学位論文要旨



No 212014
著者(漢字) 板倉,嘉哉
著者(英字)
著者(カナ) イタクラ,ヨシヤ
標題(和) DSMC法による極超音速反応非平衡流の解析
標題(洋)
報告番号 212014
報告番号 乙12014
学位授与日 1994.12.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12014号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久保田,弘敏
 東京大学 教授 阿部,寛治
 東京大学 教授 長島,利夫
 東京大学 教授 森下,悦生
 東京大学 教授 安部,隆士
内容要旨

 我が国においても、純国産H-IIロケットの打ち上げが成功し、21世紀初頭に実用化が期待されている再使用型無人宇宙往還機HOPE(H-II Orbiting Plane)の実現にむけて大きな一歩を歩みだした。

 一般に、宇宙空間への往還を目的とする飛翔体の設計に関わる最大の問題点の一つとして、地球低軌道より離脱して大気圏へ再突入する際の物体への空力加熱があげられる。再突入軌道上の希薄な大気中をマッハ数25程度で降下する場合、物体前方に非常に強い衝撃波が発生し、その衝撃波を通過した空気の温度は極端に高くなり数万Kにも達することが予想される。その結果、空気の構成成分である窒素分子や酸素分子の振動エネルギモードが励起され、その極限状態である分子の解離反応が進行するとともに、交換反応により酸化窒素が生成されるようになる。しかし、飛行環境が低密度であることに起因して分子間衝突は緩慢であり、熱及び化学的緩和特性時間が流れの特性時間と比較して無視し得なくなり、流れ場の構造は熱的にも化学的にも強い非平衡性が現れる。一般に化学反応は熱の授受を伴う変化であり、特に解離は吸熱反応であるため、その非平衡の度合いが空力特性、流れ場の熱的構造、ひいては物体への熱流束に影響を及ぼすであろうことは容易に想像されるところである。この分野の研究は、アポロ計画に関連して1950年代後半から60年代にかけて精力的に研究が行われ、数々の有益な知見をもたらした。しかしながら、アポロ計画の成功とともに研究の隆盛は過ぎていった。その後80年代に入り、米国によりAOTV(Aeroassisted Orbital Transfer Vehicle)やAerospaceplaneが提唱され、再び再突入物体に関する研究が活発に行われるようになり、流れ場内で進行する内部エネルギ励起、化学反応の進行等の複雑な熱物理化学現象の解明に多数の研究者の興味を引きつけている。

 再突入物体が遭遇する高層の希薄な環境下における極超音速流を計算機上で再現するには、巨視的気体の支配方程式であるナビエ・ストークス方程式はもはや信頼性を失い、ボルツマン方程式に基礎をおく分子運動論的取り扱いが必要になる。また、化学反応の取り扱いにおいても、反応系の内部エネルギ移動速度が反応の進行による摂動の速度と同程度となる熱的非平衡な状況下では、微視的立場に立脚した分子レベルでの反応の取り扱いが必要となる。この様な遷移流領域における数値的解析手法として、直接シミュレーションモンテカルロ法(DSMC法)がある。DSMC法は多成分気体中での輸送現象、内部エネルギ状態及び化学反応における強い非平衡性を取り扱えるという原理的な側面を有しており、ボルツマン方程式に対する最も有力な解析手法であると考えられる。しかし、高温での空気化学反応を微視的に記述する情報は著しく不足しているのが現状であり、そのため、解離反応における内部エネルギ状態の寄与機構の定式化は未だモデルの域を出ておらず、発展段階にあるといえる。また、前述のとおり、空力特性、温度場の構造、物体への熱流束は流れ場内での反応の進行に強く依存するが、反応モデルの基礎的特性や流れ場の構造に与える影響について言及した報告は皆無に等しく、DSMC法における反応モデルのより詳細な特性把握の必要性が訴えられている。本論文では、解離反応における物理化学現象の本質を失わずにモデル化された反応断面積を提案し、再突入物体における流れ場の構造を明らかにするとともに、既存の反応モデルによる数値解析もあわせて行い、反応モデルの流れ場の構造に与える影響について考察を行う。同時に本論文で提案する反応モデルの有効性について、実験値との比較により検証するものである。

 本論文は全6章から構成されている。第1章では問題の提起を行い、これまでの再突入物体に関連する研究を概観し、解析を進めるうえでの問題点を抽出し総括するとともに、本論文の目的を明白にしている。また、希薄気体力学の基礎知識についても解説する。第2章においては、流れ場内で化学反応を取り扱う場合の基礎知識として、まず巨視的立場での反応の速度を支配する反応速度定数による現象の取扱いにおける問題点と限界について解説する。次に、微視的立場に立脚した反応断面積を導入し、衝突理論による反応速度定数の微視的表式を導き反応速度定数による問題点と限界について微視的解釈を与え、現象の本質を明白にする。そして、流れ場の構造を支配し得る解離反応を微視的立場より取扱い、その基礎理論について解説する。第3章では、ボルツマン方程式の有力な数値解法であり、本論文でも解析に採用しているDSMC法について、基礎的概念とアルゴリズムの心臓部である分子衝突過程の取り扱いについて述べる。第4章では、前章までの問題点と基礎知識をもとに問題の設定を行う。また、解析における境界条件の設定、採用する分子モデルについても解説する。分子モデルとしては、弾性衝突の断面積モデル、内部エネルギ緩和モデル、反応モデルの3つがある。特に本論文の主題である反応モデルについては、解析に採用した

 (A)巨視的1温度モデルと等価なR,L&Sモデル

 (B)Fowler-Guggenheimの理論に基礎をおくBirdモデル

 (C)有効解離エネルギと強衝突仮定を導入したJaffeモデル

 (D)本論文で提案する解離極限近傍の特性エネルギ帯に振動励起された分子のみが解離反応に寄与するとした振動エネルギ依存解離モデル(VEDD:Vibrational Energy Dependent Dissociation)

 以上4種のモデルについて解説している。また、熱的非平衡な状況下における各反応モデルの特性については補遺Cで詳細に述べられ、VEDDモデルでのみ、分子振動と解離反応の強い連成関係が再現できることが示される。第5章では、第4章における問題の設定及び分子モデルに従い、実行された解析結果の詳細が述べられる。2次元円柱に対する解析では、流れ場の構造に対するクヌーセン数依存性について論じられ、希薄な環境下における極超音速反応非平衡流としての構造が解明される。その結果、円柱後流領域に比較的高温な領域が存在し、クヌーセン数が小さくなるにつれてその温度が低下することが確認された。次に、反応モデルの流れ場の構造に与える影響について考察される。上記4種の反応モデルを適用し解析を行った結果、反応モデルの密度場へ与える影響は小さいが、温度及び濃度場の構造は反応モデルにより敏感に影響を受けることが確認された。その影響は飛行高度の低下に伴い顕著に現れ、円柱後流領域における温度及び濃度場の構造にも変化をもたらすことがわかった。特に、本論文で提案するVEDDモデルによる振動温度場の構造に与える影響が著しく、高度75kmでは円柱前方での振動温度のピークが消失し、円柱右上方に振動温度の高い閉領域が形成されことが確認された。これは、円柱前方の淀み点流線近傍に沿う流れは高温、高密度となり解離反応の進行が速くなり、VEDDモデルでは弱衝突仮定により振動温度の低下が著しい。しかし、並進温度は振動温度ほどは低下しないため、閉領域へ流入する流線上で並進から振動モードへのエネルギ移送が行われるためと考えられる。反応モデルにおける解離反応条件及び解離反応へのエネルギ供給比率が熱的構造に与える影響が大きいことがわかった。このような空間的に特異な振動温度分布形状は、電子励起や輻射を考慮した解析を行う場合に特に重要になると考えられる。また、円柱表面での圧力及び摩擦係数に与える反応モデルの影響はほとんど観察されないが、熱伝達係数は吸熱反応である解離の進行に大きく依存し、使用するモデルによって熱流束の差は最大900kWにも達する。空力加熱推算における解離反応モデルの重要性が示唆される。実験値との比較においては、VEDDモデルによる円柱表面の圧力及び熱伝達係数分布形状が比較され、実験値と良く一致することが示された。抵抗係数に関しても実験値と比較され良好な一致を示し、空力特性の推算にDSMC法が有効であることが確認された。次に著者が提案するVEDDモデルを球周りの極超音速流に適用し解析を行う。まず流れ場の構造に与える反応モデルの影響について考察され、モデルの相違により並進、回転、振動温度及び密度分布が変化し、その結果として衝撃波位置に大きく影響を与えることが確認された。解析結果より算出された衝撃波離脱距離と同一条件で実施された実験値が比較され、VEDDモデルによる衝撃波離脱距離及びその速度依存性が実験値と良く一致することが示され、VEDDモデルの有効性が検証された。また、淀み点への空力加熱量の実験値との類推による比較においては、VEDDモデルによる推算値は比較的良好な一致が得られたが、その速度依存性については壁面における触媒性等の境界条件をも考慮した総合的な解析の必要性が示唆される。最後に、同一条件におけるナビエ・ストークス方程式の差分法による解とDSMC法による解析結果が比較される。Bird、Jaffe.R,L&Sモデルを適用したDSMC法による衝撃波位置はナビエ・ストークス方程式による衝撃波位置とほぼ一致し、実験値と比較して物体側に位置する。既存のモデルでは解離反応を過大評価する傾向が確認された。また、振動温度分布及び物体近傍における温度分布にDSMC法とナビエ・ストークス方程式による解とに差異がみられ、今後のより詳細な研究の必要性が示唆される。第6章は本論文の結論であり、研究の遂行により得られた新たなる知見が総括される。

審査要旨

 工学修士板倉嘉哉提出の論文は「DSMC法による極超音速反応非平衡流の解析」と題し、本文6章および付録3章から成っている。

 宇宙往還機等が地球低軌道から離脱し大気圏へ再突入する場合、物体前方には非常に強い衝撃波が発生し、衝撃波背後の領域では分子の内部エネルギモードの励起及び化学反応等が進行することになり、流れ場内でのこれらの進行度が、空力特性及び空力加熱に影響を及ぼすことがよく知られている。再突入物体への空力加熱の推算は、宇宙往還機開発における最も重要な課題の一つであるが、地上実験設備では完全なシミュレーションが不可能な場合もあり、数値流体力学による流れ場の再現が重要な役割を果たすことになる。

 数値流体力学で再突入物体周りの流れ場を再現するには、分子内エネルギ及び化学反応等の現象を、本質を失うことなくモデル化して取り扱う必要があり、支配的となる物理化学的現象は分子振動と解離反応であるが、両者間には強い連成関係があることが知られている。しかし、その詳細なメカニズムはまだ不明なところが多く、従来の研究では分子振動と解離の連成関係を分子レベルで考慮した解析は少ない。また、化学反応モデルの特性が流れ場の構造にどう影響を及ぼすかについて考察したものは極めて少ないのが現状である。

 著者は本論文において、高層の希薄な環境下における熱的及び化学的に非平衡な極超音速流の構造を明かにするために、分子運動論の支配方程式であるボルツマン方程式と等価なDSMC(Direct Simulation Monte Carlo)法により流れ場の数値シミュレーションを行っている。反応モデルには、著者の提案する分子振動と解離の連成関係を考慮した振動エネルギ依存解離モデル(VEDD:Vibrational Energy Dependent Dissociation)及び既存の3種のモデルを用いて解析を行い、反応モデルが流れ場の構造に及ぼす影響を調べるとともに、実験結果との比較によって提案する反応モデルの有効性を確認している。

 第1章は序論で、従来の非平衡極超音速流に関連する研究を概観し、本論文の目的を述べている。

 第2章では、流れ場内で化学反応を取り扱う場合の基礎知識として、巨視的及び微視的立場から化学反応をとらえ、両者の立場における適用限界と問題点について解説し、現象の本質を明白にしている。

 第3章では、DSMC法のアルゴリズムの詳細について述べている。

 第4章では、数値シミュレーションにおける境界条件の設定と用いた分子モデルについて述べている。分子モデルとしては、弾性衝突の断面積モデル、内部エネルギ緩和モデル、化学反応モデルに相当するRoss,Light&Schulerモデル、Birdモデル、Jaffeモデルと、著者の提案するVEDDモデルを、それらの理論的背景とともに解説している。

 第5章では、2次元円柱及び球周りの極超音速反応非平衡流のDSMC法による数値シミュレーション結果の詳細について述べている。円柱に対する解析では、流れ場の構造の解明に主眼をおいて、広い範囲のクヌーセン数に対して前記4種の反応モデルを適用して解析を行っている。その結果、円柱後流領域に比較的高温な領域が存在し、クヌーセン数が小さくなるにつれてその温度が低下すること、また、反応モデルが温度場及び濃度場に与える影響は大きく、クヌーセン数が小さくとその効果が大きくなることを示している。特にVEDDモデルによる振動温度場の構造の変化は著しいが、これは、同モデルでは解離反応への振動エネルギ供給比率が高いので、解離反応の活発な領域では振動温度の低下が顕著となるためであり、反応モデルにおける解離条件及び解離への内部エネルギ供給比率が流れ場の熱的構造に与える影響が大きいことの根拠としている。また、VEDDモデルにより得られた円柱表面の圧力係数、熱伝達係数、抵抗係数は実験結果とよく一致することを示し、その結果は空力特性の推算に有用であることを確認している。

 衝撃波の位置は衝撃波層内のエネルギ状態に強く依存するため、化学反応の進行度を表す一つの指標となり得る。そこで球に対する解析では、著者の提案するVEDDモデルの有効性を確認するために、バリスティックレンジによって測定された衝撃波離脱距離を比較の対象にしている。その結果、既存の反応モデルでは解離反応を過大詳価する傾向があり、衝撃波離脱距離は実験結果と比較して狭まるが、VEDDモデルによる結果及びその速度依存性は実験値とよく一致することが示され、モデルの有効性が確認された。また、球よどみ点への空力加熱の実験結果との比較においては、VEDDモデルによる推算値は比較的良好な一致が得られているが、その速度依存性については、壁面における触媒性等のより詳細な境界条件の検討が必要であることを示唆している。

 第6章は結論で、前章までの結果のまとめを行っている。

 なお、付録(A)ではDSMC法で重要となる分離の仮定の成立条件を導き、空間及び時間刻みの関係を規定するCFL条件を示し、付録(B)では計算に用いた窒素、酸素及び酸化窒素の有効解離エネルギを回転エネルギ及び回転温度の関数として与えている。付録(C)では本論文で用いた4種の反応モデルの熱的非平衡状態での特性について述べ、VEDDモデルでのみ、分子振動と解離の強い連成関係が再現できることを示している。

 以上要するに、本論文は高層の希薄な大気中での再突入物体に生じる熱的及び化学的に非平衡な極超音速流に対して、DSMC法による数値シミュレーションによって検討を行い、分子振動と解離の連成関係を考慮した新しい反応モデルを提案して、反応モデルにおける解離条件及び解離へのエネルギ供給比率が熱的構造に与える影響が大きいことを明らかにするとともに、提案する反応モデルの有効性を確認したものであり、その成果は流体力学上新しい知見をもたらし、航空宇宙工学上貢献するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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