学位論文要旨



No 211998
著者(漢字) カンチャナ,ジュントングジン
著者(英字)
著者(カナ) カンチャナ,ジュントングジン
標題(和) タイ湾沿岸の二枚貝(Asaphis violascens)より分離された麻痺性貝毒ならびにフグ毒を産生する海洋細菌に関する研究
標題(洋) Marine Bacteria Producing Paralytic Shellfish Poisons and Tetrodotoxins with Emphasis on the Association with the Toxicity of Marine Sand Clam(Asaphis violascens)in the Coastal Area of Thailand
報告番号 211998
報告番号 乙11998
学位授与日 1994.11.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第11998号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大和田,紘一
 東京大学 教授 若林,久嗣
 東京大学 助教授 福代,康夫
 東京大学 助教授 木暮,一啓
 東京大学 講師 野口,玉雄
内容要旨 内容

 海洋の動植物がさまざまな生理活性物質をつくることは以前から知られているが、近年になってこのような生理活性物質、とくに毒素の類、が海洋の微生物によってつくられることも明らかになってきている。これらの中で最もよく知られているフグ毒(テトロドトキシン)は強力な麻痺性神経毒で、筋肉や細胞内へのナトリウムイオンの流入を妨げる薬理作用を持つ。フグ毒はフグの類に固有の毒と以前は思われていたが、両生類、魚類、軟体動物、甲殻類、毛顎類、紐形動物から多毛類に至るまで広く分布していることが分かり、これらの分布は動物の系統的な類縁とは関係がみられず、それぞれの分類群の中でフグ毒を持つ種類が散発的に認められる。また、毒の個体差、地域差も極めて大きい。このことはフグ自身が体内で代謝産物として蓄積しているのではなく、外部から取り込まれているのではないかと考えられ、すでに海洋細菌や放線菌の類がテトロドトキシン(TTX)あるいはその関連物質を産生していることや、これらが海洋の堆積物や懸濁物などから検出されることも報告されている。

 一方、多くの二枚貝やある種の巻貝などによってフグ毒に似た中毒が起こるが、これは麻痺性貝毒と呼ばれ、北米、英国、日本、その他の国のみならずタイにおいても発生の事例が報告されている。麻痺性貝毒(PSP)による中毒症状は貝類がAlexandrium tamarenseやA.catenellaなどの有毒な渦鞭毛藻類を捕食した結果引き起こされると考えられている。しかし、必ずしも有毒な鞭毛藻類が認められない海域でも貝類によるPSPの蓄積レベルが高くなる事例が報告されており、この時には貝類の毒性と懸濁粒子の中でも5以下といった微生物を主とした画分との間に相関が認められており、ある種の微生物によってPSPが産生されている可能性が示唆されている。

 本研究においてはタイ湾沿岸域において微生物によるTTXやPSPの産生の可能性を調べるため、海水、海底堆積物や多くの脊椎、無脊椎動物から微生物を分離し、まずそれらの分離菌株からSCB産生細菌(Sodium Channel Brocker Producing Bacteria)のスクリーニングを行った。その結果、二枚貝(Asaphis violascens)からTTXならびにPSPを産生する海洋細菌が初めて分離された。そこでこの二枚貝の毒性レベルが高い時期と低い時期に分けて、これら細菌の分布状況を現場において調べる一方、この毒素産生細菌の性状をさらに詳しく知るため、実験条件下において増殖に伴う毒産生の様相を詳しく解析すると同時に、この二枚貝肉の水抽出液の細菌に対する増殖や毒素産生能に対する影響など基礎的な知見を求めたものである。なお、本論分における二枚貝や海洋細菌の産生する毒性は人間に中毒症状を引き起こす濃度に比べると、かなり低いレベルでの現象を取り扱っている。

 本研究によって得られた成果は次のとおりである。

1.タイ湾沿岸域より分離されたSCB産生細菌

 タイ湾沿岸の3定点(北部、東部および南部)において海水、海底堆積物および脊椎、無脊椎など20種類の動物から合計489株の微生物を分離した。マウス神経芽細胞を用いるナトリウムチャンネル阻害(SCB)物質の検定法(Kogure et al.1988)を用いて、SCB産生細菌のスクリーニングを行った結果、タイ湾の北部定点においては183株の内42株が、東部定点においては188株の内44株が、また南部定点においては118株の内26株が菌体1g当たり0.1MU以上のSCB阻害物質を産生した。これはSCB産生細菌が平均して22.9%存在していたことになり、多くの細菌は0.2-0.4MU/gのSCB物質を産生した。この中の5株の細菌について属レベルの同定を行ったところ、Vibrio属が4株で、Pseudomonas属が1株であった。HPLCによる分析の結果、SCB物質は主にTTXあるいはその関連物質と考えられた。

2.二枚貝(Asaphis violascens)から分離されたTTXならびにPSPを産生する海洋細菌

 タイ湾北部定点のSichang島周辺の二枚貝(Asaphis violascens)の入水管、出水管、外套膜、鰓、生殖腺など7器官の単位重量当たりの生菌数を計数し、またここからSCB産生細菌のスクリーニングを行った。それぞれの器官の単位重量当たりの細菌数は二枚貝の毒性の高い時期(1990年5月29日)には高くなり(108-9cfu/gレベル)、毒性の低い時期(1990年8月4日)には低くなる(106-7cfu/gレベル)傾向が認められ、それはスクリーニングされたSCB産生細菌数についても同様な傾向が認められた。これらの細菌を培養後、菌体を集め、0.1%メタノール塩酸で抽出し、HPLCによる分析の結果、Vibrio属の細菌3株(G-1-1、St-1-1およびSp-H-2株)は培養条件下でGTX1-4、STX、neoSTX、およびdecarbamoyl STXなどの麻痺性貝毒およびTTX、4epi-TTX、およびanhydro TTXなどのフグ毒を産生することが明らかになった。また、Micrococcus属およびFlavobacterium属の細菌各1株と未同定細菌1株も同様な産生能を持つことが認められた。これまでにはPSPあるいはTTXを産生する細菌については報告があるが、1株で両者あるいはその関連物質を産生する細菌が分離されたのは初めてのことである。二枚貝の毒性のレベルと生菌数やSCB産生細菌数との間には密接な関係があるように思われた。

3.培養条件下におけるVibrio属細菌2株の増殖に伴うTTXならびにPSPの産生様式

 Vibrio属のSt-1-1およびSp-H-2株を液体培地200mlの入ったフラスコに接種し、28℃、200rpmで振とう培養を行いながら一定時間ごとに各1個のフラスコを回収して細菌株の増殖を調べ、また菌体と上清に分けてそれぞれを抽出し、TTXおよびPSPやその関連物質産生の様相をHPLCおよびマウス神経芽細胞によるバイオアッセイ法を用いて追跡した。また、TTXの試料についてはGC-MSを用いての確認も行った。培養は10日間行い、対数増殖期、停止期および死滅期をカバー出来るようにした。TTXならびにPSPの産生様式は変動も大きく、不安定であったが、その傾向は以下のごとく要約される。バイオアッセイ法によって検出されたSCB物質はこれら細菌株の対数増殖期に産生され始め、特に72時間以降の停止期に活発に産生され、主に細胞内に認められた。HPLCによる毒成分の分析の結果、St-1-1株の細胞内にはTTX、STX、neoSTX、GTX1、およびGTX2が、また培養液上清中にはneoSTX、GTX2、GTX3、およびGTX4が検出された。一方、Sp-H-2株においては細胞内にTTX、STX、neoSTX、GTX1、GTX2、GTX3、およびGTX4が、また培養液上清中にはSTX、GTX1、GTX2、およびGTX3が検出された。同じ試料についてバイオアッセイ法によるSCB物質とHPLCを用いて測定されたTTXならびにPSPとその関連物質の間には必ずしも同様な傾向が認められず、SCB物質の中にはこれら以外にも他の未知の物質が存在することも示唆された。今回の培養実験においては培地のpHを十分に保つことの出来る緩衝液が手に入らなかったため、細菌の増殖に伴って培地のpHは非常に高くなってしまった。168時間以降には培養液上清中にTTXならびにPSPとその関連物質が認められなくなっているのは、この高いpHのために分解されたためとも考えられる。

4.二枚貝水抽出液の細菌の増殖ならびに毒産生に対する影響

 現場での調査において二枚貝の毒性の高い時期と低い時期では二枚貝中の各器官における細菌数や毒産生菌の計数値に差が認められたことから、二枚貝の水抽出液がこれら細菌の増殖や毒産生能に影響を与えているのではないかと考えられた。そこで毒性の高い時期と低い時期の二枚貝の肉をホモジナイズ後、常温で海水により抽出し、それぞれ毒性の高い時期(HB)と低い時期(LB)の二枚貝抽出液を調整した。この抽出液をいつも用いているL-培養液、海水+0.2%グルコース、海水のみなどの培地に10%あるいは50%の割合で加え、TTXならびにPSP産生能を持つ細菌株4株を培養して、その増殖および毒産生能を調べた。その結果、LBを加えるとHBに比較して細菌の増殖が多くの場合著しく劣ること、また細菌細胞当たりのSCB産生能についてはHBを加えることによりかなり高くなることが認められた。このSCB物質をHPLCによって分析した結果、これら細菌株はPSPやTTXおよびその関連物質を産生しているが、HBを加えることによって特にTTXおよびその関連物質の産生が促進されることが認められ、二枚貝とその各器官にみられる細菌との間に毒性の発現に関して何らかの関係があることが考えられた。

 以上、本研究はナトリウムチャンネルを阻害するSCB物質を産生する海洋細菌をタイ湾沿岸の海水、堆積物や多くの脊椎、無脊椎動物から分離し、その毒産生能を調べた結果、二枚貝からPSPおよびTTXを産生する細菌が初めて分離され、それら細菌株の微生物学的性状、増殖に伴う毒産生能、ならびに二枚貝とこれら細菌との関係について調べたものである。フグ毒や麻痺性貝毒の海洋生態系での動態については非常に複雑で、そう簡単には解明できるものではないかも知れないが、海洋微生物がこれらの動態に関与している一端がこの研究により解明されたものと思われる。

審査要旨

 海洋の動植物がさまざまな生理活性物質をつくるのみならず,微生物によって特に毒素の類が産生されることも明らかになってきた。この中でフグ毒(テトロドトキシン)は強力な麻痺性神経毒で,海洋細菌や放線菌類が産生しており,海洋の堆積物や懸濁物などから検出されることも報告されている。一方,多くの貝類よってフグ毒に似た中毒が起こるが,これは麻痺性貝毒(PSP)と呼ばれ,有毒な渦鞭毛藻類を貝類が捕食した結果引き起こされると考えられている他に,微生物の大きさの粒子も関連していることが示唆されている。

 本研究ではタイ湾沿岸の微生植によるテトロドトキシン(TTX)やPSPの産生能を調べ,二枚貝(Asaphisviolascens)からTTXならびにPSPを産生する海洋細菌が初めて分離された。そこで,実験条件下において増殖に伴う毒産生の様相を詳しく解析したものである。なお,本論文における二枚貝や海洋細菌の産生する毒性は人間に中毒症状を引き起こす濃度に比べると,かなり低いレベルでの現象を取り扱っている。

1.タイ湾沿岸域より分離されたSCB産生細菌

 タイ湾沿岸において海水,海底堆積物や脊椎,無脊椎など20種類の動物から合計489株の微生物を分離した。マウス神経芽細胞を用いるナトリウムチャンネル阻害(SCB)物質の検定法を用いて,SCB産生細菌112株をスクリーニングした。この中の5株の細菌では4株がVibrio属で,1株がPseudo monas属であった。

2.二枚貝(A.violascens)から分離されたTTXならびにPSPを産生する海洋細菌

 タイ湾北部のSichang島周辺の二枚貝の7器官からSCB産生細菌のスクリーニングを行った。それぞれの器官の単位重量当たりの細菌数は二枚貝の毒性の高い時期(1990年5月29日)には高くなり(108-9cfu/gレベル),毒性の低い時期(1990年8月4日)には低くなる(106-7cfu/gレベル)傾向が認められた。分離されたVibrio属の細菌3株はGTX1〜4,STX,neoSTX,とdecarbamoyl STXなどの麻痺性貝毒およびTTX,4epi-TTX,およびanhydro-TTXなどのフグ毒を産生した。また,Micrococcus属およびFlauobacterium属の細菌各1株と未同定細菌1株も同様な産生能を持つことが認められた。これまでにはPSPあるいはTTXを産生する細菌については報告があるが,1株で両者あるいはその関連物質を産生する細菌が分離されたのは初めてのことである。

3.Vibrio属細菌2株の増殖に伴うTTXならびにPSPの産生様式

 Vibrio属細菌2株を28℃,200rpmで振とう培養を行いながら定時的に増殖を調べ,菌体と上清に分けてTTXおよびPSP産生の様相を追跡した。TTXとPSPの産生様式は変動も大きく,不安定であったが,その傾向は以下のごとく要約される。SCB物質は対数増殖期に産生され始め,停止期に活発に産生され,主に細胞内に認められた。HPLCによる毒成分の分析の結果,St-1-1株の細胞内にはTTX,STX,neoSTX,GTX1,およびGTX2が,また培養液上清中にはneoSTX,GTX2〜4が検出された。SP-H-2株も同様の傾向であった。

4.二枚貝水抽出液の細菌の増埴ならびに毒産生に対する影響

 毒性の高い時期と低い時期の二枚貝の肉を常温で海水抽出し,抽出液(それぞれHB,LBとした)を調整した。これらをL-培養液,海水+0.2%グルコース,海水のみなどの培地に加え,TTXならびにPSP産生能を持つ細菌株4株を培養して,その増埴および毒産生能を調べた。その結果,LBを加えると細菌の増殖が多くの場合著しく劣ること,また細菌細胞当たりのSCB産生能がHBを加えることによりかなり高くなることが認められた。このSCB物質を分析した結果,これら細菌株はPSPやTTXを産生しているが,HBを加えることによって特にTTXおよびその関連物質の産生が促進されることが認められ,二枚貝とその各器官にみられる細菌との間に毒性の発現に関して何らかの関係があることが考えられた。

 以上,本研究はナトリウムチャンネルを阻害するSCB物質を産生する海洋細菌をタイ湾沿岸から分離し,その毒産生能を調べた結果,二枚貝からPSPおよびTTXを産生する細菌が初めて分離された。さらにその産生条件について検討したもので,学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)として価値あるものと認めた。

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