学位論文要旨



No 212027
著者(漢字) 亀井,良政
著者(英字)
著者(カナ) カメイ,ヨシマサ
標題(和) 胎児発育におけるepidermal growth factor(EGF)の生理的意義に関する研究
標題(洋)
報告番号 212027
報告番号 乙12027
学位授与日 1994.12.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12027号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川名,尚
 東京大学 助教授 小池,貞徳
 東京大学 教授 浅野,茂隆
 東京大学 助教授 久保田,俊一郎
 東京大学 助教授 馬場,一憲
内容要旨 研究目的並びにその背景

 子宮内胎児発育遅延(Intrauterine growth retardation,以下IUGR)は、肉体的,精神的障害をもたらす危険があり、周産期領域における大きな問題の一つである。胎児の発育及び胎児臓器の機能的成熟に際しては、種々の内分泌因子が関与している可能性が示唆されてきたが、未だ十分な解明はされていない。epidermal growth factor(以下EGF)はこの様な内分泌因子の一つに挙げられている細胞成長因子である。本研究では、妊娠中期両側顎下腺切除によるEGF欠乏マウスにおける胎仔発育への影響を検討すると同時に、この実験モデルにおいて発症した子宮内胎児発育遅延において、そのメカニズムを糖代謝機能を指標として検討した。

研究方法

 8週から10週齢のC3H/HeN処女マウスを同種の成熟雄マウスと交配させ、腟栓確認日をday1とした。Day13にsham手術または両側顎下腺切除術(Sx)を施行した。同時にミニ浸透圧ポンプを皮下に埋め込み、sham手術マウスには、PBS(以下C群)を、Sxマウスには、PBS(以下Sx群),マウスEGF(1g/day,以下R群)を持続投与した。Day19に開腹し、母獣血漿,胎仔,胎盤を採取し、胎仔については生死を確認した。個々の胎仔,胎盤の重量を測定後、胎仔血漿を採取した。その後胎仔臓器として脳,肝臓,消化管を摘出しその重量を測定した。

【血漿中EGF濃度測定】

 非妊マウス,day13並びにday19の妊娠マウス,及び上に述べた種々の条件のマウスの血漿中EGF濃度をAmersham社のmouse EGF RIA kitを用いて測定した。

【血漿中及び胎仔臓器中グルコース濃度測定】

 C群,Sx群,R群の4群において、day19に母獣並びに胎仔血漿中,胎仔脳,肝臓のホモゲネート中のグルコース濃度を蛍光法を用いて測定した。

 【3H-2-deoxyglucose及び14C-aminoisobutylic acidの胎盤通過性の検討】

 上記4群において、非代謝性グルコースである3H-2-deoxy-D-glucose(以下3H-2-DG,1Ci/0.1ml)並びに非代謝性アミノ酸である14C-aminoiso-butylic acid(以下14C-AIB,1Ci/0.1ml)の混合溶液を母獣下大静脈より静注投与した。5分後に母獣血,胎仔,胎盤を採取した。胎仔,胎盤はそれぞれ1匹ずつホモゲネートした。得られたホモゲネート及び母獣血は、Aquasol II,30%過酸化水素水を加え振盪,溶解脱色し、直ちに液体シンチレーションカウンターにて各サンプルの放射能活性を測定した。

【EGFの胎盤通過性の検討】

 Day13及びday19の正常妊娠マウスにおいて、mEGF(5g)を母獣に皮下投与し、15分,30分,60分,90分,120分後に母獣血漿,胎仔,胎盤を摘出した。胎仔及び胎盤については母獣1匹毎にまとめてホモゲネートを作製し,遠心後上清を採取した。これらサンプル中のEGF濃度をAmersham社のmouse EGF RIA kitにて測定した。

【統計的処理】

 実験結果の統計的処理にあたっては、Kruskal-Wallis検定を行ない、危険率5%未満を有意差ありと判定した。

実験結果【マウス血漿中EGF濃度の変化】

 血漿中EGF濃度(ng/ml)は、非妊時(0.13±0.04),day13(0.44±0.21),day19(0.62±0.28)と妊娠経過とともに有意に増加した。先に述べた3群では、C群(0.67±0.23)に比しSx群は全例測定感度以下であり、R群(0.23±0.04)では一定のEGF濃度の回復が認められた。

【EGFの生存胎仔率に及ぼす影響】

 Day19における胎仔数は各群間で有意差を認めなかった。生存胎仔率は、C群で95%であり、Sx群では、生存胎仔率は80%に有意に低下し、R群では95%まで回復した。

【EGF欠乏の胎仔胎盤発育に及ぼす影響】

 平均胎仔重量(g)は、C群(1.22±0.08),Sx群(1.10±0.06)の順に減少し,逆にR群(1.18±0.10)ではC群と同じレベルまで回復した。

 Day19における胎仔肝臓並びに腸管の平均重量(mg)は、C群(81.2±11.0,42.0±3.5),Sx群(70.4±11.2,36.2±3.5)の順に有意に減少し、逆にR群(80.0±12.7,41.3±4.6)では改善された。これら臓器の臓器重量/胎仔体重比は各群間で有意差を認めなかった。一方、胎仔脳重量はC群とSx群との間に有意差を認めなかったが、胎仔脳重量/胎仔体重比(%)はC群(6.7±0.3)に比しSx群(7.5±0.4)で有意に増加した。R群では胎仔脳重量(81.6±4.6g),胎仔脳重量/胎仔体重比(6.8±0.2%)ともにC群と同じレベルまで回復した。

 胎盤重量には各群間で有意な差を認めなかった。

【EGFの血漿中及び胎仔臓器中グルコース濃度に及ぼす影響】

 母獣血漿中グルコース濃度には3群間で有意差を認めなかったが、胎仔血漿中グルコース濃度(mg/dl)は、C群(86.0±13.0),Sx群(63.0±11.8)の順に有意に減少し、R群(75.3±13.5)ではC群と同じレベルまで回復した。また、臓器内グルコース含量(nM/mg蛋白)は、胎仔脳,肝臓のいずれもC群(0.44±0.16,1.22±0.31),Sx群(0.31±0.09,0.91±0.27)の順に有意に減少し、R群(0.40±0.09,1.19±0.19)ではSx群より増加していた。

【胎盤でのグルコースおよびアミノ酸輸送能に及ぼすEGFの影響】

 3H-2DGは3群間で、母獣血中並びに胎盤ホモゲネート中の放射能活性に有意差を認めなかったが、胎仔ホモゲネート(%dpm)では、C群(5.17±1.25),Sx群(2.94±1.02)の順に低下し、R群(5.17±1.79)ではC群と同じレベルに回復した。14C-AIBについては、母獣血,胎盤ホモゲネート,胎仔ホモゲネートのいずれも、3群間で放射能活性に有意差を認めなかった。

【EGFの胎盤通過性の検討】

 mEGFの母獣投与では、day13,day19のいずれにおいても胎仔ホモゲネートでは、投与後120分に至るまで有意なEGF濃度の上昇を認めなかった。

結論

 両側顎下腺切除により血漿中EGF濃度が低下し、マウスにおいては顎下腺が血漿中EGFの産生源であることが示唆され、妊娠中の胎仔発育におけるEGFの作用は妊娠中期に両側顎下腺切除を行うことにより検討できることが明らかとなった。

 妊娠中の両側顎下腺切除による母獣EGF欠乏状態では、生存胎仔率の減少及びIUGRの発症が認められることを明らかとした。また、このIUGRは脳重量が保持されるasymmetrical typeであることが明らかとなった。このような病態におけるEGFの作用点並びに作用機序を検討する目的で、まずEGFの胎盤通過性を検討した。本研究ではEGFの胎盤通過性は認められず、EGFの作用点は少なくとも胎仔そのものではないと考えれられた。また、母獣については、手術後の摂食行動,飲水行動,体重増加及び血漿中グルコース濃度には変化は認められなかった。

 そこでEGFが胎盤機能を修飾している可能性を考え、胎盤でのグルコース,アミノ酸の輸送能を検討したところ、EGF欠乏によるIUGRマウスでは、グルコース輸送能が選択的に低下している可能性が示唆された。また、IUGR胎仔においても血漿中,胎仔臓器中のグルコース濃度が減少していることが明らかとなった。

 以上の実験結果より、マウスでは妊娠中期の両側顎下腺切除によるEGF欠乏により、胎盤でのグルコース輸送が選択的に障害され、胎仔での主要なエネルギー源であるグルコースの欠乏をきたし、結果として脳重量が比較的保持されるasymmetrical IUGRが惹起されることを明らかとした。

 ヒトにおいても、asymmetrical typeのIUGRは胎盤機能不全によると考えられており、出生後の低血糖がしばしば問題となる。本研究結果を考慮すると、本動物モデルは、従来不明であったヒトのIUGRの病態解明並びに治療への手掛かりとなるモデルであると考えられる。

審査要旨

 本研究は、epidermal growth factor(EGF)の胎児発育における生理的意義を明らかとするため、妊娠中期での両側顎下腺切除によるEGF欠乏マウスにおける胎児発育への影響を検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.両側顎下腺切除により血漿中EGF濃度が低下し、マウスにおいては顎下腺が血漿中EGFの産生源である事が示され、妊娠中の胎児発育におけるEGFの作用は妊娠中期に両側顎下腺切除を行うことにより検討できる事を示した。

 2.妊娠中の両側顎下腺切除による母獣EGF欠乏状態では、生存胎児率の減少及び子宮内胎児発育遅延(Intrauterine growth retardation,IUGR)の発症が認められる事を示した。またこのIUGRは脳重量が保持されるasymmetrical typeである事を示した。

 3.本実験モデルにおいてはEGFの胎盤通過性が認められず、また手術後の母獣の摂食飲水行動や血漿中グルコース濃度に変化がない事を示し、上記病態におけるEGFの作用点が胎盤である可能性を示した。

 4.妊娠中の両側顎下腺切除による母獣EGF欠乏状態では、胎盤でのグルコース輸送能が、選択的に低下し、IUGR胎児においても血漿中、胎児臓器中のグルコース濃度が減少する事を明らかとし、胎盤でのグルコース輸送の選択的障害が上記病態におけるEGFの作用機序であることを示した。

 以上、本論文は胎児発育におけるEGFの生理的意義を明らかにした。本研究は、これまで十分な研究がされていないIUGRの病態の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50916