学位論文要旨



No 211984
著者(漢字) 福岡,聰
著者(英字)
著者(カナ) フクオカ,サトシ
標題(和) Erwinia carotovoraリポ多糖の構造・機能とその応用
標題(洋)
報告番号 211984
報告番号 乙11984
学位授与日 1994.11.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第11984号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 輕部,征夫
 東京大学 教授 古崎,新太郎
 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 助教授 熊谷,泉
内容要旨

 リポ多糖の生物活性に着目した研究が進められ、これまでにその免疫増強活性や抗腫瘍活性などの特性が明らかにされている。リポ多糖は細胞外膜の構成成分であり、膜形成性があるが、材料としての機能特性の検討はほとんどなされていない。本研究ではErwinia carotovoraのリポ多糖の生産条件、分離精製、分子構造解析、物理化学的特性、酵素分離への応用、及び抗生物質との相互作用の検討を進めた。その結果、リポ多糖の分子構造及び特性に関して新しい知見を得るとともに、これを基にリポ多糖の新たな材料としての用途を提唱したもので、以下の7章により構成されている。

 第1章「緒論」ではグラム陰性細菌類のリポ多糖に関する構造解析、生物活性などに関する研究及びE.carotovoraの植物病原性などに関する研究について既往の知見をまとめ、本研究を行なうに至った動機を述べるとともに目的及び意義を明らかにした。

 第2章「リポ多糖の生産」ではE.carotovora FERMP-7576の培養によりリポ多糖を菌体外に生産させるための条件を検討した。即ち、栄養源及び培養温度等の条件がリポ多糖の生産に及ぼす効果を調べ、最適条件を見いだした。本菌株は細胞外膜成分のリポ多糖を培養液中に遊離することから、菌体外放出機構を検討した。細胞の微細構造の透過電子顕微鏡観察及び菌体やリポ多糖等の成分分析により調べた結果、リポ多糖は細胞膜小胞として放出されていることが分かった。菌体外への生産量は対数増殖期に著しく大きく、培養温度や栄養源により変化した。ぺクチンを炭素源に用いた培地で対数増殖期の終りまで培養した後に、グリセロールとグルタミン酸ナトリウムを添加して培養を継続する2段階培養法を用いると、リポ多糖の菌体外生産量は向上し、培養液1.0L当たり920mgが得られた。菌体外リポ多糖と細胞より抽出されたリポ多糖はポリアクリルアミドゲル電気泳動のパターン、エンドトキシン活性を調べた結果互いに類似していた。また、ガラクトース、グルコース、ヘプトース、グルコサミン、3-デオキシ-D-マンノオクツロソン酸(KDO)を含有し、成分比はいずれのリポ多糖とも同等であった。

 第3章「リポ多糖の分子構造」では分離精製したリポ多糖の分子構造を明らかにした。リポ多糖を0.1Mの硫酸溶液中100℃で20分間反応させることにより糖部分と脂質部分(リピドA)とに加水分解し、個別に検討した。リピドAは薄層クロマトグラフにより、糖部分はゲルろ過により精製した。構造解析は成分分析、高速原子衝撃質量スペクトル、NMRスペクトル測定等により進めた。また、コアオリゴ糖に関してはメチル化分析等により糖鎖構造の検討を行った。その結果、リピドAは類縁体の混合物で、-1,6-ジグルコサミンの還元末端の2および3位に3-ハイドロキシテトラデカン酸(C14:0(3-OH))が、非還元末端の2’及び3’位にドデカノイルオキシテトラデカン酸(C12-O-C14)が結合した脂肪酸が6個から成る構造を主成分としており、2位のC14:0(3-OH)にヘキサデカン酸がエステル結合したアシル基7個及び、アシル基6個の基本構造からドデカン酸あるいはC14:0(3-OH)が1分子遊離したアシル基5個のリピドA2種類の合計4種類が確認された。いずれも3’位にC12-O-C14がエステル結合した新規な構造であった。糖部分はO-抗原多糖を欠損しており、コアオリゴ糖のみが認められた。コアオリゴ糖はグルコース、ガラクトース、ヘプトース、及びKDOの構成比が1:1:3:1で、非還元末端の構造が異なるものの混合物であった。ヘプトースの3及び6位により分岐したバイアンテナ型で、ヘプトースの6位に結合のある新規な構造であることが分かった。また、KDOに結合したヘプトースの4位にリン酸が1個エステル結合していた。E.carotovoraのリポ多糖はラフ型でリピドA及びコアオリゴ糖いずれも固有の構造であることが明らかになった。

 第4章「リポ多糖薄膜の形成とその性質」ではリポ多糖の水溶液中及び表面における分子間会合挙動を検討した。リポ多糖を水溶液中に分散させ、水溶液中での形態を蛍光顕微鏡により観察するとともに、断熱型溶液走査熱量計を用いて金属イオンなどの共存下における相転移挙動を調べた。また、単分子超薄膜の形成を検討した。その結果、リポ多糖は水溶液中で直径が数mの球形の小胞を形成し、ゲル-液晶相転移による吸熱を示した。相転移温度(tm)及び相転移エンタルピー(H)は溶液中の金属イオン、イオン強度及びpHにより影響された。酸性溶液中ではリポ多糖に結合しているリン酸やカルボキシル基のプロトン化に起因すると考えられるがtm,Hともに大きくなった。また、マグネシウムやカルシウムなど多価の金属イオンの2モル当量未満の存在下ではtm,Hいずれも大きくなり、純水中よりも塩溶液、酸性溶液及び2価の金属イオン溶液中でリポ多糖分子のパッキングが密になっていると推測された。一方、2モル当量以上のマグネシウムイオンを添加すると低温側に新たな吸熱ピークが現れるなど、リポ多糖膜は化学的、物理的条件により膜機能を変化させることが示唆された。さらに、リポ多糖は水-空気界面に単分子膜を形成し、基板に移すことも可能で累積膜を形成することが分かった。

 第5章「リポ多糖によるペクチン酸リアーゼの分離」では2段階培養法をE.carotovora FERMP-7576によるペクチン酸リアーゼの生産に応用するとともに、菌体外分泌酵素であるペクチン酸リアーゼの分離方法を検討した。その結果、同菌株は誘導的、あるいは構成的炭素源のいずれを用いて培養してもペクチン酸リアーゼを生産するが、誘導的炭素源のペクチンを用いて培養した後に、構成的炭素源のグリセロールなどを添加して培養を継続する2段階培養法を用いると、酵素生産は10L容量の発酵槽培養で400単位/mL、ペクチンを炭素源に用いた培養の4倍程度まで向上した。本培養法によるとリポ多糖生産の場合と同様に、単独で用いたときには酵素生産の低い炭素源によっても高い生産性が得られた。また、ペクチンとグリセロールを用いて2段階培養して得た培養液を遠心分離により除菌後透析すると、菌体外に放出されたリポ多糖小胞とペクチン酸リアーゼとが選択的に会合し、沈殿して分離可能なことを見出した。リポ多糖小胞とペクチン酸リアーゼとの会合挙動の検討の結果、沈殿形成はペクチン酸リアーゼとリポ多糖との静電的相互作用により誘導されることが明らかになった。

 第6章「リポ多糖と抗生物質との相互作用」では、ダラム陰性細菌類に作用する抗生物質がリポ多糖と相互作用するという知見をもとに、相互作用の水晶振動子による検出を検討した。その結果、リポ多糖膜はカチオン性抗生物質のポリミキシンBやグラミシジンSと水溶液中で相互作用し、相転移挙動、膜の重量や粘性を変化させることが分かった。水晶振動子の白金電極表面に付着させたリポ多糖膜は抗生物質溶液と接触したときに共振周波数が小さくなり、共振抵抗は大きくなった。これは抗生物質との接触によりリポ多糖膜の重量ばかりではなく、粘性も変化していることを示しており、リポ多糖膜を水晶振動子に付着させることにより、抗生物質との相互作用の解析に利用可能なことが確認された。

 第7章「結論」では本研究で得られたE.carotovoraのリポ多糖に関する成果をまとめ、その意義について述べた。

審査要旨

 リポ多糖は細胞外膜の構成成分であり、膜形成性があるが、材料としての応用を目的とした機能特性の検討はこれまでにほとんどなされていない。これはリポ多糖を菌体から抽出・分離精製するための大量の試料の確保が困難であったこと、また、構造が複雑で純粋な試料が得にくかったことなどの理由によると述べている。本論文ではErwinia carotovoraのリポ多糖の生産条件、分離精製、分子構造解析、物理化学的特性等の検討を進め、酵素分離及び抗生物質などとの相互作用の検討用材料としての応用を図っている。

 まずErwinia carotovora FERM P-7576が本来細胞外膜構成成分のリポ多糖を菌体外に放出することを見いだし、リポ多糖を菌体外に生産させるための最適培養法を検討している。即ち、栄養源及び培養温度等の条件がリポ多糖の生産に及ぼす効果を調べ、最適培養法として2段階培養法を開発している。ペクチンを炭素源に用いた培地で対数増殖期の終りまで培養した後に、グリセロールとグルタミン酸ナトリウムを添加して培養を継続する2段階培養法を用いると、単一の炭素源では生産性の低いグリセロールでもリポ多糖の菌体外生産量は向上し、培養液1.0L当たり920mgを得ている。また、細胞の微細構造の透過電子顕微鏡観察及び菌体やリポ多糖等の成分分析から菌体外放出機構を調べ、リポ多糖が細胞膜小胞として対数増殖期に放出され、培養温度や栄養源により変化することを明らかにしている。菌体外リポ多糖と細胞より抽出されたリポ多糖とはポリアクリルアミドゲル電気泳動のパターン、エンドトキシン活性ともに類似している。また、成分分析によりガラクトース、グルコース、ヘプトース、グルコサミン、3-デオキシ-D-マンノオクツロソン酸(KDO)を含有し、成分比はいずれも同等であったことから、外膜のリポ多糖と同一物が放出されていることを明らかにしている。

 リポ多糖を材料として応用するためには分子構造及び化学的性質の解明が重要である。本論文では最初にリポ多糖の分子構造を成分分析や高速原子衝撃質量スペクトル、NMRスペクトル等の分光分析により明らかにしている。また、コアオリゴ糖に関してはスペクトル測定の他にメチル化分析等により糖鎖構造の検討を行っている。リポ多糖を0.1Mの硫酸溶液中100℃で20分間反応させることにより糖部分と脂質部分(リピドA)とに加水分解し、個別に解析を進めている。リピドAは薄層クロマトグラフにより、糖部分はゲルろ過により精製している。その結果、リピドAは類縁体の混合物で、-1,6-ジグルコサミンの還元末端の2および3位に3-ハイドロキシテトラデカン酸が、非還元末端の2’及び3’位に3-ドデカノイルオキシテトラデカン酸が結合した脂肪酸が6個の構造を主成分としており、2位の3-ハイドロキシテトラデカン酸にヘキサデカン酸がエステル結合したアシル基7個及び、アシル基6個の基本構造からドデカン酸あるいは3-ハイドロキシテトラデカン酸が1分子遊離したアシル基5個のリピドA2種類の合計4種類を確認している。いずれも3’位に3-ドデカノイルオキシテトラデカン酸がエステル結合した新規な構造である。糖部分はO-抗原多糖を欠損しており、コアオリゴ糖のみを認めている。コアオリゴ糖はグルコース、ガラクトース、ヘプトース、及びKDOの構成比が1:1:3:1で、非還元末端の構造が異なるものの混合物である。メチル化分析によりヘプトースの3及び6位により分岐したバイアンテナ型で、ヘプトースの6位に結合のある新規な構造であることを認めている。また、KDOに結合したヘプトースの4位にリン酸が1個エステル結合している。以上のようにE.carotovoraのリポ多糖はラフ型でリピドA及びコアオリゴ糖いずれも固有の構造であり、また、リポ多糖分子は縦およそ4nm横およそ2nmの長方形で、親水性部と疎水性部の大きさがほぼ同一であることを明らかにしている。

 分子構造が明らかになったことから引き続き化学的性質を調べている。親水性部と疎水性部の大きさが同一であることから、リポソーム類似膜を形成するというリン脂質モデルによる仮説に基づき、膜形成性をリポ多糖の水溶液中及び表面における分子間会合挙動により検討している。リポ多糖を水溶液中に分散させ、水溶液中での形態を蛍光顕微鏡により観察するとともに、断熱型溶液走査熱量計を用いて金属イオンなどの共存下における相転移挙動を調べている。さらに、単分子超薄膜の形成について検討している。その結果、リポ多糖は水溶液中で直径が数mの球形の小胞を形成し、ゲル-液晶相転移による吸熱を示す。相転移温度(tm)及び相転移エンタルピー(H)は溶液中の金属イオン、イオン強度及びpHにより影響される。酸性溶液中ではリポ多糖に結合しているリン酸やカルボキシル基のプロトン化によりtm,Hともに大きくなり、パッキングが進行することを示している。また、マグネシウムやカルシウムなど多価の金属イオンの2モル当量未満の存在下ではtm,Hいずれも大きくなり、純水中よりも塩溶液、酸性溶液及び2価の金属イオン溶液中でリポ多糖分子のパッキングが密になっていると推測している。一方、2モル当量以上のマグネシウムイオンを添加すると低温側に新たな吸熱ピークが現れるなど、リポ多糖膜は化学的、物理的条件により膜機能を変化させることを示唆する結果を得ている。さらに、リポ多糖は水-空気界面に単分子膜を形成し、基板へ移すことも可能な累積膜を形成することを見いだしている。

 リポ多糖の分子構造及び化学的性質が明らかになったことから、次に材料としての応用の観点から検討を進めている。まず、2段階培養法をE.carotovoraによるペクチン酸リアーゼの生産に応用するとともに、菌体外分泌酵素であるペクチン酸リアーゼのリポ多糖による分離方法を検討している。本論文で用いている菌株は誘導的、あるいは構成的炭素源のいずれを用いて培養してもペクチン酸リアーゼを生産するが、誘導的炭素源のペクチンを用いて培養した後に、構成的炭素源のグリセロールなどを添加して培養を継続する2段階培養法によると、酵素生産は10L容量の発酵槽培養で400単位/mL、ペクチンを炭素源に用いた培養の4倍程度にまで向上する。本培養法によるとリポ多糖生産の場合と同様に、単独で用いたときには酵素生産の低い炭素源によっても高い生産性が得られている。このようにE.carotovoraはリポ多糖とペクチン酸リアーゼを菌体外に放出するがリポ多糖はアニオン性であり、ペクチン酸リアーゼはカチオン性であることから、静電的に相互作用するとの仮説にたって検討を進めている。その結果、培養液を遠心分離により除菌した後に透析すると、菌体外に放出されたリポ多糖小胞とペクチン酸リアーゼとが選択的に会合し、沈殿として分離可能になることを見出している。また、ペクチン酸リアーゼと小胞との会合挙動を調べ、沈殿形成はペクチン酸リアーゼとリポ多糖との静電的相互作用により誘導されていることを明らかにしている。

 リポ多糖の膜形成性を利用した材料としての応用に関しては、グラム陰性細菌類に作用する抗生物質がリポ多糖と相互作用するとの知見をもとに、溶液走査熱量計及び水晶振動子により相互作用状態を検討している。その結果、リポ多糖膜はカチオン性抗生物質のポリミキシンBやグラミシジンSと水溶液中で相互作用し、相転移挙動、膜の重量や粘性が変化することを示している。リポ多糖膜を水晶振動子の白金電極表面に付着させると抗生物質溶液と接触させたときに共振周波数が小さくなり、共振抵抗は大きくなる。抗生物質との接触によりリポ多糖膜は重量ばかりではなく、粘性も変化することを示している。このようにリポ多糖膜を水晶振動子に付着させると、細菌に作用する新薬の開発のスクリーニング素材及び相互作用特性の検討用材料として利用可能なことを明らかにしている。

 以上、本論文ではE.carotovoraのリポ多糖の生産条件、分子構造、物理化学的性質等を種々の手段を用いて検討し、リポ多糖の大量生産法を開発するとともに、固有な分子構造や物理化学的特性を明らかにし、膜材料としての応用を図ったものであり、学問的な価値が高い。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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