内容要旨 | | 近年,微小外科手技の発展に伴い,形成外科,整形外科等の再建外科領域において,微小血管神経縫合法による遊離筋肉移植(神経血管柄付遊離筋肉移植)は標準的な術式として確立されたと言える.しかし,移植術後の筋肉の変化に関しては未だ十分な研究が行われているとは言い難く,さらに生化学的には少数の報告が見られるに過ぎない.移植筋においては,筋肉を構成する蛋白質のうちで最も多量に含まれ,かつ筋収縮の主要な役割を果たしているミオシンに関しても変化が生じるものと考えられるが,そのアイソフォームの経時的変化については未だ詳細な報告を認めない.著者は,ミオシンがアデノシン三燐酸の同族体であるピロ燐酸に溶解する性質を利用して,未精製かつ数 gという微量なミオシンしか含有していない試料からでもこれのみを特異的に検出でき,非解離状態のアイソフォームを分析することが可能なピロ燐酸ポリアクリルアミドゲル電気泳動法(以下PPi-PAGEと略す)に着目し,本分析法による脱神経および神経再支配過程の筋肉におけるミオシンアイソフォームを経時的に分析した. 神経血管柄付遊離筋肉移植においては,移植床の相違により移植筋の血行動態,緊張性,神経支配等複数の要素が様々に変化し,それに対応してミオシンアイソフォームにも遅筋型,速筋型等の各型間で転換が生じると推察される.なかでも神経再支配の確立は,筋収縮機能の回復にとって必要不可欠な条件であることに異論はなく,さらにこれによりもたらされる変化は種々の要素がもたらす遊離筋肉移植における諸変化のなかでも最も基本的と考えられ,これを解明することなしに他の要素による変化を評価することは甚だ困難である. 神経支配が変化した場合に生じるミオシンアイソフォームの転換に関しては既に幾多の報告を認めるが,これらのほとんどは変化の完了した一時点のみの状態を分析したもので,非解離状態のミオシンアイソフォームの転換過程を経時的に分析した報告は見られない.臨床的に本分析法を用いる場合には,神経再支配途上の筋肉を分析し,遊離筋肉移植術後の神経再支配の成否や移植筋の機能的予後の診断に供することになる. 本研究は実験的,臨床的に遊離筋肉移植術後のミオシンアイソフォームの諸変化を分析する際の基礎的データを得ることを目的として行われた.神経支配の変化がミオシンアイソフォームに及ぼす影響を経時的に分析すべく,ラットにおいて代表的な遅筋(slow-twitch muscle)であるひらめ筋および速筋(fast-twitch muscle)である長趾伸筋を用い,脱神経,自己神経再支配,および交叉神経再支配モデルを作製することにより神経支配を変化させ,これら筋体におけるミオシンアイソフォームの経時的変化を比較検討した. 【実験材料および方法】 Wistar系ラットのひらめ筋,長趾伸筋を用いて,脱神経,自己神経再支配(self-reinnervation),および交叉神経再支配(cross-reinnervation)の各モデルを作製した. 1)脱神経モデル 両筋の支配神経を切断することにより脱神経モデルを作製した.切断に際しては断端からの再神経支配を可及的に避けるため,ひらめ筋では脛骨神経よりの分岐部から筋体への侵入部まで,長趾伸筋では深腓骨神経よりの分岐部から筋体への侵入部までの範囲の支配神経を切除した. 2)自己神経再支配モデル 両筋の支配神経を筋体への侵入部より5mmのところで切断した後,手術用顕微鏡下に針付10-0モノフィラメントナイロン糸を用いて1ないし2針神経束縫合を施行し,自己神経再支配モデルを作製した. 3)交叉神経再支配モデル 自己神経再支配モデルと同様の手技により,ひらめ筋および長趾伸筋支配神経を剥離,露出し,それぞれの近位断端と異なる筋の支配神経の遠位断端とを入れ換えて縫合し,交叉神経再支配モデルを作製した. 術後4,8,12および24週に各モデルの両筋それぞれ10筋体を採取し,PPi-PAGEにより得られた泳動パターンおよびデンシトグラムを正常筋各10筋体,および胎児,新生児骨格筋のアイソフォームと比較した.また遅筋型アイソフォームの比率(SM含有率)を算定することにより,非解離状態のミオシンアイソフォーム組成の経時的変化をWilcoxon検定により統計的に検討した. 【結果】1.正常筋 1)ひらめ筋では遅筋型ミオシン(slow-twitch myosin,以下SMと略す)が1本のバンドとして泳動された. 2)長趾伸筋ではSMより高い泳動度を示す4本の異なるバンドとして速筋型および中間型ミオシン(fast-twitchおよびintermediate myosin,以下FM/IMと略す)が分離された. 3)ひらめ筋のSM含有率は長趾伸筋に比して有意に高値を示した(p<0.005). 2.脱神経筋 1)正常筋に比較してバンドが薄く,ミオシンの量的な減少が示唆された. 2)24週の一部を除き,FMは維持されたが,SMの発現は抑制された.すなわち,ひらめ筋においてはSMの消失およびFMの出現を認めたが,長趾伸筋では泳動パターンに著明な変化は認められずFMが優位であった,なお両筋とも明瞭なIMは認められなかった. 3)ひらめ筋,長趾伸筋ともに術後24週で再びSMの出現を認めることがあった. 4)両筋ともに術後4,8週でFMより高い泳動度を示す胎児型ないしは新生児型のアイソフォームの出現が示唆された. 3.自己神経再支配筋 1)泳動上のバンドの濃度低下は認められなかった. 2)基本的にはひらめ筋ではSM,長趾伸筋ではFM/IMが優位であった. 3)神経再支配途上でひらめ筋,長趾伸筋ともにSMが有意に増加した.術前と比較してひらめ筋の4〜12週,長趾伸筋の1.2週におけるSM含有率は有意に高値を示した(p<0.005). 4)術後24週のSM含有率は術前と比較してひらめ筋で増加(p<0.005),長趾伸筋で減少した(p<0.025). 4.交叉神経再支配筋 1)術後の全時期を通じて泳動上のバンドの濃度低下は認められなかった. 2)術後4週では泳動上のミオシンアイソフォーム組成に著明な変化は認められなかった. 3)術後8〜24週に漸次SM,FM/IM間の転換が行われ,SM含有率はひらめ筋で減少,長趾伸筋で増加した(p<0.005〜p<0.05). 4)術後8〜24週にはデンシトグラム上でSM,FM/IM両ピーク間の極小点の上昇を認めた. 5)術後24週ではひらめ筋,長趾伸筋ともにSMがデンシトグラム上で2層性のピークを示した. 5)術後24週におけるSM含有率からは,長趾伸筋における転換の方がひらめ筋より不完全であることが示された. 【結論】 自己神経再支配筋において神経再支配途上でSMの増加を認めた原因としては,神経縫合部や再生または新たに形成されるsynapseを越えて伝達される刺激が遅筋様に変化する可能性や,遅筋型運動神経単位の方がより早く再生,神経再支配を達成する可能性が挙げられる.また筋線維細胞膜のアセチルコリン感受性の変化や,速筋型および遅筋型筋線維における神経再支配され易さ,isotypeの相違によるphenotypeの発現し易さ等の相違が影響を与えている可能性も否定できない.一方,神経再支配の完成した24週でひらめ筋のSM,長趾伸筋のFM/IMが術前より増加した原因としては,筋線維や神経筋接合部の特性が成長初期に規定されてしまうことを勘案すれば,SM,FM/IMの転換が完全には起こり得ず,術前に分化していた性質に再生し易い可能性が示唆される. 交叉神経再支配筋の術後4週でPPi-PAGEに変化が認められなかったことにより,この時期には遅筋型,速筋型ミオシンのH鎖,HCI,HCII間の転換は未だ開始されていないことが示された.しかし本分析法の分解能の限界を考慮すればL鎖や,HCIIa,HCIIb,HCIIdと言った速筋型H鎖内の変化は否定し得ない.これに対して術後8〜24週では明確な転換が示された.また,24週で長趾伸筋の方がひらめ筋より不完全な転換を示しことは,従来生理学的,組織化学的に得られている結果と相反するものであるが,これが本分析法,本モデルのみに特異的なものか否かについては今後の検討が必要と考える.24週で両筋のSMが2層性のピークを示したことについては,転換が完全には行われず2種類の遅筋型H鎖HCIsaおよびHCIsbのうちでHCIsbに留まるアイソフォームが存在する可能性を示すものと思われる.SM,FM/IM間の転換の途上で両ピーク間の極小点の上昇を認めたことは,hybrid型アイソフォームの出現を示唆する所見とも推察される. 自己神経再支配過程で認められた一過性のSM増加は他に報告を認めない.これは自己神経再支配筋に特徴的な所見と考えられ,本分析法の臨床応用に際しても意義あるものと思われる.また交叉神経再支配モデルにおいて神経再支配の開始に比してミオシンアイソフォームの転換が遅れた理由として,mRNAの発現と蛋白質への翻訳との間の時間的差による可能性も否定できず,これを解明するためには今後本モデルにおけるmRNAの経時的変化を分析することが必要と考えられる. |