学位論文要旨



No 212002
著者(漢字) 千田,宏司
著者(英字)
著者(カナ) チダ,コウジ
標題(和) 老年者における心房梗塞の臨床的並びに病理学的検討
標題(洋)
報告番号 212002
報告番号 乙12002
学位授与日 1994.11.30
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12002号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢崎,義雄
 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 助教授 村上,俊一
 東京大学 助教授 内田,康美
 東京大学 講師 大内,尉義
内容要旨

 心房梗塞は心室梗塞に比し一般的に稀とされている。これは、心房梗塞が明かな臨床像を示さず、心房梗塞の心電図上の変化が通常一過性で著明でないこと、異常Q波などの心室波形がPTa segmentに重なりその変化が認めにくくなることによる。病理学的には、心内膜側からの観察により心房病変がないとの判断より組織標本が作製されないことによる。しかし、心房梗塞は、上室性不整脈、塞栓、心房破裂の合併症をおこす無視することのできない重要な病態である。特に、心房細動の発生と左室梗塞部位、および心房梗塞の有無との関連については病理学的検討がなされていない。本研究では、病理学的に心筋梗塞を確認しえた例での心房梗塞の頻度、その部位と広がり、心房梗塞と冠動脈病変部位との関連、さらに上室性不整脈特に心房細動と血行動態および心房虚血病変との関連について臨床的並びに病理学的に検討した。

§対象と方法

 左室梗塞が確認された86例(左室梗塞105件)の平均年齢は82.1歳であった。左室梗塞105件(以下、105例)を梗塞部位と責任冠状動脈により、右冠状動脈灌流域の左室後壁梗塞46例(R群)、左回旋枝灌流域の後側壁梗塞21例(X群)、左前下行枝灌流域の前壁梗塞34例(A群)、全周性心内膜下梗塞4例(C群)の4群に分類した。臨床的には、発症後24時間以内に入院した21例について1週間以内の上室性不整脈と、入院直後の血行動態を検討した。心房病変検出のため、(1)右心耳、(2)洞結節と洞結節周辺部、(3)右房側壁、(4)右房後壁と右室後壁、(5)左房後側壁、(6)左心耳の6カ所の組織標本を作製した。心房病変の大きさが1cm以上の病変を梗塞(I)とし、1cm未満の急性病変を急性壊死(A)、陳旧性病変を瘢痕(S)とした。R群46例の心房病変が高頻度のため、梗塞13例(I群)、急性壊死と瘢痕の小病変の17例(A+S群)、虚血性病変のなかった16例(N群)に分類し検討した。右冠状動脈は、入口部より2〜3cmまでの部位を近位部、右室鋭縁までを中位部、後下行枝までを遠位部、左回旋枝はその起始部より2〜3cmまでを回旋枝近位部とした。各冠状動脈の狭窄度は、各冠状動脈を5mm毎に横切し、その断面積により、完全閉塞を5、90〜99%狭窄を4.5、75〜89%狭窄を4、50〜74%狭窄を3、25〜49%狭窄を2、10〜24%狭窄を1、0〜9%狭窄を0として、最大狭窄度を求め、その総和を冠状動脈狭窄指数(CSI)とした。

§結果1.心房病変の頻度(表1)

 R群46例中右房梗塞10例、両房梗塞3例の計13例(28%)は心房梗塞を、急性壊死や瘢痕などの小病変を17例(37%)に認め、X群、A群に比し明らかに高率であった(p<0.05)。X群21例中に左心房後側壁梗塞を1例(5%)に、小病変を6例(29%)に認めた。A群、C群では梗塞は認められず、小病変をA群では6例(29%)、C群では2例(50%)に認めた。左室梗塞105例中では、心房梗塞を14例(13%)に、小病変を31例(30%)に認め、合計で45例(43%)に虚血性病変を認めた。心房梗塞14例中肉眼的に心房梗塞と診断しえたのは3例(21%)のみであった。

表1 左室梗塞部位における心房病変の頻度
2.心筋梗塞の急性期を観察しえた21例の臨床的並びに病理学的所見(表2)

 急性期を観察しえたR群13例中、連発を伴った心房性期外収縮を3例に、発作性心房細動を3例に認め、2例が完全房室プロックを呈した。血行動態については、連発を伴った心房性期外収縮、発作性心房細動、完全房室ブロックを呈した各1例計3例が10mmHg以上の右房圧を示したが、血行動態の測定ができなかった例も多く、一定の傾向を認めえなかった。13例の病理所見は、発作性心房細動を呈した2例と完全房室ブロックを呈した1例の計3例で多部位にわたる梗塞を示した。心房梗塞を認なかった1例を含んで発作性心房細動例3例いずれにも洞房結節周辺部に虚血性病変を認めた。しかし、残りの8例中、3例は孤立性の小病変を認めたが、5例には病変はなかった。

表2 左室梗塞の急性期を観察しえた21例の心電図、血行動態、および、病理学的所見

 X群の発作性上室性頻拍を示した例で左房後側壁に梗塞を、左心耳に壊死病変を認めた。A群5例中4例とC群の1例計5例に発作性心房細動を認めたが、いずれも平均右房圧が10mmHg以上かForresterIV群であった。しかし、その中の2例の左房に小病変をみるにすぎなかった。

3.R群の心房病変の頻度(表3)

 R群46例において、急性梗塞では、心房梗塞を半数に認め、3例で右房に、2例で右房と左房に認めた。急性壊死を3例(右房1例、右房と左房2例)に認め、虚血性心房病変は8例(80%)にみられた。陳旧性梗塞では、心房梗塞を7例で右房に、1例で右房と左房に、計8例(22%)に認めた。瘢痕は11例で右房に、3例で左房に、計14例(39%)に認められ、心房病変は計22例(61%)に認められた。R群で虚血性心房病変を認めた例は計30例(65%)に達した。

表3 R群における虚血性心病変の部位別頻度
4.R群における右冠状動脈狭窄度の比較(図1)

 冠状動脈狭窄指数(CSI)はI群13.2±1.1/15、A+S群12.5±1.9/15、N群11.8±2.7/15の順で、三枝病変例が多かった。左回旋枝近位部の狭窄度はI群3.9±0.7/5、A+S群3.4±1.2/5、N群3.0±1.4/5とI群で大であった。右冠状動脈近位部、近位部から中位部、近位部から遠位部までの狭窄度の比較(図1)では、近位部の狭窄度はI群4.3±0.4/5で、A+S群3.2±1.1/5、N群3.1±1.3/5より有意に大であり、近位部から中位部の狭窄度はI群4.8±0.3/5、A+S群4.5±0.7でN群3.6±1.2/5より有意に大であった。近位部から遠位部の全体の狭窄度はI群4.8±0.3/5、A+S群4.6±0.6/5、N群4.2±1.2/5とI群とA+S群でN群より大なる傾向を認めた。

図1 R群における右冠状動脈狭窄度の比較RCA:右冠状動脈、I:梗塞、A:急性壊死、S:瘢痕、N:虚血性病変なし

 また、R群の急性梗塞10例中7例(70%)に冠状動脈血栓を認めた。

5.R群での心房各部位の心房病変と心房内血栓(表4)

 右房では、心房梗塞を10例で右心耳に、8例で右房側壁に認めたが、右房後壁、および洞結節周辺部では、それぞれ2例、および3例と少なかった。梗塞、壊死、および瘢痕の病変全体では、右房側壁20例、右心耳16例、洞結節周辺部12例、右房後壁11例の順であった。左房梗塞3例中3例が左房後側壁に梗塞病変を認め、1例で左心耳にも認められた。

表4 心房各部位における虚血性心房病変と心房内血栓

 右房内血栓をR群46例中9例(20%)に認めたが、右房梗塞を有した13例中では38%と高率であり、左房内血栓は46例中7例(15%)に認められた。左房梗塞の3例では2例(67%)に左房内血栓を認めた。R群46例の心房内血栓の出現部位は、右心耳と左心耳が各7例と高率で、次いで、洞結節周辺部にみられ、多くの例で血栓は心房の虚血性病変と同時にみられた。心房内血栓を認めた例においても明かな肺塞栓や脳塞栓は認められなかった。

§まとめ1.心房病変の頻度について

 心房梗塞は、一般的に稀と考えられ、臨床的意義も十分考慮されているとは言い難いが、病理学的には、文献上、心筋梗塞例中の心房梗塞の頻度は1〜42%である。このばらつきは心房梗塞診断のため積極的に組織標本を作製したかどうかによる。心房の灌流は、主に、右冠状動脈と左回旋枝の心房枝による。心房梗塞の頻度はR群で28%と高率であったが、X群では5%と低率であり、A群では心房梗塞は認められず、心房梗塞の頻度は他の3群に比し有意にR群で大であった。それ故、特に右冠状動脈病変による後壁梗塞例に合併する心房梗塞についてさらに詳細に検討した。R群46例中の心房梗塞の出現頻度は28%であったが、小病変を加えると、その頻度は65%に達した。このことは右冠状動脈病変による左室後壁梗塞例では約1/4の例で心房梗塞が、約2/3の例で虚血性の心房病変が出現することを示している。また、陳旧性心筋梗塞例よりも急性心筋梗塞例における心房梗塞の頻度が大であることから、心房梗塞が直接死因でないにしても、死因にある程度関与していると推測された。

2.心房梗塞と心電図変化および上室性不整脈

 急性期を観察し、心房梗塞を認めた4例において、PTa segmentの変化はなく、心電図診断は困難であった。臨床的に、急性心室梗塞における心房細動の合併率は10%〜20%程度であり、心室梗塞部位による心房細動の発生率には差はない。しかし、前壁梗塞に合併した心房細動例の予後は不良で、後壁梗塞の場合は予後は良好であることから、心室の梗塞部位により心房細動発生に関与する因子が異なると推測されている。本研究により、A群、およびC群では血行動態の悪化による心房負荷が心房細動発生に大きく関わっていることが、また、後壁梗塞では心房梗塞などの虚血性心房病変が心房細動発生に関与していることが示され、このことが心筋梗塞の予後の差としてあらわれると推測された。

3.心房梗塞と冠状動脈

 心房を灌流する心房枝中では、洞結節動脈が最も大きく一定して認められる。そのため、心房梗塞の合併は閉塞部位が洞結節動脈分枝部位より近位または遠位かにより左右される。R群において、I群では他の2群に比し、右冠状動脈近位部の狭窄度は有意に大で、近位部での重症病変の存在が示された。右冠状動脈中位部病変例では虚血病変が梗塞には至らず小病変となることが示された。

4.心房梗塞の部位と心房内血栓

 左房梗塞より右房梗塞の頻度は大とされ、本研究でも、心房梗塞14例中右房に10例、両房に3例、左房に1例と同様の結果であった。右房の中でも、右心耳に梗塞病変が多いとされるが、本研究では、右房梗塞は右心耳から側壁にかけて広がる例が多いことが示された。心房内血栓は心房梗塞では約半数に認められ、右心耳と左心耳に高率であり、梗塞に伴う心内膜病変と心房細動時の血流のうっ滞が血栓の原因と考えられた。しかし、明かな虚血性病変が認められない部位にも壁在血栓が認められる例もあり、梗塞時に壊死までにはいたらないにしても虚血による心内膜および心内膜下心筋の変化が血栓形成に関与している可能性がある。

 以上より、左室梗塞例での心房病変検索のためには、心房の壁在血栓のある例では、当然、心房の組織標本作製が必要となる。しかし、心房梗塞があるにも関わらず血栓のみられない例もあり、また、右心耳では櫛状筋の間の血栓は見逃されやすいため、特に心房梗塞の可能性が大きい右冠状動脈近位部の重症病変例では積極的な心房の組織標本作製が必要である。

審査要旨

 心房梗塞は上室性不整脈、塞栓、心房破裂を合併する重要な病態であるが、生存中は診断が困難で、剖検でも見逃されることが多い。本研究は、剖検にて確認した左室梗塞105例に合併する心房梗塞の合併頻度、梗塞の心房内での広がり、心房内血栓の有無を多部位の組織標本を用いて病理学的に明らかにすると同時に、臨床的には急性期を観察した21例の上室性不整脈および血行動態と心房の虚血性病変との関連について検討し、以下の結果をえている。

 1.左室梗塞105例を右冠状動脈病変による左室後壁梗塞46例(R群)、左回旋枝病変による後壁梗塞21例(X群)、前壁梗塞34例(A群)、全周性の心内膜下梗塞4例(C群)に分類した。全体105例では心房梗塞を14例(13%)に認めたが、X群(21例)にみられた1例(5%)の心房梗塞を除き、R群46例中に13例(28%)の心房梗塞(右房:10例、両心房:3例)を認め、他の3群に比し明らかに合併頻度は高率であった。さらに、急性壊死、瘢痕などの小病変を加えるとR群では30例(65%)と約2/3の例で虚血性病変を合併することが明らかとなった。

 2.急性期を観察した21例(R群13例、X群2例、A群5例、C群1例)中、一過性心房細動を示した7例(R群3例、A群4例、C群1例)中では、R群3例中2例に心房梗塞を認め、A群とC群の5例には心房の梗塞病変はみられず、血行動態の悪化が認められた。このことから、左室梗塞時の心房細動発生には、左室梗塞の部位により関与する因子が異なり、R群では心房梗塞が、A群では血行動態の悪化が主に関与していることが明らかとなった。

 3.R群の46例中心房梗塞を合併した13例において、梗塞は右心耳(10例)に多くみられ、以下、右房側壁(8例)、洞結節周辺部と左房後側壁(各3例)、右房後壁と左心耳(各2例)の順であったことから、右冠状動脈病変による後壁梗塞に合併した心房梗塞は右房、特に、右心耳から右房側壁にかけて広がると推測された。また、心房内壁在血栓も心耳(7例)に多くみられた。

 4.R群において、右冠状動脈起始部より2〜3cm以内の部位に高度狭窄または閉塞病変を有する例が心房梗塞と、右室鋭緑までの右冠状動脈に重症病変を有する例が心房の瘢痕または急性壊死と関連があることが示された。

 5.左房梗塞に伴う左房破裂例において、心内膜に破裂孔がみられず、心外膜に穿通する左房壁内巨大血腫がみられた。このことは、心破裂の機序として、梗塞に陥った壁内の血腫形成が大きな役割をはたす例があることを示した。

 以上、左室梗塞に合併する心房梗塞について、右房、左房の多部位の組織標本を作製し、心房の虚血性病変の大きさまで考慮した詳細な検討は現在までみられない。本論文は、100例以上の左室梗塞において、心房梗塞を含めて心房の虚血性病変の正確な合併頻度とその広がりを明らかにした。本研究は、心電図に加えて、経食道エコー図、心プールシンチグラムなどを用いることにより心房梗塞の診断率が向上すると期待される今日、臨床上にも重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53873