学位論文要旨



No 211975
著者(漢字) 康,き
著者(英字)
著者(カナ) コウ,キ
標題(和) 鉄道車輸・レールの接触非線形性を考慮した車両運動シミュレーション
標題(洋)
報告番号 211975
報告番号 乙11975
学位授与日 1994.11.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第11975号
研究科 工学系研究科
専攻 産業機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井口,雅一
 東京大学 教授 木村,好次
 東京大学 教授 大野,進一
 東京大学 教授 吉本,堅一
 東京大学 助教授 藤岡,健彦
内容要旨 1.研究の目的

 本研究の主な目的は次の通りである。

 1.鉄道車両のダイナミックス問題の理論解析に関わる基礎問題を解決し、間題の理論解析を行うための完成度の高い解析手法を確立する。

 2.新しい解析手法を利用して、既存鉄道車両システムのダイナミックス特性を把握し、より性能の良い鉄道車両システムを提案する。

 機械力学のダイナミックス問題の理論解析に関わる共通の問題としてモデリング、計算法等があるが、鉄道車両のダイナミックス理論解析に関して、上記共通問題の他に、車輪・レール間の幾何学接触問題と接触力問題は大きいな基礎課題として残されている。車輪とレールとの接触点位置をより正確により簡単に見つける手法を確立することは幾何学接触問題の解決内容である。走行中の鉄道車両に於いて、車輪とレールとの間に何らかの形で力の伝達が行われている。車輪/レール間の相対微小変位(クリープ)に伴う接線方法の力はクリープ力という。クリープ力は車輪・レール間のクリープ率、接触域の形状や物質条件などと複雑に関係している。クリープ力特性とこれらの接触条件との関係を精密に同定することは接触力問題の解決内容である。

 ダイナミックスシステムの立場から見ると、現在の鉄道車両システムの構成は必ずしも最適なものとはいえない。正確な理論解析手法を利用して在来システムのダイナミックス構造上の問題点を探り出し、この問題を改善する新しい車両構造を提案することは本研究の第2番目の研究目的に当たる。

2.研究概要と成果2.1車輪・レール接触幾何字(第2章)

 一般的に、車輪の踏面形状とレールの頭頂面形状は複雑な円弧といくつかの直線から構成されている。輪軸の左右車輪の踏面形状は面対称である。また、大部分の軌道の左右レールの頭頂面形状も対称である。輪軸と軌道は左右二つの曲面接触対を構成する。レールに対して輪軸は一定の範囲内で横とヨーイング変位を行う。輪軸の変位に伴って左右の接触点位置も移動する。輪軸変位と接触点の位置との関係が非常に複雑だが、本研究では2つの接触モデルを通じて精密に接触点位置を解析し、これらのモデルをベースにして車両ダイナミックス理論解析に実用なモデルを構築し、車輪/レール幾何学接触パラメータ理論計算アキテクチャーの開発に成功した。

2.2車輪・レール接触力実験(第3章)

 車輪/レール接触部の変形と微小な滑りによって生じるクリープ力は鉄道車両の推進、制動における粘着に関係する力と同時に、だ行動や曲線通過性といった動的挙動に関しても重要な影響を持つ因子の一つである。このため、このクリープ力特性については古くより研究されていたが、模型車輪とレールによりなされたものが多く、レールについては回転軌条輪も用いたもので、実体の車輪とレールの場合接触状況も複雑になり、このような場合についてクリープ特性を確かめる必要があった。本研究では、実際の鉄道車両の動的挙動を解析する場合のクリープ特性を得る目的で、実体の車輪とレールのクリープ力測定装置を設計、製作し、クリープ特性の測定を行った。測定結果については理論値と比較検討し、非線形クリープ特性の近似計算式の誘導を試みた。

2.2.1実験装置と実験要領

 実験装置は図1に示す如く、輪軸支持、載荷部分、レール移動台部分と計測部分より構成されている。

図1 クリープ力実験装置

 クリープ係数を求めるには車輪/レール間に一定のクリープ率を与える必要がある。横クリープ率は輪軸のレールに対するヨー角に比例することから、輪軸支持の板ばねの前後取付位置を変化させて与えた。縦クリープ率は次の方法を利用して与えた。輪軸を軸箱支持装置によってその中立位置から左右、すなわち、軸方向に変位させ固定し、車輪踏面勾配を利用して左右車輪の走行距離に差を与える。車輪が実際に回転した距離とレールが移動した距離を計測して、縦クリープ率を算出した。異なる摩擦係数でのクリープ力特性をはかるために、乾燥踏面と塗油踏面2種類の踏面状態を用いた。

2.2.2実験結果と考察

 種々な条件で得たクリープ特性について考察するため、測定結果を横軸に無次元クリープ率(Gc2/P)とし、縦軸にクリープ力(縦方向でF、横方向でQ)を接触点に作用する法線力(P)で除した無次元クリープ力の図にプロットした。ここでGは車輪材の横弾性係数、cはHertzの接触楕円サイズ(Pの1/3乗に比例する)、は縦または横クリープ率である。

 図2から図5までは代表的な実験結果を無次元化図に示したものである。Kalkerの線形理論値と比較するためにKalkerのクリープ係数も同じ図に示した。図2と図3はA、Bアクチュエータがそれぞれ60kNと40kNの荷重を軸箱に与えたときの乾燥踏面と塗油踏面縦クリープ実験の結果とKalkerの理論値で、図4と図5はA、Bアクチュエータが同時に60kNの荷重を軸箱に与えたときの乾燥踏面と塗油踏面の横クリープ実験の実験結果とKalkerの理論値である。

 実験で測定されたデータを詳しく整理、解析した結果、次の数点を確認、解明した。

 (1)クリープ率が小さい場合、無次元クリープ力と無次元クリープ率の比例関係はほぼ一定である。この比例関係は接触環境条件によって少し異なる(図2と図3)。

 (2)この場合、各輪重条件下で得られたクリープ係数は、Kalkerの線形式から求めた値より小さい。平均的に、乾燥踏面の場合、縦クリープ係数は理論値より約13%、横クリープ係数は理論値より約10%小さい。塗油踏面の場合、縦クリープ係数は理論値より約20%、横クリープ係数は理論値より約18%小さい。

 (3)クリープ率がある一定の値を越えると、無次元クリープ力は飽和し約一定の値になる。この一定の値は輪重が同じでも、接触環境条件によって変化する(図4と図5)。

 (4)接触環境条件が同一であれば、無次元クリープ力が飽和になる無次元クリープ率は同じである。

図表図2 乾燥踏面縦クリープ力実験結果 / 図3 塗油踏面縦クリープ力実験結果 / 図4 乾燥踏面横クリープ力実験結果 / 図5 塗油踏面横クリープ力実験結果
2.2.3クリープ係数の実用計算式

 クリープ特性に関連した車両の非線形振動解析を行う場合、実験で得たクリープ係数を用い、非線形化処理が必要となる。一方、Kalkerの非線形クリープ理論は複雑で、振動解析に用いるには問題があるため、クリープ実験の結果を基にした実用的なクリープ特性を与える実用計算式につて検討を行った。

2.3車両ダイナミックスの解析法(第4章)

 コンピュータが発達する前に、車両の運動性能の理論解析は主に線形の固有値固有ベクトル解析法で行われた。この方法は分かり易く、簡単だが、車両構成諸元の非線形要素を扱えないため、応用範囲に限度がある。一方、コンピュータが発達した今、計算機を利用するシミュレーションは可能になった。コンピュータシミュレーションの技術を車両の運動性能解析に応用したのは本研究の解析法である。今までに、シミュレーション解析法が一般的に使われていなかった原因はコンピュータ技術の制限の他、この解析法を用いるには必要な車両運動に関わる幾つかの基本問題がまだ完全に解決されていなかったためである。それは本研究の解決対象でもある車輪/レール幾何学接触問題と実用クリープ力計算法問題である。本研究の車輪/レール幾何学接触と実用クリープ力計算法を応用した車両運動シミュレーション解析のアルゴリズムを構築し、このアルゴリズムに沿った車両運動シミュレーション解析プログラムを作成した。

2.4曲線旋回性能向上への応用(第5章)

 本研究の車両運動シミュレーションプログラムを用いて代表的な2軸ボギー鉄道車両の曲線通過性能を分析した。その結果、通常車両の曲線走行において、内外軌車輪の輪径差が十分取れない場合、輪軸が受けるレールからの接触力が輪軸コーナリングに必要な力と矛盾することは明らかにした。この問題点を解決するために筆者は"非対称オフセット付き台車"と言う図6のような台車構造を提案した。この台車の中のオフセットの長さと配置方法を適切に設定すれば、台車の直線走行安定性を損なわずに曲線通過性能が向上できることはシミュレーションによって証明された。

図6 非対称オフセット付き台車
3.まとめ

 鉄道車両の非線形ダイナミックス問題を解析するための高速解析手法を確立するために、車輪・レールの幾何学接触パラメタの高速計算法と実用クリープ力係数の高速計算式を確立する必要があった。

 車輪・レールの幾何学接触パラメタの高速計算法の確立は3つのステップに分けて行われた。まず、横変位モデルによって輪軸の横変位に対する幾何学接触パラメタの基本特性を究明した。次に、ヨー変位モデルを利用して、車輪・レール接触幾何学パラメタの高速計算式の基本式を導き出した。最後に、基本式を拡張し、円弧、直線形状踏面形状を有する車輪と円弧踏頂面形状を有するレールとが接触する場合の幾何学接触パラメータの高速計算法を確立した。この方法は接触パラメタの高速計算のほかに、新しい車輪踏面形状あるいはレール踏頂面形状の開発に役立つ。

 クリープ係数の実用計算式を確立するため、クリープ力実験を行った。室内で実物車輪と実物レールを用いたこの種の実験は世界で初めである。この実物実験を通じて、異なる接触圧での横クリープ力係数と輪軸ヨーイング角あるいは横クリープ率との関係、縦クリープ力係数と輪軸の横変位すなわち縦クリープ率との実際の関係を解明した。実験式を作るために、まず、現存のクリープ力係数法を分析し、その中から計算速度が速い、実験結果と良く合う理論計算式を選んだ。そして、実際の実験データに基づいて、その式を修正し、本実験の計算結果を表すことのできる実験式を作った。

 車両のダイナミックス問題の非線形解析を行うための数値計算プログラムの開発はこの2つの基礎研究の上で行った。本研究で開発された数値解析法に使われている幾何学接触パラメタ、クリープ力係数そしてクリープ力は全てリアルタイムで計算式によって計算された。このため、本研究で開発された数値計算アルゴリズムは2点接触などの解析に高い精度を有する。

 さらに、非線形解析手法の応用例として、車両の曲線旋回性の向上に研究を進めた。ここでは、接触力と輪軸の変位の解析によって、在来車両の構造上の問題点を探り出した。この在来車両の構造上の問題点を解決するために、新しい台車構造を提案した。更に、新型台車を利用した車両の走行安定性と曲線旋回性の解析を行い、その有効性を確認した。

 以上の研究を通じて、車両のダイナミックス問題の非線形解析法を開発し、高い曲線旋回性を持つ台車の構造提案を行った。

審査要旨

 本論文は、鉄道車輪・レールの接触非線形性を考慮した車両運動シミュレーションと題し、6章と付録とから構成されている。

 第1章は序論で、研究の背景と目的、論文の構成を述べ、さらに以下の内容を読む上での準備として、この論文で採用した座標系、用語、記号等の説明を行っている。

 現在の鉄道における課題は、列車の到達時間の短縮である。それには、高速性能ばかりでなく、曲線旋回性能の向上が必要である。両者は二律背反の関係にあり、台車設計においていかに両者の折り合いをとるかが重要だが、両立できるような台車構造を考えることもまた重要である。

 車両運動を解析する場合に、車輪の踏面とレールの頭頂面とがどの場所で接触するかが力学上の基本的な問題となるが、複雑な立体幾何学となるために厳密に解こうとすると計算に時間が掛かり、実用的でない。

 また、車輪・レール間の接触力学(クリープ理論)の妥当性が曖昧である。理論モデルがいくつかあるが、現実のデータが不足しているために、その妥当性を明確にできない。それに、車両の運動の計算には、構成要素の数が多いので、計算に長時間を要するばかりでなく、精度の高い計算をするには非線形性を導入する必要があるが、計算時間はさらに延び、実用にならない。

 以上の諸問題を解決する手がかりをあたえることがこの研究の目的であると述べている。

 第2章は車輪・レール間の接触幾何学を論じ、車輪の踏面形状とレールの頭頂面形状とが決める車輪踏面とレール頭頂面との接触点の場所を、車輪とレールが相対運動する度に短時間で計算する実用的な計算法を開発し、以後の研究の準備としている。

 第3章では、車輪・レールの接触力実験と題し、実物の車輪とレールとを使った接触力の室内実験と、その結果について述べている。

 鉄道車両の車輪とレールとの間に働く接触力は、実車の実走行で詳細に測定することが困難であり、これまで実車の大まかな測定データか、小型模型を使った室内実験データしかなかった。この研究では、実物車輪とレールとを使って室内実験ができる大型実験装置を開発し、実物からの詳細な実験データを得ている。工作機械の大型研削盤を利用し、車輪は門型柱に固定して車輪に加わる3次元力の測定を容易にし、レールをスライドベッドに取り付けて直線運動ができるようにした。レールと車輪との間の接触姿勢を広範囲に変え、実物を使った大量のデータを得た。

 得られたデータを整理し、一般的に使われているカルカーの理論モデルと丹念に比較している。この結果、カルカーの理論を利用する際の注意点が明確になった。実物実験データは実用実験式としてまとめ、今後の車両運動シミュレーションの精度を上げる手がかりを作った。

 第4章は車両ダイナミックスの解析法と題し、車両運動のシミュレーションを非線形性を導入しながら効率よく計算ができるアルゴリズムを開発し、その成果について述べている。

 これまでの計算法が、接触力学を予め数値表化して、数値表参照型で計算していたのに対し、第2章で述べた接触幾何学計算法を使えば接触点の高速計算ができるため、接触力計算を車両運動計算の中にオンラインで取り込むことができ、接触力学に非線形性を含めても、高速計算が可能になったと述べている。

 第5章では、高速性能を犠牲にせず、曲線旋回性能を向上させる構造として、前後非対称構造を提案し、これまでの研究成果により出来上がった解析法を使ってその性能を論じている。

 ここで提案している非対称台車とは、台車枠に対する輪軸の横方向の支持を、車軸中心からずらしてオフセットを持たせ、このオフセット量を前後非対称にする方式である。どの輪軸にどの程度のオフセット量を付けるかという最適配分については、いろいろな組み合わせがあり得るが、ボギー車では、一車両の先頭車軸と最後尾車軸にオフセットを付与するのが適当であると結論している。

 第6章は以上のまとめと今後の課題を述べている。さらに付録として、これまでの古典とも云うべき主要な基礎理論を紹介して、本論文の読者が内容を理解しやすいようにしている。

 以上を要するに、これまで得られていなかった実物車輪/レールを使った接触力実験データを、優れた実験装置を開発することによっって大量に採取し、これまでの理論モデルの利点、欠点を明らかにしたばかりでなく、それを実用的な実験式としてまとめた。あわせて、車輪とレールとの接触幾何学を基本として実用的な接触点計算法を開発し、非線形性を含めた鉄道車両運動の精度の高いシミュレーションを可能にした。さらに、高速走行性能と曲線旋回性能とを両立させる非対称台車構造を提案し、その妥当性を本研究で開発した計算法で確認した。その後、他の研究者によってさらに優れた非対称台車の提案がされたが、その考え方に手がかりを与えたものと考えられる。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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