ビールは保存に伴い劣化臭と呼ばれるオフフレバーが生成し、ビールの商品価値を著しく低下させる。本論文は、このビール劣化臭に関与する成分の検出を目的として、多変量解析法をビール香気の分析に応用し、ガスクロマトグラムパターンの中に含まれる情報を要約するとともに、GC分析データに基づき劣化臭に寄与するピーク成分の抽出を試みている。さらに抽出された成分の官能検査の結果、劣化臭に関与することが示された成分の生成機構について研究した結果を述べたものである。 第1章では、低沸点揮発性成分の分析に適したヘッドスペースガスGC分析法による結果を述べている。保存期間を変え、劣化程度の異なるビールを調製し分析を行った。因子分析では固有値1.0以上の12の主成分が抽出されその累積寄与率は93%前後であった。各試料は保存期間にともない第2主成分軸上を正の方向に移動することが確認された。このことから第2主成分軸が保存期間を示す軸と考えられ、保存にともなうビール香気パターンの変化が客観的に評価された。第2主成分で因子負荷量が絶対値0.5以上の高い値を示した12成分が劣化臭に関与する成分として抽出された。これら因子負荷量の大きな成分を用いたステップワイズ判別分析により、88%の精度で各試料の識別が可能であった。 第2章では、薄膜式減圧蒸留法およびCCl3F抽出によるヘッドスペースガスGC分析法を組み合わせたビールの中・高沸点揮発性成分に対する新しい分析法を開発した。因子分析の結果、固有値1.0以上の16主成分が抽出され、その累積寄与率は95%であった。また、第2主成分軸が保存期間を示す軸として抽出され、保存にともなうビール香気パターンの変化が第1章と同様に客観的に評価された。第2主成分で因子負荷量が±0.5以上の18成分を用いた判別分析によると100%の精度で各試料の識別が可能であった。上記の18成分の内、正に高い因子負荷量を示す15成分中2-furfuryl ethyl ether(2-FEE)、furfuralを含む9成分を同定し、(E)-2-nonenal(E2N)を含む3成分を推定した。また負に高い因子負荷量を示す3成分中furfuryl acetateを同定した。 第3章では、因子分析で抽出された因子負荷量の高い成分とビール劣化臭との関連について述べている。因子分析により抽出された15成分中2-FEEおよびE2Nを含む10成分についてビール中での定量を行なった。次に37℃、4週間保存ビールに含まれる各10成分をそれぞれ新鮮なビールに添加し、官能検査を行い、これら成分の劣化臭への関与を検討した。その結果、2-FEEは刺激性のある収斂味を呈する劣化臭に、E2Nは段ボール紙などの厚紙を連想させる劣化臭に関与していることを明らかにした。 第4章では、ビールの劣化臭に関与する2-FEEの生成経路について述べている。2-FEEおよびfurfuryl alcohol(FAL)はビールの保存にともない増加したがfurfuryl acetate(FAC)は保存初期に著しく減少した。 5%エタノール水溶液にFACを添加し、37℃で保存するとFALと2-FEEが生成した。また5%エタノール水溶液にFALを添加した場合には2-FEEが生成した。FACをビールに添加し、25℃に保存すると2-FEEが生成した。以上の結果,2-FEEはエタノール存在下でFACからFALを経由する経路とビール中に存在するFALからの経路により生成すると考えられた。 第5章では、ビールの劣化臭に関与する(E)-2-nonenalの生成経路について述べている。E2Nの前駆体が、仕込工程中に生成する9-ヒドロペルオキシリノール酸(9-LOOH)であるとする仮説に基づいて、ビール中でのE2Nの生成経路の検討を行った。仕込過程で麦汁に9-LOOHを添加し試醸したビールと、9-LOOHを添加せず試醸したビールとの保存にともなうE2N生成量を比較した結果、9-LOOH添加試料でE2N生成量が高くなることを明らかにした。従って仕込工程中に生成する9-LOOHよりビール保存中にE2Nが生成すると考えられた。 以上本論文は、ビールの保存にともない生成する劣化臭に寄与する成分を、多変量解析により抽出し、抽出された成分の中から劣化臭に直接関与する化合物を特定し、それらの生成機構について明かにしたものであり、応用的研究への展望を示し、学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |