狩野派は、日本絵画史上の最も大きな流派である。中世末・戦国時代に始まり、近代の始めに至る間、時の権力に密着して終始画壇の指導的地位を保った。その影響はさまざまなレベルにわたり極めて大きい。しかしながらその研究は、第二次大戦後、久しく停滞していた。ようやく最近になって、狩野派研究も再び活発化しつつある。 著者は、その中で、この四半世紀にわたり、狩野派、とくに初期狩野派を対象に、研究を続けてきた。なかで昭和四二年(一九六七)から同四六年にわたり『美術研究』誌上に連載した「狩野元信」は、狩野派の基礎の確立者である元信の伝記・作品の両面にわたって詳細な考察を行ったものである。本書はこれを基礎に、その後の研究を補い、元信の活動を核に展開した初期狩野派の総括的検討を行うものである。 本書の構成は、第一編から第四編までの四つの部分に、付載をあわせたかたちをとっている。 第一編は、狩野派の成立期における画風の形成と展開を論じた第1章と、狩野派の形成を社会史的な側面から論じた第2章、さらに狩野派の史的役割を大観した第3章からなる。これら総括的内容の文は、体裁の点では本書の最後にまわすべきものかもしれないが、全体の構成をより明確にするため最初に置くことにした。 第二編は、本題である狩野元信およびその周辺の画家の検討である。第1章では、元信の父正信の画業とその意義が考察される。続いて第2章では、元信の伝記が詳しくたどられ、あわせて元信の家族や周辺の狩野派画人の伝記についても検討される。ついで、多数に上る元信および伝元信の作品の、個別にわたる比較検討から、元信の作風とその展開が論じられ、最後に基準作の選定がなされる。元信派に属する画家たちについても考察が及ぼされる。その後につけられた補遺は、この論文が執筆されて以後、現在にいたる間の元信研究の進展状況を紹介し、それに対する著者の意見を添えたものである。第3章もまた、第2章の補遺の役割を果たすもので、元信および伝元信の作品五点の紹介と検討である。第4章は、最近、遺品の数の増加にともない、元信派のなかでもっとも活動的な画家の一人として注目されるにいたった隠信印を捺す画家(現在雅楽助に擬せられている)についての考察である。 第三編では、元信の子松栄、孫の永徳・秀頼が、元信の残した作風の遺産をどのように発展させたかが論じられる。第1章は、松栄・永徳の合作による大徳寺聚光院襖絵を中心に、対照的な画風の持ち主である父と子の、それぞれの伝記・作品を検討したもの。元信の章ほどに詳細ではないが、総目録的な役割がここでも意図されており、戦国から桃山へ、という歴史の転換に呼応した絵画の新しい動向と、永徳の個性との呼応に照明が当てられる。第2章は、一九八九年に物故した米国の女性研究者によるすぐれた松栄論文の内容紹介、第3章は永徳が安土城の書院に描いたと記録される「三上山真景図」が、実際にどのような作品であったかについての考察、第4章は、松栄および永徳の作品、および二人に擬せられる作品合わせ四点についての検討で、第一章の補遺としての意味も持つ。第五章は、元信の子と伝えられながら伝記に謎の多い秀頼の伝記・作品の考察である。 最後に付載として、東京国立博物館所蔵の初期狩野派模本の調査報告、および武田恒夫氏の労作『近世初期障壁画の研究』の書評を加えた。 |