学位論文要旨



No 212045
著者(漢字) 代田,眞理子
著者(英字)
著者(カナ) シロタ,マリコ
標題(和) ラットにおけるプロラクチン受容体遺伝子の発現
標題(洋) Gene Expression of the Prolactin Receptor in the Rat
報告番号 212045
報告番号 乙12045
学位授与日 1995.01.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12045号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 河本,馨
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 助教授 酒井,仙吉
 東京大学 助教授 塩田,邦郎
内容要旨

 腺性脳下垂体から分泌されるペプチドホルモンのプロラクチン(PRL)は,成長ホルモン(GH),胎盤性ラクトジェンおよびプロリフェリンと同一の遺伝子ファミリーに属し,下等脊椎動物では環境適応ホルモンとして多様な生理作用のあることが知られている。哺乳類におけるPRLの主要な生理作用は,乳腺の発育と泌乳である。しかし,乳腺に対する作用のほかに,塩水代謝調節,性腺刺激,免疫賦活,哺育行動の促進など,進化の過程で環境適応ホルモンとして認められてきた様々な生理作用が哺乳類においても認められている。これらの作用は,標的器官の細胞膜に存在する受容体を介して発揮されるが,プロラクチンの細胞内伝達シグナルについてはいまだに不明である。PRLの生理作用の多様性が何によるかを知るためには,PRLと結合し,その情報を細胞内部へと伝達する,PRL受容体の構造とその発現機序を明らかにする必要がある。そこで本研究では,まず,ラットのPRL受容体の一次構造を明らかにし,次に,PRLの主要な標的器官におけるPRL受容体遺伝子の発現を定性的および形態学的に明らかにした。

 はじめに,ラットにエストロジェン(E2)を連日投与して肝臓のPRL受容体数を増加させ,メッセンジャーRNA(mRNA)を抽出,精製し,これから相補的DNA(cDNA)ライブラリーを確立した。これを,肝臓から精製したプロラクチン受容体の一部のペプチド配列をもとに合成したオリゴヌクレオチドプローブによりスクリーニングした。その結果,19のシグナルペプチドに続き,24アミノ酸残基の単一の膜貫通部位を含む291アミノ酸残基から成る構造をコードする単一クローンのF3が分離された。F3からmRNAを転写し,これをアフリカツメガエル受精卵へ注入し,また,蛋白発現ベクターに組換えたF3をチャイニーズハムスター卵巣細胞に導入してバインディングアッセイを行った結果,ヒツジおよびラットPRLならびにヒトGHとの間に特異性の高い結合が認められ,F3がPRL受容体(PRL-R1)をコードする遺伝子であることを確認した。PRL-R1の一次構造には,細胞外および細胞内いずれの部位にもGH受容体と高い相同性の認められる部位が存在することから,PRL受容体は,GH受容体と共通の分子から進化したものであることが示唆された。しかし,PRL-R1の細胞内部位は,わずか57アミノ酸残基から成り,ヒトおよびウサギPRL受容体,ならびにヒトおよびウサギGH受容体と比較して極めて短かった。Northern解析においても,本遺伝子をコードしている1.8kbのmRNAのほかに,さらに大きい分子種の存在が認められ,また,これまでのモノクローナル抗体を用いた生化学的解析からも,PRL受容体は単一の分子ではないことが示唆されていたので,Northern解析において大きい分子種のmRNAが発現していた卵巣のcDNAライブラリーを,F3をプローブとしてスクリーニングした。その結果,細胞外部位および膜貫通部位はF3と全く同一のアミノ酸配列を有しながら,細胞内部位は357アミノ酸残基と,ヒトおよびウサギPRL受容体ならびにGH受容体と同等の大きさを有する,第2のPRL受容体(PRL-R2)をコードするcDNA,O2が得られた。O2およびF3の塩基配列をマウス,ウサギおよびヒトのPRL受容体cDNAの塩基配列と比較すると,二つの異なる細胞内部位をコードするcDNAは,単一の遺伝子からalternative splicingにより転写されていることが示唆された。また,PRL-R2の細胞内部位のアミノ酸配列は,ヒトおよびウサギPRL受容体の細胞内部位と,全体として66および67%の相同性が認められたが,これらの種のPRL受容体と同様に,特定の細胞内シグナル伝達機序を示唆する構造は認められなかった。しかし,PRL-R2ならびにヒトおよびウサギPRL受容体と,ヒトおよびウサギGH受容体の細胞内部位のアミノ酸配列との間には,有意な相同性が4箇所に認められ,これらの部位は,GHと共通のシグナル伝達に関与しているものと推測された。

 次に,これら二つの受容体遺伝子のPRL標的器官における発現を調べるために,腎臓およびE2投与ラットの肝臓のcDNAライブラリーをさらにスクリーニングした。腎臓からは,ポリアデニレーション(An)部位を有し,PRL-R1をコードするcDNA,K4が得られた。肝臓からは,PRL-R1のC末端をコードし,An部位を有するcDNA,L1のほかに,PRL-R2をコードするcDNA,G8が得られた。さらに,肝臓および卵巣についてReverse Transcription Polymerase Chain Reaction(RT-PCR)を行った結果,これらの器官にはいずれも二つの受容体遺伝子の発現していることが明らかになった。さらに,PRL-R1およびPRL-R2のそれぞれをコードするmRNAと,相補的に結合するプローブを用いてNorthern解析を行い,mRNAのサイズと発現の程度を確認した。肝臓では,PRL-R1は主に1.8kbのmRNAによりコードされていたが,PRL-R2は,2.5kbおよび3kbのmRNAによりコードされていた。一方,卵巣では,PRL-R2は1.8kbから5.5kbにわたる多様なmRNAによりコードされていたが,PRL-R1については5.5kbのmRNAのみによりコードされているものと考えられた。

 二つのPRL受容体がPRL標的器官において担っている役割は明らかではない。しかし,PRLの主要な生理作用の一つである乳蛋白の合成に関しては,PRL-R2のみが乳蛋白遺伝子の転写を促進するとされている。泌乳は,乳腺における乳汁の合成のみならず,それに付随する生体の代謝機能の変化および泌乳期の性周期の回帰停止など,乳腺以外の器官の機能変化を伴い,それらの器官もPRLの標的器官の一つである。乳腺とそれ以外のPRL標的器官におけるPRL-R2遺伝子の発現部位を明らかにするために,泌乳第1日のラットの乳腺,卵巣,肝臓および腎臓について,ビオチン標識プローブによるin situ hybridizationを行なった。その結果,乳腺では,乳管上皮細胞とともに,乳蛋白合成の場である腺胞上皮細胞に強い発現が認められた。また,同一の乳腺でも乳汁の貯留が充分ではない乳腺では発現が著しく,既に乳汁が充分に貯留している乳腺では発現は乏しかったことから,PRL受容体遺伝子の発現は,乳汁貯留の程度により,局所的な調節を受けている可能性があるものと考えられた。卵巣では,最も強い発現が後分娩排卵で形成された新生黄体に観察されたが、妊娠黄体には認められなかった。卵胞の顆粒膜細胞および莢膜細胞,ならびに間質細胞などPRL受容体遺伝子の発現が既に確認されているステロイド産生細胞のほかに,原始卵胞あるいは一次卵胞といった発育開始前の段階にある卵胞の上皮細胞にもPRL受容体遺伝子の発現が認められ,PRL-R2遺伝子は,卵巣では機能の異なる種々の細胞で発現していることが明らかになった。一方,肝臓では肝細胞のみに発現が認められた。Northern解析において,肝臓のPRL-R2 mRNAは2種類のみであったのに対し,種々の細胞に発現の認められた卵巣では多種類のmRNAの存在が示唆されたことから,PRL受容体遺伝子は,細胞種ごとに種々の転写調節を受けている可能性があるものと推測された。Nagano and Kelly(1994)は,定量的PCRにより,泌乳をしていないラットの腎臓におけるPRL-R2 mRNA量は,妊娠末期あるいは泌乳初期の乳腺における発現量と同等であることを示しているが,泌乳ラットの腎臓にはいずれの部位にもPRL-R2 mRNAは認められず,泌乳ラットの腎臓におけるPRL-R2の合成量は少ないものと推測された。

 以上の様に,本研究により,PRL受容体の一次構造が始めて明らかになり,ラットでは,同一の器官で二つの受容体が合成されていることが明らかになった。これらの受容体の一次構造からは細胞内伝達シグナルは明らかにならなかったが,これらの受容体の遺伝子発現は,標的器官ごとに,あるいは少なくともPRL-R2については同一の標的器官でも細胞ごとに,異なる可能性のあることが示唆された。ラットの正常細胞では,本研究で明らかになった二種のPRL受容体以外に一次構造は確認されていない。しかし,PRL受容体遺伝子の非翻訳領域は多様であると考えられることから,PRL受容体は転写および翻訳段階で種々の調節を受けているものと推測され,これがPRLの多様な生理作用に関与しているものと推測された。

審査要旨

 腺性脳下垂体の分泌するペプテドホルモンのプロラクチン(PRL)は,哺乳類では泌乳をはじめとして多様な生理作用を発揮している。これらの作用は,標的器官の細胞膜に存在する受容体を介して発揮されるが,本研究では,ラットPRL受容体の一次構造を明らかにし,さらに標的器官におけるプロラクチン受容体遺伝子の発現を明らかにした。

 エストロジェン投与により,PRL受容体数の増加したラットの肝臓から確立したcDNAライブラリーを,精製した肝PRL受容体ペプテド鎖のアミノ酸配列の解析から推測されたコドンをもとに合成したオリゴヌクレオチドをプローブとして,ライブラリーを検索した結果,93bpのcDNA(E1)が得られた。E1をプローブとして,さらにライブラリーを検索した結果,全翻訳領域を含むcDNA(F3)が得られた。ヘテロジニアスな細胞における発現実験から,F3はPRL受容体(PRL-R1)をコードすることが確認された。F3の塩基配列,および推定アミノ酸配列とその疎水性分析から,PRL-R1は,19アミノ酸のシグナルペプチドに続き,3箇所の糖鎖付加部位と5箇所のシスチン基を有する210アミノ酸の細胞外部位と,24アミノ酸の単一の膜通過部位,および57アミノ酸の細胞内部位からなる分泌型の膜蛋白であることが明らかになった。また, PRL-R1と成長ホルモン(GH)受容体とを比較すると,細胞外部位の5箇所および細胞内部位の1箇所に有意な相同性が認められ,両者は同一の分子から進化したものと考えられた。しかし,細胞内部位はGH受容体と比較して著しく短く,また,ノザン解析から,さらに大きい分子量のプロラクチン受容体の存在が示唆されたため,肝臓,腎臓および卵巣のcDNAライブラリーを検索した。その結果,卵巣および肝臓から,細胞内部位のN末端27アミノ酸残基まではPRL-R1と同一のアミノ酸配列を有しながら,C末端のアミノ酸配列はPRL-R1と全く異なり,全長357アミノ酸と長い細胞内部位を有する第二のプロラクチン受容体(PRL-R2)をコードするcDNAが得られ,ラットには,長短二つの受容体のあることが明らかになった。PRL-R2の細胞内部位に特定の細胞内シグナル伝達機序を示唆する構造は認められなかったが,GH受容体細胞内部位の4箇所のアミノ酸配列との間に有意な相同性が認められ,これらの部位は,共通のシグナル伝達に関与するものと考えられた。

 長短二つの受容体をコードするmRNAは,単一の遺伝子から択一的splicingにより転写されているものと考えられるが,肝臓および卵巣についてRT-PCRを行った結果,これらの器官のいずれにも二つの受容体遺伝子の発現していることが確認された。さらに,PRL-R1およびPRL-R2のそれぞれをコードするmRNAと相補的に結合するプローブを用いてノザン解析を行った結果,肝臓では,PRL-R1をコードする1.8kbのmRNAが主要なPRL受容体遺伝子であることが明らかになった。また,PRL-R2も2.5kbかよび3kbのmRNAによりコードされていた。一方,卵巣では,PRL-R2遺伝子が主要なPRL受容体遺伝子であったが,1.8kbから5.5kbにわたる種々の分子種のmRNAによりコードされていた。PRL-R1については5.5kbのmRNAのみによりコードされているものと考えられた。さらに,乳蛋白遺伝子の転写促進を伝達することが知られているPRL-R2の遺伝子発現細胞の局在を観察するため,泌乳第1日のラットについて,ビオチン標識プローブによるin situ hybridizationを行った。その結果,乳腺では,乳管上皮細胞とともに,乳蛋白合成の場である腺胞上皮細胞に強い発現が認められたが,同一の乳腺でも管腔に乳汁の貯留した腺胞上皮細胞では遺伝子発現が低下し,PRL-R2遺伝子の発現は局所的な調節を受けているものと考えられた。卵巣では,種々のステロイド産生細胞のほかに,原始卵胞や一次卵胞といった発育開始前の段階にある卵胞の上皮細胞にもPRL受容体遺伝子の発現が認められ,ノザン解析において認められた多数の分子種のPRL-R2 mRNAは,機能の異なる多様な細胞で発現していることが明らかになった。一方,ノザン解析において2種のPRL-R2 mRNAしか認められなかった肝臓では,PRL-R2 mRNAは肝細胞のみは発現し,PRL-R2遺伝子は,細胞種ごとに種々の転写・膨訳調節を受けているものと推測された。

 以上のように,ラットにおける二つのプロラクチン受容体の一次構造を決定し,その遺伝子発現を明らかにしたことは,学術上寄与するところが大であり,よって審査員一同は申請者に対して,博士(農学)の学位を授与することが適当であると判定した。

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