〔本書の構成〕本書は以下の章建てよりなる。 例言 序章 第一部 連合東インド会社の貿易戦略と公儀 第一章 平戸オランダ商館初期の貿易活動 第二章 戦略拠点としての平戸商館 第三章 帰国船団の本国向け積荷と平戸商館 第四章 海賊から商人への転換 第二部 幕藩制的市場と外国貿易 第一章 成立期の糸割符をめぐる諸問題 第二章 貿易銀をめぐる諸問題-元和・寛永期の日蘭貿易- 第三章 平戸時代後半期オランダ船貿易の概況 補論 鎖国論の現段階-近世初期対外関係史の研究動向- あとがき 主要欧文参考文献 索引 以上(但し、節以下の区分は省略) 〔本書の構想と概要〕 本書のメインテーマは、「公儀」権力による対外関係の新たな定置であり、必ずしも近世初期貿易史の研究のみではない。しかし、17世紀初頭の江戸幕府の対外政策を見ると、「交易権」の掌握が一つの重要なモチーフとなっている。それは、多年の国内統一戦争と侵略戦争によって荒廃した国内の経済基盤を復興し、統一政権の財政的基礎を固めねばならない成立期の幕府権力にとって、国内市場の支配と再編に不可分の関係にある外国貿易を掌握することがきわめて重要な政策課題であったからである。幕府は「異域」・「異国」との関係を、まず相互の交易関係の定着として把握しようとしたのである。 かように幕藩制国家成立期の対外政策が、「公儀」による「交易権」の掌握を実現する過程で、同時進行的に「外交権」の掌握へと展開したことが本書に『幕藩制国家の形成と外国貿易』という標題を冠した理由である。もとより「対外関係の定置」という問題は経済政策とは本来別個のものであるが、「外交権」の確立が「交易権」の掌握をあたかも前提条件のごとくに、これと密接な関連をもって実現されたところに幕藩制国家形成期における「対外関係の定置」の特質があったと考える。 一方、幕藩制国家の形成は、15世紀末から16世紀を通じて進展した東アジア世界の社会的変動と旧来の外交秩序の解体、アジア域内に海域支配・地域支配の形成を目指すヨーロッパ諸勢力の進出という、国際的変動の一環として実現した。従って、幕藩権力による「対外関係の新たな定置」は、中国・李氏朝鮮王朝・日本など、極東の内陸型諸国家が総体としてその実現を志向した「対外関係の新たな定置」の個別具体的事例であると言えよう。いわゆる「鎖国・海禁論」は、そのような視点から整理しうると思う(補論「鎖国論の現段階」参照)。 幕藩権力による対外関係の新たな定置は、「公儀」権力による外交権と交易権の一元的な掌握を実現させたが、その帰結として、(イ)「公儀」による内外の船舶の出入港と交易に対する管轄権の強化、(ロ)交易を求める異国船・異国民に対する安全保障と均等な交易機会の保証、(ハ)日本から交易のため異国に渡航する船舶に対する安全保障の対策、がうち出され、これらを実現するために、(ニ)日本の国内および周辺海域における治安の確立、(ホ)漂着船・漂流民の救助体制の整備、(ヘ)沿岸防備体制の確立が見られる。一方、国内の商品流通の拡大と発展を促進するため、(ト)幕藩権力による国内市場の整備と生産諸力の組織化が進捗する。そして、これらの諸政策の具体化が対外関係処理の側面で綜合されて、公儀を中核とする朝貢貿易制-擬制的関係も含む-が確定するが、それは統一権力による強力な階級支配の実現を基礎とした「公儀」の国家主権が対外関係の定置を通じて確立される過程でもあった。 以上のような全体構想のもとに分析視角を設定したうえ、本書は、幕藩制国家成立の時点で、「公儀」権力による「対外関係の新たな定置」がどのようにして行なわれたか、という問題を17世紀前半期の日本とオランダとの関係の展開=変遷のプロセスの中に、その具体的な歴史像を描き出すことを意図している。すなわち、第一部「連合東インド会社の貿易戦略と公儀』においては、上に掲げた(イ)〜(ト)の7項目のうち、特に(イ)(ロ)(ハ)(ニ)にかかわる問題を中心に、「公儀」権力による外交権と交易権の掌握が、対外的にどのような客観情勢、いかなる国際的状況のもとに達成されたかについて考察している。もちろん、このような課題を解明するためには、オランダ以外の外来諸国民(中国・朝鮮を含む)との関係をも包括的に扱う必要があるが、史料の残存状況から、オランダ以外の諸国との関係をオランダとの関係と同じ密度で個別的に分析することは、目下の私の能力には余ることである。本書は、日本とオランダとの関係を一つのケース・スタディーとして取り上げたのである。 第二部「幕藩制的市場と外国貿易」では、同じく上掲の(ト)に関する問題を取り上げる。幕藩制的市場構造の特質を、とくに近世初頭の海外貿易との関係で捉え、その構造的特質を解明することと、幕藩権力創出期における全国市場の形成と、そこにおける商人資本の実態ならびにその運動形態を追究する、という課題を取り扱う。 なお、本書ではオランダとの関係を17世紀の前半期、とりわけ1615年前後から1630年代全般に重点を置いて分析しているが、それは1620年代までのオランダ連合東インド会社や日本商館に関する第一次史料が極端に尠いため、従来日本の研究者による研究で、初期の日蘭関係の実態を本格的に分析した研究が全く見られないことと、ヨーロッパ、なかんずくオランダに於いても、17世紀前半期の連合会社の財政や経営実態ならびにアジアにおける貿易植民活動のディティールを分析した研究は余り行なわれておらず、専ら17世紀末から18世紀以降の時代を対象に、主として連合会社本社の財政や貿易収支等の変遷をグローバルに眺める、という傾向の研究が主流を占めている状況である。そのような研究状況にかんがみ、私は17世紀初頭の東アジアにおける連合東インド会社の動向を把握するに必要な基礎史料の蒐集に努め、この時期の東アジアにおける連合東インド会社の貿易戦略の実態解明を試みた。それは単に初期の日蘭関係の分析に留まらず、さらには極東水域から南シナ海交易圏ならびに東南アジア島嶼部に亘る、より広範な地域における各地の諸勢力の相互の関連のもとに日蘭関係史を位置づけることを、意図している。 〔各章の概要〕序章においては、序論として前近代における日本の社会発展と外来文化との関係の特質を巨視的に概観して、幕藩制社会形成期の日本社会の歴史的特質を規定するとともに、この時代の東アジア社会の変革とウエスタン・インパクトの問題を考察して、ポルトガルのアジア進出を契機とするヨーロッパ諸勢力のアジア進出に対して、東アジアの諸国家がどのような対応を示し、その帰結として17世紀以降、東アジアにどうような国際的秩序が形成されるかと云う問題を展望した。さらに、序章においては、研究史と本書の全体的な構想を解説した。 第一部「連合東インド会社の貿易戦略と公儀」の第一章では、1609年に開設された平戸オランダ商館の初期の貿易活動の実態を『VOC文書』ならびに『日本商館文書』(いずれもハーグ市オランダ国立中央文書館、ARA、所蔵文書)に伝存する記録、とりわけ1612年から1620年代にかけてのオランダ船の積荷状を極力蒐集して分析し、解明することに努めた。この作業を通じて、1620年代までの日本に来航するオランダ船の動向は、日本市場を対象とした交易活動というよりは、日本商館をオランダ船の軍事行動の中継基地ないしは兵站基地として展開された戦略活動であったことを、積荷状の内容などから実証した。とりわけ、平戸商館を起点として運航されたシャム・インドシナ方面との貿易が、朱印船貿易を偽装して行なわれ、水夫や兵士として雇傭された多数の日本人乗組員と渡航地に在住する日本人の協動作業によって渡航地での交易が行なわれたこと、インドシナ半島におけるオランダ勢力がこの時期、他の対抗勢力に対して極めて劣勢な立場にあったことなどを明らかにした。 ついで、第二章においては、かかるオランダ船の戦略活動の実態と平戸における戦略物資の調達について、平戸商館の会計資料やその他の史料の分析を通じて分析し、さらに第三章「帰国船団の本国向け積荷と平戸商館」では、1618年度の帰国船団の積荷状を悉皆調査して、「東インド」とオランダ本国を結ぶ物資のネットワークの中に占める平戸商館調達物資の比重を分析し、当時の平戸商館が「東インド」における連合会社の本国向け貨物の集荷市場としては、本拠地のバタヴィア・バンタンに次ぐ大きな機能と比重を有していたことを立証した。そして、第四章「海賊から商人への転換」では、平戸商館を拠点として行なわれたオランダ船の戦略行動=海賊行為が、日本に交易のため来航するすべての異国船の安全保障と交易の機会均等主義を宗とする江戸幕府の対外政策と決定的な矛盾対立をきたすこととなり、秀忠政権は1621年に平戸のオランダ・イギリス両国商館長に海賊行為の全面的禁止を令達し、その結果オランダ人は日本においては海賊から商人への転換を模索することとなる。この前後のプロセスの概観を通じて、交易権をめぐって公儀の国家的主権が異国船に対してどのような形で発動されるかという問題を論じて、第一部のメーン・テーマを綜括する。 第二部「幕藩制的市場と外国貿易」では、17世紀前半期における日本の最も主要な輸入品である中国産生糸と、これに対する輸出品の筆頭たる日本産銀の問題を基軸に考察する。第一章「成立期の糸割符をめぐる諸問題」は、17世紀初頭、輸入生糸購入の独占体制形成をめぐる外交・貿易上の問題を扱う。すなわち輸入生糸に対する公儀の先買権の行使と自余の生糸の都市の商人資本に対する配分の実態を追究することにより、当時の市場構造の特質を解明する手がかりを模索するものである。とくに第六節の「オランダ商館と糸割符」と第七節の「惣町割賦をめぐって」の二節では、平戸商館の「仕訳帳」と「元帳」の記載を詳細に分析して、1635年以降のオランダ商館売出しの白糸に対する糸割符の規制が現実にはどのようなものであったのか、またこの規制の適用により平戸商館と白糸の取引関係を結んだ日本人商人団の実態を明らかにした。 第二章「貿易銀をめぐる諸問題」では、1620年から1640年に至る期間のオランダ船の日本貿易の輸出入に関する基本的数値をグローバルに把握する作業と併行して、オランダ船による日本銀輸出の実態をオランダ側の史料の分析に基づいて悉皆調査を試みた結果をまとめ、初期の国内市場における貨幣流通の問題と外国貿易の関係を解明して、通貨政策としての「鎖国」の位置づけを試みた。第三章「平戸時代後半期のオランダ船貿易」は、第二章の結果をさらに要約し、かつ第一部の各章の論旨をも含めて全体を綜括するものである。とりわけ、平戸時代前半期の「戦略活動」と対比して、平戸時代後半期におけるオランダ船の活動が、専ら交易活動を主眼としたものに変化していく点に力点を置いている。 最後に、補論「鎖国論の現段階」において、志筑忠雄の『鎖国論』以来の鎖国論をめぐる日本近世対外関係史研究の研究史を回顧して、本書に盛られた個別研究を研究史の全体的な流れのなかに位置づけ、今後の研究課題についての所感を披瀝した。 |