学位論文要旨



No 212043
著者(漢字) 辻,惟雄
著者(英字)
著者(カナ) ツジ,ノブオ
標題(和) 戦国時代狩野派の研究 : 狩野元信を中心として
標題(洋)
報告番号 212043
報告番号 乙12043
学位授与日 1995.01.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第12043号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河野,元昭
 東京大学 教授 戸田,禎佑
 東京大学 教授 青柳,正規
 東京大学 教授 五味,文彦
 東京大学 教授 吉田,伸之
内容要旨

 狩野派は、日本絵画史上の最も大きな流派である。中世末・戦国時代に始まり、近代の始めに至る間、時の権力に密着して終始画壇の指導的地位を保った。その影響はさまざまなレベルにわたり極めて大きい。しかしながらその研究は、第二次大戦後、久しく停滞していた。ようやく最近になって、狩野派研究も再び活発化しつつある。

 著者は、その中で、この四半世紀にわたり、狩野派、とくに初期狩野派を対象に、研究を続けてきた。なかで昭和四二年(一九六七)から同四六年にわたり『美術研究』誌上に連載した「狩野元信」は、狩野派の基礎の確立者である元信の伝記・作品の両面にわたって詳細な考察を行ったものである。本書はこれを基礎に、その後の研究を補い、元信の活動を核に展開した初期狩野派の総括的検討を行うものである。

 本書の構成は、第一編から第四編までの四つの部分に、付載をあわせたかたちをとっている。

 第一編は、狩野派の成立期における画風の形成と展開を論じた第1章と、狩野派の形成を社会史的な側面から論じた第2章、さらに狩野派の史的役割を大観した第3章からなる。これら総括的内容の文は、体裁の点では本書の最後にまわすべきものかもしれないが、全体の構成をより明確にするため最初に置くことにした。

 第二編は、本題である狩野元信およびその周辺の画家の検討である。第1章では、元信の父正信の画業とその意義が考察される。続いて第2章では、元信の伝記が詳しくたどられ、あわせて元信の家族や周辺の狩野派画人の伝記についても検討される。ついで、多数に上る元信および伝元信の作品の、個別にわたる比較検討から、元信の作風とその展開が論じられ、最後に基準作の選定がなされる。元信派に属する画家たちについても考察が及ぼされる。その後につけられた補遺は、この論文が執筆されて以後、現在にいたる間の元信研究の進展状況を紹介し、それに対する著者の意見を添えたものである。第3章もまた、第2章の補遺の役割を果たすもので、元信および伝元信の作品五点の紹介と検討である。第4章は、最近、遺品の数の増加にともない、元信派のなかでもっとも活動的な画家の一人として注目されるにいたった信印を捺す画家(現在雅楽助に擬せられている)についての考察である。

 第三編では、元信の子松栄、孫の永徳・秀頼が、元信の残した作風の遺産をどのように発展させたかが論じられる。第1章は、松栄・永徳の合作による大徳寺聚光院襖絵を中心に、対照的な画風の持ち主である父と子の、それぞれの伝記・作品を検討したもの。元信の章ほどに詳細ではないが、総目録的な役割がここでも意図されており、戦国から桃山へ、という歴史の転換に呼応した絵画の新しい動向と、永徳の個性との呼応に照明が当てられる。第2章は、一九八九年に物故した米国の女性研究者によるすぐれた松栄論文の内容紹介、第3章は永徳が安土城の書院に描いたと記録される「三上山真景図」が、実際にどのような作品であったかについての考察、第4章は、松栄および永徳の作品、および二人に擬せられる作品合わせ四点についての検討で、第一章の補遺としての意味も持つ。第五章は、元信の子と伝えられながら伝記に謎の多い秀頼の伝記・作品の考察である。

 最後に付載として、東京国立博物館所蔵の初期狩野派模本の調査報告、および武田恒夫氏の労作『近世初期障壁画の研究』の書評を加えた。

審査要旨

 狩野派は日本絵画史上最大の流派である。中世末期に始まり、近代の初期に至る間、時の権力に密着して終始画壇の指導的地位を保ち続けた。その影響はさまざまな側面にわたりきわめて大きい。しかしながら、その研究は第二次世界大戦後、自由尊重の思想の広まりのなかで、人々の評価がより在野的、民衆的な立場の画家たちに注がれるようになったため、長いあいだ停滞していた。ようやく最近になって、狩野派研究もふたたび活発化しつつある。というよりも、戦後はじめて狩野派の重要性に着目した研究者こそ、辻惟雄氏であったといった方が正しい。筆者はこの四半世紀にわたり、狩野派、特に初期狩野派を対象に、研究を進めてきた。なかでも、1967年から四年間にわたり、当時勤務していた東京国立文化財研究所の機関誌『美術研究』に連載した研究論文「狩野元信」は、狩野派の基礎を確立した元信の伝記および作品の両面にわたる詳細な考察で、内外の研究者のあいだで、きわめて高い評価を勝ち得てきた。本論文『戦国時代狩野派の研究--狩野元信を中心として--』はこれを基礎に、その後の研究を補い、元信の活動を核に展開した初期狩野派の総括的検討を行なったものである。

 本論文の構成は、第一編から第三編までの三つの部分からなる。第一編は狩野派の誕生に関する社会史的考察、成立期における画風の形成と展開に関する様式論、史的役割の大観からなる。第二編は本書の中核をなす部分で、まず、元信の父政信の画業とその意義が考察される。続いて、元信の伝記、家族や周辺画家の伝記が詳しくたどられ、おびただしい数に上る元信および伝元信作品の比較検討から、元信の作風とその展開が論じられ、終りに基準作の選定が行なわれる。元信派に属する画家についても、考究が及ぼされ、重要な代表的作品五点の紹介と検討を経て、最近とみに注目を集めている「網隠」なる印章を使う画家について論及される。第三編は元信の子松栄、孫の永徳・秀頼が、元信の遺した作風をどのように発展させたかについての解明である。まず、松栄・永徳の合作による大徳寺聚光院障壁画を中心に、父と子の間柄である二人の画家の伝記および作品が詳細に検討される。続いて、永徳が安土城の書院に描いたと記録される「三上山真景図」が、実際にどのような作品であったかが説得力豊かに推定され、元信の子と伝えられながら伝記に謎の多い秀頼の伝記および作品が白日のもとにさらされる。最後に附載として、東京国立博物館所蔵の初期狩野派模本の調査報告などが加えられる。

 本論文のもっともすぐれた点は、日本絵画史の実証的研究法を確立した故渡辺一氏の方法を継承するとともに、そこに様式論的、あるいは社会史的考察を加え、初期狩野派の成立と展開を総合的に把握したところに求められる。つまり、この期の代表的狩野派画家のカタログ・レゾネを制作しようとする筆者の所期の目的はみごとに達成されるとともに、それだけに止まらず、初期狩野派とりわけ元信という画家の在りようが、生き生きと読むものの眼前に立ち上がってくるのである。特に、遺品の精査をもとに元信工房の存在を推定したことは卓見であって、それまでの真筆と偽筆という二分法が打破されたことにより、初期狩野派研究は飛躍的に発展することになった。

 元信は和漢融合を成し遂げた画家として絵画史上位置付けられている。それを考察した本論文はまた、筆者による和的感性と漢的実証の融合であるといってよい。それがやまと絵と中国絵画への広い目配り、美術史学者としての練磨された直観力、そして達意の文章表現によってしっかりと支えられていることも特筆に値する。筆者が序文で述べた「戦国から桃山に至る時代の文化史的状況を考察するための一資料として本書の活用を願う」という希望にも、確かに応えうる力の籠った論文である。文献資料の解読などにおいて、問題を残す点がないではないが、それは本論文の論旨をいささかも傷つけるものではない。

 以上、本論文が日本絵画史研究に示したすぐれた成果を勘案し、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位を与えるにふさわしいものと審定した。

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