学位論文要旨



No 212020
著者(漢字) 小野,双葉
著者(英字)
著者(カナ) オノ,フタバ
標題(和) トリチウム安全取扱いのための吸着・脱離の実験的研究
標題(洋)
報告番号 212020
報告番号 乙12020
学位授与日 1994.12.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12020号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山脇,道夫
 東京大学 教授 中澤,正治
 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 助教授 寺井,隆幸
 東京大学 助教授 井口,哲夫
内容要旨

 トリチウムの安全取扱い技術の基本は、(1)トリチウムを限定された領域内に閉じ込める格納技術、(2)限定された領域内に透過・漏えいしたトリチウムを除去する技術、(3)トリチウム汚染物の除染、トリチウム廃液(水溶液やオイル等)の濃縮・減容、固定・固化、梱包・密封化等の廃棄物処理技術、(4)核融合炉システム内のトリチウム滞留量分布を把握するための計量管理技術および(5)作業者の被曝管理および周辺環境への放出管理等の放射線管理及び計測技術などを確立することである。トリチウムは軟放射核種であるので、遮蔽に関する問題は少なく、むしろ透過性、吸着、水素との交換反応、さらには環境・生物影響などについての知識の蓄積が重要である。さらに、このことは核融合炉研究のみならず、原子炉(特に重水炉)あるいは核燃料再処理施設等でのトリチウムの安全管理においても重要な検討課題となる。このような背景のもとで、本論文では文献調査によりトリチウムの安全取扱い上、特に工学的立場からの検討課題としてトリチウムと各種材料との相互作用が重要であることを認識した。

 トリチウムの安全取扱いおよび閉じ込め、環境および人への安全上、トリチウムの汚染・除染に関わるトリチウムの材料への吸着・脱離に関する各種のパラメータを得ることは重要な検討課題である。このことから、各種材料へのトリチウムの吸着および脱離挙動を明らかにするための実験的研究を行なった。

 1) トリチウム取扱い施設において、放出トリチウムの回収除去システムに利用されるモレキュラーシーブ(MS)のトリチウム吸着・脱離に関する各種パラメータを実験的に明らかにした。すなわち、MS5Aでのトリチウムの分配平衡係数は1より大きくMS中にトリチウムが濃縮されること、MS(4A,5Aおよび13X)に吸着したトリチウムは加湿ガスパージにより完全に脱離され、交換反応による脱離速度は加湿ガスの水蒸気圧に依存し、活性化エネルギーはいずれのMSも約6kcal/molであった。また、通常トリチウム回収除去装置に充填されているモレキュラーシーブが、昇温加熱再生され再利用されることから昇温加熱によるトリチウムの吸着・脱離実験を行ない、トリチウムの吸着サイトを明らかにした。さらに、放出トリチウム回収除去システムで回収効率を上げるために行なわれている水添加の効果について検討し、低水蒸気圧、高比放射能のトリチウム水蒸気を、完全に乾燥されたMSで回収する場合は吸着剤への水スワンピングが有効であることが分かった。再生MSであっても、高温で十分に乾燥した場合は、106程度の除染係数(DF)が得られることが分かった。除染係数(DF)は従来値104に対し106以上であること、但し再生モレキュラーシーブではDFが104程度になることを明らかにした。

 2) トリチウム水蒸気吸着におけるガススイープ回収時の吸着・脱離モデルを、出力データをオンラインで取り込み、解析するために開発した、I.C.測定システムによる気相中トリチウム濃度変化の測定に対応させて検討した。トリチウム水蒸気の吸着条件、脱離条件あるいは実験体系などを考慮したモデルを検討した。各種材料へ吸着したトリチウムのガススイープ脱離実験から、有用な吸着・脱離に関する各種パラメータを実験的に得た。ブロック状セメント試料へのトリチウム水蒸気を吸着させ、長期間におよぶ水蒸気による脱離回収実験からセメント中の水の存在形態(キャピラリー水、ゲル水および結晶水)に対応する脱離反応速度定数、活性化エネルギーを求めた。粒状セメント試料に対するトリチウム水蒸気の吸着破過曲線から、セメント中でのトリチウムの粒内拡散係数を求め、水蒸気による脱離回収時のI.C.測定システムによるトリチウム濃度変化の解析により、脱離反応速度定数、活性化エネルギーを求めた。求めた拡散係数は文献値とよく合うこと、ブロック、粒状双方で得られた反応速度定数がよく合うことが分かった。これら2つのセメント試料の実験結果から、セメントへ吸着したトリチウムの放出メカニズムとして、拡散支配の寄与の他に、交換反応の寄与もあることを明らかにした。有機材料へ吸着したトリチウム水蒸気の脱離挙動を検討し、求めた値を他のモデルに使われているパラメータと比較した。得られた脱離速度定数は放出トリチウムの回収モデル計算等の評価にも十分適応出来ることを確認した。各種の塗料塗膜へのトリチウム水蒸気の吸着・脱離挙動を調べ吸着に関する各種パラメータを求めた。脱離速度定数はセメント<有機材料<ペイントの順であり、建屋セメント壁面へのペイント塗布が有効であることが分かった。セメント試料および塗料塗膜試料に収着し、水蒸気のスイープのみでは脱離回収されないトリチウムを昇温脱離により評価した。塗料塗膜へ取り込まれガススイープで回収されずに試料中に残留するトリチウム量は、エポキシ系>フッ素系>シリコン系>アクリル系の順であった。このことは、塗料の乾燥の際の高分子の硬化反応と対応ずけられ、さらにトリチウムと交換可能な官能基の存在の確認が重要であると指摘した。

 3) 高比放射能トリチウムガスに長期間接触汚染させたステンレス鋼、銅およびガラス試料に対して、ガススイープ法、昇温加熱法および酸溶解法に対応する除染法による収着トリチウムの回収実験を行ない、材料、スイープガス種により、回収トリチウムの化学形に差異があることを明らかにした。また、各々の材料中の深さ方向のトリチウムの濃度分布を明かにした。さらに、ガススイープ法による脱離回収実験でのI.C.測定システムの出力データからトリチウムの再放出挙動について検討し、出力データの解析によりみかけの脱離速度、吸着平衡定数を求めた。長期間、高比放射能のトリチウムガスと接触していた材料からのトリチウムの回収除去は困難であり、特にガラス試料からの吸着トリチウムの脱離は困難であることが分かった。

 4) 有機材料、特にセメント等の表面被覆材として使われる塗料塗膜について、トリチウムのトラップメカニズムを明らかにするための実験を行なった。ここでは、各種塗膜(シリコン系、エポキシ系およびフッ素系)でのトリチウム水および水蒸気透過実験を行ない拡散係数、透過定数および溶解度に及ぼす塗膜厚、温度、相対湿度および顔料割合の影響を検討した。トリチウム水透過実験ではトリチウム水蒸気透過に比べて溶解度が3桁大きく、拡散係数は約1桁小さくなり結果として透過係数は約4桁小さくなった。水との直接接触による塗膜の湿潤による影響と考えた。塗料塗膜への吸着、吸収、拡散、溶解、透過のメカニズムを知るためフーリェ変換-赤外分光分析法(FTIR)により塗膜中の官能基(OH基、NH基)でのH-D交換反応に着目した実験を行なった。塗膜表面には種々のエネルギー準位(遊離OH基、分子内・分子間水素結合)の水酸基が存在し、これらの官能基とH-D交換した重水素は、常温での脱離が困難であることを明らかにした。またトリチウムが塗膜中の官能基との交換反応により取り込まれた場合は容易に脱離しないことが分かった。官能基の存在は塗膜表面のトリチウム濃度を高め塗膜への溶解・拡散を容易にすることを明らかにした。また、塗膜へのトリチウムの取り込み機構は塗装面の形状(平滑度合)並びに塗料塗膜中に存在する官能基の種類や数、顔料の成分や量、高分子鎖間隙など多方面からの検討が必要であること、核融合炉建屋内壁へのトリチウム浸透を防ぐために塗料を塗布する場合は、実験した塗料の中ではエポキシ系塗料の塗布が適していることが分かった。

 以上の実験から得られたデータは、トリチウム取扱い施設における環境および作業者の安全確保に対しても有用なデータである。今後予想される大量トリチウム取扱い時におけるトリチウムの安全確保には、トリチウムに汚染された表面での挙動、すなわち再放出による慢性的な作業環境汚染、金属表面などでの酸化物への転換、接触による皮膚からの体内被爆などトリチウムの吸着・脱離現象との関わりはさらに重要になるであろう。特に、高濃度トリチウムと材料との相互作用についてはさらに研究を進める必要があろう。

審査要旨

 核融合炉の開発の進展に伴い、大量のトリチウムの安全取扱い技術の確立がますます重要な課題として認識されてきた。トリチウムは一般に高いモビリティーを有しており容易に汚染の拡大に到りやすいこと、化学形の転換が比較的容易であり、人体に吸収されやすい化学形への転換が危惧されることなど、安全取扱い上の問題を少なからず内包している。本研究は、トリチウム安全取扱い上特に重要な材料表面での吸着・脱離について、関係する各種材料につき、重要なパラメータに関わる基礎データを実験的に取得し、それらを安全取扱上有効な形で整理することを試みた研究である。本論文は7章より構成されている。

 第1章は、序論であり、トリチウムの安全取扱いの観点から、トリチウムの諸性質、環境及び人体への影響、核融合炉での問題についてレビューされ、本研究の意義を明かにしている。

 第2章は、トリチウムと材料との相互作用について、その汚染、除染に関わる性質についてレビューされ、吸着・脱離、吸収、拡散、透過、さらに交換反応における問題点を示し、本研究の目的を明かにしている。

 第3章は、トリチウムの回収除去に用いられるモレキュラーシーブにおけるトリチウムの吸着・脱離に関する平衡論的及び速度論的データを実験により求めた結果をまとめている。トリチウムの分配平衡係数が1より大きいこと、脱離速度は加湿ガスの水蒸気圧に依存すること、さらに、水スワンピング効果が有効で除染係数が104〜106に達することなどを明かにしている。

 第4章は、新たに開発した電離箱-振動容量電位差計-パソコン結合システムにより、各種壁材料に対するトリチウムの吸着・脱離速度定数を測定した結果について述べている。吸着されたトリチウムの脱離速度は、セメント<ペイント<有機材料の順に後のものほど大きいことが示され、セメント、ペイントにおいては昇温脱離により脱離への温度効果について知見を得ている。セメントからの脱離では、拡散のほか交換反応の寄与が存在することを明らかにしている。

 第5章では、高比放射能トリチウムガスに1年以上接触させたステンレス鋼、銅及びガラス各試料について、ガススイープ法、昇温加熱法、および酸溶解法により、吸着されたトリチウムの回収速度の測定を行った結果をまとめている。いずれの試料でもガススイープのみではトリチウムの完全な脱離はできないこと、昇温加熱ではガラス試料の場合は完全な脱離は困難であることを示した。加湿ガススイープで見掛けの吸着係数が小さいことの理由を交換反応の効果に基づいて説明づけている。加湿ガスによるトリチウム回収は、ステンレス鋼、ガラスの場合に比べ、銅ではさほど有効でないことも見出し、その理由を表面酸化物の性状の違いから説明づけている。

 第6章では、壁表面を被覆するのに用いられる代表的な塗料塗膜のトリチウムの透過性測定について述べている。エポキシ系、フッ素系およびシリコン系各塗膜について透過実験に基づき拡散係数を評価した結果、エポキシ系塗膜においてもっとも小さいことを示した。トリチウム透過係数はトリチウム水からのほうがトリチウム水蒸気からに比べて約4桁も小さくなることを明らかにし、これを水による試料の膨潤などから説明づけている。フーリエ変換赤外分光分析法(FTIR)による表面官能基の測定を行った結果、トリチウム取込みの機構として、物理吸着のほか、塗膜中のOH基との交換反応による効果が大きいことを結論している。

 第7章は結論であり、本研究で得られた各種材料のトリチウム吸着・脱離に関する基礎的パラメータの評価値を表の形に整理し、トリチウム取扱い施設での漏洩トリチウムの脱離・回収除去モデルへの適用、さらにトリチウム汚染材の保管・廃棄のための安全対策等に適用しやすいように提示している。

 以上のように、本論文は、トリチウム安全取扱い上特に重要な材料表面での吸着・脱離について各種の実験的手法を駆使して主要パラメータの評価を行い、安全取扱い上有効な形に整理したものであり、原子力技術の進歩に対し重要な貢献をしている。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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