学位論文要旨



No 212008
著者(漢字) 石井,透
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,トオル
標題(和) 建築物の供用期間と建設地において考慮する地震像に基づく設計用地震動策定法
標題(洋)
報告番号 212008
報告番号 乙12008
学位授与日 1994.12.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12008号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 神田,順
 東京大学 教授 秋山,宏
 東京大学 教授 南,忠夫
 東京大学 助教授 山崎,文雄
 東京大学 助教授 大井,謙一
内容要旨

 建築物の構造設計の第一目標は建築物の安全性を保証することにある。中でも地震に起因する外力は破壊力が大きい上に予測が困難なことから、建築物の耐震設計は構造設計の中でも最も重要な要素の一つとなっている。特に高層建築物のように重要度の高い建築物の耐震設計では、建築物の構造モデルと設計用地震動とを設定して動的地震応答解析等により耐震安全性が検討される。設計用地震動には、ある建設地に立地する建築物に将来影響を及ぼすであろう自然現象を可能な限り反映させる必要がある。建築物は人工構築物であり時代の変化や技術の進歩に伴って新しいタイプのものが生まれてくるし、地震動やその原因となる地震は自然現象であり年月とともにそれらに関する新たな知見が明らかにされてくる。従って、設計用地震動は、最新の知見と考え方に基づいて、理学的根拠とかけ離れることなく工学的に許容される範囲で設定すべきと考える。本論文では、このような観点に基づいて建築物の設計用地震動の策定法を提案した。

 まず第1章では、研究の背景として、主に高層建築物を対象とした既往の設計用地震動について概観し、その問題点を指摘した。既往の設計用地震動としては、従来から高層建築物の設計に用いられてきた設計用標準波(例えばEl Centro 1940NS)と、東京周辺の高層建築物を対象に最近提案された二例を中心に取り上げた。

 設計用標準波はその種類と大きさが予め決められ、建築物の設計クライテリアの一部とも見なせるものであり、必ずしも建築物の使用状況や日常生活上の諸機能等の設計条件とは対応づけられていない。自然現象としての地震動は地震の発生に起因し、震源特性・伝播特性・地盤特性等の影響を受けるのに対して、既往の設計用地震動は設計上考慮すべき地震像が明確でないために地震動の物理的な意味づけも不明確であり、建設地に固有な諸特性も十分に反映されていない。例えば、高層建築物の設計上重要なやや長周期帯域でのスペクトル特性や経時特性については、巨大地震や地下構造による影響等が十分に考慮されていない。最近東京周辺で提案された地震動ではこれらについて一部改善しているが、未解決の問題点も多い。これらの設計用地震動を建築物の応答安全性の評価や新しい設計法のための検証に用いると、矛盾を生じたり誤った考察に陥る可能性がある。以上のような背景を踏まえ、本論文の提案の基本的な立場でありその動機づけともなる考え方を列挙して説明した。特に、建設地において設計上考慮すべき地震像を明確化することの必要性を指摘すると共に、地震動評価の可否や精度は建設地で収集される情報に大きく依存するため総合的判断に基づいて最も適切な地震動評価方法を採用することの必要性を指摘した。

 これを踏まえて第2章では、建築物の供用期間と建設地において考慮する地震像に基づく設計用地震動策定法(図を参照)を提案した。

図 安全性検討用地震動の策定手順

 まず建築物に作用する動的な外力を考える際に、地震と風とを統一的に扱う共通理念を出発点とした。地震と風の具体的な共通尺度として建築物の供用期間を用い、供用期間に基づいて建築物に作用する動的な外力を設定する。その際に、建築物の使用状況や日常生活に必要な諸機能等を総合的に考慮することによって供用期間の意味を明確にした。次に、建築物の耐震安全性を検討するために用いる設計用地震動を安全性検討用地震動、これをもたらす地震を安全性検討用地震として各々定義した。建築物の安全性を考える目的は、人間の生命を守ることと広義の財産を守ることと考える。後者の検討のための安全性検討用地震動をレベル1地震動と呼び、建築物の建設地において建築物の供用期間内に一度以上生じる可能性が高い最大級の地震動と定義した。前者の検討のための安全性検討用地震動をレベル2地震動と呼び、建築物の建設地において将来生じると想定することが工学的に妥当と考えられる最大の地震動と定義した。安全性検討用地震動の定義位置は解放支持地盤表面とした。これらをもたらす安全性検討用地震を各々、レベル1地震、レベル2地震と呼ぶ。本策定法は、大きく分けて、安全性検討用地震の選定、建設地における地震動の評価、安全性検討用地震動の設定の三段階から構成される。まず建設地において設計上考慮すべき地震像を検討し、安全性検討用地震を選定する。地震の時空間的な特性の違いに基づいて、A型(プレート境界巨大地震)、B型(海洋プレート内地震)、C型(プレート内直下地震)、D型(内陸プレート内地震)、E型(プレート運動起因性地震)の5種類の分類を定義し、設計上考慮すべき地震像を明確にした。更に、建設地で得られる情報に応じて、地震学的な根拠とかけ離れずかつ工学的に許容されるような地震像を設定する方法を提案した。次に、安全性検討用地震が発生した場合の建設地における地震動を評価する。ここでは適用性を考慮の上、5種類の地震動評価方法を用意し、建設地において考慮すべき固有な震源特性・伝播特性・地盤特性等を検討した上で、得られた情報の質と量に応じて適切な地震動評価方法を採用するという考え方を示した。最後に、評価した地震動を総合的に判断することにより安全性検討用地震動を設定する方法を示した。

 第3章および第4章では、本策定法の有効性を示すため、実際に建設地と建築物とを想定して本策定法を適用し、安全性検討用地震を選定して安全性検討用地震動を試作した。第5章では、本策定法と試作した地震動について考察するとともに、対象建築物の条件の違いによる影響や既往の設計用地震動との比較結果等も示した。

 検討対象は世界的に見ても地震危険度の高い東京に立地する供用期間が100年の超々高層建築物とし、上限周期約10秒まで有効な地震動の策定を試みた。まず、地震学・地震工学・地質学等の知見に基づいて安全性検討用地震を計8地震選定した。このうち、1923年関東地震・1703年元禄地震・想定東京地震・想定東海地震・1896年明治三陸地震がレベル1地震、想定直下浅発地震・1854年安政東海地震・1498年明応東海地震がレベル2地震である。特に、従来は設計上殆ど考慮されていない直下地震の扱い方を示した。次に、これらの地震の断層モデルを設定し、経験的グリーン関数を用いる波形合成法を主に適用して建設地における地震動を評価し、波形と速度応答スペクトルの性状を説明した。それらの特徴をひと言で表わすならば、「関東地震」の推定地震動は広周期帯域卓越型、想定東京地震・想定直下浅発地震の推定地震動は短周期卓越型、想定東海地震・「東海地震」・三陸地震の推定地震動は長周期卓越型である。これに基づいて、安全性検討用地震動として、1923年関東地震・想定東京地震・想定東海地震・想定直下浅発地震・1854年安政東海地震の計5地震に対する地震動を設定した。設定した地震動は、地震の規模や後続動の長周期地震波に応じて既往の設計用地震動には見られない長い継続時間と時刻歴非定常性を有し、地震学的知見に基づく個々の地震像の特徴を良く反映している。更に、建築物の建設地や供用期間・固有周期に応じて考慮すべき地震・地震動とその位置付けが異なるという本策定法の考え方を説明した。具体的には、建設地の位置に応じて「関東地震」・「東海地震」の種類や想定東京地震・想定直下浅発地震の位置が変わること、建築物の供用期間に応じて考慮する地震の種類が変わること、建築物の固有周期が短ければ「東海地震」は考慮の対象外になること等を示した。建設地と地震断層との位置関係、建築物の供用期間と地震の繰り返しパターンとの関係、建築物の固有周期と地震・地震動の性状との関係等を個別に対応付けるという特徴を持つ本策定法によって設定される地震動は、既往の設計用地震動に比べてより自然現象としての根拠が明快でかつ合理的なものである。また、地震の選定方法、地震動の評価方法の比較、地震動評価結果の確からしさに対する考え方等を含めて、手法の運用に関する考察も行なった。

 第5章では更に、本策定法の基本的な考え方を新しい観点に基づく耐震設計・検討に用いる地震動へ応用し、いくつかの提案を行なった。まず、建築物の設計で通常仮定される実体波の一様鉛直伝播とは異なる実際の地震波の伝播特性や地震動の時空間特性に関して、アレー解析の例を示して検討し、建設地に固有なこれらの特性が、主に平面的に大規模な建築物の設計に際して考慮すべき問題であることを指摘した。更に、地震動の時空間特性を考慮した多点入力地震動の設定方法を提案した。一方、建築物の大規模化・長周期化・高品質化が進むにつれて、動的な外力に対しては、構造安全性以外の新しい観点に基づく検討も今後は必要になるであろうことを指摘した。更に、居住性・機能性・施工時安全性等の検討に用いる設計用地震動の設定方法を提案した。余震に対する検討用地震動の考え方への応用についても提案した。

 最後に第6章では、本論文の全体をまとめるとともに、今後の課題、将来の展望について述べた。より一層長周期の帯域への適用、他地域や情報の少ない場合への適用については、地震動評価事例の蓄積とその結果の慎重な検証が今後必要となろう。本提案のような考え方の地震動は、将来、建築物の応答評価や安全率に関する有益な議論や新しい設計法のための検証等にも役立てられることが期待される。

審査要旨

 建築物の耐震設計において設計用入力地震動を適切に設定することは、わが国の構造設計における最大関心事の一つである。動的解析、さらに弾塑性応答解析が耐震設計で一般的となった今日、建築物の構造性能としての耐震性の確保のために、どのような条件のもとで設計用地震動を考えるかとなると、極めて幅広い知見の的確な判断と総合が不可欠である。特に自然現象としての地震を理学的解釈を生かしつつ、設計という工学的判断に組み込むための基本的枠組を整備することは、今後の工学的研究の一つの方向を示すものとも言える。

 本論文は「建築物の供用期間と建設地において考慮する地震像に基づく設計用地震動策定法」と題し6章より成る。

 第1章では、主に高層建築物の耐震設計において用いられて来ている設計用地震動として、El Centro 1940 NS地震波を初めとする記録波形を標準波として用いることの問題点を整理して批判的に論じ、また、最近提案されている設計用スペクトルに対応した設計用地震動に対しても、建築物の要求構造性能や自然現象としての地震と建設地における地震動との関係が十分に示されていないとして、あるべき設計用入力地震動について論じている。特に、建設地において設計上考慮すへき地震像を明確にすることの意義を説き、情報の程度に応じて、震源特性・伝播特性・地盤特性等を的確に反映させる方法の必要性を強調している。

 第2章では、建築物の供用期間と建設地という条件下で、設計用地震動を策定する基本的考え方の提案を行っている。供用期間に対しては、広義の財産を守ることを検討するための安全検討用地震動をレベル1地震動、人間の生命を守ることを検討するための安全性検討用地震動をレベル2地震動と呼び、それぞれ、供用期間内に一度以上生じる可能性が高い地震による最大級の地震動および、将来生じると想定することが工学的に妥当と考えられる地震による最大の地震動と定義している。またそれらをもたらす地震をそれぞれレベル1地震、レベル2地震と呼んでいる。そして、レベル1地震、レベル2地震の選定、建設地における地震動の評価、安全性検討用地震動の設定の三段階を経て設計用地震動を策定するとしている。特に地震の時空間的な特性の違いに基づいて、A型(プレート境界巨大地震)、B型(海洋プレート内地震)、C型(プレート内直下地震)、D型(内陸プレート内地震)、E型(プレート運動起因性地震)の5種類の分類を定義し、得られる情報の質と量に応じた時刻歴波形としての地震動評価方法を示している。

 第3章、第4章では、前章の策定方法の具体的な適用性、有効性を検証している。第3章では、東京立地の供用期間100年の超々高層建築物を対象に、レベル1地震として、1923年関東地震、1703年元禄地震、想定東京地震、想定東海地震、1896年明治三陸地震を、レベル2地震として、想定直下浅発地震、1854年安政東海地震、1498年明応東海地震を選定している。特に、従来は設計上考慮されることの少ない直下地震の扱い方について検討し、また、地震危険度解析との対応についても考察している。

 第4章では、前章の地震に対し、断層モデルを設定し、経験的グリーン関数を用いる波形合成法を適用して地震動を評価し、時刻歴波形と応答スペクトル、特に周期10秒までのスペクトル性状を考慮して、設計用地震動の設定を行っている。設定された地震動は、地震学的知見に基づく個々の地震の特徴を反映したもので、建築物の周期特性、供用期間と対象とすべき設計用地震動の関係なども明らかにされている。

 第5章では、本論文で提案された設計用地震動を、改めて既往の設計用地震動と比較して、その有効性を検証するとともに、広範に適用する場合の問題点等について考察している。また、地震動の時空間特性について、最新のアレー観測記録による知見の反映の手法に関して検討例を示し、さらに居住性、機能性、施工時安全性等の検討のための設計用地震動の設定方法に関しても、本提案手法の応用が可能であることを示している。

 最後の第6章では、結論として、本論文に示された成果を要約し、改めて地震学の知見に基づく地震動評価事例の蓄積と検証の意義を論じて、将来の展望に言及している。

 以上述べたように、本論文は、建築的に要求される、供用期間に代表される構造性能と、地震学の知見を活用して具体的な地震像を設定することにより、合理的な安全性検討用地震動の策定法を提案するものであり、幅広い知見の工学的な手法による総合判断という形で耐震設計の役割を基本的に整理しなおすという意味をもっていると考えられる。本論文で展開された、地震に関する理学的知見を情報の程度に応じて、建築物に応じた設計用地震動を合理的に設定し、適切なスペクトル特性を有する時刻歴波形を策定する手法は、耐震工学に寄与するところ大と判断される。

 よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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