学位論文要旨



No 211996
著者(漢字) 望月,龍也
著者(英字)
著者(カナ) モチヅキ,タツヤ
標題(和) トマトの高色素遺伝子の利用に関する育種学的研究
標題(洋)
報告番号 211996
報告番号 乙11996
学位授与日 1994.11.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第11996号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,元吉
 東京大学 教授 鵜飼,保雄
 東京大学 助教授 杉山,信男
 東京大学 助教授 八巻,良和
 東京大学 助教授 長戸,康郎
内容要旨

 トマト果実中には,平均20mg%程度のビタミンC及びビタミンA効力にして平均390IU/100g程度の-カロチンが含有されているが,生産量の多い野菜であることから国民の保健・栄養面から重要な位置を占めている。このため,これらの成分含量の安定して高い品種の開発は重要な研究課題である。

 本研究では,果実中のビタミンC及びカロチノイド含量が高い高色素群遺伝子保有系統を育種的に利用するための基礎的知見を得ること目的として,同遺伝子がビタミンC及びカロチノイド含量向上に及ぼす遺伝的効果,及び同遺伝子保有系統と普通系統との交雑後代における生育・収量・果実品質関連形質とビタミンC及びカロチノイド含量との遺伝的関係を解析した。またこれらの検討に役立てるため,同遺伝子保有個体の幼植物段階での簡易識別法,及び遺伝解析等を効率化するためのビタミンC含量簡易検定法を開発した。

1.黄色フィルム被覆法による高色素群遺伝子保有系統の早期検定法(1)高色素遺伝子保有系統の幼植物の胚軸伸長における光質反応

 幼植物の胚軸伸長に及ばす光質の効果について,色ガラスフィルターを被覆させる方法と単色光光源を照射させる方法により検討した。その結果,高色素遺伝子保有の有無に関わらず,400nm付近の青色光は伸長抑制的,750nm付近の近赤外光は伸長促進的であった。これに対し600nm付近の赤色光は,高色素遺伝子保有系統に対しては伸長抑制的,普通系統に対しては伸長促進的であった。

(2)光質反応を利用した高色素遺伝子保有系統の早期検定法

 この結果を踏まえ,より実用的な高色素遺伝子保有系統の早期検定法として,着色フィルム被覆について検討した。その結果,約500nm以下の短波長域を除去する黄色フィルムを発芽直後の幼植物に被覆することにより赤色光照射と同様の効果が得られ,10日間程度で分離集団から高色素遺伝子ホモ個体を確実に選抜することが可能であった。

(3)高色素群遺伝子の同座性検定

 高色素遺伝子(hp)と類似の表現型を示す3種の突然変異系統(dg,hp1,hp2)は,黄色フィルム被覆に対してhp遺伝子保有系統と同様の反応を示した。そこでこれら4種遺伝子保有系統の相互交配F2集団を黄色フィルムで被覆し,胚軸伸長反応の分離を検討した結果,これら4種の遺伝子は同一遺伝子座の突然変異であると推定された。

2.トマト果実中のビタミンC含量に及ぼす高色素群遺伝子の効果(1)インドフェノール吸着濾紙法によるビタミンC含量の簡易評価

 ビタミンC含量に関する遺伝解析を効率化するため,毛管分析法を簡易化した「インドフェノール吸着濾紙法」を開発した。本法は厚手の濾紙に0.05〜0.10%のインドフェノールを吸着・乾燥させた試験片の下端から試料液を吸収させ,還元・漂白部長率から試料中のビタミンC含量を推定するものであり,分析精度に限界があるものの,トマト個体・系統間のビタミンC含量の相対的関係の迅速な定量的評価が可能であった。

(2)栽培トマト及び野生トマトにおけるビタミンC含量の変異

 トマト属近縁野生種を含む約150点の導入系統のビタミンC含量を検定した結果,野生種のLycoperisicon pimpinellifolium及びL.peruvianumにビタミンC含量の比較的高い系統が多かったが,その範囲は栽培種(L.esculentum)の平均的水準の2倍程度までであり,実用形質を考慮すると育種素材として有望とは考えられなかった。一方栽培種中では,高色素遺伝子(hp)を保有する1群の系統が,一般品種より平均30〜50%程度高いビタミンC含量を示したが,系統間差異は2倍以上と大きかった。

(3)高色素遺伝子保有系統におけるビタミンC含量の環境変異

 高色素遺伝子のビタミンC含量向上効果の環境変動特性を普通系統との比較の下に検討した結果,作型,果実熟度,果房中の着果位置,果実サイズ,果実内の部位,着果ホルモン処理等よるビタミンC含量の変動には,基本的に高色素群遺伝子保有系統と普通系統の間に差のないことを明らかにした。また異なる作型及び果房位のビタミンC含量に関する回帰分析に基づく環境安定性の評価において,供試トマト品種間に幅広い変異が認められたが,この点に関しても高色素群遺伝子保有系統と普通系統の間に基本的な差異は認められなかった。

(4)高色素遺伝子保有系統におけるビタミンC含量の遺伝性

 高色素群遺伝子保有系統と普通系統とのF2世代では,ビタミンC含量に関する有効遺伝子数は2〜4個と推定された。また遺伝力(広義)は46.4〜59.0と必ずしも高くなかったが,分離世代におけるビタミンC含量の分布から,高色素群遺伝子はビタミンC含量向上に高い効果を有すると推定され,このことはF2-F3選抜試験の結果からも確認された。また品種・系統間のF1では,ビタミンC含量は基本的に低い方が優勢であり,ヘテロシス効果も低かったが,同遺伝子保有系統の高ビタミンC性は完全劣性ではなく,中間親と同程度かやや高い場合が多かった。なお多くの場合に,ビタミンC含量と一果重,早期収量,収量/茎葉量等の間に負の相関が見られた。

3.トマト果実中のカロチノイド含量に及ぼす高色素群遺伝子の効果(1)高色素群遺伝子保有系統におけるカロチノイド含量の変異

 遺伝的背景の異なる高色素群遺伝子保有系統では,普通系統と比べて平均してリコピン含量が約40%高く,また-カロチンはほぼ倍量含まれ,カロチノイド含量向上に対する効果が確認された。しかし系統間における差異も大きく,リコピンで2倍半程度,また-カロチンでは2倍近い変動が認められた。また全系統を通じてリコピン含量と-カロチン含量の関係は無相関に近かった。

(2)高色素群遺伝子保有系統を含むF1組み合わせにおけるカロチノイド含量の遺伝性

 高色素群遺伝子保有系統を含むF1世代では,リコピン含量は基本的に低い方が優勢であり,同遺伝子保有系統はF1では完全劣性に近い発現となり,一般組合せ能力も低かった。一方-カロチン含量は基本的に不完全優性と考えられ,高色素群遺伝子保有系統間で一般組合せ能力効果に差異が認められた。またリコピン含量と-カロチン含量のヘテロシス程度間に正の相関がみられたことから,カロチノイド総量の向上効果が期待される組み合わせでは,-カロチン含量の向上が期待できると考えられた。

4.高色素群遺伝子保有系統における生育・収量・品質関連形質の遺伝的関係(1)高色素群遺伝子保有系統の幼植物の胚軸伸長における温度反応

 発芽直後の幼植物の胚軸伸長では,高色素群遺伝子保有の有無に関わらず温度の低下に伴い伸長速度も低下したが,15〜20℃付近を境に伸長速度低下程度に変化がみられ,これより低い温度域では伸長速度低下程度が大きくなった。同遺伝子保有系統と普通系統を比較すると,15〜20℃付近より高い温度域では温度低下に伴う伸長速度低下程度に差異がみられなかったが,これより低い温度域では同遺伝子保有系統の方が温度低下に伴う伸長速度低下程度が大きく,育苗期から定植直後にかけてしばしば出現する低温条件下における生育抑制に,このような温度反応特性の関与している可能性が推察された。

(2)高色素群遺伝子保有系統における生育・収量及び品質関連形質の関係

 高色素群遺伝子は育苗中及び定植後の低温期における生育遅延及び果実成熟遅延を通じて,前期収量率及び全収量を低下させる効果があると考えられた。また果実品質については,カロチノイド及びビタミンC含量を増加させる一方で,酸度を低下させるとともに,有機酸中でのリンゴ酸の比率を高める効果があると考えられた。しかしこれらを含め,高色素群遺伝子に付随するとされる多くの形質には幅広い変異が認められ,また多くの場合形質相互間の相関は小さいことから,これらの形質は同遺伝子の直接的な効果によるものではなく,遺伝的背景を介した間接的な効果が大きいものと推定され,幅広い遺伝子の集積により改良が可能と考えられた。

 本研究により,高色素群遺伝子がビタミンC及びカロチノイド含量向上に及ぼす遺伝的効果,及び同遺伝子保有系統と普通系統との交雑後代における生育・収量・果実品質関連形質とビタミンC及びカロチノイド含量との遺伝的関係が明らかにされ,同遺伝子を利用したトマトの高ビタミンC及びカロチノイド含量品種育成の可能性が示された。

審査要旨

 トマトは果実中に平均200g/g程度のビタミンC,及びビタミンA効力に換算して平均3.9IU/g程度の-カロチンを含んでいるが,国内生産・消費量の多い野菜であることから,国民の保健・栄養の面で重要な位置を占めている。

 高色素遺伝子(hp)はビタミン効果を高める上で注目されていたが,劣悪形質が付ずいするため,発見後永らく育種に利用されなかった。本研究はこの遺伝子に着目し,簡易選抜法を確立するとともに,遺伝的効果を始めとする育種学的研究を展開したものである。得られた知見の概要は以下のように要約できる。

1.黄色フィルム被覆法による高色素群遺伝子保有系統の早期検定法

 1)トマト幼植物の胚軸伸長反応では,hp遺伝子保有の有無に関わらず,400nm付近の青色光が伸長抑制的,750nm付近の近赤外光が伸長促進的であるのに対し,600nm付近の赤色光はhp遺伝子保有系統には伸長抑制的,普通系統には伸長促進的であった。

 2)この結果に基づき,約500nm以下の短波長域を除去する黄色フィルムを発芽直後の幼植物に被覆することで,播種後10日間程度で分離集団からhp遺伝子ホモ個体を確実に選抜できる実用的な早期検定法を開発した。

 3)hp遺伝子及びこれと類似の表現型を示す3種の突然変異(dg,hp1,hp2)は,相互交配F2集団を黄色フィルムで被覆する実験により,同一遺伝子座の突然変異と推定された。なお本研究では,これら4遺伝子を一括して「高色素群遺伝子」と呼称することとした。

2.トマト果実中のビタミンC含量に及ぼす高色素群遺伝子の効果

 1)トマト個体・系統間におけるビタミンC含量の相対的関係の迅速な定量的評価法として,インドフェノール吸着滬紙法を開発した。

 2)トマト属野生種ではLycopersicon pimpinellifoliumとL.peruvianumに高ビタミンC系統が多いが,実用形質からみて育種素材として有望ではなかった。栽培種では高色素群遺伝子保有系統が普通品種より30〜50%高い含量を示したが,系統間差異も大きかった。

 3)高色素群遺伝子保有系統におけるビタミンC含量の環境変動特性には,普通系統と間に基本的な差異が認められなかった。

 4)hp遺伝子保有系統と普通系統とのF2世代では,ビタミンC含量に関する有効遺伝子数は2〜4個,遺伝力(広義)は46.4〜59.0と推定された。またF2-F3選抜試験からhp遺伝子のビタミンC含量向上に対する高い効果が確認された。さらにhp遺伝子保有系統と普通系統とのF1のビタミンC含量は中間親と同程度かやや高かった。

3.トマト果実中のカロチノイド含量に及ぼす高色素群遺伝子の効果

 1)遺伝的背景の異なる高色素群遺伝子保有系統では,普通系統と比べてリコピン含量が約40%高く,-カロチンはほぼ倍量含まれたが,系統間にはリコピンで2倍半程度,また-カロチンでは2倍近い変動が認められた。

 2)高色素群遺伝子保有系統と普通系統とのF1では,リコピン含量は完全劣性に近く,一般組合せ能力も低かった。また-カロチン含量は不完全優性と考えられ,高色素群遺伝子保有系統間で一般組合せ能力に差が認められた。

 4.高色素群遺伝子保有系統における生育・収量・品質関連形質の遺伝的関係

 1)発芽直後のトマト幼植物では温度低下に伴い胚軸伸長速度が低下するが,普通系統と比較してhp遺伝子保有系統では,低温条件下での伸長成長抑制程度が大きいことが示唆された。

 2)高色素群遺伝子は,低温期における生育遅延及び果実成熟遅延を通じて前期収量率及び全収量を低下させ,またカロチノイド及びビタミンC含量を増加させる一方,酸度を低下させるとともに有機酸中でのリンゴ酸の比率を高める効果があると考えられた。

 3)実用上不適当な特性を含む,高色素群遺伝子に付随するとされる多くの形質には幅広い系統間変異が認められ,また多くの場合形質相互間の相関が小さいことから,これらの形質は同遺伝子の直接的な効果によるものではなく,遺伝的背景を介した間接的な効果が大きいと推定され,幅広い遺伝子の集積により改良が可能と判断された。

 以上本研究により,高色素群遺伝子がビタミンC及びカロチノイド含量向上に及ぼす遺伝的効果,および同遺伝子を利用したトマトの高ビタミンC及びカロチノイド含量品種育成の可能性が示された。これらの成果は学術上,応用上寄与するところが大きい。よって審査員一同は申請者に博士(農学)の学位を与える価値があることを認めた。

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