学位論文要旨



No 212046
著者(漢字) 横山,峯介
著者(英字)
著者(カナ) ヨコヤマ,ミネスケ
標題(和) 疾患モデル動物の作出に関する生殖工学的研究
標題(洋)
報告番号 212046
報告番号 乙12046
学位授与日 1995.01.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第12046号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊田,裕
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 舘,鄰
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 助教授 佐藤,英明
内容要旨

 ヒトを含めた各種動物の疾病を研究するためには、モデルとなる動物が重要な役割を担っており、いかに目的に適合したモデル動物を使用できるかが、結果を決めると言っても過言ではない。これらの疾患モデル動物の開発は、これまでは主に偶然の機会に見出された突然変異個体から育成する方法で行われてきた。

 一方、近年は胚に対する種々の操作を応用して、目的に合ったモデル動物の作出が行われるようになり、とくにマウスではトランスジェニックやキメラの技術を用いて、新たな疾患モデル動物の作出が可能となった。これらの実験を行う上では、まず材料となる胚が不可欠であり、種々の操作を受けた胚から効率的に個体を得る条件を明らかにしておく必要がある。しかし、これらの基礎的な諸条件の検討はいまだ十分ではないために、系統により実施が困難である場合が多く、作出効率の低さが深刻な問題の一つとなっている。さらに、開発されたモデル動物は、その特性ゆえに繁殖能力が低かったり、不妊なものが多く、実験に用いる動物の生産や系統維持に多大な労力と経費を費やさざるを得ないのが現状である。

 本研究では、これらの問題点を解決するために、まず一般的なマウス系統について、性腺刺激ホルモン処理による排卵の誘起と、体外受精による胚の作出に関する基礎的条件を調べた。ついでこの成果を基に、繁殖障害を伴う系統を含めた各種トランスジェニック(以下Tgと略す)およびミュータント(以下Muと略す)マウスの系統化のための体外受精と胚移植による産仔の作出を試み、さらにこれらの動物の遺伝子保存のための精子および胚の凍結保存について検討した。

1.誘起排卵と受精卵および胚の採取に関する基礎的検討

 第1章では、妊馬血清性性腺刺激ホルモン(PMSG)とヒト絨毛性性腺刺激ホルモン(hCG)の処理による誘起排卵の条件を調べ、さらに誘起排卵処理後の交尾成立率および交尾成立雌からの胚採取と、体外受精による受精卵の作出を検討した。

 1)誘起排卵:9系統の近交系、1系統の交雑系および2系統のクローズドコロニーの成熟未経産雌に、1.25,2.5,5.0および10.0iuのPMSGと、5.0iuのhCGを投与して排卵を誘起した。排卵数はPMSG投与量1.25iu群で自然排卵数に近い値が得られ、投与量を増すに従ってその数も増加した。12系統中の11系統では5.0iu群で最も多い排卵数であり、自然排卵数に対する誘起排卵数の増加率は、1.7〜4,8倍の値であった。すなわち、PMSG-hCG処理による誘起排卵数には、系統により反応性に差があるが、効率的に過排卵を誘起できることが示された。

 2)交配による胚の採取:24系統の近交系成熟未経産雌にPMSG-hCG処理して排卵を誘起し、雄と交配した。交尾成立率は16〜84%の範囲で系統により差が大記く、12系統は50%以下の値であった。また、交尾した個体から採取された正常胚(8細胞期)数にも系統差があり、11系統では11.3〜31.3個と自然排卵数と同等かそれ以上の値なのに対して、他の13系統は10.0個以下の低い値であった。このことから、PMSG-hCG処理により排卵は誘起できるが、半数の系統では交尾成立率の変動が大きく、採取できる正常胚数の予測は困難であることが知られた。

 3)体外受精による受精卵の採取:成熟雌に誘起排卵して得た卵子と、成熟雄の精巣上体精子を用いて体外受精を行った。培地は著者らの考案したTYH培地を使用した。BALB/c,C3H/He,C57BL/6,DDD,NCの5近交系の、系統内および系統間における精子侵入率は86〜100%で差はなかった。受精率はBALB/c精子とC3H/He卵子との組合わせで69%と有意に低かったが、その他は88〜100%と高い値であった。すなわち、系統内のみならず系統間の組合わせでも高い受精率が得られ、交配による体内受精に比較して受精成績に変動の少ないことが明らかとなった。

2.体外受精と胚移植による疾患モデル系統の産仔の作出

 第1章のPMSG-hCG処理で誘起排卵して交配した雌からの正常胚の採取は不安定であるが、体外受精では受精成績に変動が少ないという成績を踏まえ、第2章では、体外受精が繁殖障害を伴う疾患モデル系統を含めたTg系とMu系に応用可能か否かを検討し、得られた胚は移植により産仔への発生を調べた。

 1)Tg系の体外受精と胚移植:自然交配による体内受精卵または体外受精卵にクローン化した遺伝子DNAを顕微操作で注入し、受容雌に移植してTg個体を得た。導入遺伝子は、腫瘍モデルのヒト・プロト型c-Ha-ras遺伝子およびヒト・B型肝炎ウイルス遺伝子、免疫不全症モデルのヒト・インターロイキン2(hIL-2)遺伝子およびマウス・T細胞抗原レセプター遺伝子、高血圧症モデルのラット・レニンおよびラット・アンジオテンシノーゲン遺伝子ならびにヒト・レニンとヒト・アンジオテンシノーゲン遺伝子、運動失調モデルのマウス・ミエリン塩基性タンパク質遺伝子およびそのアンチセンス型遺伝子の10種類である。作出したTg個体から系統を樹立するために体外受精を行い、得られた2細胞期胚を受容雌に移植した。プロモーターとしてマウス・メタロチオネイン-I(MT-1)遺伝子を用いたMThIL-2遺伝子およびラット・レニン遺伝子を導入したTg雄個体では精子形成に異常が生じた。MThIL-2遺伝子を導入したTg雄ではまったく精子が採取できず、また、ラット・レニン遺伝子を導入したTg雄から得た精子の体外受精率は30%以下と有意に低かった。しかし、その他の系統では70%以上の受精率であり、移植胚の30〜90%が産仔に発生することが知られた。また、導入遺伝子の機能発現のために運動失調を呈し、従来の交配によっては産仔が得られない個体も出現したが、体外受精と胚移植で産仔を作出して継代維持できることが示された。さらに、幼若Tg雌に排卵誘起し、体外受精と胚移植で産仔を得て世代を継ぐ実験を第8代目まで繰り返すことにより、Tg系統の遺伝的背景を他系統に変換することが、従来の交配による方法よりも短期間で行えることが明らかとなった。

 2)Mu系の体外受精と胚移植:疾患モデル動物として利用されるMu系は、その特性ゆえに正常系統に比べて繁殖能力が低いものが多い。常染色体劣性遺伝のホモ型で疾患を発症して不妊となる筋ジストロフィーモデルのC57BL/6-dy/dyや肥満症モデルのC57BL/6-ob/obは、卵子と精子に異常はなく、体外受精によりホモ個体間の交配が可能となった。これらのMu系は従来、ヘテロ個体同士の交配によって産仔を得ているが、この場合、ホモ個体と正常個体が同腹仔として生まれるために、疾患発症時までそれぞれの個体を判別することができなかった。しかし、体外受精によってMu遺伝子を明確にホモ型で持つ産仔を作出でき、これまで不可能であった疾患発症前の個体を使用する新たな実験も可能となった。また、繁殖能力の低い運動失調のBALB/c-rl/rl,BALB/c-shi/shi,C57BL/6-mld/mld、免疫不全症のBALB/c-nu/nu,C57BL/6-nu/nu,CB-17-scid/scid、自己免疫疾患のMRL/MpJ-lpr/lprおよび糖尿病のKKの各疾患モデル系統においてもホモ個体間の体外受精が可能で、移植胚は高い値で産仔へ発生することが示された。

3.凍結保存した精子および胚からの産仔の作出

 第2章の体外受精と胚移植によって、繁殖障害を伴うTg系とMu系を含む各種系統の継代維持と動物の計画的な作出が可能となった成果を踏まえ、第3章では、これらの遺伝資源の保存を目的として、マウス精子の凍結保存および体外受精由来の2細胞期胚の凍結保存を検討し、その技術の確立と実用化を図った。

 1)精子の凍結保存:成熟雄の精巣上体尾部から採取した精子を、10%ラフィノース+5%グリセロールを含む保存液に懸濁して-10℃/分の速度で冷却し、液体窒素(-196℃)中に凍結した。融解後、遠心処理で凍害保護剤を除き、TYH培地に再懸濁して生存性を観察した後、体外受精を行った。融解した精子の生存性は30〜40%の値で、その受精率は25%であった。さらに受容雌への移植により45%が正常産仔へ発生することが示された。マウス精子の凍結保存は、これまで困難を極めてきたが、この成果を基に方法が確立され、実用化の目途がついた。

 2)胚の凍結保存:体外受精の技法で得られた10系統のTg系および14系統のMu系の2細胞期胚を凍結保存した。PB1培地に1.0Mジメチルスルホオキシドを含む保存液に胚を浮遊して緩慢法により冷却し、液体窒素中に保存した。緩慢法で融解した胚は形態的な観察を行い、さらに受容雌に移植して正常産仔への発生を検討した。Tg系およびMu系とも胚の融解後の生存性は高く75〜95%の値であった。移植によりTg系では20〜77%が、Mu系では35〜55%が正常な産仔へ発生した。なお、保存期間は2日〜1325日に及んだが、期間の延長が胚の生存性や得られた各個体の遺伝形質の変化等に及ぼす影響は認められなかった。すなわち、胚の凍結によりTg系およびMu系の遺伝子保存が確実に行えることが明らかとなった。

 本研究では、排卵誘起、体外受精および胚移植等の技術を駆使して、各種の疾患モデルマウスの作出と系統化を検討し、従来の交配による方法では不可能であった、繁殖障害を伴うTg系およびMu系等の継代維持と個体の作出が可能であることを明らかにした。さらに、遺伝子保存のための精子の凍結保存法を開発し、また、初期胚については従来の方法に改良を加えて、Tg系およびMu系等の系統保存が確実にできることを示した。以上のように、生殖工学的な技術を機能的に組合わせる新しい実験系の普及は、疾患モデル動物の開発にだけではなく、今後の動物実験や動物生産体制にも大きな改良をもたらすことが考えられる。

審査要旨

 疾患モデル動物の開発は,従来は,偶然の機会に見出された突然変異個体から育成する方法に頼らざるをえなかったが,近年は,遺伝子工学および哺乳類胚操作に関する技術の急速な進歩に支えられて目的は適合した遺伝的性質を持つ新しいモデル動物の作出が試みられるようになった。本研究は,これらの実験を行う上で不可欠である生殖工学的技術が疾患モデル動物作出の効率を制約する重要な要因となっていることに着目し,より効率の高い技術の開発を目指してマウスを用いて基礎的な検討を行ったものである。論文は3章から構成され,得られた知見の概要は以下のように要約できる。

1.誘起排卵と体力受精による胚の作製

 9系統の近交系,1系統の交雑系および2系統のクローズドコロニーの成熟未経産雌を用いて,妊馬血清性性腺刺激ホルモン(PMSG)とヒト絨毛性性腺刺激ホルモン(hCG)の処理による誘起排卵の条件を検討したところ,12系統中の11系統では自然排卵数の1.7〜4.8倍の排卵数が得られ,系統により反応性に差はあるものの,過排卵の誘起が可能であった。しかし,24系統の近交系成熟未経産雌に対して,この方法を用いて体内受精胚の採取を試みた結果,交尾成立率,正常胚率ともに系統により変動が大きく,正常胚数を予測することは困難であった。一方,成熟雌に誘起排卵して得た卵子と,成熟雄の精巣上体から得た精子を用いて体外受精を試みたところ,系統にかかわらず,受精率は70%以上の高い値を維持し,体外受精法は,交配法に比較してより安定した,効率の高い胚の作製法となり得ることを明らかにした。

2.体外受精と胚移植による疾患モデルマウスの系統化と遺伝的背景の変換

 ヒトのインターロイキン2遺伝子,ラットのレニンおよびアンジオテンシノーゲン遺伝子,マウスのアンチセンス型ミエリン塩基性タンパク質遺伝子など10種類の組み換えDNA分子を,顕微操作で前核期の受精卵に注入して初代のトランスジェニック個体を作出し,次いで,それらの個体から新しい系統を樹立するために体外受精と胚移植を適用した。その結果,マウスのメタロチオネイン-I遺伝子のプロモーターを用いた融合遺伝子導入個体では精子形成に異常が生じ,雌個体を経て導入遺伝子の伝達を図らなければならなかったが,その他の系統では初代個体の精子を用いて大量の受精卵を作製し,その移植によって,一挙に量産体制を確立することに成功した。また,導入遺伝子の機能発現のために運動失調を呈し,交配による産子が得られない個体も出現したが,体外受精と胚移植で産子を作出して系統化を可能にした。同様に,その特性ゆえに繁殖能力が低く,ヘテロ接合型個体間の交配で維持せざるを得なかった常染色体劣性遺伝の筋ジストロフィーモデル(C57BL/6-dy/dy)および肥満症モデル(C57BL/6-ob/ob)マウスについても,ホモ接合型個体から得た配偶子間の体外受精によりモデル個体の作出が可能であることを示した。さらに,幼若雌に排卵を誘起し体外受精と胚移植で産子を得て世代を継ぐ方式で,従来の交配による方法の約半分の期間でトランスジェニックマウスの遺伝的背景を他系統に変換できることを示した。

3.凍結保存した精子および胚からの産子の作出

 成熟雄の精巣上体尾部から採取した精子を,10%ラフィノース+5%グリセロールを含む保存液に懸濁して-10℃/分の速度で冷却し,液体窒素(-196℃)中に凍結する方法を考案し,融解後は凍害保護剤を除去または希釈した後に受精用培地に再懸濁して体外受精を試みた結果,精子の生存性は30〜40%,その受精率は25%と比較的低値であったが,受容雌への移植により受精卵の45%が正常産子へ発生することを証明した。マウス精子の凍結保存は,これまで困難を極めてきたが,この成果を基に方法が確立され,実用化が達成された。さらに,体外受精で得られた24系統の2細胞期胚を凍結保存し,融解後の胚移植により,正営な産子への発生と,それらの個体における導入遺伝子の伝達を確認し,胚の凍結保存による疾患モデルマウスの遺伝子保存が系統を問わずに確実に行えることを示した。

 以上要するに,本研究は,排卵誘起,体外受精および配偶子および胚の凍結保存等の生殖工学技術を開発,改良し,各種の疾患モデルマウスの作出と系統化のための技術体系を構築したものであり,学術上,応用上,貢献するところが少なくない。よって,審査委員一同は,本論文が博士(獣医学)の学位論文として十分な価値を有するものと判定した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50917