学位論文要旨



No 212041
著者(漢字) 天池,正康
著者(英字)
著者(カナ) アマイケ,マサヤス
標題(和) 酵素反応を利用した揮発性生物活性天然物の合成
標題(洋)
報告番号 212041
報告番号 乙12041
学位授与日 1994.12.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12041号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,謙治
 東京大学 教授 室伏,旭
 東京大学 教授 小川,智也
 東京大学 教授 瀬戸,治男
 東京大学 教授 北原,武
内容要旨

 本論又は、酵素反応を利用した揮発性生物活性天然物の合成に関するもので、三章よりなる。

 第一章では、ローズ様の香りを有する香料化合物である(S)-(-)--ダマスコン〔(S)-1〕の合成について述べる。

 第二章では、カメムシ科の昆虫Spined citrus bug(Biprorulus bibax Breddin)の性フェロモンである、シス-3,4-ビス[(E)-1-ブテニル]テトラヒドロフラン-2-オール(2)の絶対立体配置の決定、及びそのラセミ体、両鏡像体の合成について述べる。

 第三章では、松もぐり貝殻虫の一種Israeli pine bast scale(Matsucoccus josephi)の性フェロモンである、(2E,6E,8E)-5,7-ジメチル-2,6,8-デカトリエン-4-オン(3)の両鏡像体の合成について述べる。

 

(1)第一章

 -ダマスコン(1)は、1970年に発見されて以来、強くて新鮮な果実的なローズ様の香りを有する重要な香料化合物として、これまでに数多くの研究がなされてきた。しかし、その光学活性体の合成例は少なく、また、両鏡像体間での香気の差について、(S)-体の方がにおいが強く、よりバラの花らしい香りを有しているとも報告されている。そこで筆者は、香りがより強いとされる(S)-体の効率的な合成法の確立を目的とし本研究を行った。

 ブタ肝臓エステラーゼ(PLE)による不斉加水分解反応による光学分割、あるいはCoreyらの不斉触媒を用いたCBS還元反応により光学純度良く得られる(R)-5を出発原料とし、[2,3]-シグマトロピー転位を用いたA,B二つのルートで光学純度ほぼ100%e.e.の(S)--ダマスコンを合成するこに成功した。この2つのルートは、ルートA(全6工程、通算収率28%)の方がルートB(全4工程、通算収率16%)より高い全収率を与えるが、毒性の強いスズ化合物を経由する点、工程が長い点を考慮すると、ルートBの方が大量合成には適していると考えられる。

 

 このように、香気的にも良好であり、香りも強いとされる-ダマスコンの一方の鏡像体、(S)-(-)-体のみを高い光学純度で効率的に合成する方法を確立することができた。

(2)第二章

 Spined citrus bug(Biprorulus bibax Breddin)は、レモンやマンダリンなど柑橘類の果実を黒変させる害虫として、近年その被害が顕在化しつつあるカメムシ科の昆虫である。1992年Oliverらは、その昆虫の雄の生産する性フェロモンの主成分としてヘミアセタール2を単離し、その構造を決定した。しかし、その絶対立体配置、及びフェロモン活性は明らかにされていなかった。そこで筆者は、その絶対立体配置の決定、及びそのフェロモン活性を明らかにするため、そのラセミ体、及び両鏡像体の効率的な合成法を確立することを目的とし本研究を行った。

 まず、ラセミ体は、Diels-Alder反応の立体制御を利用し、低収率ではあるが立体選択的に(ルートA;全13工程、通算収率4.6%)、また、より効率的にはClaisen転位を利用し、短工程、高収率で(ルートB;全9工程、通算収率36%)合成することに成功した。

 また、光学活性体の合成は、メソ体ジオール10を共通の出発原料とし、酵素反応を利用することにより達成した。即ち、ウマ肝臓アルコールデヒドロゲナーゼ(HLADH)による不斉酸化を用いることにより、天然型フェロモン(3R,4S)-2を(ルートC;全3工程、通算収率1.9%)、リパーゼAKによる不斉アセチル化を用いることにより、同じく天然型フェロモン(3R,4S)-2を(ルートD;全6工程、通算収率23%)、更にリパーゼAKによる不斉加水分解を用いることにより、非天然型フェロモン(3S,4R)-2を(ルートE;全7工程、通算収率34%)、いずれも光学純度良く合成することに成功した。

 また、絶対立体配置の明らかな光学活性体でのClaisen転位反応(ルートF)と光学活性なキャピラリーカラムを用いたガスクロマトグラフィー分析を利用することにより、天然物の絶対立体配置を3R,4Sと決定することができた。

 

 こうして合成したラセミ体及び両鏡像体を用い生物活性試験を行うことにより、このヘミアセタール2はSpined citrus bugの雌に対して誘引活性を有する性フェロモンであり、ラセミ体でも雌に対して誘引活性を有すること、しかし、両鏡像体とラセミ体の比較においては、その誘引活性に顕著な有意差が見られないことが明らかにされた。

(3)第三章

 Israeli pine bast scale(Matsucoccus joscphi)は、松の害虫である松もぐり貝殻虫の一種であり、イスラエルを中心とした広い範囲に生息し、その被害が最近十年間で特に顕著になってきている昆虫である。1993年Dunkelblumらは、その昆虫の雌の生産する性フェロモンとして、トリエノン3を単離し、その構造を決定した。しかし、その絶対立体配置、及び両鏡像体間での活性差は明らかにされていなかった。そこで筆者は、フェロモン3の両鏡像体を合成することにより、天然物の絶対立体配置を決定すると共に、両鏡像体間での活性差を明らかにすることを目的とし本研究を行った。

 ブタ膵臓リパーゼ(PPL)による不斉加水分解により得られる、光学活性なビルディングブロックであるエポキシアルコール20を出発原料とし、立体特異的メチル化、エポキシ開環反応を鍵段階(22→23)として、(R)-体は、全15工程、通算収率6.5%で、(S)-体は、全17工程、通算収率7.1%で、それぞれ純度良く合成することに成功した。

 

 こうして合成した両鏡像体を用いることにより、天然物の絶対立体配置がRと決定され、更にその活性について、天然型(R)-体はラセミ体の約2倍の雄に対する誘引活性を有していること、非天然型(S)-体には誘引活性がないことも明らかにされた。

(4)まとめ

 以上本論文は、不斉の導入方法として酵素反応を利用することにより、揮発性生物活性物質である一つの香料化合物と、二つの昆虫フェロモンの両鏡像体の高い光学純度での合成方法を確立すると共に、その絶対立体配置の決定を行ったものである。

審査要旨

 本論文は,酵素反応を利用した揮発性生物活性天然物の合成に関するもので,三章よりなる。揮発性の天然物の中には,フェロモンや香気成分のように重要な生物活性を示すものが多数知られている。近年,これらの成分を純粋に光学活性な形で合成することが,生理機能を精密に研究する上からも要求されている。著者はこの点に着目し,選択性の高い酵素反応を用いて光学活性原料を得,これより各種揮発性生物活性天然物を光学純度良く合成する目的で以下の研究を行った。

 序論で研究の背景や意義について概説した後,第一章では,パラ様の香りを有する香料化合物である(S)-(-)--ダマスコン〔(S)-1〕の合成について述べている。ブタ肝臓エステラーゼ(PLE)による不斉加水分解反応による光学分割,あるいはCoreyらの不斉触媒を用いたCBS還元反応により光学純度良く得られる(R)-2を出発原料とし,〔2,3〕-シグマトロピー転位を用いたA,B二つのルートにより光学純度ほぼ100%e.e.の(S)--ダマスコン〔(S)-1〕を合成することに成功した。

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 第二章では,柑橘類の害虫であるカメムシ科の昆虫Spined citrus bug(Biprorulus bibax Breddin)の性フェロモン(6)の絶対立体配置の決定,及びそのラセミ体,両鏡像体の合成について述べている。まずラセミ体(±)-6を,Diels-Alder反応の立体制御を利用し立体選択的に(ルートA),またより効率的にはClaisen転位を利用し,短工程,高収率で(ルートB)合成することに成功した。

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 光学活性体は,メソ体ジオール8を共通の出発原料とし,ウマ肝臓アルコールデヒドロゲナーゼ(HLADH)による不斉酸化で天然型フェロモン(3R,4S)-6を(ルートC),リパーゼAKによる不斉アセチル化で同じく天然型を(ルートD),更にリパーゼAKによる不斉加水分解で非天然型フェロモン(3S,4R)-6を(ルートE),いずれも光学純度良く合成することに成功した。さらに,絶対立体配置の明らかな光学活性体でのClaisen転位反応(ルートF)により得られる(3S,4R)-6と天然物とを比較することにより,天然物の絶対立体配置を3R,4Sと決定した。

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 合成したラセミ体及び両鏡像体を用い生物活性試験を行うことにより,このヘミアセタール6はSpined citrus bugの雌に対して誘引活性を有する性フェロモンであり,ラセミ体でも雌に対して誘引活性を有し,両鏡像体とラセミ体の比較においては,その誘引活性に顕著な有意差が見られないことが明らかにされた。

 第三章では,松の害虫である松もぐり貝殼虫の一種Israeli pine bast scale(Matsucoccus josephi)の性フェロモン(3)の両鏡像体の合成について述べている。ブタ膵臓リパーゼ(PPL)を用いた不斉加水分解により得られる光学活性なエポキシアルコール17を出発原料とし,立体特異的メチル化,エポキシ開環反応を鍵段階(19→20)として,両鏡像体をそれぞれ純度良く合成することに成功した。合成品を用いることにより,天然物の絶対立体配置がRであり,天然型(R)-体はラセミ体の約2倍の雄に対する誘引活性を有していること,非天然型(S)-体には誘引活性がないことも明らかにされた。

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 以上本論文は,不斉の導入方法として酵素反応を利用することにより,揮発性生物活性物質である一つの香料化合物と,二つの昆虫フェロモンの両鏡像体の高い光学純度での合成方法を確立すると共に,後者の絶対立体配置の決定を行ったものであり,学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は,申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。

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