本研究は、現代日本人肋骨の微量元素を多元素同時分析手法を用いて測定し、各種微量元素濃度の性、年齢による生理学的変動およびガン、脳血管疾患、骨疾患による変動について検討したものであり、以下の結果がえられている。 1.本研究で用いた、新しい分析法であるICP-MSは、確度、精度の点で信頼性のあるものであることが判明している。また非常に高感度であり、検出下限として骨中濃度で0.005〜0.1g/gがえられている。 2.ICP-MS、ICP-AES、AASの3つの分析法により、肋骨中のNa、Mg、P、K、Ca、Fe、Zn、Sr、Sn、Ba、Pbが定量可能であった。そのほかICP-MSにより、18元素の存在が検出できている。Ca、P以外の微量元素(56元素)は合計しても総重量の0.8%程度であり、骨のミネラルはかなり純粋なリン酸カルシウムであることが判明している。 3.これまでの報告、筆者の前報、および本研究から、アルカリ土類、Pb、Zn、Snが骨における生物学的半減期の長い元素と考えられ、これらの元素の長期にわたる曝露/摂取を評価するために、骨は有用な試料となると考えることが可能であるとしている。 4.成人においては、骨のCa濃度は年齢によらずほぼ一定レベルであったが、P濃度は20〜39歳で最高値をとった後、年齢とともに減少している。その結果、Ca/Pモル比は年齢とともに上昇している(0〜19歳で1.44、80歳以上でl.59)。骨のミネラルにしめるハイドロキシアパタイト(Ca/Pモル比:1.67)の割合が年齢とともに増加するためであるとしている。 5.肋骨のNa濃度は0〜19歳で低値、その後上昇した後、ほぼ一定のレベルになり、高齢者で男性の方が女性より高い値を示している。Mgに関しては、Naとまったく逆のパターンを示している。これはNaとMgとの間になんらかの相互作用があることを示唆するものであると考えているが、そのメカニズム、もつ意味は不明であるとしている。 6.ガンの有無を判別するのに有意な寄与をする元素に、PbとZnが選択されている。どちらも「有」群で高い値を示した(Pb:p<0.001、Zn:p<0.05、Wilcoxonの順位和検定)。Pbの選択は対象者の群分けの基準を変えたり、Pb濃度の代わりにPb/Caを変数としたときには選択されないなど、不安定な傾向があり、今後の再検討を要すると考えられる。Znは各種ガン患者において、代謝(体内分布、排泄など)が変化することが知られており、本研究結果もそれによるものと考えることが可能であるとしている。 7.脳血管疾患の有無の判別にはBaが選択されている。肋骨中Baレベルは、「有」群で有意に高かった(p<0.05、Wilcoxonの順位和検定)。これまでの動物実験、疫学研究で、Ba曝露と脈管系の疾患との関連を示すものがあるが、本研究は生体試料の分析からこの関連を示唆したものである。 8.骨疾患の有無の判別にはSrが選択された。肋骨中Srレベルは「有」群で有意に高かった(p<0.05、Wilcoxonの順位和検定)。飲料水中あるいは歯のSr含量とう歯の罹患率とが負の関連をもつという報告、さらに馬の骨のSr含量と破壊荷重との間に正の関連があることが報告されている。本研究結果はこれらの知見と整合性をもっており、骨や歯の健康にSrがなんらかの役割を果たしている可能性が示唆されている。今後、骨密度と骨のSr含量、そして骨粗鬆症との関連を調べていく必要がある。 以上、肋骨に含有される各種微量元素のレベルおよびその変動といった、これまでに報告のほとんどなかった事項について詳細に検討し、また本研究の結果は人骨を用いた生物学的モニタリングの可能性を示唆するものである。したがって学位の授与に値するものと考えられる。 |