建築物の耐震設計において設計用入力地震動を適切に設定することは、わが国の構造設計における最大関心事の一つである。動的解析、さらに弾塑性応答解析が耐震設計で一般的となった今日、建築物の構造性能としての耐震性の確保のために、どのような条件のもとで設計用地震動を考えるかとなると、極めて幅広い知見の的確な判断と総合が不可欠である。特に自然現象としての地震を理学的解釈を生かしつつ、設計という工学的判断に組み込むための基本的枠組を整備することは、今後の工学的研究の一つの方向を示すものとも言える。 本論文は「建築物の供用期間と建設地において考慮する地震像に基づく設計用地震動策定法」と題し6章より成る。 第1章では、主に高層建築物の耐震設計において用いられて来ている設計用地震動として、El Centro 1940 NS地震波を初めとする記録波形を標準波として用いることの問題点を整理して批判的に論じ、また、最近提案されている設計用スペクトルに対応した設計用地震動に対しても、建築物の要求構造性能や自然現象としての地震と建設地における地震動との関係が十分に示されていないとして、あるべき設計用入力地震動について論じている。特に、建設地において設計上考慮すへき地震像を明確にすることの意義を説き、情報の程度に応じて、震源特性・伝播特性・地盤特性等を的確に反映させる方法の必要性を強調している。 第2章では、建築物の供用期間と建設地という条件下で、設計用地震動を策定する基本的考え方の提案を行っている。供用期間に対しては、広義の財産を守ることを検討するための安全検討用地震動をレベル1地震動、人間の生命を守ることを検討するための安全性検討用地震動をレベル2地震動と呼び、それぞれ、供用期間内に一度以上生じる可能性が高い地震による最大級の地震動および、将来生じると想定することが工学的に妥当と考えられる地震による最大の地震動と定義している。またそれらをもたらす地震をそれぞれレベル1地震、レベル2地震と呼んでいる。そして、レベル1地震、レベル2地震の選定、建設地における地震動の評価、安全性検討用地震動の設定の三段階を経て設計用地震動を策定するとしている。特に地震の時空間的な特性の違いに基づいて、A型(プレート境界巨大地震)、B型(海洋プレート内地震)、C型(プレート内直下地震)、D型(内陸プレート内地震)、E型(プレート運動起因性地震)の5種類の分類を定義し、得られる情報の質と量に応じた時刻歴波形としての地震動評価方法を示している。 第3章、第4章では、前章の策定方法の具体的な適用性、有効性を検証している。第3章では、東京立地の供用期間100年の超々高層建築物を対象に、レベル1地震として、1923年関東地震、1703年元禄地震、想定東京地震、想定東海地震、1896年明治三陸地震を、レベル2地震として、想定直下浅発地震、1854年安政東海地震、1498年明応東海地震を選定している。特に、従来は設計上考慮されることの少ない直下地震の扱い方について検討し、また、地震危険度解析との対応についても考察している。 第4章では、前章の地震に対し、断層モデルを設定し、経験的グリーン関数を用いる波形合成法を適用して地震動を評価し、時刻歴波形と応答スペクトル、特に周期10秒までのスペクトル性状を考慮して、設計用地震動の設定を行っている。設定された地震動は、地震学的知見に基づく個々の地震の特徴を反映したもので、建築物の周期特性、供用期間と対象とすべき設計用地震動の関係なども明らかにされている。 第5章では、本論文で提案された設計用地震動を、改めて既往の設計用地震動と比較して、その有効性を検証するとともに、広範に適用する場合の問題点等について考察している。また、地震動の時空間特性について、最新のアレー観測記録による知見の反映の手法に関して検討例を示し、さらに居住性、機能性、施工時安全性等の検討のための設計用地震動の設定方法に関しても、本提案手法の応用が可能であることを示している。 最後の第6章では、結論として、本論文に示された成果を要約し、改めて地震学の知見に基づく地震動評価事例の蓄積と検証の意義を論じて、将来の展望に言及している。 以上述べたように、本論文は、建築的に要求される、供用期間に代表される構造性能と、地震学の知見を活用して具体的な地震像を設定することにより、合理的な安全性検討用地震動の策定法を提案するものであり、幅広い知見の工学的な手法による総合判断という形で耐震設計の役割を基本的に整理しなおすという意味をもっていると考えられる。本論文で展開された、地震に関する理学的知見を情報の程度に応じて、建築物に応じた設計用地震動を合理的に設定し、適切なスペクトル特性を有する時刻歴波形を策定する手法は、耐震工学に寄与するところ大と判断される。 よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |