレオチドプローブを用いて、光顕レベルのISHのみならずNorthern blot hybridizationでも、hybridization signalが検出できた。さらにpreembedding法を用いて電子顕微鏡下に観察することにより、GHmRNAの粗面小胞体上のribosomeへの局在を証明することができた。

 ISHによる下垂体前葉ホルモンmRNAの発現と免疫組織化学での当該ホルモンの発現との対比を行うことは、DNAからmRNAへの転写、mRNAから蛋白質への翻訳の過程を一貫として検討することができ、下垂体腺腫の内分泌能を個々の細胞レベルで明らかにするうえで有用であると思われる。今回我々が行った、下垂体腺腫における下垂体前葉ホルモンのmRNAの発現についてのISHによる検討およびビオチン化プローブの有用性に関する検討により、次のような可能性が示唆された。

 1、成長ホルモン産生腺腫の一部で免疫組織化学で陰性であってもISHによりmRNAの発現が示された例が、特にACTH、FSH、LHで認められた。このことは、これらの下垂体腺腫が、従来より成長ホルモン産生腺腫の発生起源とされてきた好酸性細胞ではなく、plurihormonal primordial stem cellに由来する可能性を示唆するものと思われる。

 2、プロラクチン産生腺腫はその下垂体前葉ホルモンmRNAの発現がPRLに限られ、また免疫組織化学の結果も同様であり、好酸性細胞の最終分化段階にあるPRL細胞に由来するものと考えられる。

 3、臨床的非機能性腺腫の一部でGH、PRL、ACTHについて免疫組織化学で陰性であってもISHによりそのmRNAの発現が確認できた例がある。本腫瘍は、ゴナドトロピン産生腺腫の1型として位置づけられているが、それのみならず、GH、PRL、ACTHのmRNAを発現しているものも存在するということは、plurihormonal primordial stem cellに由来する可能性を意味するものとして興味深い。

 4、下垂体腺腫における下垂体前葉ホルモンの産生分泌とそのmRNAの発現に関しては、非放射性プローブを用いたISHに加え、mRNAから蛋白への翻訳や翻訳された蛋白の分泌と代謝の問題などを同時に検討し、さらに詳しく調べる必要があると思われる。

 5、ビオチン化オリゴヌクレオチドプローブを用いたISHは、ナルセル腺腫のような内分泌活性が低く遺伝子発現の乏しい腺腫では下垂体前葉ホルモンmRNAの検出には限界があり、放射性プローブを用いたISHでさらに検討する必要があると考えられるが、成長ホルモン産生腺腫のように内分泌活性の高い腺腫ではさまざまな下垂体前葉ホルモンmRNAを検出することができ、その内分泌機能を明らかにするうえで有用な方法であると思われる。

 6、ビオチン化オリゴヌクレオチドプローブは、Northern blot hybridizationや光顕レベルのISHのみならず、電子顕微鏡下でのmRNAの細胞内局在の検討にも有用であり、細胞内mRNAの動態を知る手がかりとなりうると考えられた。

審査要旨

 本研究は下垂体腺腫の内分泌能とその細胞起源を明らかにするため、種々の下垂体腺腫における下垂体前葉ホルモンのmRNAの発現についてビオチン化オリゴヌクレオチドプローブを用いたISHにより検討したものであり、さらにビオチン化プローブの効用と限界を明らかにするために、ラット正常下垂体について同一のビオチン化オリゴヌクレオチドプローブを用いて光顕レベルのISHのみならず、Northern blot hybridizationや電子顕微鏡下でのISHを試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1、17例の成長ホルモン産生腺腫では成長ホルモン(GH)は全例で、プロラクチン(PRL)は13例、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)は8例、卵胞刺激ホルモンサブユニット(FSH)は5例、黄体形成ホルモンサブユニット(LH)は3例、糖蛋白ホルモンサブユニット(SU)は4例、甲状腺刺激ホルモンサブユニット(TSH)は3例でそれぞれのmRNAが検出された。免疫組織化学で陰性であってもISHによりmRNAの発現が認められた例があり、特にACTH、FSH、LHでその傾向が顕著であった。このことは、これらの下垂体腺腫が、従来より成長ホルモン産生腺腫の発生起源とされてきた好酸性細胞ではなく、plurihormonal primordial stem cellに由来する可能性を示唆するものと思われる。

 2、4例のプロラクチン産生腺腫では、全例でISH、免疫組織化学共にPRLのみが陽性であった。このことよりプロラクチン産生腺腫は、好酸性細胞の最終分化段階にあるPRL細胞に由来するものと考えられる。

 3、臨床的非機能性腺腫14例は、免疫組織化学の結果より10例のゴナドトロピン産生腺腫と4例のナルセル腺腫の2群に分けられる。10例のゴナドトロピン産生腺腫の免疫組織化学ではFSHSU、LHがそれぞれ10例、9例、1例で陽性であった。ISHでは、FSHSU、LHのmRNAがそれぞれ5例、1例、4例で陽性であり、GH、PRL、ACTHのmRNAが4例、5例、3例で陽性であった。GH、PRL、ACTHでは、免疫組織化学で陰性であってもISHによりそのmRNAの発現を認めた例がみられた。4例のナルセル腺腫のISHでは1例でACTHのmRNAが陽性であったのみで、他の下垂体前葉ホルモンの遺伝子発現はみられなかった。GH、PRL、ACTHについて免疫組織化学で陰性であってもISHによりそのmRNAの発現が確認できた例があるということは、ゴナドトロピン産生腺腫の1型として位置づけられている臨床的非機能性腺腫の一部に、plurihormonal primordial stem cellに由来するものの存在を意味するものとして興味深い。

 4、下垂体腺腫における下垂体前葉ホルモンの産生分泌とそのmRNAの発現に関しては、非放射性プローブを用いたISHに加え、mRNAから蛋白への翻訳や翻訳された蛋白の分泌と代謝の問題などを同時に検討し、さらに詳しく調べる必要があると思われる。

 5、ビオチン化オリゴヌクレオチドプローブを用いたISHは、ナルセル腺腫のような内分泌活性が低く遺伝子発現の乏しい腺腫では下垂体前葉ホルモンmRNAの検出には限界があり、放射性プローブを用いたISHでさらに検討する必要があると考えられるが、成長ホルモン産生腺腫のように内分泌活性の高い腺腫ではさまざまな下垂体前葉ホルモンmRNAを検出することができ、その内分泌機能を明らかにするうえで有用な方法であると思われる。

 6、ラット正常下垂体については、GHmRNAに対する同一のビオチン化オリゴヌクレオチドプローブを用いて、光顕レベルのISHのみならずNorthern blot hybridizationでも、hybridization signalが検出できた。さらにpreembedding法を用いて電子顕微鏡下に観察することにより、GHmRNAの粗面小胞体上のribosomeへの局在を証明することができた。このようにビオチン化オリゴヌクレオチドプローブは、Northern blot hybridizationや光顕レベルのISHのみならず、電子顕微鏡下でのmRNAの細胞内局在の検討にも有用であり、mRNAの細胞内動態を知る手がかりとなりうると考えられた。

 以上、本論文はISHによる下垂体ホルモンmRNAの発現に関する解析により、成長ホルモン産生下垂体腺腫と臨床的非機能性腺腫のなかにplurihormonal primordial stem cellに由来するものが存在することを明らかにしたものであり、下垂体腺腫の内分泌能と細胞起源について、これまでにない新たな知見を提供するものである。また、同一のビオチン化プローブがNorthern blot hybridizationや電子顕微鏡レベルでのISHに応用できることを示したものであり、mRNAの細胞内動態の研究へのISHの応用の可能性を示しえたものであり有意義と考えられる。本論文は下垂体腺腫の内分泌能と細胞起源の解明とmRNAの細胞内動態の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50906