西マレーシアに野生するキンバイザサ科の植物Curculigo latifoliaは根元にラッキョウのような形の白い実をつける。この実を口に含んでから水を飲むと甘く感じる。紅茶やビールを飲んでも甘く感じる。さらに酸っぱいものを味わうと強い甘さを感じる。クエン酸・アスコルビン酸・塩酸など様々な種類の酸に対して甘く感じる。昔から現地ではこの実を酸っばいものを甘くするのに用いてきたという。このようにC.latifoliaの実には味覚修飾物質が含まれているにも関わらず、この成分に関する研究はまったく行われていなかった。本研究の開始時には唯一の味覚修飾物質としてミラクリンが知られているのみであった。そこで著者らは、C.latifoliaの実に含まれる味覚修飾物質をCurculigoの名にちなんでクルクリンと命名し、精製、構造および性質について詳細に研究を行った。以下に概要を述べる。 クルクリンの本質を明らかにするために、予備的に果実をプロテアーゼで処理したところ活性が消失したため、クルクリンは蛋白質であると推定した。難抽出性を示すクルクリンの精製には、ミラクリンを抽出する方法を参考にした。その結果、C.latifoliaの果実ペレットを水洗後0.5M NaClを用いることにより抽出に成功した。クルクリンは限外濾過膜等に吸着しやすいことから、膜による濃縮・脱塩を行わず、CM-Sepharose CL-6B、Sephadex G-100等のクロマトグラフィーを用いて収率よく精製が可能となり、新鮮果実46gから7mgのクルクリンが得られた。クルクリンは光散乱分析により分子量27,800であるが、SDS-PAGEからは12,000であることから、二量体であることが明らかとなった。また、等電点は7.1であり、糖は検出されなかった。 つぎにクルクリンの全アミノ酸配列を決定するために、クルクリンを還元しSH基を修飾した後、lysyl endopeptidase、trypsinおよびchymotrypsinを用いて断片化し、HPLCによりペプチドを精製後エドマン分解を利用した自動アミノ酸配列分析計により分析を行った。また、カルボキシ末端は、carboxypeptidase Aにより決定した。これにより、クルクリンはアミノ末端のアスパラギン酸からカルボキシ末端のグリシンまでの114アミノ酸残基より成るポリペプチドの二量体であることが明らかとなった。 ミラクリンと比較したところ、両者とも二量体である点は共通するが、分子量・糖含量・甘味活性の有無・活性持続時間等で相違が見られた。さらにミラクリンおよび甘味蛋白質であるソーマチン・モネリン・マビンリンとの一次構造の比較を行ったところ、どの蛋白質ともトリペプチド以上の相同性は認められなかった。しかしながら、甘味や味覚修飾の発現は数残基の活性ペプチド配列で起こる可能性も考えられ興味深い。 クエン酸および水による味覚修飾活性を指標として、クルクリンの性質を調べた。クルクリン自身の甘味度は、10mMで0.35Mのショ糖に匹敵する甘さであったが、クエン酸により誘導される甘味と水により誘導される甘味の強さは酸性側と中性および弱塩基性側で異なっていた。クルクリンは、熱・pHに対して比較的安定であり、50℃1時間処理では、pH3から11までほぼ活性が維持されることが明らかとなった。また、クルクリンは舌に吸着しやすく、特に中性付近でこの傾向が強かった。クルクリンの水を甘くする作用は、1.0mMのCa2+またはMg2+で完全に抑制されることも明らかとなった。 クルクリンのmRNAレベルでの構造決定、生合成機構の解明、蛋白質および活性の発現、大量生産等を目的として、cDNAクローニングを行った。まず、新鮮なC.latifoliaの果実からSDS-フェノール法により、RNAを抽出しoligo(dT)カラムによりpoly(A+)RNAを精製し、これを鋳型として、逆転写酵素により一本鎖cDNAを合成した。このcDNAを二本鎖とした後、gt10に挿入しライブラリー(3×105)を調製した。クルクリンcDNAライブラリーから、蛋白質化学的に得られた一次構造を参考に3種類の合成プローブを調製し、これらすべてとハイブリダイズするクローンを選択した。その結果、陽性クローン(CUR09およびCUR37)を単離し、塩基配列を決定した。これらのクローンは、それぞれ1,166、1,087bpであった。両クローンとも158残基をコードする同じオープン・リーディング・フレームを含んでおり、3’側の非コード領域が異なっていた。蛋白質化学的に決定したアミノ酸配列と、塩基配列から推定されるアミノ酸配列を比較すると、23残基から126残基目が4残基を除いて一致したことから、CUR09およびCUR37はクルクリンをコードしていることが確認された。cDNAの塩基配列から推定されるアミノ酸配列は、アミノ末端、カルボキシ末端共に、22残基長い配列を持っていた。このうち、アミノ末端の配列は、疎水性が強くシグナル配列と考えられた。一方カルボキシ末端の配列は、酸性および塩基性アミノ酸が多く、親水性の配列であった。このようにクルクリンは翻訳後にプロセッシングを受けることが明らかとなった。 RNAプロット・ハイブリダイゼーションによりC.latifolia果実の成熟過程におけるmRNAの発現状況を調べたところ、受粉後2週目以降成熟時までほぼ一定であった。クルクリンは果実の成熟過程のかなり早い時期に生合成が開始されることが判明した。 次にクルクリンcDNAを大腸菌で発現させた。クルクリンの発現プラスミドは3種類調製した。まず158アミノ酸残基をコードするプラスミドpCUR09を調製した。発現はlacZプロモーターを利用した。しかし外来蛋白質の発現を確認することはできなかった。この理由としてシグナル配列が不完全な形で作用したと考え、シグナル配列をデリーションしたプラスミドを調製し(pCUR09-1)、大腸菌を形質転換した。その結果、外来蛋白質を菌体重量当り約7%発現させることができた。さらに、クルクリンの一次構造により近い蛋白質を発現させるために、カルボキシ末端の22残基を含まない発現プラスミド(pCUR09-2)を調製した。その結果、クルクリンを菌体重量当り約8%発現させることに成功した。次にこれらの蛋白質はそれぞれ16kDa、14kDaであり抗クルクリン抗体を用いたウエスタン分析によりクルクリン蛋白質であることを確認した。しかしこれらの蛋白質の活性を確認したところ、甘味活性・味覚修飾活性共に確認できなかった。そこでこれらの蛋白質の再生を検討したが、現在までのところ活性を発現させることはできなかった。このことからクルクリンの機能発現に高次構造が厳密に関与していることが示唆され、現在結晶構造を解析中である。 クルクリンを工業的に利用するために、精製のスケールアップおよび食品への利用を検討した。まず精製のスケールアップに際して、以下の4点を改良した。すなわち、1)自動化・数値化の容易なキャピラリー電気泳動分析の導入、2)機械的に果実中の種子を除く方法の開発、3)抽出方法を0.5M NaClから、抽出液の濃度を約1/10に低下させることが可能な希硫酸抽出へ変更、4)安価なイオン交換樹脂を利用したクロマトグラフィー、である。これによりC.latifoliaの果実14kgからクルクリン画分2.4g(クルクリン95%含有)が得られた。このクルクリンを用いて、食品への利用を検討した。その結果、甘味料としてみた場合、甘味蛋白質であるソーマチンなどに比べて甘味の質が良くショ糖の代替も可能であることが明らかとなったが、ショ糖などの糖質甘味料に比べて甘味の立上りが遅く甘味が持続するという特徴があることが明らかとなった。この特長を生かすため、現在チューインガムへの利用を検討中である。一方、酸味や水を甘味に変える味覚修飾物質としてみた場合、従来製品として存在しない新しいタイプの食品の創造となる。新食品の創造は困難が予想されるが、夢を含んだ食品の開発を念じて、現在検討中である。 以上本論文は、C.latifoliaの果実に含まれる味覚修飾活性と甘味活性を合わせ持つ全く新しい蛋白質の抽出・精製に成功し、この蛋白質の一次構造を決定し、さらに諸性質を明らかにした。次に遺伝子工学的手法によりクルクリンのcDNAクローニングを行い、この遺伝子の大腸菌での発現に成功した。最後にクルクリンの工業生産を目的として、精製のスケールアップを行い用途開発を行うに充分な量の試料の精製に成功し、食品へ利用する場合のクルクリンの特性を明らかとした。 |